2019年4月 4日
#630 長友 泰憲 『人と人との繋がり』
素朴な雰囲気の中にスター性を兼ね備えた長友泰憲選手が、とうとう引退の日を迎えました。サントリーの躍動感を体現し、かつて日本代表としての期待も背負ったことのある長友選手に、選手として最後のインタビューを試みました。(取材日:2019年2月下旬)
◆倒れても
――引退を決めたのはいつですか?
実は2年前ぐらいに一度考えたことがありました。その時はチームから「もうちょっとやってもらいたい」という話があって、「切り替えて頑張ろう」と思ってやりました。シンプルに「チームに貢献しよう」という気持ちでした。そして「優勝に携わる」、「優勝に貢献したい」っていう気持ちで取り組みました。
――結果的にそこから1年だけじゃなくて2年やりました
この2年に関しては、試合にもあまり出られませんでしたし、最後の年も優勝できなかったので、満足はしてないですね。ただ、ラグビー人生を考えると、優勝をしたこともありましたし、日本代表や7人制代表も経験をさせてもらって、代表に選ばれるというのは自分には無縁だと思っていたので、トータルで考えたら満足するところにいったのかなという感じですね。
――その自分でも考えてなかった代表に選ばれた時は、どんな気持ちでしたか?
単純に本気で動揺しました。「え、僕で良いんですか」みたいな感じでした。その時はカーワン(ジョン/元日本代表ヘッドコーチ)が監督でしたね。その後、エディーさん(ジョーンズ/元日本代表ヘッドコーチ)の1年目だけ選んでもらいました。その頃は単純にパフォーマンスが悪くなくて、トライも取れていたっていうこともありますし、海外チームとの試合でもフィジカル的に負けていなったと思います。そういうところで評価してもらったのではないか、というのが僕の中での考えですね。
――自分が思っていたよりも、ここが長所だったと気づいたところはありますか?
倒れてもすぐに起き上がって、すぐドライブしてっていうところで、フィジカル的に負けていないというところかなと思います。
――ボールを落としても、気持ちをすぐ入れ替えてまた前を向いてというような?
そう、そんな感じですよ。精神的にめげないみたいな。いや、でも代表の選考については分からないですよ。そこはジョン・カーワンしか知らないと思います。
――その頃がコンディション的には一番良かったんですか?
コンディション的にはそうですね。その後に怪我で手術をしました。そこから自分の満足いくプレーがあまりできなかったので、そう考えるとエディーさんの時が一番良かったのかなと思いますね。
――海外のチームや選手とやってみて、これは世界でもある程度できるなという、代表としての感覚はどうでしたか?
ジョン・カーワンの時は、アジア大会だったので負ける気はしませんでした。エディーさんの時はフランスともやりましたし、7人制でも南アフリカともやって、やっぱりフィジカルやスキルにおいては相手の方が一枚上手だなっていう感覚がありました。
――そうすると、そこに向けてさらに上を目指そうというところでの怪我だったんですか?
でも蓄積されたものでしたね。エディーさんやスタッフとミーティングして、手術することになりましたが、その後はなかなかパフォーマンスが上がってきませんでした。
それから頭を使う部分を沢木さん(前監督)から教わりましたし、その部分を鍛えました。ラグビーナレッジは上がったと思うので、そこは良かったのかなと思います。
◆スタイルを変えてみた
――手術したけどパフォーマンスが戻らないというのは、痛みがあったんですか?
痛かったですね。踏ん張ろうと思ったら痛くて、踏ん張れない感じでした。そのままだと、自分の良さが出せないというもどかしさがあったので、ちょっとスタイルを変えていきました。
――それまでは怪我知らずだったんですか?
大きい怪我はなかったですね。それまでも小さな怪我がありましたが、めちゃくちゃ大きい怪我は無かったので、この時が社会人に入って一番大きい怪我ですね。
――スタイルを変えていくというのは、どういう風に変えていったんですか?
