2020年9月11日
#712 江見 翔太 『ラグビーをやっている人の輪が好き』
ウイングらしく個性的な江見翔太選手。プライベートから始まり、ラグビーの魅力、そして新しいシーズンで目指すものを聞きました。(取材日:2020年8月下旬)
◆違った生きがい
――今はどう過ごしていますか?
4月に緊急事態宣言が発令されて、ほとんど自宅から出ないような2ヶ月間を過ごしていた時には、自宅で出来る範囲ではトレーニングをしていました。そのトレーニングは追い込むようなものではなく、逆に割り切って、身体を休めることを考えました。昨年の11月に子どもが生まれて、ちょうどその時期に5ヶ月とか6ヶ月くらいになっていましたが、普段はなかなか一緒にいられる時間も少ないので、家族との時間をいちばんに考えながら過ごしていました。
――お子さんはどうですか?
めちゃくちゃ可愛いですね。僕にそっくりで、目がクリクリです(笑)。他の赤ちゃんと会う機会が今はないので比べられないですが、夜泣きも少ないので、落ち着いた子なのかなと思います。
――自分に対する親の気持ちが分かるような感覚はありますか?
確かに感じますね。凄いなと思います。ここからどんどん成長していって、僕が物心ついた時には、親は、特に母親ですけど、当たり前に料理をしてくれたり、家事をしてくれていたので、いかに大変だったかが分かりますし、母親は凄いなと感じています。僕は比較的、育メンパパだと思います(笑)。
――子育てを楽しんでいますか?
テレワークの時間が増えて、家で過ごす時間が圧倒的に増えたので、日々の成長を見ることが出来ます。寝返りが出来るようになったかどうかくらいから家で過ごす時間が増えて、そこから気付けばうつ伏せでも長時間いられるようになって、ずりばいが出来るようになって、ハイハイしたいけど後ろに行っちゃう姿を見たり、日々の成長具合が著しいなと思いながら過ごしています。
――お子さんは男の子ですか?女の子ですか?
女の子です。名前は「まおみ」で、音から2人で選んで、画数などを見ながら決めました。特に両親の名前などは意識しなかったんですが、結果的に2人の母親の名前を混ぜたような名前になりました。顔とかはどちらにも似ているところがあって、これから変わっていくとは思いますが、もう存在が愛くるしいですね。
今は週2回、チームでトレーニングをしていて、クラブハウスでご飯を食べて帰ると家に着くのが20時近くなって、もう寝かしつけの時間であまり遊べないですね。そういうところは少し寂しかったりします。違った生きがいを見つけたような感じですかね。
昨シーズンは2月で中断してしまって、本来であれば終盤に向けて更にチームを仕上げていく段階でしたし、僕自身も3試合だけの出場でした。長期の怪我をしていたので、そこからの復活劇を夢見ていましたが、コロナで中断となってしまいました。中断前の出場試合に娘を連れて行けて、寝ていましたし記憶もないと思いますけど、とりあえずやりたかったことは出来たかなと思います。本当は優勝して娘を抱きたかったですけど、それは次のシーズンに取っておこうと思います。
◆スピードを繰り返し出すフィットネス
――トップリーグ2020での手応えはどうでしたか?
色々とレベルアップした部分がありつつ、2年間のブランクも否めない部分があって、徐々に試合勘を取り戻していければというところでした。出来としては20点くらいだったかなと思います。
――身体は出来ているけれど試合勘の部分が難しかったということですか?
試合勘もそうですし、ゲームフィットネスも足りなくて、怪我をする前はもう少し動けていたのにという思いが、少なからずありましたね。
――今の課題として見えているところは?
筋肉系の怪我でしたので、昨シーズンはスピードを上げることの恐怖心がなかなか拭えませんでした。そのスピードを繰り返し出すフィットネスが課題ですかね。それは自分自身も感じていますし、コーチたちにも指摘されているところなので、次のシーズンではそこを克服したいと思います。
――克服するためには段階を経ていくということでしょうか?
コンディションや体重、前後の練習の負荷を考え、その日にどのくらい動けたかを判断したり、その日だけじゃなく、1週間とか1ヶ月の期間で見た時に、自分自身が満足できているかどうかというところが大事だと思います。
――これだけ長期間の怪我は初めてでしたか?
大学2年生の時に肩の怪我で手術したことはありましたが、肩の怪我なので走れましたからね。どちらかと言うと、タックルの入り方などのテクニックの部分であったり、肩周辺の細かい筋肉をどうするかとか、フォーカスをするところが違っていたかなと思います。
今回の怪我は、自分のマネジメントの浅はかさがあって繰り返してしまった部分があったので、ポジティブに捉えると、この怪我で学んだところだと思います。焦り過ぎても良くないですし、抑え過ぎても良くないですし、結果的に僕は長い時間がかかってしまいました。最初の段階で2倍、3倍の時間をかけて治せば、そのシーズンの内に試合に出られるようになっていたと思います。
ラグビー選手は選手寿命が長くなくて、そのうちの2年間を怪我で使ってしまいました。それが無駄になるか、活かせるかは、今後の自分次第だと思います。この経験を忘れずに自分の糧にしたいと思います。
◆ネガティブをポジティブに
――生まれがインドネシアで、高校、大学と学習院、トップのラグビー選手としては特異な存在だと思いますが、意識することはありますか?
