2017年7月21日
#544 大越 元気 『ラグビーは奥が深くて尽きない楽しさがある』
笑顔が絶えない新人の大越元気選手。そんな大越選手の笑顔がなかなか見られない、足掻いているタイミングでインタビューを行い、今シーズンそして将来にかける意気込みを訊きました。(取材日:2017年6月27日)
◆準備の時点で負けていた
—— 春季トレーニングマッチの東芝戦がサンゴリアスでの初先発でしたね
デビューとしてはキヤノン戦で、後半残り5分くらいの時に出場しましたが、先発は東芝戦が初めてでした。東芝戦はフォワードを全然コントロールできていなかったです。あとは、自分のプレーすらコントロールできていませんでした。
自分のプレーを遂行するためにフォワードを動かすことであったり、チームのためにフォワードを動かすことであったり、そういう部分で全然コントロールができなかったので、一言で言うと全然ダメでした。
—— コントロールできなかった原因は?
1つ1つのプレーで目の前にある自分がすべきことで精一杯になってしまったというのがひとつと、東芝戦の前の1週間の準備の段階で、良い準備ができていなかったと思います。準備の時点で、まずは負けていたと個人的には思います。
—— 試合前に準備ができていないと思ったのですか?それとも結果的に準備ができていないと思ったのでしょうか?
自分の今の課題として、1週間の準備の段階で、フォワードのコントロールであったり、1つ1つのプレーの精度であったりという部分が課題でした。そこを事前にしっかりと準備できなかったという思いがあり、試合の中でしっかりと取り戻さなければという思いがあったと思います。そして、案の定、試合でも良いプレーができなかったという感じです。
◆いっぱい見て良い部分を盗んでいきたい
—— この時点で体験できたということは、これから上がっていくだけですね
ここで経験させていただいたというのは、幸せなことだと本当に思います。ただ東芝さんに対して、あの点差で負けてしまったのは本当に自分のせいだと思っているので、今シーズン"STAY HUNGRY"を掲げているチームに対して、すごく申し訳ないことをしてしまったと思っています。ただ、沢木さんにこのタイミングで良い勉強をさせてもらえたので、次のチャンスに向けての課題として自分と向き合って、1日1日を大切に練習していくしかないと思います。
—— そのために、どう取り組んでいきますか?
今やってもらっているのは日和佐さんや流さん、芦田さんに練習や試合が終わった後にレビューをいただいています。日和佐さんに関しては、練習中から「今のはこうするべきだ」「いま何を考えていた?」と、常にコミュニケーションを取って教えてもらっているので、すごく有難いことだと思っています。
東芝戦は見返すのも嫌だったんですが、そんなことを言える立場ではないので、何回も見直しました。いま置かれているこの現状を見て、自分の中でクリアにして、反省点を1つ1つ挙げていくこともしました。
そして、これからは先輩の試合をいっぱい見ようと思っています。日和佐さんが出ている試合や、一昨年までサントリーにいたデュプレアさん(フーリー)の試合をいっぱい見て、良い部分を盗んでいきたいと思っています。
◆一緒に戦ってくれている
—— ラグビー人生で他に挫折を経験したことはありましたか?
一番は高校日本代表に入れなかった時ですね。最後まで「受かる」と言われていましたが、最後の最後で入れなくて、遠征に行けなかったことが本当に悔しかったです。
—— そこはどう乗り越えましたか?
