2020年5月11日
#688 大島 佐利 『グラウンドの中で必ず輝けるプレーがある』
悔しい思いをしなかったシーズンはないんじゃないか。サンゴリアスでプレーした10年間を、大島佐利選手はそう振り返りました。静かなイメージでありながら、常に存在感のあった大島選手。秘めたる闘志を語る勇退インタビューとなりました。(取材日:2020年4月中旬)
◆悔しい想い
――2020シーズンをもって引退することになりましたが、今の心境は?
シーズンが途中で終わってしまったのはすごく残念でしたし、それに関しては、正直悔しい想いもあります。ただ、今の状況を考えると、健康に過ごすことが大事ですし、僕も家庭を持っている身としてもそのことをとても感じているので、シーズンが途中で終わってしまったことは仕方がないことだったのかなと思っています。
――今はどう過ごしているんですか?
サントリーの社員であるので、在宅で勤務しています。家からほぼ出ることなく、いま家族で出来ることをしています。
――今の状況は選手という立場では大変な状況ですよね
来シーズンを戦う選手たちにとっては、どう調整していくのか。シーズンオフ期間中に通常行っているトレーニングであったり、お世話になっている方々への挨拶回りであったり、そういうことが出来ない状況なので、選手としては大きな影響が出ることかなと思います。
今の選手たちはSNSなどを使ってトレーニングを共有してやったり、チームから家でも出来るトレーニング方法をもらったりしていて、その連絡が僕にも来たりしていますが、選手という立場ではなくなったので、楽しみながらやったりしています。
◆今後に繋げられる反省点
――10年もの間、サンゴリアスでプレーしたことについてはどうですか?
僕が入った当時も今もそうなんですが、試合に出ている選手は日本代表であったり、世界的に有名な選手、各国を代表するような選手たちなので、その中でやることは1年1年が勝負だと思っていました。そして逆に自分がその状況で試合に出られれば、日本代表になり選手として長く続けられるだろうと思っていました。
色々ありましたが、あまり試合に出ていない僕が、10年間もこのチームでお世話になれたこと、プレー出来たことは、自分でも驚いていますし、本当に周りの人たち、家族、ファン、チームメイト、チーム関係者に感謝しています。
――サンゴリアスに入った当時は、どういうイメージを持っていましたか?
もっと試合に出て活躍して、チームを引っ張っていきたいなと思っていました。そのイメージ通りに行くことは難しくて、怪我もありましたが、今となってとても感じることは、怪我を言い訳にしてしまっていたところが自分の弱かったところだったと思っています。
あとは、これまでのスピリッツ・オブ・サンゴリアスのインタビューでも言っていますが、ラグビー・ナレッジの部分ですね。冷静にチームでやるべきことをもっともっと理解して、どれだけチームにコミット出来たのかということを、自分でも考えなければいけなかったと思いましたね。
――怪我でチームから離れている間でも、もっとやられることがあったということでしょうか
怪我をした部分を治すとか、その部分をさらに強くするとか、そういうことには重きを置いて取り組めてこれたんですが、復帰した時にどれだけ早くチームにコミット出来るかという部分をもっと考えて取り組めたんじゃないかなと思っています。引退となると「あの時にもっと出来たかな」とかを色々と考えてしまうんですが、そういうところは今後に繋げられる反省点かなと思います。
――復帰した時にチームが変わっていると感じることもあったんですか?
ミーティングをしたり、一緒に試合を見たりはしていたので、復帰してビックリするということはなかったんですが、味方とのパスの感覚など、みんなと一緒にプレー出来ていない分、精度の部分が落ちてしまっていたのかなと思います。
◆ずっとサンゴリアスでラグビーを
――ラグビーを始めたのが他の選手と比べると遅いので、まだまだやり足りないという思いもあるんですか?
高校2年生からラグビーを始めました。僕の気持ちとしては1年1年が勝負とは思っていたんですが、ラグビーをプレーするのが楽しい、出来ることならばずっとサンゴリアスでラグビーをしていたいと思っていました。ただ、そこは勝負の世界なので、難しい部分もありますよね。
――ずっとやっていたいというラグビーの、いちばんの面白さはどこになりますか?
