2020年10月30日
#719 中野 幹 『自分はもっと上に行けると信じています』
今年の新人3選手のインタビュー第一弾。フォワードの中野幹選手に、ラグビーに懸ける想いを聞きました。(取材日:2020年9月下旬)
◆日本一の選手に
――幹(かん)という名前は珍しいと思いますが、体幹は強いですか?
やっぱりスクラムを組むので、体幹は強い方だと思います(笑)。
――意識して鍛えたんですか?
意識しました。身体がブレてしまうと強いスクラムは組めないので、動いた状態でも強い姿勢を崩さないことを意識して取り組んできて、そういうところで鍛えられたと思います。
――具体的にはどういったトレーニングになるんですか?
シンプルに大学時代にスクラムを組んだ本数は日本一だと思っています。あとは背中に20kgや40kgくらいの重りを乗せたトレーニングを毎日ルーティーンとしてやっていました。大学時代は毎朝やっていましたね。そのトレーニング方法は東海大学のフォワードコーチに志村さんという方がいて、「スクラムが強くなりたい」という話をした時に、「じゃあ、みんながやっていない時もトレーニングをしないと強くなれないし、大学一にはなれないよね」という話をされ、そこから何があろうと、休みの日以外は毎日やっていました。
――続けられた理由は何ですか?
いくつか理由はありますが、ひとつは志村さんも僕に対して日本一の選手になって欲しいと思ってくれていたこと、そして僕もなりたいと思っていました。それに僕ひとりでやっていたわけではなくて、「一緒にやりたい」と言ってくれた仲間がいたので、どんなに辛くてもお互いを高め合いながら出来ました。スクラムはひとりでは組めませんし、強制ではなく「この時間にトレーニングをしているから来たい人は来て良いよ」という形でやっていました。それは今でもフロントローの中で続いていると思うので、良い文化だと思います。
――その文化を作ったんですね
僕が大学1年の時にはなくて、大学2年の時に話し合って決まった取り組みで、最初は僕ともう一人、あと先輩何人かの少人数でスタートしました。
――そのルーティーンを始めて、スクラムや体幹が強くなっていると実感しましたか?
強くなっていると感じました。強くなっているという実感はありましたが、同じ東海大学内でやっているうちは、相手を知っている分、それほど強いとは感じてはいなかったんですが、それが確信に変わったのはU20日本代表合宿に呼ばれた時です。他大学の選手が集まる中で、「自分がいちばんスクラムが強い」と思えたんです。そこで自分がやってきたことは、間違っていなかったと思いましたね。
――それが大学2年生の時だったんですか?
そうですね。大学2年の春の時点では、U20日本代表に呼ばれるような選手ではなかったんですが、早稲田大学との試合で僕は3番で出場し、その試合でずっとスクラムを押していました。それで試合を見に来ていたU20日本代表の監督が「あの3番は誰だ?一度、練習に参加させてみよう」という話になり、U20日本代表の合宿に参加できるようになったんです。僕は高校3年の時から自分の中でスクラムにこだわりを持っていたので、そこから積み重ねてきたことは間違っていなかったんだなと、確信に変わりました。
◆少しずつでも成長している感覚
――高校3年生の時にスクラムにこだわりを持ち出したきっかけは何だったんですか?
高校からラグビーを始めて、1年の時にはNo.8とかをやっていたんですが、それから高校3年の夏までに大きな怪我を2回していて、リハビリ生活が長かったんです。その影響で、自分の身体を大きくしたり、筋力トレーニングにハマっていた時期がありました。そこで身体を大きくしすぎて、No.8じゃなくフロントローのような身体になったんです(笑)。それに、走ったりは出来ませんでしたが、スクラムの姿勢をしたり、体幹を鍛えることは怪我をした箇所の負担にならなかったので、ずっと繰り返しトレーニングしていました。
怪我から復帰して、フロントローでプレーするようになって、もともと東海大学の練習に参加したりしていたので、東海大学のイズムじゃないですけど、フロントローとしてスクラムが強くなりたいと思うようになりました。みんなが練習を終わった後、重りを積んだスクラムマシンを何セットも押しまくったりして、自分に出来ることはこれくらいしかないんじゃないかと思って繰り返していました。
――スクラムマシンを押すことの何かが面白かったんですか?
