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水の都 水の都と呼ばれる国際都市は、恵まれた水利によって水運を発達させ、貿易によって成長を遂げてきました。水のもたらす富は、チャンスを求めた人々を国内外から集めただけでなく、たびたび他国から侵略の対象にもなりました。このため、城塞を築いたり、海軍(水軍)を置いたりといった都市防衛が必然的に強められました。そして人々は、ときに水がもたらす災害からも、都市を守らなくてはなりませんでした。場所が変われば水の味も変わるように、それぞれの水の都によって、水のもたらす恩恵と災害とのつきあい方には違いがあります。そこには、歴史や環境、そして住民性といったそれぞれの水の都の個性が現れています。

[ヨーロッパ1]ヴェネツィア(イタリア)

1)『水の都』と呼ばれるようになるまで

1797年、ヴェネツィアを征服したナポレオンは、初めて目にしたサン・マルコ広場を「美しいサロン」と絶賛しました。アドリア海の女王と謳われた水の都は、150以上の運河と潟(ラグーナ)に浮かぶ100以上の島を400もの橋がつないでいます。
初期のヴェネツィアで中心となっていた住民は、東方からゲルマン系やフン族の侵入に遭い、陸地を追われ、水辺へと逃げてきた人々でした。
天然の良港であるヴェネツィア支配を目論んだビザンチン帝国とフランク王国との間で交易権に関する条約が810年に交わされたことを契機に貿易都市への道が開かれ、12~14世紀にかけて海運都市として栄華を極めました。
往時の栄華を偲ぶ水の都は、1987年に世界遺産に指定されました。

ヴェネツィアの街
ヴェネツィアの街
2)水と人々の暮らし

最初にリアルト島にできた流入民のコミュニティが、現在のヴェネツィアの中心地になっています。当時から、潮の満ち引きが運河における水運に影響を与えないように、都市はつくられました。
運河から分かれたさらに細い小運河(リオ)が街の1つの教区になっています。

●ヴェネツィアの水に適応したゴンドラ
ゴンドラとはヴェネツィア特有の平底船のことです。ゴンドラは何世紀にもわたって改良がくり返され、ヴェネツィアのラグーナにもっとも適応した形に改良されてきました。船体は280ものパーツからできているとされ、船体の軽さや喫水の浅さ、水の抵抗の少なさといった特徴があります。また、一人の漕ぎ手(ゴンドリエーレ)が1つの櫂で操縦することや、漕ぎ手の体重とのバランスから、左右対称ではなく、左が大きく、右に傾いた構造になっています。
1万隻を超えたといわれた最盛期、ゴンドリエーレたちが、華美な装飾を競うようになりました。政府はこれを規制し「全部、黒く塗りつぶせ」と命じ、これが現在に至っています。

●水の都を守る海軍
ヴェネツィアには、他の水都のように、水が運ぶヒトとモノの流れをさえぎる城壁はありませんでした。そもそも、城壁のような重い建造物はラグーナに適しません。さらに、建造すれば、自然な水の流れをさえぎることになります。そのかわり、ヴェネツィアには水の上での機動力を発揮する海軍を保有していました。
ヴェネツィアの繁栄の礎となったのは、交易と強大な海軍力によるところが大きいと言われています。海軍によって守られていた商業もまた海軍を助けました。

ゴンドラ
ゴンドラ
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[ヨーロッパ2]アムステルダム(オランダ)

1)『水の都』と呼ばれるようになるまで

「神は世界をつくり、オランダ人はオランダをつくった」と言わしめるほどの発展を遂げたアムステルダムは、17~18世紀、世界経済の中心になりました。
オランダの国土のうち、20パーセントは湖や、堤防で締め切った浅い海を排水して“つくられた”干拓地です。「低地」を意味するネーデルラントという国名が表すとおり、国土の4分の1は海抜0メートル以下で、地面より高いところを運河が流れています。
ネーデルラントの名が歴史に登場するのは、紀元前50年代、ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』に「ネーデルラントの水に囲まれた土地に土を盛った丘に住み、魚を捕って生活するベルガエ族は、あらゆる民族のうちでもっとも勇敢である」と記されたのが最初で、のちにローマの土木技術が伝えられ、水で隔てられた丘同士は堤防で結ばれました。
アムステルダムの発展は、13世紀、ニシン漁師がアムステル川に堤防(ダム)を築いたことに始まります。さらに水門を設けることで、満潮や豪雨による水位上昇時の堤防内への浸水を防ぎました。また、溢れた水を逃がす運河を掘削しました。17世紀には排水ポンプも導入され、水位を自在に調節できるようになります。本来、水の侵入を防いだ堤防(グーデ・ホラント・ウォーターライン)は、敵の侵攻を防ぐ砦としても効力を発揮し、19世紀のアムステルダムは要塞都市となりました。
こうして、ダム広場を中心に、内陸に向かってクモの巣状に張り巡らされた運河は160にも及びます。

