2018年3月 9日
#575 日和佐 篤 『この選択を正解に導くのは自分』
8年間、サントリーのアタッキング・ラグビーの起点となって活躍してきた日和佐篤選手。移籍を決意したのはなぜか?そして、今の心境は?ラストインタビューとしてじっくりと訊きました。(取材日:2018年2月21日)
◆もう少し出たかった
――2017-2018シーズンはどうでしたか?
試合には出られてはいましたが、難しかったですね。
――流選手がキャプテンになる時に「キャプテンだろうが絶対に勝つ」とインタビューで答えていましたが、勝ち負けでいうとどうなんですか?
勝ち負けで言うと、負けました。僕が選手を決めているわけではないので、負けたというか、試合に出ている時間で比較したら、出ているのは流ですね。敬介さん(沢木監督)にはプランがあって、僕をフィニッシャーとして入れてくれていたんですが、もうちょっと試合に出たいという思いはありました。
――それは先発出場ではなく、時間ということですか?
そうですね。フィニッシュする分には僕の方が良かったと思うんですが、もう少し長く出たかったです。
――それが今回の最大の移籍の動機ですか?
んー、それも踏まえての動機です。ざっくりとしたところですけれど。
――「出たかった」ということは、出たら絶対にパフォーマンスを出せるということですか?
そうですね。自信はありました。体も動きますし、いろいろと経験もさせてもらいました。
――ラグビー選手として過去の自分を振り返っても今がベストですか?
そうですね。経験も踏まえて、一番良い時期じゃないかと思います。
――フィニッシャーは野球で言えばクローザーであり、リリーフエースな訳ですが、出番は短いですよね
時と場合によると思いますが、もう少し出たいという感じでした。先発投手、中継ぎ投手、クローザーで言ったら、中継ぎくらいからは出たかったです。
――超一流の外国人選手と一緒にプレーしてきましたが、その時々の感覚はどうでしたか?
学ぶ部分が多かったと思います。もちろん自分とはタイプも違かったので、多くを学ぶという部分では受け入れていました。
――あの時の方が中継ぎくらいから出場していましたよね
そうですね。時間は多く出させてもらっていました。
◆一歩を踏み出せた
――もっとやりたいという言葉は本当の気持ちが出ていると思いますが、先発というこだわりはありますか?
出られたら先発で出たいですが、それは監督が決めることなので何とも言えないです。
――さっき動機について「ざっくりと」と言っていましたが、ざっくり言わないとどうですか?
もちろんサントリーに残って、ずっとやりたかったというのが本音です。選手としての寿命を考えると、もうハーフタイムは過ぎている。そう考えた時に、サントリーに残って今と同じ感じでやるのも一つ、挑戦して外に出るのも一つというオプションがまだ残っていたので、そこの葛藤がありました。
今シーズンの途中くらいからミーティングルームのホワイトボードに「成長を止めたら、衰退の始まり」という言葉がずっと書いてあって、ここにいたら今までと同じことしかないなということを凄く感じました。この選択が合っているか間違っているかは分からないですが、正解に導くのは自分だと思うので、これからの頑張り次第だと思います。
――相当なチャレンジですよね
そうですね。環境も変わって、チームメイトも変わって、全てがゼロからです。
――そこで踏み出した勇気というのは常に自分として持っているものですか?
家族もいますし、凄くサントリーのことが好きですし、凄く葛藤がありました。でも、選手である以上は、と考えた時に一歩を踏み出せました。
――プロということも関係ありますか?
もちろん。
――もともとプロを選んだ理由は何ですか?
2011年のワールドカップでやれたというところです。勝負できると思いました。
――実際にプロとしてやってみてどうでしたか?
はい、凄く合っていると思います。
――どこが合っているんですか?
どこが合っているかはわからないですが、ラグビーが凄く好きで、それが職業になったというところです。とことん出来るし、悪くなったらすぐにカットされるという危機感もあります。
――今回、相談した人はいますか?
家族くらいですかね。相談したと言っても最後は自分で決めたんですけど(笑)。
――家族はどう言っていましたか?
「悔いを残らない方を選べ」と。
◆チャンスは一度
――サントリーに入って一番良かったことは?
小さい頃からサントリーでラグビーしたいと思っていて、憧れのチームに入れました。それで、結果も出て、良い仲間もできて、良い監督にも出会えたことは、凄く大きな財産だと思います。
――日本人のチームメイトや監督はもちろん、海外の名監督や名選手とも一緒にラグビーしてきましたよね
そうですね。なかなか他のチームにはないことなので、それは凄く良かったと思います。
――一番辛かった時は?
