2016年7月27日
#494 須藤 元樹 『セットプレーを極めて日本代表を目指す』
ジュニア・ジャパン、U20日本代表、高校日本代表を経験してきた、身長173cmで体重110kgの新人プロップである須藤元樹選手からは、サントリーでのレギュラー獲得とその先にある日本代表への、本気の意欲が伝わってきます。見ている人を“元気”にする選手になれる、そんな未来を予感させるインタビューとなりました。(取材日:2016年6月28日)
◆相手にぶつかって倒す
—— 素敵な名前ですね
名前の由来が、大木のように太くたくましい子に育って欲しいという願いが込められていて、だから“元樹の樹”が樹木の樹なんです。この話をすると、皆さんから「その願いどおり育っているね」と言われます(笑)。それに、社会人になり名刺を渡す機会が多いんですが、元格闘家の須藤元気さんと同じ名前で、名刺を渡すたびに、「樹が違うんですが」という話をさせてもらうので、良い名前を付けてもらい感謝しています。
—— たくましい体になったのはいつ頃からですか?
生まれた時の体重が、正確な数字までは分かりませんが、周りの赤ちゃんよりもかなり大きかったらしく、小学6年の終わり頃には100kg手前くらいまで大きくなっていました。中学1年の時から身長が今(173cm)とほぼ変わっていないので、周りの子どもと比べると大きかったと思います。
—— 相撲部屋から声が掛かりそうな体型だったんですね
東京都の中でわんぱく相撲大会があって、僕は板橋区に住んでいたので、板橋区大会で小学3年から6年まで4連覇しました。小学6年の時に東京都大会に出て、両国国技館で相撲を取らせてもらいましたが、残念ながら惨敗でした。特に相撲の稽古をしていたわけではなかったので、体の大きさを活かした力任せの相撲でしたね。
—— それだけ強ければ面白かったんじゃないですか?
僕よりも体が大きい相手がいなくて、板橋区大会の決勝でも立合いで相手がひっくり返っていたので、「勝っちゃった」という感じでしたね。
—— ラグビーとの出会いは?
幼稚園からの幼馴染がいるんですが、その友達が小学生の時からスクールでラグビーをやっていて、僕は体が大きかったので、小学6年くらいからその友達に誘われるようになったんです。当時、僕は空手をやっていて、最初の頃はラグビーをやろうとは思いませんでした。
ただ、空手は中学3年まで続けたんですが、大会で成績を残すことが出来ず、限界を感じるようになりました。皆さんがよくイメージされるフルコンタクト空手は、極真空手というものなんですが、僕がやっていた空手は顔面への打撃が禁止されているセミコンタクト空手でした。中学で限界を感じてしまったので、違うスポーツにチャレンジしようと考えるようになっていました。
そういう考えを持ち始めている時に、幼馴染がまたラグビーに誘ってくれて、同じスクールでラグビーを体験したら「面白いスポーツだ」と感じ、中学から空手と並行してラグビーをやるようになりました。
—— どういうところに面白さを感じたんですか?
相撲に共通する感覚があったと思いますが、アタックでもディフェンスでも相手にぶつかって倒すことが出来て、日常生活では経験できない感覚を味わえるところが面白かったですね。親からは「ずっと空手を続けてきたんだから、これからも続ければいいじゃない」と言われたんですが、初めてラグビーを体験し、ラグビーの競技性にはまってしまったので、「ラグビーをやりたい」と言い続けました。
ラグビーを始めるにあたっては、親から「ずっと続けてきたことを辞めるのであれば、どこかでしっかりと区切りをつけなさい」と言われたので、黒帯を取るということで空手には区切りをつけて、高校から本格的にラグビーをやるようになりました。
◆自分が一番になる
—— 本格的にラグビーをやってみてどうでしたか?
僕には妹と弟がいるんですが、礼儀作法を学ばせるという意味で、3人とも空手を習っていたんです。空手は平日の夜にやっていて、中学時代は学校と空手までの時間が空いていたので、武道に共通するという意味で、剣道部に入っていました。剣道は空手の時間までの繋ぎという感覚だったので、成績も残せませんでしたし、周りに太刀打ち出来ませんでした。
中学時代は平日に剣道と空手をやり、休日にラグビーをやるという生活でした。色々なことをやり経験することは大切だと思うんですが、僕の場合は、剣道も空手もラグビーも中途半端になってしまっていたので、ラグビー一本になってからは、ひとつのことに集中して取り組むことの素晴らしさを感じました。
—— 凝り性なんでしょうか
やると決めたことに関しては、とことんやりたいと思っています。小さい頃から、親には「中途半端で終わらせるな。やるならば自分が納得するまでやれ」と指導されてきたので、それが今でも根付いているんだと思います。
—— 高校時代に感じたラグビーの魅力は?
空手、剣道とずっと個人競技をやってきて、高校で本格的にラグビーをやったことで、初めてチームスポーツをやりましたし、高校の新人戦の時に、チームがひとつになり同じ目標に向かって取り組むというところに魅力を感じました。
他のチームスポーツよりも、ラグビーは仲間や対戦相手をリスペクトするスポーツですし、実際に試合を経験していく毎に、その素晴らしさをより感じるようになっていきました。
—— 高校時代はどういうプレーを得意としていたんですか?