スピードコーチとして杉本さん(龍勇)がチームにやって来ました。僕はこれまで低い姿勢でやってきたんですが、走る部分に関しては高い姿勢がやっぱり大事になってくるという話でした。そういう教えを取り入れながらやってみました。
ずっと低い姿勢でやっていたら、続けていくには結構厳しい部分が出てくるかなって思っていましたし、やっぱりとても膝に負担がかかっていたので、高い姿勢を意識してスピードが出せるスタイルにしました。低い姿勢の方がかなり踏ん張れていた気はするんですけど、そこを変えてみました。
――高い姿勢というのは、あまり膝を曲げないということですか?
曲げないというか、上体がとても高いイメージです。
――上体を立てるんですか?
立てます。低い姿勢だとどうしても腰が座っちゃって、スピードが出にくいっていう話を杉本コーチもしていたんですが、確かに「それ一理あるな」と思いました。低い姿勢のままだと試合終盤に足が上がらなくなってくるので、それだとやっぱり、このサントリーのラグビースタイルにはついていけません。ある意味、チームのスタイルも変化させていたので、そっちの方に寄せてく形になりました。
――走るフォームを変えたってことですね?
そうですね、変えましたね。「がむしゃら」から結構「リズム良く」なったと思います。それによってスピードが上がったという実感はそこまでありませんでしたが、疲れにくくなったと思います。あとは運動量もちょっと上がったと思います。
――怪我をする前の力が出ないというもどかしさと、新しいスタイルを覚えていく楽しさと、どんな気持ちの揺れがあったんですか?
いや、特に揺れはなかったですね。そもそも走り方を習ったことがなかったので、新感覚じゃないですけど、新しいことを見つけたっていう感じで、そこは素直にスッと入っていきました。
――そこは面白かったですか?
そうですね、面白かったですね。こうやったら疲れる、こうしたら疲れにくくなる、というのがありました。若い時だったので、ただがむしゃらに走ってもダメなんだなって感じましたね。
――倒れてもそこからいつの間にか這い上がってくる長友選手ならではの粘りは、そこまで衰えていなかったと思います
振り返ると若い頃の方が、やっぱりもっとそういうプレーをしていましたよね。その時は怪我を恐れていなかったということもありましたが、歳を重ねるにつれて「ここまでいったら怪我するんだ」とか分かり出したりして、それがちょっと足かせになっていたのかもしれません。以前みたいにもっと自分で行くっていうのは、そういうところでちょっと減っていったのかなと自分でも思います。
――でもそれが新しい怪我を防いだり、再発防止になっていたということもあるかもしれません
直近だとそんなに怪我もなかったので、それはちょっとあるのかなと思います。あとはストレッチも、怪我をしてから結構入念にやっていたっていうのもあります。
◆欲っていうか向上心
――現役生活を通して見て、新しいことを覚えた後半と、がむしゃらな勢いでやっていた前半とでは、どちらが面白かったですか?
難しいですね。やっぱり試合に出られた方が面白いと思うので、それは若い方でしょうか...。試合に出られたし、いろんな経験もさせていただいたので、若い時の方が楽しかったかなとは思います。でも今あるこのラグビーの知識を若い時に持ってやっていたら、なお良かったんだろうなっていうのはとても思います。若い頃はただもう考えずにやっていたので。
――考えずにやっていたけれども、試合に出ることができて、代表まで行きました。1年良くても続かない選手がいる中、そこの段階をちゃんと踏んでステップアップして行ったことについてはどうですか?
僕は現状にすぐ満足しないタイプなんで、試合に出続けるシーズンを過ごしても、もっとこれが欲しいなと思ったら、そこにずっとフォーカスしてやり続けます。それでダメだったら変えていく、そして良かったことはずっと継続してやっていくというスタイルでやっていたので、それが良かったのかなとは思います。
――そこの向上心が高く、欲が旺盛ということでしょうか?
欲は強かった。欲っていうか、向上心。大学までずっとそんなにラグビーの知識がないままやっていたので、サントリーに入ってから自分がどんどん変わり、成長する。なんかそういうのがすごく楽しかったですね。事前に入念にウォーミングアップをするとか、そういうことをあまりやっていませんでしたからね。それが社会人になって2~3年目の試合に出ていた時は、練習の1時間前から来て、ずっと自分のルーティンである体幹とか、いろいろやったりしていました。そうやって毎日やっていて、そういうことが成果に出たんです。それで「これ間違ってなかったんだ」と思いながら、ずっとやっていました。そうやってやり続けたことが、一番良かったのかなって思います。
――長友選手と言えば守りも非常に注目され、皆のお手本にもなっていたと思いますが、ディフェンスの意識はどの辺から出てきたんですか?
