2021年10月 1日
#765 片倉 康瑛 『1cmで変わる』
ラインアウトにこだわりを持った選手が、また一人サンゴリアスに加わりました。身長190cm、体重102kg、足サイズ31.0cmの片倉康瑛選手。ビッグな片倉選手のこだわりの部分を聞きました。(取材日:2021年8月下旬)
◆体重とずっと戦い続けています
――表情が入ってきた時より大人びてきましたね
本当ですか?初めて言われました。
――2021年4月に入社し、まだ4~5ヶ月ですが、実際にサンゴリアスに入ってみてどうですか?
分かっていたことなんですが、本当にレベルの高いチームでやらせていただいていると、心の底から思っています。僕はあまりボールキャリアが得意ではなくて、それでも大学では通用していた部分があったんですが、もはや誤魔化せないようなレベル、と改めて実感しました。
――いまサンゴリアスには明治大学出身の選手が多いと思いますが、それについてはどうですか?
祝原さんなどは大学でも一緒にやっていましたし、大学から仲良くさせてもらっていたので、馴染みやすかったですね。あと大学では重なっていませんが、小林航さんなどの先輩たちも大学の時の試合を見てくれていて、どういう選手なのかということを分かってくれたようで、サンゴリアスに入ってから先輩たちから話し掛けてくれました。そういった意味でOBが多いということは、精神面でも入りやすかったですね。
――そういうところもサンゴリアスに入ろうと思った理由になっていますか?
正直、そこはあまり考えていませんでした。サンゴリアスに入ろうと思った理由が何点かあって、僕は本格的にラグビーを始めたのが中学からで、実際に会場でトップリーグの試合を見たこともありました。当時は黄色いチームが強いという憧れ的な感じでした。
それから、僕は高校代表などにも入っていませんでしたし、大学1年の時も全く試合に出ていなくて無名の選手だったんです。大学2年生の時にサンゴリアスと合同練習をした時に、本気か冗談か分かりませんが、当時の監督だった沢木さんから「100kgとか105kgくらいになったらサンゴリアスで取ってやるよ」と言ってくれて(笑)、無名の選手なのに見てくれていたんだと衝撃を受けました。
そして、僕は試合に出ている時よりも出ていない時の方が成長できるタイプなので、試合に出るために頑張らなければいけないチームに行きたいと思っていました。サンゴリアスはレベルが高いですし、そこで試合に出続ければ日本代表も見えてくるようなチームなので、サンゴリアスに入ろうと思いました。
――試合に出ていない時に成長するとは、具体的にはどういうことですか?
大学4年間でいちばん成長した時が、1年生の時だったと思っています。明治大学附属中野高校というあまり強くない高校から大学に入って、当時は88kgくらいしか体重がありませんでした。そこから、ラインアウトを澄憲さん(田中/当時の明治大学監督、現サンゴリアスGM)から評価していただいたり、試合に出ている選手のプレーを見て、自分だったらもっとこういうことが出来るとか、ここは自分に足りない部分だなとか思いながら、体重を増やしたりフィジカルを強化したりしました。
大学2年の春くらいには体重を100kgくらいまで増やすことが出来ましたし、いま振り返ると、大学4年間のうちでその期間がいちばん成長できたと思うので、試合に出るために「ここ伸ばさなければいけない」と頑張る方が成長できると思います。
――片倉選手にとっては体重がとても重要でしたか?
体重とは、大学1年の時からずっと戦い続けていますし、今もそうです。体重がなかなか増えないんです。そういう体質だと思うんですが、大学1年の時にめちゃくちゃ食べても、少しずつしか増えなかったですし、少しでも気を抜くと体重が減ってしまっていました。今は大学の時より頑張って食べなくても体重は維持できるようになってきましたが、まだまだ体重を増やさなければいけないので、今も意識して食べるようにしています。
◆このまま終わるのが嫌だ
――中学で本格的にラグビーを始めて、そこから明治大学への道は?
あまり覚えてはいないんですが、僕は小学2年くらいまではラグビーをやっていました。当時は痛かったので、あまりラグビーが好きではありませんでした。中学では本当はサッカー部に入る予定だったんですが、日野レッドドルフィンズにいる小島昂が同じクラスで、「クラスにラグビー部が1人しかいないから一緒にラグビーやろうよ」と軽いノリで誘われて、僕も部活にこだわりがありませんでしたし、「小さい頃にラグビーをやっていたから一緒にやろう」とラグビー部に入りました。
中学3年間はラグビーをやって、高校ではバスケットボール部に入ろうと思ったんですが、ラグビー部の同期から「バスケットは休みの日に代々木公園とかで一緒にやればいいじゃん」と言われて、高校でもラグビーを続けることになりました(笑)。
高校では明治大学のグラウンドで練習をさせてもらっていて、そこで明治大学への憧れもありましたが、ラグビーへの自信はぜんぜん無くて、明治大学は雲の上の存在というような感じでした。高校3年の時に花園(全国高校ラグビーフットボール大会)に出場することが出来て、1回戦は勝ちましたが2回戦で新潟工業高校に負けてしまい、このまま終わるのが嫌だと思い、大学でもラグビーを続けようと思いました。
――友達に誘われたことが大きかったんですね
中学の時には単純に周りにラグビー部に入る人が少なくて、とりあえず隣の席だった僕を誘ったんだと思います(笑)。高校では、僕としてもめちゃくちゃバスケットをやりたいというわけではなくて、ラグビー部の練習がキツイと有名でしたし、バスケットが楽しかったので、やってみようかなというくらいでした。
――ラグビーをやりたいという感じではなかったようですが、全国高校ラグビーフットボール大会で負けたことがきっかけになっていますか?