その時は何か面白いからという感覚はなかったですね。高校からラグビーを始めてすぐに怪我をしてしまいましたし、チームにとって自分が何かプラスの存在になりたいと思っていましたし、周りに良い影響をもたらす人間になりたいと思っていたので、出来ることは何かと考えた時に、練習終わりにひとつでも成長できるような行動を見せることと思い、それが僕の中でスクラムでした。
――辛くはなかったですか?
もちろん辛いですよ(笑)。いま振り返っても、あまり良い思い出は無くて、挫折の方が多かったと思います。大きな成功は成し遂げていないけれど、少しずつでも成長している感覚があって、それが楽しかったのかもしれないですね。
高校3年の時に復帰して試合に出させてもらい、その年の東海大仰星は花園で優勝することが出来たんですが、僕としては優勝させてもらったという感覚が大きかったですね。胸を張って優勝に貢献したと言えるような状況ではなかったので、それが悔しくて、大学では"自分がいたから"という状況を作りたいと思いました。だから常に悔しい思いを抱きながら、自分はもっと上に行けると信じていますし、行ける感覚があるので、現時点ではそれほどの選手じゃないとしても、やってやろうと常に思っています。もしかしたら、そういう想いがラグビーを続けている原動力になっているのかもしれません。
――雰囲気が明るいですよね
常に前向いるようにしています。
◆周りから言われることが多い
――U20日本代表の中でいちばんスクラムが強いと感じて、実際に試合ではどうでしたか?
その時にライバルが大東文化大学の3番の藤井大喜(パナソニック)で、藤井もスクラムが強くて、2人が出た試合では相手のペナルティーを取りまくっていました。海外のチームが相手でもやれるという自信がありました。ニュージーランドや南アフリカがいないカテゴリーの大会で、上のカテゴリーの大会ではなかったんですが、そのカテゴリーではやれるなと思っていました。
――その自信を持って、大学3年、4年と過ごしたんですか?
大学2年の秋シーズンにU20日本代表からチームに戻ったんですが、なかなかチームにフィットすることが出来ず、先輩が試合に出たりしていました。自信が空回りしていた時期もありました。
――今その時期を振り返って、なぜ試合に出られなかったと思いますか?
僕の課題でもあったんですが、調子の浮き沈みが激しかったんです。未熟だったと思います。その原因としては精神的な部分にあったと思います。変に自信を持っていたというか、悪い自信を持っていたというか、自分だったら出来るだろうという気持ちがあったので、上手くいかなかった時に「これは自分のせいじゃなくて、周りが悪いんじゃないか」というダメなマインドになっていました。
それがU20日本代表から戻って来た大学2年の秋頃で、それから大学で試合に出られなくて、「このままじゃダメだ。目指しているところに対して自分の行動が足りていない」と反省して、もう一度努力しようと思いました。
――冷静に自分の状況を把握することが出来たんだと思うのですが、物事をクールに考える方ですか?
そういう感じではなくて、僕は周りが無理だと思うようなことを口にするので、周りから「お前、これ出来てないやん。お前はここが弱いやん」ってめっちゃ言われるんです(笑)。自分で足りない部分に気づくこともありますが、周りから言われることが多いですね。周りから言われて、自分が事実だと思うことって心にグサッと来ます。そこで自分の足りないところに気づいたりするので、周りの影響が大きいかもしれないですね。
――ツッコミやすい愛されキャラということですね
そうかもしれないですね(笑)。今も周りから言われて気づくことがありますね。
◆自分が本当にカッコいいと思うスポーツ
――今もスクラムのトレーニングは続けているんですか?
スクラムに関しては、今はまだ「毎日これをやる」というものが作れていないですね。自分の課題に対して、チーム練習とは別に取り組むことは続けています。
――スクラムよりも他に強化しなければいけないところがあるということですか?