20代後半ぐらいからですね。最初の分岐点は、たぶん平さん(浩二)とかライアン(ニコラス)がいる時です。最初はディフェンスとか全然気にしなかったんですけど、剛さん(有賀バックスコーチ)から「トライが取れても結局お前んところでトライ取られたら意味がない。プラマイゼロだよ」みたいな話をされて、確かにそうだなと思いました。自分で試合をいろいろと振り返って見ても、もしここで自分が相手を止めたら、チームがどんなに楽になっただろうかとか、そういうことを考えたりしていました。ここで抜かれたりしたら最低だなとか、ここで止めたら信頼も上がるなとか。
ただフォワードに任せるんじゃなくて、自分が前で止めたらフォワードにとってもとても楽だし、そういうことを考えたら、やっぱりディフェンスはとても大事だなって思ったんです。1回監督に怒られて、ザワさん(小野澤宏時/元サンゴリアス)からもいろいろとアドバイスを受けて、その後からずっと相手のアタックのビデオを見て、スタンドオフがこういう時にボールを放るんだなと研究しながらやりました。それからディフェンスも上達したと思います。
――実際にやる時には何に気をつけていたんですか?
スタンドオフの目と、パスを放る時の動きをよく見ていました。そしてそのスタンドオフがどのくらいまで走っているかとかは見ていました。スタンドオフも走るスピードが上がってきたら、飛ばすパスってなかなかできないんですよ。もし立ち位置が深めで、そんなにスピードを上げないでボールを取ったら、やっぱり飛ばす可能性もありますし、そういうところをよく見ながらやっていました。
あとは自分のポジショニングですね。内側に寄りすぎちゃうと、味方の選手はフルバックとか見えないと思うんですよ。フルバックは試合している上で、常に13番がちゃんと見える位置にいないといけないと思います。自分がただバーって前に出ちゃって、相手を止めればいいんですけどそれが出来なかったら、結局チームに迷惑をかけるんですよ。でも13番が前に詰めたら僕も前に出るパターンや、それで流したら(出なかったら)流すとか、そういうプレーの細かいところをずっと見ていました。
――13番とのコミュニケーションがとても大事ですね
とても大事です。13番とはめちゃくちゃ喋っていましたし、15番とも喋っていました。だからエリアにもよるんですけど、エリアが深めだったらフルバックに「ここ出ても良いですか」とか「ここ出るよ」とか言うわけです。そうするとフルバックがカバーしやすくなるじゃないですか。こいつ前に出るんだなと分かったら、ボールを飛ばされた時にこっちをカバーしようとか、シチュエーションに対する準備ができると思うんです。そういうコミュニケーション力や頭の使い方がモロに出てくるので、そういうことをめちゃくちゃ喋っていましたね。それも20代後半くらいからだと思います。
――13番でとても参考になった、勉強になった選手はいますか?
平さんですね。組んでいるのが、平さんと大志(村田)が多かったんですが、まず平さんの潔さっていうんですか、前に出る時はバーンって思い切って出るし、もし抜かれても「もうしゃーない、切り替える、切り替える、とられても仕方ない」みたいに諦めるとか、でも「たぶん自分のせいやな」とか思ったりするんですよ。ディフェンスとかも躊躇したらダメで、躊躇したら結構抜かれるんですね。だから行く時は行くし、倒す時はしっかり倒すみたいな、そうやって平さんの時は徹底されていました。
――九州コンビですね
九州コンビです。この知識、今の知識があってまた平さんと一緒にやれる時があったら、もっと良くできたなっていうのは思います。平さんはめちゃくちゃ良い、面白い選手ですよ。いろいろと見本というか、僕の中では切り替える大事さを教えてもらったと思います。
――そこを今度は村田選手に教えたりしたんですか?
性格も違いますし、大志も結構ディフェンスは得意なんで、そんなに僕からは言わなかったですね。2人でコミュニケ―ションして、抜かれた時も「もっとこうしようや」という話はしていましたね。だから、大志との時と組む時には、そんなにバーッと話すようなことはなかったと思います。
――チームプレーそしてコミュニケーションは、今から考えるとやっぱり面白かったなと思いますか?