なんだか不甲斐ないなと思いましたね。2回戦で勝てば、次は桐蔭学園高校だったんですよ。桐蔭学園にチャレンジして、勝てば嬉しいですし負ければ終わりという感じでしたが、先を考えすぎて2回戦で負けてしまい、これまで続けてきたラグビーをここで止めるのは嫌だと感じたんです。あとは高校の時から、1つ上の笹川大吾さん(リコーブラックラムズ東京)や丹羽監督(明治大学ラグビー部元監督)から、「大学でもラグビーやるでしょう?」って言われていて、そういうこともあり、大学でもチャレンジしたいと思うようになりました。
――大学では田中澄憲監督から指導を受けたんですか?
大学1年の時は丹羽監督、澄憲ヘッドコーチで、2年から澄憲監督でした。
――2年生の時に大学日本一になったんですね
そうですね。決勝にも出場しました。正直、大学に入った時は通用すると思っていなくて、大学4年の時に早明戦に出られればいいなくらいの気持ちでした。そんな中、やっていくうちに、高校から好きだったラインアウトの部分で、C、Dチームでも通用するんじゃないかと思えるようになって、徐々に自信がつくようになっていきました。
◆面白さは自分自身でやるということ
――ラグビーの楽しさは、高校と大学で変わりましたか?
高校までは基礎練習が多く、教えられていたという部分があったので、監督に頼り切っていたところがありました。大学ではレベルも上がりましたし、選手主体でやることが多くて、そういうところでラグビーの考え方であったり、立ち振る舞いが変わったと思います。
その面白さは、自分自身でやるということですかね、その中でいちばん楽しかったのは、ラインアウトです。自分で分析をして、それをみんなに伝えて、それでディフェンスが上手くいった時は嬉しいですし、アタックでも3年生くらいからは色々と任せてもらえて、自分のやりたいラインアウトを作っていき、それでラインアウト獲得率も上がりました。自分で考えて試行錯誤して作っていったラインアウトがとても楽しかったですね。自分だけで作ったわけではありませんが、同期に素晴らしい選手もいて、そういう選手たちと一緒に作っていくラインアウトが楽しかったですね。
――ラインアウトディフェンスでのポイントは何ですか?
ずっと自分で映像を見ているわけじゃなくて、分析の人が相手チームのラインアウトを20分くらいにまとめてくれます。それを見ながら「こういう時はこうしよう」とか「相手はこういうサインが好きなんだな」とか、気になったところをノートにメモをしたり、コーチと話したりして、あとは試合前に見直したりしていました。
周りとのコミュニケーションも大事なんですが、コーチと話をして、ラインアウトの時間を多く取ってもらったり、自分たちが納得するまでBチームの選手に相手のラインアウトをやってもらったりしました。自分たちが納得するまでやって、その中で他の選手の動きが難しいところがあれば、変えたりしながらやっていました。実際にやりながらコミュニケーションを取ることが多かったと思います。
――ラインアウトのアタックはどうですか?
1本1本のサインに、意図を持たせてコールをしていました。アタックに関しては春からずっと続けてきたベースとなるサインがあって、それは何度も何度も繰り返しやって突き詰めていきました。そのベースのサインを使って新しいサインプレーを作っていたので、難しいサインというのは1試合で1つか2つくらいしかありませんでした。そこはフッカーが合わせにくかったりするので、フッカーが満足するまでやりました。ベースとなるサインがあったので、それを精度高くやるということをチームとして意識してやっていて、それが上手くいっていたので新しいサインにも対応できたと思います。
――基本を大切にして繰り返しやっていたんですね
そうですね、徹底的にやっていました。そのサインプレーは、僕が入る前にも使っていたものかもしれませんが、それ以上にこだわってやりましたね。ラインアウトは1cmで変わると言い続けて、アタックだけじゃなくディフェンスでも1cmにこだわってやっていました。
◆ラインアウトでいちばんにならなければいけない
――1cmで変わるという部分は、どういうところで体感しましたか?
ディフェンスをやっていて、ボールにあと少しで手が届きそうと感じたり、少し手に当たったりということが多かったんです。あと1cmあれば届くと感じることがあったので、そこにこだわってやっていました。
早稲田大学との試合で、相手がいちばん後ろの選手に投げた時があって、味方のリフターの選手が思いっきり上げてくれて肩もちゃんと伸ばした状態で持ち上げてくれたので、ボールをカットすることが出来たんです。1cmにこだわってきたから、カット出来たんだなと思ったシーンがありました。
――そのラインアウトをサンゴリアスでも発揮できていますか?