ずっと辛いですね(笑)。一番きつかったのは、エディー(ジョーンズ元監督)の1年目と2017-2018シーズンです。
――エディー監督の1年目は社会人でやってきた選手でさえキツイと言われていて、社会人1年生でいきなりでしたから、社会人は凄いと思いましたか?
めちゃめちゃ凄いというよりかは、めちゃめちゃタフだと感じました。大学で年間通して8試合プラス1~2試合で、10試合すれば良い方なのに、リーグ戦だけで13試合くらいあって凄くタフだと思いました。12月後半くらいから体の疲れを凄く感じました。
――日和佐選手は最初から絶対に自分は試合に出られると思っていましたよね
そう思って入りました。でも、ジョージ(グレーガン)がいたり、キヨさん(田中澄憲)がいたり、耕太郎さん(田原)がいたり、凄いプレーヤーがいるのはわかって入ったので、覚悟はしていました。
今でも鮮明に覚えているのは、当時の開幕戦は豊田スタジアムでキヨさんとジョージが選ばれて、僕はクラブハウスに残って試合観戦したんですけれど、凄く悔しかったです。
――第2節目は出られたんですか?
第2節はリコーで、ジョージがスタートで僕がリザーブでした。
――それがデビュー戦ですね
そうですね。負けていて残り20分くらいで出させてもらって、試合終盤に逆転で勝ちました。個人としては良いスタートでした。
――そこでチャンス掴んだという感じでしたか?
チャンスというか、結果として残したという感じです。
――そういう中で出られる選手と出られない選手の境目はなんだと思いますか?
境目は分からないですけれど、僕が思うのは「チャンスは1回きり」。敬介さんもエディーもよく言っていたんですが、チャンスは1回しかない、そのチャンスはどの選手にも、1回は来ていると思うんです。そのチャンスを結果として出せる選手か、出せない選手か、だと僕は考えています。
――そこまでにいかにちゃんとやっていたかということですか?
常に試合に出たらどういうことをするのかという準備を含め、それをできる選手がやっぱり残っている選手だなと思います。
――そこが甘い選手はチャンスを逃す
甘いというか、そこで一歩遠慮してしまう選手なのか、自分でいける選手なのか、だと思います。
――それは覚悟なんですか?
大雑把な言い方すると、図太いか、図太くないか。そこで準備してきたことを、いかに出せるかだと思います。
◆常に一歩先に
――2017-2018シーズンはチームとしても辛かったシーズンですか?
辛かったですね。言い方が悪いかもしれないですが、2016-2017シーズンは普通にやって普通に勝ったという感じでした。2017-2018シーズンではアタックも凄く考えなければいけませんでしたし、他のチームもサントリーをターゲットにしているという難しさもありましたし、上手いこといかないこともありましたし、リーグ戦でパナソニックに普通に負けたというのもありましたし、勝ち方が綺麗じゃなかったというのが大きいです。
――勝ち方や負けの責任はスクラムハーフにあるものだと思いますか?
競った試合で勝ち負けを分けるのは、9番と10番だと思います。
――9番で後半から出るということは相当背負って出てくるんですか?
勝たせることが仕事なので、勝っていたら良いですけれど、負けている時にどう組み立てるかということや起爆スイッチになるかが凄く難しいです。
――他チームがサントリーをターゲットにするという厳しさもありましたが、連覇する時の難しさもあったんじゃないですか?
どうしても「これくらいで良いか」となってしまうことが多いです。「これぐらいやったら勝てるだろう」という感じに陥りやすいと思います。
――日和佐選手自身はどう戒めているんですか?
普通にやっていたら勝てないんで、常に一歩先にいかないといけないと思っています。それは練習からです。
――それはまたとても大変ですね
そうですね。何かをするにはエネルギーが必要なので、それは大変なことだと思います。
――プロとしてのリーダーシップは意識するんですか?
プロとしてのリーダーシップは特に思っていないです。仕事はしていますけれど、みんながプロみたいな生活を送っていく中で、プレーヤーとしては関係ないと思います。あまり気にしたことはありません。
◆やるからには勝ちたい
――今まで4人の監督のもとでプレーしましたが、今後の日和佐選手にとっての影響力はありますか?
サントリーが僕の中でのスタンダードなので、他のチームにいった時にどう思うかは分からないですが、自分のスタンダードは絶対に変えないことをしっかりやりたいです。答えになってないですかね(笑)。
最初の1~2年目はエディーの言ったことをやって、結果も出て自分も成長しました。それで敬介さんになってから、選手が考えながらのラグビーになってきました。
――もともと日和佐選手は考えていましたよね
ざっくりとです。敬介さんが監督になってからは、判断の基準が多くなって、凄く難しかったですね。
――判断が多くなると、自分で選んだものをみんなが選んでいないかもしれないですよね
それはコミュニケーションだと思います。それが一致したら強い。ただ、2017-2018シーズンはいろいろ迷いながらプレーした部分もいっぱいあったと思います。
――そうやりながら見えてくる部分もあると思いますか?