いや、めっちゃ面白かったですよ。アタックでもそうですけど、1プレー終わった時に喋ったり、プレーしながらも喋るので、それで意思疎通が図れる。それは安心感じゃないですけど、これで意思の疎通ができているからオッケーやなとか思うことができますし、それで自分は思いっきり行けます。プレーしながらいっぱい喋ることができるラグビーって、今さらですけどコミュニケーションがとても大事なスポーツだなと思います。
そう思うようになったのは、ここ5年ぐらいですかね。コミュニケーションは何に対しても、仕事もそうですし、たぶんどこでも大事だと思うんですけど、その大切さっていうのはラグビーで学びました。
◆まずはグラウンドに
――一番思い出に残っていることは何ですか?
それはいろいろあって、優勝も何回も経験させてもらったし、代表も経験させてもらったんですけど、やっぱり良かったなっていうことは、人と人との繋がりです。スタッフもそうですし、OBの人もそうですし、海外の人もそうですけど、いろんな人が繋がっている。僕はもともとこんなに喋る方じゃなかったんですよ。人見知りで慣れないと喋らないタイプだったので、人に自分から話しかけられるようになったのは、社会人になってサントリーに入って、いろんな人と知り合って、自分をたくさん出せるようになってからです。
そういうことができたのはラグビーを通して知り合ったからですし、そう考えたらそれこそ人と人との繋がりなのかなというのが、とてもあります。結局、いろいろと思い返してみたらいろいろな人がいた。それを一番先に思いますし、海外の人にも外国語が喋れなくても思い切って喋ったら、それに応えてくれる。自分から話しかけないと向こうは心開いてくれないなって気づかされました。
――つながりですよね
そうですよね。それはとても学べました。そこは良い経験をしたなって思います。僕はもともとラグビーで人と知り合っていなかったら、たぶん東京にも来ていなかったと思います。知り合いの紹介で東京の大学に来たっていうのもあるし、大学(中央大学)が同じで知り合った長谷川圭太(サンゴリアスOB)って人がいて、彼がサントリーに入って「お前もサントリー来いよ」って言ってくれました。そこで紹介されてサントリーというトップチームにも入れたわけですし、いろいろな人の繋がりがあって、いろいろなところに行けたというのが、やっぱりラグビーなのかなって思います。
――サントリーの後輩に残していく思いや言葉はありますか?
ラグビー人生って短いじゃないですか、社会人で10年やれば長くて、15年やれば大ベテランです。その中でやっぱり、試合になかなか出られない人もいると思うんですよ。試合にずっと出られる人もいるかもしれないですけど、出ていることを当たり前って思ったらダメだし、十何年間しかラグビー選手としてできないから、一日一日を大切にした方が良い。
そしてせっかくいろんな人と知り合えているんだから、コミュニケーションということを大事にした方が良い。せっかくトップチームにいるわけだから、常に日々当たり前と思ってやらないでほしい、ということを特に思います。
特にメンバーで出られてない人にも、絶対にチャンスはあります。いつかチャンスがあると思って、常に1人ででも練習しないと追いつけない、追い越せないわけですから、そこは意識してやってほしいなと思います。
――引退後もラグビーには関わりたいという思いがあるそうですが、ラグビーの良さをどう伝えていきたいですか?
まずテレビだとラグビーの凄さってたぶんあまり伝わらないと思うんですよ。プレーが止まることが多いというのもあって、僕もずーっと見ていると集中が切れることもあるので(笑)。やっぱり会場に来て、特に秩父宮ラグビー場はグラウンドと客席が近いので、迫力あると思うんですよ。だから他の競技と違って、良さを伝えるんだったら、まずはグラウンドに来て体感してほしいっていうのが一番ですね。そのためにいろいろな施策がいると思います。
それにはメディアが必要になってくるかもしれませんし、はたまた自分でクリニックとかをやってラグビーを見るきっけかを作っていくという方法もあるかもしれません。その他にもいろいろやっていくと思います。そういうことを考えていきたいです。
――ファンに向けて
11年間ありがとうございました。もう悔いはないです。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]