年々面白さは変わってきたんですが、身体のサイズや足の速さ、スキルなどが違う、色々な選手がグラウンドの中で必ず輝けるプレーがあるというのが本当に楽しかったですし、自分の強みを表現できるのがとても面白かったところだと思います。
子どもの頃から色々なスポーツをやってきましたが、どれもセンスがなかったですね(笑)。ラグビーの次に長くやったスポーツが野球なんですが、目が出なく才能がなかったので、ラグビーに出会えて本当に良かったと思っています。
――振り返ってみて、自分の強みを表現できたのはどんなシーンですか?
ブレイクダウンやタックルなど、一発一発では身体の大きい選手には敵わないんですが、そこで敏捷性やテクニックを使って、どう大きい選手を倒すか、どうやってボールを奪い返すかというところを突き詰めて考えられたということが、自分の強みにもなりましたし、やっていて楽しいと感じるところでした。
◆若い頃に戻れるならその時の自分に伝えてあげたい
――10年間やって、悔しかったことは?
悔しかったり苦しかったことの方が多い10年間だったと思っていて、悔しい思いをしなかったシーズンがないんじゃないかと思うくらいですね。古い話になってしまいますが、1~2年目の時に当時監督だったエディーさん(ジョーンズ)からキツイ練習を課せられて、期待に応えられず強く怒られて悔しい思いをしました。あと、チームが勝つこと、優勝することは嬉しいんですが、怪我で試合に出られず、試合に出られていない自分に対して「来年こそは」と思ったりもしました。色々な悔しい思いをしてきた10年間でしたね。
――1~2年目の頃、エディーさんに何を怒られたんですか?
僕が甘ちゃんだったからだと思います(笑)。けれど、怒られたことで考え方も変わって、監督が変わる中でも1~2年目の経験が基盤になって頑張れたと思います。エディーさんに怒られた中で今でも覚えていることが、「ミスをした後に自分がどう行動するか」とよく言われていました。あと、エディーさんだけじゃなく敬介さん(沢木/現サンウルブズコーチングコーディネーター)からも、「どこがチャンスか、自分がやらなければいけない場面、タイミングを見極めて、そこに全集中力を持っていく」と言われ続けましたし、そこがいちばん指導していただいたところだと思います。
振り返ると、ミスにとらわれすぎてしまっていたんだと思います。自分がコントロール出来ないことにフラストレーションを溜めてしまっていたので、ミスを引きずってしまっていたんだと思います。試合に出たいという想いが強かったので、自分のやるべき仕事にフォーカスするのではなく、試合に出るためにミスをしないようにという考えが出てしまっていたのかもしれません。若い頃に戻れるなら、その時の自分に伝えてあげたいですね(笑)。
◆一生忘れない思い出
――今後はどうしていくんですか?
社業に専念していく予定です。どういう形になるか分かりませんが、今後は自分の空いた時間で、ラグビーに恩返しが出来る活動をしていければと思っています。
――指導することにも興味があるんですか?
正直、分からないですね(笑)。興味がないわけではないんですが、例えば母校に行った時に、僕がこれまでラグビーでしてきた経験を伝えて、参考になる子どもたちがいれば嬉しいと思いますね。
――サンゴリアスのメンバーに対してメッセージをお願いします
こんな僕を10年間、このチームでやらせていただいて、本当に感謝しています。やっぱり日本のラグビー界を引っ張っていくようなチームで出来たということが嬉しく思いますし、そんなチームにいるからこそ、みんなには頑張って欲しいと思います。今は、サンゴリアスを全力で応援していきたいという気持ちでいっぱいですし、次のシーズンでは必ず優勝して欲しいと思っています。
――ファンに対してメッセージをお願いします
全国各地に応援に来てくださるファンの方もいて、本当に感謝しています。試合会場や練習試合、府中のグラウンドなどで、こんな僕にも声をかけていただいて、本当に嬉しかったですし、一生忘れない思い出になっています。本当にお世話になりました。
――最後に言い残したことはありますか?
同期が西川君(征克)だけになってしまったので、どうか西川君をお願いします(笑)。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]