サントリーに入ってくる後輩たちは、トップカテゴリーの大学から入ってきているので、そういうところで負けちゃう部分はありますね。僕が1年目の時には試合に出られませんでしたし、本当に苦労しました。1年目からレギュラーを取れるような選手ばかり入ってくるので、そういうところは純粋に尊敬しています。
例えば、明治大学出身の選手は、大学からの先輩後輩の関係があって、やりやすい環境だと思うんですが、僕は同じ大学出身の選手が全くいなかったですし、大学4年では11月で引退しているので、年越しという感覚も分かりませんでした(笑)。自分の大学がどうとかは、あまり考えたり意識したりしていないですね。
―― "子ども心を忘れずに楽しみたい"と前回のインタビューで言っていたことと繋がりますか?
正直、沢木さん(敬介/現 キヤノンイーグルス監督)が監督だった時に、ラグビーの見方や考え方が変わって、そういう経験を経て、お互いがキツい時に鼓舞し合うとか、ベーシックなスキルを遂行するとか、そういうところが培われています。ですのでラグビーを楽しむじゃないですけど、厚みが出ているのかなと思います。コロナの期間が続いていて、良い意味でそこまでプレッシャーを感じていないですし、徐々にみんなで集まり始めてラグビーが出来ていることが、純粋に嬉しいですね。
――苦しいところ見るより、楽しいところを見つけている感じですね
パッと見て苦しいところも目についちゃいますが、どうにかそういう部分をポジティブに捉えようとしています。瞬発力的に、ネガティブな部分が最初に目に入るんですが、そこを自分の中で捻じ曲げてポジティブに変えています(笑)。
世の中的にはコロナウイルスの影響で生活が制限されて、大変な思いをしている人が多いと思うんですが、その反面、家族との時間が増えたという意見もあると思います。そういう意見を聞いて、「そういう見方も出来るな」と感じましたし、ポジティブな意見を自分に取り入れています。
――瞬間的にネガティブな部分が見えるけれど、根本的にはポジティブなんでしょうか?
ポジティブになりたい人です。1年目の時にこのインタビューでポジティブの話をしたんですが、いま振り返ると、あの時に言ったことも、ポジティブに捉えるよう努力している表れなのかなと思います。根っからのポジティブだったら、ポジティブを意識したり発言したりはしないですからね。
◆ボールを持った人が先頭になる
――ポジティブだからラグビーをやっているのでは?
結果的に、ラグビーが好きなんですよね。色々なスポーツを経験してきて、小学校、中学校と違うスポーツをやりましたし、水泳や少しテニスをやったりしてきました。結果的に、ラグビーが好きで、ラグビーをやっている人の輪が好きなんだと思います。
足が速い人は他にもたくさんいますし、中学ではサッカーをやっていたんですが、サッカーをやっていてサイドライン際を駆け上がった時に追いかけてきたディフェンスを弾き飛ばしたときがあって、ラグビーをやっていてその時のシーンが蘇った時があり、自分はラグビーが合っているんだなと思いましたね。あとは、ラグビーってボールを持った人が先頭になるので、そういう目立ちたがりの部分も合っているのかもしれません。
高校で初めてラグビーをやったんですが、学習院のラグビー部の中でも身体が大きい方なのにずっとバックスでプレーさせてくれていた当時の顧問であったり、メンバーには感謝しています。サイズ感的にはバックローを任されてもおかしくはなかったと思うんですが、ウイングやフルバックをやらせてもらったので、それもラグビーを続けられた要因かもしれません。
――自分からも希望を出したんですか?
最初の頃はポジションさえも分からない感じで、何となくウイングをやっていて、気づいたらフルバックをやったり、両サイドのウイングをやらせてもらっていた感じだったので、希望を出しているつもりはなかったですが、そういうポジションでやらせてもらいました。
――サッカーでのポジションは?
サッカーはあまり語りたくありませんが(笑)、身長が大きい方だったのでフォワードをやらせてもらったんですけど、足元のスキルがなくヘディングも出来なかったので、サイドバックをやってサイドを駆け上がっていましたね。けれど、センタリングが上げられず、ずっとディフェンダーをやっていたんですが、気づいたらゴールキーパーになっていました。サッカーではゴールキーパーがいちばん合っていて、ゴールキーパーをずっと続けていれば、ユース世代の代表くらいにはなっていたと思う、と言っておきます(笑)。
――色々なスポーツを経験して、自分に合っているスポーツにたどり着いたんですね
本当に偶然ですけどね。学習院に入っていなければラグビーはやっていなかったと思います。僕の後ろの席だったラグビー部のオオノ君が僕を誘ってくれました。前の席には中学までラグビー部で、高校からサッカー部に入ったウツミ君がいて、彼もなぜか僕をラグビー部に誘っていて、その2人に挟まれ、仮入部をしたらいつの間にか本入部していました。
◆神戸製鋼にリベンジを果たして優勝を勝ち取りたい
――新シーズンに向けて目標は?
まずは神戸製鋼にリベンジを果たして、チームとして優勝を勝ち取りたいですね。そして、その瞬間には僕がグラウンドに立っていたいですね。神戸製鋼以外にも色々なチームが強化を進めているのでどうなるかは分かりませんが、神戸製鋼には過去2シーズンで勝てていないので、どうしても意識はします。そして、その神戸製鋼との試合には、僕が出場できていないという悔しさもあります。
――日本代表についてはどうですか?
現役を続けているからには、そこは狙って当然と言うか、サントリーのウイングは日本代表に選ばれていないので、すごく寂しいですね。ウイングとしてフランスワールドカップに出たい、という想いがあります。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]