2016年7月20日
#493 森山 雄 『ラグビーは深い』
サントリーのロック7選手は、最長200cmの新加入ジョー・ウィーラー選手を筆頭に、全員190cm以上。「社会人の中では大きい方ではない」と自覚する190cmの森山雄選手が、勝負していくポイントはどこでしょうか?初々しい新人選手にサントリーでの抱負を聞きました。(取材日:2016年6月28日)
◆ラグビーは良いぞ
—— 自分の性格は?
周りからはマイペースと言われますが、僕としては普段は穏やかで、ポジティブな性格と思っています。ただ、ラグビーをやっている時には普段とは顔が違うと言われることがあるので、スイッチが切り替わっているんだと思います。
—— ラグビーはいつから始めたんですか?
高校1年から始めました。小学校から中学校までは野球をやっていて、甲子園への憧れはあったんですが、あまり強い学校ではない中でも自分の実力であればレギュラーにもなれないと思ったので、高校では新しいスポーツに挑戦しようと考えたんです。
そういう考えを持ち始めている時に、当時ラグビー部の監督をしていた川上聡彦先生に誘っていただきました。よく学校には新入部員募集のポスターが貼ってあると思うんですが、その前で友達を待っていて、そのついでにラグビー部のポスターを見ていたんです。その時に川上先生が近くを通りかかって、「背が大きいな。何部に入るんだ?」と聞かれて、まだ悩んでいることを伝えたら「ラグビーは良いぞ。ラグビー部はどうだ」と言われました。
その時は、ルールも分かりませんでしたし、全く興味がなかったので断ったんですが、強制的に練習見学に連れていかれ、「親にも頼んでおくから」と、ラグビー部に入る方向で話しが進んでいってしまいました(笑)。ちょうど違うスポーツをやろうと考えていた時期だったので、「まあ、いいかな」という気持ちになり、そのままラグビー部に入りました
—— 先生には何か光るものが見えたんでしょうか
僕が2年になった時にも同じように「とりあえず背の大きい人に声を掛けろ」と言われたので、光るものが見えたということはないと思います(笑)。富山県はそれほどラグビーが盛んではなくて、経験者はひと学年に1人くらいしかいなかったので、未経験者でも背が高かったり、体が大きい人にはどんどん声を掛けていたんです。
—— 高校1年生の時にはどれくらいの身長だったんですか?
入学した時には185cmくらいだったと思います。体重は65kgくらいしかなくてヒョロヒョロだったんですが、ラグビーを始めて35kgくらい増えました。
ラグビーを始めるまでは、身長が大きい方が有利になるポジションがあることさえも知りませんでしたが、身長が大きかったから川上先生から声を掛けてもらえたと思いますし、今サントリーにいることが出来ているんだと思います。将来、過去を振り返った時に、高校でラグビーを始めたということは、大きなターニングポイントだったと思っています。
—— ご家族も身長が高いんですか?
父親が170cmくらいで、母親も160cmくらい、姉も155cmくらいで、僕だけが大きくなりました。
—— ラグビーを始めてから35kg増えたということですが、どうやって体重を増やしたんですか?
中学校までは食が細くてなかなかたくさんの量を食べられなかったんですが、先輩から「体重をもっと増やせ」と言われましたし、ラグビーをやるためには体重を増やすことの必要性を感じたので、母親にお願いをして毎朝お弁当を2つ作ってもらって、午前中に1つ、お昼に1つ食べていました。そして練習前に補食、家に帰ってからはラーメンの丼に山盛りのご飯を食べていました。夜ご飯はなかなか食べ終わらずに2時間くらいかけて食べていて、少しずつ体重が増えていました。
◆監督に感謝
—— 初めてラグビーをやった時にはどういうことを感じましたか?
色々な体型の人が一体となってボールを繋いでいくスポーツだと思いましたし、試合が始まれば選手の判断に任される部分が他のスポーツよりも大きいと感じで、続けていくうちに面白いと感じるようになっていきました。
個人競技であれば、これだけ続けることは出来なかったと思います。ラグビーはグラウンドに立てる選手は15人ですが、チームの中には更に多くの選手がいて、全員が一丸となり大変なトレーニングに臨んでいるので、誰かが頑張っているから自分も頑張れると思えますし、そこが今でもラグビーの魅力だと思っています。
プレーに関しては、背が大きかったのでラインアウトが得意で、好きなプレーのひとつでした。社会人では大きい方ではありませんが、今でも持ち味だと思っていますし、こだわりたいプレーのひとつです。
—— ラグビーを続けていくうちに、体重以外に課題と感じていた部分はありましたか?
まずはルールも分からなかったので、様々なカテゴリーの試合を見るようにしました。最初は漠然と「こういうプレーをしてみたい」という感覚で、目立つようなプレーばかりを見ていましたね。
—— 大学でもラグビーを続けようと思ったのはいつ頃でしたか?
高校2年の頃に監督から「そろそろ大学についても考えるように」と言われたんですが、その時にはまだ「大学でもラグビーをやりたい」という思いしかなく、どこの大学に行きたいかということまでは真剣に考えられていませんでした。
そんな時に監督からまた突然、「同志社大学の練習に行くぞ」と言われて、車で富山から京都まで連れて行ってもらい、大学生の中に僕1人だけが混ざって、パスやフィットネス、ラインアウトの練習に加わらせてもらいました。それがきっかけで、同志社大学に進むことになりました。
—— 同志社大学の練習に参加してみてどうでしたか?
同志社には僕が1年の時にキャプテンをやっていた先輩がいましたし、周りのレベルが高い上、とけ込みやすい雰囲気があったので、それで同志社に行きたいという気持ちになっていきました。ラグビーを始めるきっかけも、同志社に入るきっかけも監督が与えてくれたので、本当に感謝しています。
◆同志社でスタートラインに立った
—— 同志社大学に入ってみてどうでしたか?