自分で言うのも変ですが、明治大学でのラインアウトでは絶対的な存在でした。ただ、サンゴリアスではハリー・ホッキングスがいて、小林航さん、飯野晃司さんなど、ラインアウトに自信を持っていて、こだわっている先輩たちがいるので、その中ではまだまだだと思っています。出来ないことも多くて、先輩たちから教わることも多いんです。
まずはサンゴリアスのラインアウトで結果を出し信頼を勝ち取らなければ、自分の考えを浸透させることも出来ないと思っています。サンゴリアスではジャンプもリフトもまだまだなので、ラインアウトで誰よりも信頼を得ないと試合に出られないと思います。
――自信を持っていた部分が通用しないと自信を失いそうですが、やる気に満ちているように感じます
自分からラインアウトが無くなったら特徴がない選手になってしまうと思っていて、ラインアウトを売りにやってきたので、絶対にそこでいちばんにならなければいけないという使命感があります。絶対的だと思っていたラインアウトで、もっと上のレベルを実感して、そういう選手たちと一緒に出来ていることが、自分が今まで知らなかった世界で成長できているということだと感じます。ただ、その中で自分の色をまだ出せていないと思うので、それを出せる日を楽しみにしていますし、自分の色を出したときに周りがどういう反応をしてくれるのかを楽しみにしています。
――その日は近いですか?
いや、まだまだです。まだ先が見えないです(笑)。
◆自分からやっていたのがラグビー
――ホームページのプロフィールで、子どもの頃の憧れのところにアレックス・ラミレスと書いていますが、それはなぜですか?
父親が野球をやっていて、僕も小学3年から5年生まで野球をやっていました。その時に読売ジャイアンツがめちゃくちゃ好きで、球場にも見に行っていました。アレックス・ラミレスの応援歌があって、それがカッコよくて印象的で、ずっと頭の中に残っていますね。
――アレックス・ラミレスのどこがカッコよかったですか?
やっぱり4番というところですかね。4番バッターでバンバン打っていて、子どもの頃の憧れでいちばんに思い付いたのがアレックス・ラミレスでした。
――自分でもやっていた野球についてはどうですか?
結構、楽しかったですね。けれど、正直、親にやらされていた感もありましたね(笑)。自分からやっていたのがラグビーで、親もラグビーについては何も言ってこなかったですね。
――中学ではサッカー部に入ろうと思っていたと言っていましたが、サッカーについては?
川崎フロンターレに田中碧という選手がいるんですが、同じ小学校で同じクラスでした。その時は野球をやっていたんですが、放課後とかに他の友達も一緒にサッカーをやって楽しかったんです。田中碧に憧れてサッカーをやろうとしていましたね(笑)。
――スポーツ少年だったんですね
色々やっていましたが、自分で選んだのはラグビーでした。
――いつ頃から身長が大きくなったんですか?
中学1年の時に165cmくらいあって、その時は後ろから4番目くらいだったんですが、高校1年の時には180cmくらい、高校3年で188cmくらいだったと思います。
――ご両親も身長が高いんですか?
父親が180cmくらい、母親も170cmくらいです。
――ご兄弟は?
弟と妹がいて、弟は187 とか188cmくらいで、妹は169cmくらいあると思います。弟も妹も大学生で、弟はサッカー、妹はチアをやっています。
◆ラインアウトは心理戦
――ラインアウト以外で伸ばしたいところはありますか?
いちばんはコンタクト、フィジカルのところです。大学の時もあまりボールキャリーをやらずに、周りに強い選手がいたので任せていました。タックルも社会人では周りに素晴らしい選手ばかりなので、ボールキャリーやタックルなど、フィジカルのところを伸ばしていきたいです。
――スキルはどうですか?
社会人ではプロップでもハンドリングが上手い選手がいて、もっともっと伸ばさなければいけないと思いますし、オフロードもこれまでほとんどやって来なかったので、伸ばさなければいけなくて、まだまだなところだらけです(笑)。やることがたくさんあって大変ですが、下からのスタートなので楽しみです。同じ年齢で活躍している選手もいるので、まだまだ頑張らなければいけないと思います。
――いま感じるラグビーの面白さは?
やっぱりラインアウトの時が楽しいですね。慶応大学と合同練習をしたんですが、メインコーラーをやらせてもらって楽しかったです。
――ラインアウトの魅力は何ですか?
見ている人からすると、ボールを投げ入れて人を持ち上げて取っているというだけに見えるかもしれませんが、ラインアウトは本当に心理戦です。目線や動き、そういう細かいところから相手がどこに投げてくるかを考えたり、それを相手に悟られないようにしたり、心理戦の部分がとても多いので、そういう駆け引きのところを見てもらいたいですね。それを実際にやるのが楽しいです。
――今シーズンの目標は?
開幕戦にスタメンで出て、ラインアウトで相手ボールを2本はスティールしたいですね。まずはひとつひとつ目の前の課題をクリアしていき、開幕戦でのスタメンを勝ち取りたいと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]