ラグビーを続けるかどうか悩むくらい悔しかったんですが、大きかったのは父親からの「元気、悔しいだろ。でも、おまえが悔しい時は俺も悔しいんだよ。そして、おまえが嬉しい時は、俺も嬉しいんだよ」という言葉をもらった時に、「一緒に戦ってくれているんだな」と思って、もう1回頑張ろうと思いました。それで大学でもラグビーを続けることを決意し、同志社という新しい土地でイチから頑張ろうと、父親からの言葉で決めることができました。
そして、同志社で頑張っていたら、沢木さんから「U20の合宿に来てみないか?」と呼んでいただきました。それまではユースも含めて日本代表については考えず、同志社で頑張ろうと思っていた中、U20日本代表に呼んでもらえることになりました。
大学2年の時も呼んでいただき、ずっと9番で試合に出させてもらっていて、それで沢木さんのもとでU20の大会で優勝できたというのは本当に大きな経験でした。沢木さんと出会ったことは、大きな転機だったと思います。
—— 世田谷区出身ですが、大学は京都の同志社に進むことを決めたんですね
「自分のやりたいところで」というのが自分のポリシーで、父親はある程度選択肢をくれて、その中の選択肢のひとつでした。中高一貫の茗溪学園では中学1年から寮に入って6年間やってきたので、いくつか選択肢をくれた中から「自分がここでやりたい」というのが同志社でした。
これまでも場所が遠いからとかは考えずに、「自分がここでやりたい」、素直に「ここならラグビーを楽しめそうだ」と思ったところを選んできました。それがたまたま茗溪学園や同志社であったという流れですね。
—— どの時点でラグビーを本格的にやると決めていましたか?
本格的にやると決めたのは小学5年です。それまではラグビーとサッカーを並行して、ラグビーは3歳からサッカーは4歳からやってきて、小学5年まではずっとサッカー選手になりたいと思っていました。
ポジションはフォワードで、素直に点を取ることが楽しくてサッカーをやっていたんですが、小学5年の時に初めてラグビーのコーチに「スクラムハーフをやってみろ」と言われて、そこから徐々にラグビーを本格的にやるようになっていきました。
スクラムハーフをやってみて、すごく楽しかったんです。キックも蹴れるし、パスもできるし、行こうと思えば自分でボールを持って攻めることができるので、そういうところからラグビーが楽しいと思いました。
中学を受験するかどうかについて家族で話し合った時に、僕が素直に「ラグビーがしたい」と伝えたら、「中学、高校とずっとラグビーで行くんだな?」と言われ、「ラグビーでいく」と決めました。
—— そのまま大学でもやると
そうですね。自分で決めたことでしたし、「自分で決めたことに対しては絶対に諦めるな」と父親に言われていたので、最後までラグビーをしようと決めていました。その時にいつまで続けるということは決めていませんでしたが、とりあえず大学まではやろうと思っていました。もちろん社会人でもラグビーを続けたいと思っていましたし、サントリーに入ってトップリーグでプレーしたいと憧れていたので、今でも続けているんだと思います。
—— スクラムハーフの楽しさは高校、大学と変わりませんでしたか?
変わらなかったです。やっぱりラグビーは奥が深くて、課題を1つ1つクリアしていく毎にまた新たな課題が見えてくるという、尽きない楽しさがあります。スクラムハーフはその中でもスタンドオフと共に司令塔で中心になるポジションなので、常にボールを触っていられて、成長を肌で感じられたので、「ラグビーが楽しい」、「ずっと続けていたい」と思った要因だと思います。
◆本気で怒って指導してくれる
—— 沢木監督との出会いがポイントになったと思いますが、それでサンゴリアスに入りたいと思ったんですか?
そうですね。もともと東京の出身でしたし、サントリーというチームがすごくカッコよく感じていましたし、ずっとサントリーに行きたいと思っていました。小学校や中学校から、そういう気持ちはありましたが、当時は本格的に社会人でラグビーをやることなんて考えられませんでした。
大学に入ってU20で沢木さんと出会い、本気で怒って指導してくれる指導者に出会えたのが僕は初めてだったので、それが大きなきっかけになったと思います。今までは「おまえのチームだから好きにやってみろ」という感じだったんですが、沢木さんは荒削りだった自分を直してくれて、「ラグビーとはこういうものだ」、「ハーフとはこういうものだ」ということを、1つ1つ教えてくれました。
その出会いがあり、指導を受けているうちに「この監督のもとで優勝したい」と思いました。沢木さんはU20で監督を2年間やられましたが、沢木さんが監督1年目の時に僕は大学1年で、その時は4位という結果で悔しい思いをしました。そこで「本当にこの監督を勝たせたい、自分も勝ちたい」と思いましたし、1年をかけてそのための準備をして優勝できた時はすごく嬉しかったですね。
U20の遠征の最後に、沢木さんは覚えているかは分かりませんが(笑)、僕が沢木さんに対して生意気にも、「沢木さんがやっていたサントリーで僕もラグビーがしたいです。そしてもう一度、沢木さんのもとでラグビーがしたいので、サントリーに行きたいです」という気持ちを伝えたんです。
—— そのあとの大学3年や4年ではどうでしたか?
