2024年6月21日
#909 稲垣 純一 『夢のような』
今シーズン、サンゴリアスのパートナーシップ担当としてチームに戻ってきた稲垣さん。サントリーラグビー部初代キャプテンから始まり、ラグビー界の発展と共に歩んできた稲垣さんに、今の日本ラグビーとサンゴリアスについて聞きました。(取材日:2024年6月上旬)
◆世界に通じるスタンダード
――今シーズンのリーグワンは特にプレーオフが面白く、サンゴリアスが出た3位決定戦、そして決勝戦も素晴らしい試合でした。稲垣さんから見て、選手のレベル、レフリーのレベルが上がっているように見えますか?
全体的にそれだけじゃなくて、大会のクオリティがとても上がってきて、リーグワン全体を通して、本当にプロフェッショナルな運営が出来るようになってきたという印象です。ファンの層もとても広がったと思います。
2003年にトップリーグをスタートする前、その当時は日本リーグがなくて、どうしても日本リーグをやりたいとチーム側から声を出して、坪井孝頼専務理事(故人)と、宿澤広朗さん(故人)、真下昇さんが尽力されてトップリーグがスタートしました。スタートしたのは良いんだけれども、どうしても運営に統一感が無かったり、リーグの基準もしっかりしなかったり、いろんな問題があった時に、2007年のシーズンからチームから人を派遣して欲しいという話が出て、私はJRFUに出向することになって、他に神戸製鋼から福本正幸君、トヨタから南隆雄君、サニックスから北野義信君が参加しました。全国統一のスタンダードを作る、そのリーグのスタンダードは世界に通じるスタンダードにしたい、という夢があり、リーグ自体をもっと発展させていきたいと思っていました。
当時を思い出すと35万人から40万人くらいの観客を集めたいと思っていましたが、今や100万人を超える観客になったということが感慨深いし、みんなの努力でそうなったことが嬉しいですよね。同時にリーグの質も上がってきて、それがファンの心にも刺さるようになりましたし、海外から有名な選手が来たということもあると思いますが、日本のラグビーの全体のレベルを上げることに貢献できていることが嬉しいですね。
――当時はトップリーグCOOという役職だったと思いますが、特に力を入れてやられたことは?
試合の運営自体がそれぞれの会場で全く違ったので、これを統一のルールにするのが最初の仕事です。加えて何かひとつ発展したことをやらなければいけないと思った時に、世界と比べて時間管理が曖昧だったんです。タイムキーパーをひとりつければ解決出来るんじゃないかということで、タイムキーパー制を取り入れました。正確なプレー時間を全国統一で実施する、ということが大事だったんです。
――終了のホーンがなるようになったのもその頃からですか?
2007年のシーズンからですね。
――それは比較的すぐに浸透しましたか?
そうですね。そんなに難しい話じゃなかったので。マニュアルを作り、いろいろと練習しましたけれど、1年目はトラブルがあったことも事実です。2年目以降は全く問題なく、当たり前のようにトップリーグの会場ではタイムキーパーがいて、時間管理をして、レフリーに試合時間を伝えて、前半40分、後半40分の正確なインプレー時間を計るということがスタンダードになりました。
――それがベースですね
まず最初にやったことですね。
◆2019年にワールドカップを日本でやる
――TMOの導入もありますね
TMOは少し遅くて、2014年シーズンからだったと思います。当時、ヤマハ発動機ジュビロ(現静岡ブルーレヴズ)の監督だった清宮克幸君をはじめ現場のスタッフから、レフリーの人たちも一生懸命やっていたんだけれども、プレーの質が上がっている中で、やはりビデオ判定のようなものがないと裁ききれない、それが大きな問題になってきているという意見がありました。そしてその頃には2019年にワールドカップを日本でやると決まっていましたから、当然TMOをやらなければいけなかったんです。ワールドカップ開催の前に日本のリーグでやってないというのは、世界の国から見ると、本当に日本でラグビーワールドカップが出来るのか、ということになってしまいますからね。
ただ、TMOをやる上でいちばんの問題は費用の部分です。今のTMOは現役のレフリーがやっていますが、当時は現場で笛を吹かなくなったレフリー経験者を充てて人の配置は出来ても、費用がないという時に、清宮君が株式会社フラグスポート様(現在サンゴリアスオフシャルサプライヤー)山根崇裕社長を紹介してくれて、ご協力頂くことになり、実施することが出来るようになりました。ただし、2年目のシーズンからイメージキャラクターが長谷川慎になったのは、失敗したなと思いましたね、冗談ですが(笑)。