アムステルダム
アムステルダム
2)水と人々の暮らし

16世紀、北海から吹きつける強い北西の風を利用した風車で排水が行われるようになると、干拓は急速に進みました。「風車とチューリップと木靴の国」オランダで、木靴は水でぬかるんだ低地を歩くのに適し、チューリップに代表される花卉栽培は、今もオランダにとって重要な産業の一つです。そして、干拓事業で大活躍した風車は「建国の父」といわれます。 しかし低平なオランダの干拓地はいくども洪水や高潮に襲われ、そのたびに、より強固な堤防が築かれました。

●自由を与えた水~フリーポート
干拓地の川が運んできた肥沃な土は、小麦、ライ麦などの収量を飛躍的に伸ばし、これにより増え続ける人口を養うことができました。現在も国土の60パーセントが農地で、牧草地がその半分を占める酪農王国オランダで酪農が始まったのは13世紀で、以後、国力と比例するように酪農経営も大規模化しました。
その後、1568年から80年間続いたスペインとの戦争で自由な活動ができなくなった各国の商人たちはこぞって、宗教的寛容さで知られるアムステルダムに移ってきました。北海、大河、運河に面した水上交通の要所に誕生したフリーポート、アムステルダムには、さまざまな国からヒトとモノが集まりました。

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[アジア1]蘇州(中国)

1)『水の都』と呼ばれるようになるまで

13世紀、ゴンドラが賑わうヴェネツィアからやってきたマルコ・ポーロは、小舟で溢れた蘇州を「まさに東洋のヴェネツィアだ」と言いました。現在、この二つの水都は友好都市になっています。
紀元前3世紀、秦の始皇帝の命で北京と杭州をつなぐ巨大運河が建設されました。
蘇州はこの大運河が西を走り、周囲を豊かな穀倉地帯が取り巻いています。農作物のほか、魚介類、綿花、絹糸から作られる織物や、漆などの工芸品の産地でもありました。蘇州には、水がもたらす豊かな物産が集まりました。

蘇州
蘇州
2)水と人々の暮らし

景勝地・太湖などの湖沼に囲まれた湿地帯である蘇州は、華南経済の中心になると同時に、多くの文人が集まり、独自の雅な文化の発信地としても発展しました。
水運によってもたらされる活気は街のいたるところで見られます。そんな活気にふれられるのが、橋と茶館です。
橋は交通インフラとしての機能だけでなく、市が立ち、商店が軒を連ね、水路と陸路が交差する交通インフラであると同時に、水運による商業施設という、二つの機能を兼ねる複合施設なのです。
もう一つ、賑わうのが茶館(サロン)です。蘇州は、近郊に柑橘類の香りがするという有名な高級緑茶、碧螺春茶(ピールオチュン茶)の産地があり、昔から名水と銘茶の誉れ高い地です。

●水際の住宅
蘇州にある住居はすべて運河に接して建てられています。アムステルダムの古いビルと同様、間口が狭く、奥行きがあるうなぎの寝床のような間取りになっています。

蘇州の住宅
蘇州の住宅
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【参考文献】

  • 陣内秀信/編 『中国の水郷都市~蘇州と周辺の水の文化』 鹿島出版会
  • アントニオ・サルヴァドーリ/著 陣内秀信・陣内美子/訳 『建築ガイド4 ヴェネツィア』 丸善
  • 平沢一郎/著 『オランダ水辺紀行』 東京書籍
  • 「地球の歩き方」編集室/著・編 『地球の歩き方1 ヨーロッパ2001-2002版』 ダイヤモンド・ビッグ社
  • 清水靖夫/著 『世界情報地図2005年度版』 日本文芸社
  • KBI出版/編 『水-水の生活文化史 水の博物館』 KBI出版
  • フリードリヒ・フォン・シラー『オランダ独立史』
    (http://www.geocities.jp/f_von_schiller/)
  • (財)河川環境管理財団「世界水フォーラムとライン川のほとり,オランダの風」
    (http://www.kasen.or.jp/kasenlib/PDF/No4.pdf)
  • 環境省「平成9年版環境白書」
    (http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/hakusyo.php3?kid=209)
  • 環境省「平成8年版環境白書」
    (http://www.env.go.jp/policy/hakusyo/hakusyo.php3?kid=208)
  • 蘇州有情駐在専家
    (http://www.china-yuyuclub.com/index.html)
  • 京都大学国際融合創造センター融合部門(産学官連携・国際連携担当)大津宏康教授「東南アジア諸国における都市地下水環境保全に関する調査研究」
    (http://www.tcn.zaq.ne.jp/akbfw506/BKKsubhtml.html)
  • 日本学術協力財団 『月刊学術の動向』2005年3月号
    (http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/2005-03.html)

世界の水文化

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