2018年3月23日
#577 青木 佑輔 『枯れていた花を強引に咲かされました』
最年長世代だった青木選手がとうとう現役引退となりました。自身の引退を「清々しい」と語る青木選手の心境に迫りました。(取材日:2018年3月8日)
◆悔いがない
――現役引退しましたが、今のお気持ちは?
清々しいです。11回納会に出てきて、今まで自分の好きだった先輩が辞めたり、どんどん歳を重ねたら同期や後輩も辞めたりして、納会は辛い思い出ばかりであまり好きじゃない1日というイメージがあったんですが、自分の時は清々しかったです。
「辞める」ということを口にした時は寂しかったんですが、やっぱり清々しいという気持ちになれたのも、12年間サントリーで良い思い出も出来ましたし、良い経験もさせてもらいましたし、良い仲間にも出会いました。人間として凄く成長させてもらった場所なので、悔いがないという気持ちで満足して引退することが出来ました。
――12年前に入った時にそういう心境で現役を引退する時がくると想像しましたか?
想像しなかったです。毎年納会でスピーチする人たちを見ていて、自分がそこに立つというイメージが全然沸かなかったんですが、立ってみると清々しかったです。
――引退を決めたのはいつですか?
結構早くて、2016-2017シーズンでした。
――教員になるという夢も持っていましたよね
2017-2018シーズンは学校に通いながらラグビーをやっていたんですが、そんなに甘いものではないと思っているので、いずれ教員になれるチャンスがあったらなりたいと思います。
――もともと教職を持っていて、更に人に教えるために学校に通っていたんですか?
そうですね。そもそもなぜ教師になりたいかというと、今まで出会ってきた先生方に自分の人生を正しい道へ進めてもらったからです。そういう立場になれたら良いなと思ったので、先生になりたいと思いました。だから、将来サントリーやラグビーの良さを子供たちに伝えられたら良いと思っています。
――イメージとして対象はどのくらいの年齢ですか?
中学生、高校生くらいです。僕は「人生この先に何をしていけば良いんだろう」とか、まだ夢もなかったり、そういう時にサントリーのラグビークリニックに参加して「ラグビー選手になりたい」と思いました。だから、現役中もラグビー教室などにはなるべく参加するようにして、子どもたちに伝えられたら良いなと思っていました。
◆選手のサインを集める
――サントリーのラグビー教室に参加して、ラグビー選手になりたいと思ったのはなぜですか?
単純にかっこいいと思いました。めちゃくちゃ体が大きくて、凄いなという感じでした。当時、選手のサインを集めるのが好きで、サントリーのサインボールをもらって、そういうのが単純にかっこいいと思いました。
――そこで思ったことが実現して、サントリーに入って自分も子どもたちにクリニックをしていて、かっこよくなったと思いますか?
それは分かりませんが、クリニックはクリニックで楽しんでやっています。そして、しっかりサインを書くようにしていました。
――サインを集めるのは途中で止めたんですか?
さすがに止めました(笑)。
――サインを集める気持ちは分かりますか?
集める気持ちは分かりますね。嬉しいです。今もまだ家にあるんですけど、リコーで監督をやられている神鳥さんや、当時、明治が好きだったので赤塚さんという凄く大きい方や、松本さんというキャプテンの方のものもあります。明治の方ばかりですが、明治が本当に好きでした。
そんな人たちにラグビーを続けることで、また出会えたんです。小学生の時に神鳥さんにサインをもらって、大人になって会った時に「サインをいただて凄く好きだったんですよ」と話しかけて写真を撮ってもらいました。
サントリーのサインボールは吉雄潤さん、清宮さん、尾関さん、長谷川慎さん、中村直人さんなどにもらっていたんですが、嬉しいですよね。ラグビーを一緒にやることになるなんて思ってもいませんでした。
――それだけ明治大学が好きでなぜ早稲田大学に進んだんですか?
言いづらいです(笑)。高校2年生くらいまでは明治が好きだったんですが、やっぱり明治は怖いんじゃないかと(笑)。明治はフォワードというイメージが凄く強くて、早稲田のフォワードは小さいけれど起動力を活かして対抗するというイメージがありました。自分は体が大きくなかったので、早稲田のカルチャーのもとで戦いたいと思いました。
◆本当に良いチーム
――清々しいという言葉の中にはどんな気持ちが入っていますか?
はっきり言って最高の形かと言われたら、11月に怪我で突然そこでラグビーがほとんど出来なくなってしまったので、引退も決まっていましたし、やっぱりその時は辛かったです。自分で勝手に「怪我したことは使命だ」と思って、そこからチームに対してすぐに切り替えられましたが、それもいっぱい仲間がいるおかげでしたし、このチームのために何が出来るかを考えて残りの2ヶ月を過ごしました。
――2ヶ月間で得たものは?
ほとんどチームには貢献できていなかったので、チームにプラスになったことは何もないですし、自分が得たと言ったら、サントリーという場所は本当に良いところだと思って日々過ごしていました。
――どういうところが良いところですか?