――TMOということは、全試合しっかりと映像を撮ってないといけないわけですよね
そこはJ SPORTSさんの協力が大きかったですね。J SPORTSさんに各会場で映像を撮っていただきましたが、それでも世界のTMOに比べたら、カメラの台数は圧倒的に足りませんでした。それが今のリーグワンになって、ワールドレベルのカメラ配置になってきているんじゃないかなと思います。より細かい判断が出来る、結局TMOに関して批判もありますが、これがないと今のラグビーは裁ききれなくなっていると思います。今シーズンはTMOによって、試合が左右されるシーンが多かったし、昨シーズンのサンゴリアスはTMOによって泣かされたこともありました。ただ、映像というものがあれば、ある程度は納得してもらえる部分ですよね。ある意味、プロ野球のビデオ判定とかサッカーのVARよりもラグビーの方が先でした。
――様々な改善策が日本のラグビーの世界的な成長に繋がっているんですね
そうですね。特にレフリングに関するレベルアップは繋がっていると思うし、選手たちはレフリーに対して言いたいこともあると思いますが、映像という証拠があれば納得するし、それに沿った正しいプレーをしようと、反則をしないようなプレーをしていこうという流れになっていると思います。
◆ジュディシャル・サイティングシステム
――明らかなラフプレーも減りましたか?
それについては、2010年のシーズンからジュディシャル・サイティングシステムと呼ばれている、いわゆるラフプレーに対して、これも国際試合では当たり前にやっていて、サイティング・コミッショナーという役職があって、試合中のラフプレーをチェックして、それをジュディシャル・オフィサーが判定をして、サスペンションしてくシステムを採用しました。日本にはそれまでそういった機能が無く、ラフプレーがあった場合は、規律委員会の人たちが判定を下していました。それはアマチュア的なやり方で、しっかりした根拠もなかったし、正確な基準もない中で進められてきました。その時に世界では、ジュディシャル・サイティングシステムが行われていたんです。それも2019年招致活動の頃に、こういうシステムがないのはおかしいんじゃないかということになり、取り入れるようになりました。
サイティング・コミッショナー、ジュディシャル・オフィサーで、サイティング・コミッショナーは大体レフリー出身の方で、ジュディシャル・オフィサーは法律の専門家が多いです。ラグビーを理解されている方で、弁護士資格を持っている方を探してやってもらっていますが、そういう方々がいるラグビーという競技は、奥が深いなと思いますね。
最初の頃、私が関わったサイティング関係は、殴ったとか踏まれたとか肘を入れたとか、そういういわゆるラフプレーが中心でした。今の選手ではそういうプレーをする選手はいませんよね。そうやって見られていると分かっているので、チームでも絶対にやるなと話されています。今のサイティングに挙がってくる案件の多くは、ヘッド・インジャリー、所謂ハイタックルなどの技術的な問題です。
我々の現役時代では、スクラムの中で拳が飛んでくるとか(笑)、ラックで踏まれるとか、背中に蹴りを入れられたとか、そういうとても危険なプレーがありました。そんなプレーはまったく無くなりましたよね。そういった意味でプレーのレベルは上がってきていますし、一方ではラグビーの安全性のためにサイティング・システムがあります。そういった面でラグビーの進歩、日本のラグビーのレベルを上げることに貢献していると思います。
◆日本のラグビーの新しい歴史を作るんだ
――日本を世界レベルにしたかったら、まずはルール、環境からなんですね
ルールもそうですし、スタンダードな運営、いま言ったレフリングだけじゃなく、全ての競技運営がワールドレベルな環境を作ることですね。日本のリーグワンから出た選手が世界と戦うわけですから、世界と戦った時にその環境に馴染まないと、当然プレーに集中できませんし、戸惑うことが多いと思います。これが日本で当たり前に行われていれば、世界と戦う時も素直に入っていけますよね。
2015年のワールドカップの時に日本代表チームにチームディレクターとして帯同していましたけれど、ワールドカップにおいても運営で戸惑うことはなかったですね。逆にこっちから質問して、その答えが返ってきて、選手はトップリーグでやっていることとそんなに変わらなかったですよね。
――トップリーグからリーグワンに変わり、あのようなプレーオフを見ていると、成果が出た、嬉しいなと思いますか?