もちろん、あります。特にプレーオフのヤマハ戦は凄く良くなりました。よくコミュニケーションが取れていて、相手のスペースを取りにいけていました。
――それは2年間の成果が出たということですね
そうですね。最後の2試合は出たと思います。
――面白いことに、今度はそれを敵側から見ることになりますね
やりにくいな(笑)。
――分かっているという感じもありますが...
分かっていてもどうしようもないこともあります。15人でフルフィールド全部をカバーすることはできないので、どこかに空いているスペースがあります。そこを攻めましょうというやり方だったので、分かっていても止められないという部分はあると思います。
――反対側から見てどう思いますか?
やりにくいです。使ってくるオプションは知っていますが、その中からどのオプションを使ってくるか分からないので、難しいというか相手チームからしたら脅威です。
――勝ってみたいですよね
もちろん。やるからには勝ちたいです。
◆自分の色を出す
――新しいチームではどんなプレーヤーを目指していますか?
自分の色を出すことが一つ、それがチームとして機能すれば良いと思います。
――自分の色とは?
僕は速いラグビーをしたいので、その意思も出しつつ、チームにコミットできるようにしたいです。
――このタイミングで新しいチャンスに懸けたということは、2019年に関してどう考えていますか?
19年を目指すという目標設定をした時に、サントリーにいたら選ばれないというのもありました。19年に向かってチャレンジするなら、どこかに動かなければいけないというのは分かっていました。年齢的にもこれが最後のチャンスだと思っています。今年の11月に食い込めたら良いなと思います。
――今までのラグビーの中で、2015年のワールドカップはどの辺にありますか?
練習もきつかったですし、辛かったのは辛かったです。家族との時間もなかったですし、ただラグビーにどっぷり浸かれるという意味では凄く楽しかったです。それに結果も伴ったのが、ハッピーでした。ハッピーというか、あれで結果が伴わなかったらただただしんどいことをしただけだなと思いました(笑)。
――あれは自信になっていますか?
もう終わったことなので、自信にはなっていないです。
――最後のシーンが出てくるたびに最初のボールは日和佐選手から出た訳で、同じチームメイトとしてサントリーの選手は誇りに感じていると思うんですが、自分ではどうですか?
自分ではやるべきことをやっただけです。とにかく集中はしていました。
◆常に同じ入りをしている
――日和佐選手が毎試合出て行く時に体を叩きながら出てくるシーンを見ると、集中しているなと思いますが、そこのコントロールは上手くいっているんですね
準備はしっかりしていますし、プレーの波はない方だと思います。
――それは社会人の最初からですか?
最初からではないです。ミスもいっぱいしていました。
――どの辺から安定してきて、コントロールできるようになってきたんですか?
1年目はただがむしゃらにやっていました。2年目からフーリー(デュプレア)が来て、凄く学びながらやれるようになったと思います。
――例えば、ジョージ・グレーガンさんからは何を学びましたか?
一番学んだのは試合に入るまでの準備のところです。試合に入ってから準備してきたことをいかに出すか、試合が終わってからの準備。
――他の選手に比べて断トツに凄いんですか?
断トツに凄かったですね。僕が見た中で、試合にスパイクを3足持って来ていた選手はいなかったですし、マウスピースも2~3つ持っていて噛んで外してというのを繰り返して、その日の自分に合ったものを選んでいました。
――フーリー・デュプレアさんは?
準備は凄くしていました。やっぱり一流と呼ばれる選手は準備の段階から試合に向けてのルーティンというか、常に同じ入りをしているというイメージです。練習前のウォームアップ然り、常に一緒というわけではないんですけれど、アプローチの仕方は一緒だなと思いました。
――ラグビーのトップアスリートは負けず嫌いではないとなれないと思うんですけれど、特に9番が負けず嫌いだと思います。なぜだと思いますか?
日本人に関しては体が小さい人が多いので、そうしないと渡り合えないと思います。
◆常にボールを触れるポジション
――そうしないと渡り合えないのにラグビーを選んだのは?
他のスポーツでも良かったと思うんですけれど、僕はラグビーが一番楽しかったです。
――どの辺りが?