今の個人としての強みが、スクラムやラインアウト、モールのセットプレーの部分で、強みだと思い始めたのが高校1年の終わりの頃からでした。強みと思えるようになったのが、高校の監督から「セットプレーを伸ばしていけば日本代表になれる」と言われたからで、元々とことん突き詰めたい性格なので、セットプレーを極めて日本代表を目指そうと思ったんです。
高校時代からは周りと比べると身長は低い方なので、体作りに関しては誰にも負けたくないと思っていましたし、他の人が休んでいる時もウエイトトレーニングをしていたので、体作りに関しては自信がありました。東京都大会、関東大会、花園と試合を重ねて行っても、スクラムやモールでは負けたことがありませんでしたし、ブロック選抜などで強い選手が集まった中でも通用していたので、セットプレーでは自信を深めていきました。そこで満足してはいけないと自分に言い聞かせていたので、スキル面なども強化していきました。
—— ラグビーを始めてからずっとプロップですか?
中学の時にはロックやフッカーを少しやりましたが、ずっとプロップです。高校の時にスクラムで押せる感覚が身について、更に面白さが増えました。
—— 高校時代を振り返るとどうでしたか?
自分の強みを発見することが出来ましたし、チームスポーツの良さ、ラグビーの良さを知ることが出来ました。あと負けず嫌いが一層強まった時期だったと思います。高校では周りのレベルが高かったので、「負けたくない。絶対に自分が一番になる」という思いで取り組んでいました。
◆自分の生きる道はラグビー
—— ラグビーを続けていこうと思ったのはいつ頃ですか?
中学3年の時です。僕はあまり勉強が得意ではなかったんですが、国学院久我山高校の監督と会うことがあり、スポーツ推薦で高校に進むことになりました。本格的にラグビーをやる時には、「やるからにはトップを目指す」と考えていましたし、「自分の生きる道はラグビーだ」と思っていました。
—— 大学は明治大学に進みましたね
フォワードでやって来たので、まずは大学でもフォワードが強いチームに行きたいと思っていました。そんな時にある人から「ラグビーだけじゃこの先やっていけないぞ」と言われて、成功している人たちを見ると、勉強もしっかりと出来る方々ばかりだと気づかされました。その言葉をきっかけに、苦手だった勉強もしっかりやり、文武両道でなければいけないと思ったんです。フォワードが強いことと、文武両道ということを考え、明治大学に進むことを決めました。
—— 大学ではどう成長していったんですか?
高校で培った負けず嫌いの気持ちや自分の強みであるセットプレーを活かそうと思い大学に入ったので、更に強みを伸ばしていこうと取り組んでいましたし、1年から試合に出させてもらいましたが、スクラムやモールでは負けていなかったと思います。
高校では高校日本代表、大学ではU20日本代表、ジュニア・ジャパンと選ばれてきたので、あとは日本代表しかないと思っていましたし、順調に成長出来ていると感じていました。このまま努力を続け成長していけば、日本代表の座も掴めるところに来ていると思えた4年間でした。
—— 今年はサンゴリアスに明治大学から3人入りました。他の2人はどういう選手だと思いますか?
駿太(中村)に関しては、本人も言っていますが、ボールを持ったプレーが得意で、そこに注目してもらいたいと思います。小林航は195cmと背が高く、僕と同じくセットプレーを強みにしている選手なので、ラインアウトやモールに注目してもらいたいと思います。
◆1番でも3番でも出来る
—— サンゴリアスでの3ヶ月を経て、自分の強みは活かせていますか?
まだ練習試合ではありますが、社会人でもスクラムでは優位に立てていると思っています。ただ、ラインアウトとモールに関しては相手のレベルが高いと感じる部分があるので、更に伸ばしていかなければいけないと思っています。
ラインアウトのリフトの精度であったり、モールでは核となるポジションでその核が崩されると良いモールは組めなくなってしまうので、その部分が現時点での課題だと思います。あと、サントリーの他の選手と比べるとフィットネスのレベルが低いと思うので、それらの課題を克服していかなければ、日本代表にも選ばれないと思っています。
プロップの選手の中には、1番と3番は全然違うという人もいますが、僕の中にはそういう感覚はありません。これまでは代表などでは1番で、チームでは3番でプレーすることが多かったですし、いまサントリーでは3番をやっていますが、チームの状況に応じて1番でも3番でも出来るという部分は強みでもあると思っています。
—— 2019年には日本でラグビーワールドカップが開催されますね
僕の中では2019年よりも、2023年をより意識しています。2019年は日本開催なので、もちろん出場したいという思いはありますが、フロントローとしてワールドカップに出場するチャンスがあるのは、2019年、2023年、2027年だと思っていて、その中で選手としてのピークを合わせられるのが2023年だと思います。
僕は大学の時に大きな怪我をしてしまい、4年の時にはほぼ試合に出ることが出来ませんでした。そのブランクがあり、マイナスからのスタートだと思っているので、選手としてのピークに持って行けるまでにはまだ時間がかかると思います。
—— 今シーズンの目標は?
まず試合に出ることが第一の目標で、試合に出るためには課題をクリアしていかなければいけないと思っていますが、その目標を達成する自信はあります。
—— 改めて感じるラグビーの魅力は?
高校時代に感じた魅力が更に強くなった感じですが、チームスポーツとしてひとつの目標に向かって全員が同じ方向を向いて取り組むという良さがある中で、ラグビーは敵味方関係なく相手をリスペクトする思いが強いところが魅力だと思います。
—— インタビューをしていて、負けず嫌いな面もありつつ冷静さがあるように感じます
やる時にはとことんやり、周りを見なければいけない状況になった時には、一歩引いて冷静さを持って対応できると思います。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]