常に高いレベルでやる準備として、ノートを見返したり、常に頭の中に入れながら、沢木さんに教えてもらったことに取り組みました。それにより、大学レベルではある程度できていたと思いますが、社会人ではフォワードのコントロールやコミュニケーションの部分でも全くレベルが違いました。
いまサントリーに入って、僕がインターナショナル・スタンダードかと言われたら、まだまだ違うと思っています。そういった意味で、大学3、4年の時にもっと自分に厳しくやっていれば良かったと思っています。ただ、今は厳しい環境の中で取り組めているので、今すごく幸せな環境にいると思っています。
—— お父さんの影響も大きいですか?
父親の影響もすごくあります。父親は新聞社で以前まで広告に関係していたので、サントリーはラグビーだけではなく会社としても良くて、会社の中でのラグビー部の立ち位置もすごく恵まれた環境にあるということを教えてくれました。父親が色々な会社と仕事をしてきた中で、サントリーの「やってみなはれ」というチャレンジ精神であったり、若い人の意見が採用されたりと、明るい雰囲気でチャレンジ精神のある会社だということを聞かせてくれました。
父親は常にそうなんですが、僕は良い時にすごく良い人と出会えていると思います。スクラムハーフにしてくれた小学生の時のラグビースクールのコーチにもすごくお世話になりましたし、茗溪学園の先生にもすごくお世話になりましたし、大学の監督、そして高校日本代表に落ちてからすぐに沢木さんに出会えましたし、すごく良いタイミングでした。幸せな環境でラグビーができていると、本当に思います。
◆絶対に成し遂げたいこと
—— 兄弟は?
弟がいます。いま茗溪学園でラグビーをしています。
—— 兄からみて弟のプレーはどうですか?
スクラムハーフとして、当時の僕よりも上手いですし、すごいと思います。
—— 社会人のスクラムハーフの深さを日々感じていると思いますが、どこに面白さがありますか?
1つ1つのコミュニケーションやプレーもそうですが、やはりサントリーでは高い精度を求められていて、それによって何人も日本代表の選手がいたり、素晴らしい外国人選手がいたりすると思いますし、その中でラグビーができる、自分を磨ける、自分を成長させることができるというところに面白さを感じています。
そして、チームで成長しようと、全員が1つになって"STAY HUNGRY"という思いで取り組んでいるので、僕はそういうのが深いと思いますし、良いなと思います。
—— 今シーズンの目標は?
もちろん今シーズン9番で試合に出ることが僕の1つの目標です。そして、将来的には、日本代表になってワールドカップに出たいと思っています。これは絶対に成し遂げたいことなんです。
厳しい環境ということは分かっていましたが、僕は本当にサントリーでラグビーがしたかったですし、ここで成果を出すことが日本代表への近道だと思っています。同じポジションを争う先輩たちと毎日毎日高いレベルで練習ができていて、間違いなく成長できると思いますし、自分の夢に近づけていると思っています。
その夢を叶えることは厳しい道のりだと思いますし、まだまだ実力が足りていないということは分かっています。そういう中で、日本代表になるために準備をしているのが、すごく楽しいと感じています。
—— 目指しているワールドカップは2019年になりますか?
自分の中では2019年よりも先だと思っています。弱気だと思われるかもしれませんが、自分の現状を理解しているつもりです。ただ、目指している目標を絶対にブラさず、自分のターゲットを1つ1つクリアし、毎年毎年ステップアップしていけば、「必ず日本代表になれる」「必ずワールドカップに出られる」と、本当に思っています。
僕は、楽しんで強気にプレーしている時が、自分のプレーをしている時だと思います。そういうプレーができている時に、僕の持ち味である強気なプレーや早い球捌きが出せると思うので、そういうところを見ていて欲しいと思います。