5歳からラグビースクールに通っていて、当時は辻本(雄起)がチームメイトで、良い仲間ができたというのが一番です。野球も少しやっていたんですけれど、本気でやるスポーツじゃないなと僕思いました。少年野球で1回試合に連れて行ってもらって始めたばかりでベンチだったんですけれど、見ていてボール飛んで来ない、バッターの順番がなかなか回ってこない、守っていてボール飛んで来ない、やっとバッターが回って来て三振して「なんだこりゃ」と思いました(笑)。それで、ラグビーは常にボールを触れるポジションにいました。
――球技は好きなんですか?
球技は好きです。サッカーも、もちろん野球も好きです。
――体をぶつけるということは?
怖いです。
――怖いけれど、好きですか?
好きかどうかと言ったら、当てたくはないです。
――一番面白いラグビーは、ぶつからないでどんどんパスできるラグビーですか?
そうですね。どんどん攻撃できた方が面白いですけれど、相手がいるスポーツなのでディフェンスする時もあるというのは頭に入っています。小さいから行かなくて良いよというのは嫌なんです。来たら行くし、味方がここにいなかったら行くし、誰かが体を痛めていても頑張っていたら助けに行くし、というのがラグビーだと思います。
――結構ブレイクダウンに入っていきますよね
入っていきます。本当は嫌なんですけれど、入った方が良い時もあります。
――それはなぜ?
トライを取られたくないのが一つと、助けないといけないと思うのが一つで、ラグビーは勝っているから面白くて、負けていたら面白くないです。
――2019年へ向けて、ラグビーの面白さをPRするとすれば?
いろいろなチームのスタイルがあって、そこには必ず衝突があって、そのぶつかり合いに勝たないとゲームには絶対に勝てません。そこでお互いがぶつけ合うのを、側から見たら面白いです。そのぶつけ合いの中に足の速い人がいたり、パスが上手い人がいたり、キックが上手い人がいたり、めちゃくちゃ大きい人がいたりするのが、個性があって面白いと思います。
――原点は体を張っているということですか?
そうですね。15人が体を張らないと絶対に勝てないです。
――心の強さが現れてくるんですか?
男気溢れる選手ばかりだと試合にはならないので、頭を使う人も必要です。例えば、同じポジションでもジョー・ウィーラーと真壁だと、考えながらプレーして良いプレーができる人と、考えたらダメなプレーになる、考えずにまっすぐ行った方が良い選手がいるので、そこの違いもあると思います。
◆みんなに助けてもらいながら
――スクラムハーフ一筋ですか?
小学生の頃はスタンドオフをしていました。中学1~2年生の時にはスクラムハーフで、中学3年でスタンドオフをしていました。背が小さかったからというのもあります。ラグビースクールは小学生の頃は1学年ずつ区切られているんですけれど、中学に入った途端に1年生から3年生まで一緒なんです。3年生と1年生では大人と子供で危ないので、9番をやっていました。2年間、9番をやって3年生になった時にもう1回10番をやりました。
――高校の時は?
高校の時は背が小さかったので9番でした。
――スクラムハーフの面白さは?
起点作りが面白いです。ボールをどっちに出すかを決められるし、リズムも決められるので、面白いです。
――起点作りに失敗したと反省することもあるんですか?
あります。逆だったか、バックスか、とかあります。
――次に活きてくるんですか?
そうですね。いつボールが欲しいのかというコミュニケーションが生まれたりします。
――ボールだけではなくて、周りに相当アンテナを張っていないとでいないですね
相当アンテナ張らないと無理です。僕はすぐに出した方がチャンスの時は、アンテナは全然張らないです。出すことに集中します。ボールが停滞しそうなのか、出せるのか、という時はどこが空いているか見ますし、外の声も聞きます。ボールが止まった時はディフェンスの方が有利なので、一から作り直さないといけなくなって、しっかり止めてということも考えます。
――頭がフル回転しているんですね
みんなに助けてもらいながらですけれどね。10番が「バックスに出せばチャンスなので出せ」と言う時も、わざと「俺に出せ」と言う時も、ウイングが「裏が空いているから蹴れ」と言う時もあります。
――10番で面白いと思う人は?
晃征(小野)は凄く上手いですね。体も小さいし、パワーもある方ではないですけれど、他人を使うのが上手です。あとはいつも冷静です。あと次のシーズンだと、煕(田村)が面白いんじゃないかと思います。体が強くて、迷ったら自分で行けるのと、スキルも凄く高い選手で面白い選手です。
――ファンの皆さんへメッセージを
8年間ありがとうございました。勝っている時も負けている時も常に応援してくれて、ありがたく思っています。チームは変わるかもしれないですが、変わらず叱咤激励してくれたら嬉しいです。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]