足が痛くて全然練習もできなくて、頑張っている仲間がいるとモチベーションが上がっていました。でも、1回だけ本当にきつい時がありました。グラウンドに立って歩いているだけで何の戦力になっていなくて練習に参加させてもらっているという感じで、スタッフはもう引退することも知っていますし、選手も気づいていたと思うんですが、それが辛かったです。
戦力にもなっていないし、邪魔してしまっているなと思って、田代さん(前トレーナー)や小川さん(トレーナー)にリハビリをしていることを「意味なくないですか?」と言ったら、「そんなことない」と言われて、凄く良いチームだなと思いました。
――凄く良いチームというのは?
簡単に言うと、30分くらい話しました。田代さんからトリートメントを受けながら話しました。怪我人同士でリハビリして、1人だと落ち込んでしまうと思うんですが、同じような怪我をしている後輩たちを見ていると1人で暗くなっていられない、逆に彼らがいたから楽しくできました。
敬介さん(沢木監督)は「痛い人は出て行け」というスタンスなんですけれど、グラウンドに立たせてくれていました。選手に球を投げてからスタートするという練習があるんですけれど、一回だけ敬介さんが、目が合って投げようとして「お前じゃなかった」みたいな感じで違う選手に投げて、その時また足を引っ張っているなと思いました。
それで、敬介さんに「足を引っ張っているなら辞めた方が良いですよね」という話をしたんです。そうしたら「お前がやりたいならやれ」と言ってくれて、本当に良いチームだなと思いました。
◆どこまでキツくなるんだろう
――12年サントリーでやってきて、一番印象的なことは?
エディーさん(ジョーンズ/元監督)が来た時の日々の練習です。キツかったですが、そこでかなり選手間の絆が深まった気がしました。同期は9人いて1年目の時はオフなどに集まったりしなかったんですが、4~5年目くらいから急に集まるようになりました。
後から考えると、そういうキツい練習をみんなで乗り越えたことによって、仲良くなってきたのかなと思います。相手を認めることや、思いを共有していることで、そういう話ができるようになったからだと思います。
――エディー監督1年目以降は慣れてきましたか?
慣れませんでしたね。どんどんキツくなりましたし、これどこまでキツくなるんだろうといつも思っていました。「1K(ワンケー)」という1キロメートル走のテストがあって、そのタイム設定をクリアすれば上へ上へと上がっていって、どこまで走れば良いんだと思うくらいキツくなりました。
――それをみんながクリアするんですか?
クリアするんです。それでまた違うテストが始まったり、凄いですよね。1人では出せない力をサンゴリアスによって100%出させてもらったという感じがします。
――エディー監督以降、それはサンゴリアスの伝統になっているんですか?
もともとサントリーはハードワークのもとアタッキングラグビーをしていました。本当に印象に残っているのは、エディー体制が終わって、監督が変わっていく中で勝てない時期が続いて、その位から怪我も続きました。そこで敬介さん1年目のシーズンから使っていただいて、優勝した時は嬉しかったです。
若手の時に1回優勝して、中堅の時に何回か優勝して、ベテランと言われるようになってから優勝していなかったので、自分自身、枯れかけていたような花だったんですが、敬介さんの練習によって強引に咲かされました(笑)。そのおかげで自分自身、本当に良い思いができました。
――練習はキツかったんですか?
キツかったですし、春シーズンにはついていけなかったです。この間キツいだけではなくて、ラグビー選手としての知識も上がりました。それが一番印象に残っているかもしれないです。
――それは咲くまで頑張ろうと思っていたんですか?
30歳を過ぎて怪我もたくさん続いて手術も多くて、このまま終わっていくんだろうなと思っていたんですが、その時に敬介さんが帰って来てくれて、またもう一度良い思いをさせてもらって終われました。
――自分でも頑張ったという感じですか?
頑張りましたね。今はチャンスだなと思いました。30歳過ぎて怪我も増えるとチャンスってどんどんなくなっていくものです。でも一回チャンスをもらいました。
◆ファンも繋がっている
――選手として一番大事にしていたことは何ですか?
入った頃はラグビーだけやっていれば良いんだろうという感覚で、絶対にラグビーで日本代表になりたいと思っていましたし、あまりチームメイトの為にとかは考えていなかったんですが、途中から「このチームのために何ができるだろう」ということを考えながら行動をするようにしていました。
――そこはサントリーに入ってから変わったんですか?
そうですね。それまでは試合に出て勝てばいいんだろという感覚ではないですが、自分が出て何が何でも勝ちたい、そういう感覚でした。
――その変わったことを後輩にも伝えたりするんですか?
後輩に口では言っていないです。自分で気づくと思います。他人から言われて、「サントリーは凄く良いチームだからチームのために何かしよう」というものではないと思います。自分は12年間を振り返っても本当に良い思いしかないので、そういうことからこのチームに対して何ができるかを考えるようになると思います。自分だけではなくて、家族もこのチームにお世話になっていますし、人生の1/3はここで過ごしましたからね。
――ファンの皆さんへメッセージをお願いします
12年間、本当に応援していただいて、ファンの方々は強い時期も低迷している時期も知っていますが、また優勝することが出来ました。試合後に挨拶に行く時には、ファンの方も繋がっているんだなぁという感じでファンとの一体感も感じますし、それを感じるようになって、さらに良いチームだなと思いました。
そういうところを見ると選手としても嬉しいですし、力をもらいました。ただただ応援してくれるだけ以上に、ファンの一体感を見ると自分の力になりましたし、本当に感謝の気持ちしかありません。どうもありがとうございました。これからもサンゴリアスをよろしくお願いします。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]