夢のような感じですね。昨シーズンの決勝はマッチコミッショナーとして関わらせていただいて、ピッチから多くのファンで埋まったスタンドを見た時に感無量でしたね。ワールドカップ自体もそうですけれど、リーグ自体がここまで発展してくれたことが嬉しいですし、今シーズンの決勝では足が震えるくらいの気持ちでしたね。そこにサンゴリアスがいてくれれば、もっと嬉しかったでしょうね。
――サンゴリアスが決勝に出てあの試合をしていたら、生きた心地はしなかったでしょうね
心臓が止まっていたかもしれないですね(笑)。それは大袈裟ですが、日本のラグビーのそういった姿を目指してトップリーグに関わってきたし、2015年の日本代表が掲げたのは日本のラグビーの新しい歴史を作るんだと、そのきっかけを作るんだと、そのことにみんなが集中して、厳しい練習に耐えて、そこでチームがひとつになって、南アフリカ戦という成果が出た。そこがきっかけになったとしても、目標が実現するということは、非常に嬉しいですね。そういったことに関われたことは自分の人生でも幸せなことだったと思います。
◆世界一になりたい
――エディー(ジョーンズ)さんに声をかけたのも、もともと稲垣さんなんですか?
声をかけたというより、もともとエディーさんと縁があったのは、山本巌さん(サントリー初代監督)なんですよ。96年のアジア大会で山本巌さんが日本代表チームの監督で、エディーさんがアシスタントコーチでした。そこで関係が出来てきて、エディーさんが東海大学のコーチもやっていたんですが、東海大学のコーチの契約が切れる時に、「エディーはまだ日本でやりたいと言っているよ」と当時親交のあった豪州のランドウィックというクラブの方から話があって、巌さんと話をして、ぜひ来てもらおうとエディーさんに会ったのがきっかけです。
――ランドウィックというクラブの方とエディーさんとの関係は?
エディーさんはランドウィック出身なんですよ。96年にサントリーがランドウィックに合宿に行って、そこでチェアマンやGMとの関係も出来ていました。そこで巌さんにこういう話がありますと言ったら、「ぜひ来てもらえ」ということになって、97年のシーズンからエディーさんが来てくれることになりました。そこからのお付き合いですね。
――その当時、今のエディーさんは想像できましたか?
彼はそこを目指していましたからね。世界一のコーチになりたいと。ラグビーに対する姿勢とか、そういうものは非常に素晴らしいものがある、情熱含めてね。知識もそうだけど、貪欲な知識欲、自分が成長したいという思いは、見習う点が多いですね。
――今回の2回目の日本代表ヘッドコーチはどうですか?
