翼を広げると、およそ2m。 それはそれは 勇壮で、精悍で、優美な、ワシの仲間です。
でも今、日本には、 わずか500羽ほどしか生息していないと推測され、 絶滅が心配されています。
今回お届けするのは、 そんなイヌワシを、何とか絶滅から救おうとしている 心優しい人々のお話です。
プロジェクトの舞台 <赤谷(あかや)の森>は、利根川の源流域にあります。
公益財団法人日本自然保護協会と林野庁が中心となって、広大な赤谷の森の中に、イヌワシが暮らしやすい環境を復元しようとしているのです。
赤谷の森には、昔からひとつがいのイヌワシが暮らしていて、子育てにも成功していました。
ところが2010年以降、このペアは6年連続で繁殖に失敗。絶滅寸前のイヌワシにとっては大問題です。
山や森に、何らかの環境変化が起こっているに違いありません。
上空から獲物を見つけ、狙いを定めて急降下し、獲物を文字通りワシづかみにする。そんなイヌワシの狩りに欠かせないのは、実は深い森ではなく、見通しのきく開けた空間です。
薪や炭をとるための広葉樹の低木林が広々と広がっていた、つい半世紀ほど前の日本には、そういう明るい空間がいたるところにありました。
ところが、電気ガスの普及で薪や炭がいらなくなると、広葉樹の森は次々にスギ・ヒノキに植え替えられ、その針葉樹人工林も、木材の輸入自由化による材価低迷で手入れ不足に陥り、全国いたるところに、真っ暗な森が広がるようになってしまったのです。
真っ暗な森には、生き物の多様性は望めません。イヌワシのエサになる、ウサギなどの小動物も少なくなります。エサも少ない、狩場もないでは、イヌワシが子育てに失敗しても不思議はありません。
そこで、一つの計画が動きはじめます。スギの人工林を伐採して、開けた空間を創り出す試みです。
伐採したのは、2ha(ヘクタール)のスギ林。この程度の広さで、はたしてどれくらいの効果が出るのか不安もありました。
けれども、2015年9月に伐採を行ってから、イヌワシが伐採地周辺に姿を表す頻度が高まったばかりか、伐採地の上空で獲物を探す行動も観察されたのです。
そしてこの調査・研究に、「サントリー世界愛鳥基金」の助成金が役立っています。
イヌワシはおそらく、伐採地を狩場と認識しているようだ。そんな結果が出たのは、私たちにとっても大きな喜びでした。
私たちが視察に訪れたのは、 2017年11月のこと。 運が良ければ、今年生まれの、 元気で美しいと評判のメスの幼鳥に出会えるかもしれません。
ところが、私たちが訪れたのはちょうど第2期のスギ林の伐採が行われている真っ最中。チェンソーの唸り声や木が倒れるドサっという音が断続的に響きわたる中で、本当にイヌワシが姿を見せてくれるのか。不安になりました。
でも、日本自然保護協会の出島さんによると、イヌワシは双眼鏡や望遠鏡を持っている人のことは警戒するけれど、一度慣れてしまうと、伐採作業のことは気にせず、むしろ興味深めに覗きにくるくらいだそうです。私たちはイヌワシのことを観察しているつもりでいるのですが、実は私たちの方がすっかり観察されているわけですね。
双眼鏡や望遠鏡を手にした私たちが陣取る場所には、案の定、イヌワシは姿を現してくれませんでした。
そこで私たちは、赤谷の森の主――もう3年以上、この森でイヌワシの観察を行っている上田さんのモニタリング基地に移動することにしました。
そして驚きました。 上田さんのところに移動して間もなくのことです。私たちとの会話の最中、何を感じたのか上田さんが突然上空を見上げました。
視線の先には、何と一羽のイヌワシの姿があるではありませんか。
双眼鏡を手にイヌワシの姿を追う私たち。気にするそぶりも見せず、悠然と上空を舞うイヌワシ。
あれ、イヌワシは、双眼鏡を持っている人を嫌うはずでしたよね。
どうやら、イヌワシにとって上田さんは既に顔なじみ。そんな上田さんと一緒だと、私たちのことも警戒する必要はない。そういわんばかりの行動です。
イヌワシに顔見知りと認めてもらえるくらいです。上田さんは、頻繁にここに通っているに違いありません。
話を伺って、また驚きました。 何と、1年を通じて週3日、早朝から日没まで観察を行っているのだそうです。もはや苦行なのでは…。
ところが、「いえ、いえ、ワシやタカが好きな者にとっては、とっても恵まれたことです。仲間からも羨ましがられています」 と、満面の笑み。
上田さんと別れてからも、いくつかポイントを変えながら観察を続けたのですが、やっぱり私たちだけでは、イヌワシは姿を見せてくれませんでした。
ところが、です。 もう諦めて帰ろうと、車に乗って帰路につくと、わずか1分もしない内に、上田さんからケイタイが……。
「 ◯◯方向に イヌワシ…幼鳥…… 」
私たちの姿が消えたのを見計らったかのように、美しいと評判の、今年生まれの幼鳥が姿を現したというのです。
あわてて車を停め、上田さんが指示した方向に双眼鏡を向ける私たち。なんと、まるで、その幼鳥を守るかのように、2羽の親鳥がその後を追っているではありませんか。
その後、親子3羽のイヌワシは、円を描きながら、みるみるうちに私たちから遠ざかっていきました。
この姿が、これからもずっと失われませんように……。 そう願いながら、私たちは赤谷の森を後にしたのでした。