同級生には今クボタにいる北川や高校日本代表選手たちがいて、スキルレベルやラグビー偏差値が高くて、そういう選手たちと比べると、僕は素人に毛が生えたくらいと感じました。また、練習の内容も、高校時代は選手が考えて取り組むことが多かったですし、ウエイトトレーニングもやりたい人が練習後にやるという感じだったので、内容も全く違いましたね。
同志社でラグビーをやることによって、ラグビー選手としてのスタートラインに立ったと思いましたし、サントリーに入った今でも学ぶことがたくさんあります。
—— 大学時代に一番印象に残っている試合は?
1年の時の大学選手権2回戦で、帝京大学との試合をスタンドから見ていて、その年は帝京大学が3連覇をした年だったんですが、試合終了間際まで同志社がリードしていたんです。その試合は後半の途中からスタンドにいる部員全員が号泣しながら応援していました。試合が終わってからも、その後の懇親会でも泣いて、その日はずっと泣いていたような気がしていて、印象に残っています。
—— 大学に入った時には社会人でのラグビーをやろうと思っていたんですか?
入学した時にはトップリーグでプレーするのは夢としか思えていなくて、全く現実味がありませんでした。同志社でトップリーグのチームに入る人は、毎年だいたい1学年1人~3人くらいなんですが、学年が上がっていく毎に先輩たちがトップリーグのチームでプレーする姿を見るようになって、少しずつ自分もトップリーグでプレーしたいと思うようになっていきました。
—— ポジションはずっとロックですか?
高校の時にはバックローなどもやっていましたが、大学からはずっとロックでプレーしています。
◆「やってやろう」という気持ち
—— サントリーに入ることになったきっかけは?
まず大学4年の開幕前に他のチームから声を掛けていただいたんですが、最終学年の開幕前に「来年からは社会人でラグビーが出来る」という保険を掛けたくなかったので、そのチームにはお断りをさせていただきました。
そして年末くらいになって、リーグ戦の最終戦の前で、最終戦に勝っても負けても優勝出来ないという状況の時に、監督から「明日サントリーの方が来てくれるから話をしなさい」と言われたんです。ただ、その時には、他に有名な選手がいましたし、僕の1つ下の学年の選手を見に来ると思っていました。
次の日に本当に大久保さん(尚哉/採用兼普及)が同志社のグラウンドに来てくれて話をしたんですが、話が終わっても信じられなくて、半信半疑な状態でした(笑)。周りに相談をしながら真剣に考えて、日本一を狙えるチームで自分の力を試したいと思いましたし、ラグビー選手としてもっと成長したいと思ったので、サントリーに入ることを決めました。
—— 社会人でチャレンジしようと思った自信の元は何ですか?
正直、大学生の時には社会人でも通用するという自信はありませんでしたが、大変だということは分かっていたので、「やってやろう」という気持ちしかありませんでした。
—— 実際にサントリーに入ってみてどうですか?
レベルの高い環境でやらせてもらっていますし、実際に練習試合などにも出場させてもらって、更に頑張らなければ周り選手たちには追いつけないと思っています。
—— 自分の強みは活かせていますか?
ラインアウトにこだわりつつ、他の人との違いをどうアピールしていくかということを考えながら取り組んでいます。コーチたちからは「もっと激しいプレーを出していけ」と言われているので、激しいプレーをしつつ運動量や仕事量でアピールしていきたいです。
—— 大学と社会人の違いなどは感じていますか?
大学時代も頑張ってきたつもりでしたが、社会人でやってみて、頑張るというレベルが低かったと感じています。いまサントリーではインターナショナル・スタンダードを目指していますが、大学までは同志社スタンダードの中で満足していたと思います。
◆ワークレートで光る選手に
—— 家族はどのように応援してくれていますか?
試合が終わってから気づいたんですが、父親が先日のリコーとの練習試合に富山から来てくれていました。大学の時も、僕は2年から試合に出させてもらっていたんですが、ほぼ毎週、富山から車で応援に来てくれていましたし、「富山から京都までのインターチェンジの名前を全て覚えた」と言っていました(笑)。
—— いま感じるラグビーの面白さは?
ラグビーは深いと思っています。高校から大学に進んだ時も「ラグビーにはこういう考え方もあるのか」と感じたんですが、社会人になってからも新たな発見があるので、レベルが上がるにつれて面白さが大きくなっています。僕は他の選手と比べると、まだまだ経験が少ないと思うので、経験を積むことによって更に成長出来ると思っています。
—— 今シーズンの目標は?
やはり試合に出て、日本一になる時にはグラウンドに立っていたいと思っています。その目標を達成するためにはまだ力不足だと思うので、どこを伸ばさなければいけないのかというところを更に考え取り組まなければいけないと思っています。そのためには、体をもっと大きくしなければいけませんし、コーチたちがインターナショナルのレベルを数値で示してくれていて、その数値がゴールではなく、その先もあると思うので、まずは現在設定されている数値を早く達成しなければいけないと思います。
あとはラグビーに対する考え方であったり、サントリーのラグビーをしっかり理解して取り組むことが大切だと思うので、試合の映像などもそういうことを考えながら見るようにしています。そして、メンタルの部分でもインターナショナル・スタンダードにならなければいけないと思っています。
—— どういう選手になっていきたいですか?
ワークレートで光る選手になっていきたいです。
—— 会社の仕事とラグビーの両立は上手く出来ていますか?
入社直後は大変でしたが、今はもう社会人の生活リズムに慣れました。サントリーという会社があってのサンゴリアスだと思っていますし、職場の方からも応援してもらっているので、ラグビーだけじゃなく、仕事もしっかりとやらなければいけないと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]