面白いですよね。厳しくなるのは当たり前であって、ハードワークを強いられるチームになると思いますけれど、みんながそれを信じてついて行ってくれれば、エディーさんが思う姿は実現できるんじゃないかなと思います。ビジョンを作ったりするところを含めて、経営者としての素質は、とてもある人だと思っています。今回の『超速ラグビー』も、世界一速いラグビーを作って勝つということを、とても分かりやすく表現していると思います。
2015年の時は、俺たちが日本の新しいラグビーの歴史を作るんだという大義を選手たちに落とし込んで、そのためにはハードワークしなさいと。2015年の時にも『ジャパンウェイ』という言葉を作って、日本にしか出来ないスタイルを築きましたが、その進化系が今回目指す超速ラグビーじゃないかなと思います。
――楽しみですね
とっても楽しみですよ。けれど、決して安易な道じゃないから、2027年に向けて、エディーさんも覚悟していると思います。もっと話すと、2015年の時は、ワールドカップでは日本はノーマークでしたよね。南アフリカはほぼ無警戒状態でした。フーリー・デュプレアとスカルク・バーガーだけは「危ない、気をつけろ」と言っていたらしいですけれどね。
2019年はジェイミー・ジョセフさんのもと、戦術をさらに進化させ、スーパーラグビー参加による強化、選手、スタッフたちの一層の努力、そして地元開催ということが無形の力になって、ベスト8という目覚ましい成果をあげました。しかしながら、それによって、世界から日本へのマークは厳しいものになりました。2023年は完全にマークされて研究された上での結果で、その中で2勝したことは素晴らしいことだと思います。2027年はもっと警戒されてくると思うので、そこを打ち破ったら、本当のティア1になるんじゃないですかね。
◆奇跡的なこと
――稲垣さんは東京オリンピックにも関わったんですよね?
サントリー時代、JRFU出向時代の人脈から縁あって東京オリンピック・パラリンピック組織委員会に行きました。味の素スタジアムの競技場責任者(VGM)ということで、サッカー、ラグビー、近代五種と3競技を担当しました。
――味の素スタジアムの中に近代五種用のプールも作っていましたね
計画を聞いたとき、そんなものできるのか?と思いましたが、見事に作り上げました。正に「現場の力」を実感しました。
――その時はサントリーを辞めて行ったんですか?
それがきっかけで、定年前の2019年春に退職しました。オリンピックが終わった後、JRFUから誘いがあって、身分は会長付きアドバイザーで、リーグワンのマッチコミッショナーがいちばん大きな仕事でした。それを2年間やらせていただいて、サントリーからまたお声がかかって、現在に至るということです。
――今はどんな役割ですか?
今はパートナーシップ担当ということで、主にパートナーの新規開拓と、現状のパートナーの皆さんのサポートという仕事ですね。
――オリンピックに行く時に「定年までサントリーにいたかったけれど、新しいチャレンジだ」と言っていましたよね。やっぱり戻ってこられたのは嬉しいですか?
もう奇跡的なことだと思いますよ(笑)。本当に嬉しい、感動しましたし、そのためにもお役に立たないといけないと強く思っています。
――新しいお仕事は順調ですか?
これからでしょうね。チームがとても成長しているなと思うのは、いま関わっている人と話をしていて、昔私たちがやっていた運営とは全く違う運営になっていますし、ファンの人たちの顔ぶれも変わっていますよね。今も多くの社員の方たちが応援してくれていますけれど、社員以外のファンがとても増えて、サンゴリアスを応援してくれています。黄色く染まったスタンドを見るたびに、感無量の思いです。選手たちが話していましたが、勝っても負けても声を枯らしてくれて、負けたから応援しないという人はいないですよね。それが本当のファン作りだと思うし、だからこそ我々はその期待に応えなければいけないんです。
◆強く、愛されるチーム
――いまサンゴリアスに期待していることは何ですか?
それは「強く、愛されるチーム」です。それをさらに実現して欲しいと思います。
――やはり「強く」が最初に来ますか?
それは宿命でしょう。勝利を求めていくのは。でも、強いだけじゃダメだと、それがとても大事なことだと思っています。優勝は目指さなければいけない、でもそれだけでは愛してもらうこと、愛されるチームにはならない。監督はじめ強化スタッフは勝つことに集中しなければいけない、それが愛されることにつながる。私たち運営スタッフ、事業スタッフも、それぞれの役割において愛されるチーム作りを目指していかなければいけないんです。それらが上手くかみ合って、ベストチームになっていくんじゃないかなと思います。
――サントリーラグビーのために一生働き続けますか?
いやいやいや(笑)。もうすぐ70歳なので、どうなりますかね?心の中では、一生死ぬまで愛し続けるでしょうね。
(インタビュー&構成:針谷和昌)
[写真:本人提供]