そうですね。足りていないと思うことが、状況判断能力だと思います。ボールを持った時にどんなプレーを選択するかという判断が遅いと思っています。スキルよりもそこが足りていないと思っているので、練習後に取り組んだりしています。足りていないところがいっぱいあるんですが(笑)、あとは瞬発力、ボールを持つ前の動きで一瞬のスピードを高めたいと思っています。
――なぜ、そう思ったんですか?
僕の中に理想があって、今までスクラムにフォーカスして取り組む練習が多かったんですが、それだけだったら理想にたどり着けないんじゃないかと思い、他のところにフォーカスして取り組むようになりました。
――今までのようにスクラムにフォーカスしていないことへの不安はありませんか?
自分の中ではスクラムが強みだと思っていて、並行してやっていこうとは思っていますが、ある程度は自信があります。
――中学までは野球をやっていたとのことですが、これほどラグビーにハマった理由は何だと思いますか?
中学3年の時に、東芝に行った眞野(泰地)にラグビーを見に行こうと誘われて、東海大仰星対常翔学園の試合を見に行きました。その試合を見た瞬間に僕の中にグサッと来るものがあって、「このスポーツを自分でやりたいし、このスポーツで成功したい」と思ったんです。その次の日に野球を辞めてラグビー部に入って、ラグビーを始めました。そこからは高校でも大学でも必死にやってきて、2019年のラグビーワールドカップ決勝を見に行ったんですが、中学3年で感じた時とまったく同じ気持ちになりました。「だからラグビーを始めたんだ」と思い返しましたし、言葉で上手く説明できないですけど、ラグビーの良さというか、自分の中で感じるものがあって、ラグビーをやっていて良かったと思いましたね。
――高校ラグビーの大阪府決勝とワールドカップ決勝で、レベルが違えど同じような気持ちになったというのは、どうグサッと来たんですか?
ラグビーって試合前に、今までやってきたことを思い出して泣く選手がいるじゃないですか。ワールドカップは規模が違いますが、国を代表していることや今までやってきたことを思い出し、国歌斉唱で泣いている選手がいるじゃないですか。そういう想いがプレーに乗っかって戦っている姿にめちゃくちゃ感動しました。選手たちの想いがプレーを見て感じ取れたというか、すごく輝いて見えたんです。中学3年の時に見た試合でも、すごく輝いて見えて、カッコいいなって思いましたね。
僕がずっと思っていることとして、ありきたりかもしれませんが「いつ死ぬか分からへん」と常に思っています。僕の高校の同級生で仲良かった友達が、急に病気になって亡くなってしまったことがありました。だから常に「いつ死ぬか分からへん」と思っていて、だからこそわがままに生かせてもらっているというか、自分が本当にカッコいいと思うスポーツをやりたいと思っています。ラグビーって下手したら死ぬかもしれないじゃないですか。僕の中では「ラグビーで死んでも構わへん」と思っていますし、「もしかしたら明日死ぬかもしれへんから、今日を必死で生きよう」という感覚です。
◆+日+
――目標をお願いします
まずは1月16日のトップリーグ開幕戦に出ることが目標です。努力することは当たり前だと思うので、誰が見ても「幹だったら任せられる」と思われるような結果を出したいと思います。その先のことについては、日本代表に選ばれたいと思っていて、そのためにはサンゴリアスで試合に出るしかないと思っています。僕は次のワールドカップまで色々なことをイメージしているんですが、近々の目標としては開幕戦に出ることですね。
――ポジションは3番ですか?
3番だけですね。
――最初の話に戻りますが、名前の由来は?
親父からは「アメリカにリンカーンという大統領がいて、そのリンカーンのカンから取って、幹や」って(笑)。それはふざけていっているだけだと思うんですが、母親からは、幹という字の左側が「+日+」と挟まれているんですよね。太陽のように周りに"プラス"をもたらすことが出来るような人間にならなければいけないということを言われたので、そっちだと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]