2016年6月22日
#489 中村 駿太 『ボールタッチが多い時は気持ち良くプレーしている時』
今年の新人スピリッツ登場第1号は中村駿太選手。転向する前のスタンドオフの資質を、今も大切にしているフッカーとして、セットプレー以外での活躍も期待したいと思います。(取材日:2016年6月7日)
◆どんなラグビーをやりたいか
—— 明治大学でキャプテンを務めていましたが、自分ではどういうキャプテンだったと思いますか?
プレーで引っ張るということはもちろんですが、組織の中でしっかりと真ん中に入って、他の人を上手く使ってチームをコントロールすることを心がけていました。
—— どういう経緯でキャプテンになったんですか?
基本的には監督からの指名です。その中で、それぞれの学年にリーダーがいて、僕は3年の時に学年リーダーをやらせてもらっていたので、4年になった時には自分がキャプテンになるんだろうなと思っていました。
そういう思いがある中、3年の大学選手権で、筑波大学に負けてその年のシーズンが終わったんですが、その後に小村ヘッドコーチに呼ばれて、「お前しかキャプテンはいないから、自分の覚悟が決まった時に監督に言いに行きなさい」と言われました。その後から色々な人に話を聞きに行ったり、自分の中で考えたりして、最後は自分から監督に「キャプテンをやります」と伝えに行きました。
—— キャプテンをやることを決めた思いは?
これまでのキャプテンを見てきて、「大変なことが多い」と感じていたんですが、やりがいであったり、自分の成長のためであったり、あとチームが日本一になるために、僕がキャプテンをやれば、その目標が近づくんじゃないかと思ったので、キャプテンをやりました。
—— 実際にキャプテンをやってみて、どうでしたか?
正直、大変な時期もありましたが、今振り返ってみると、本当に良い経験が出来たと思います。チームの中に学生の幹部がいて、「どんなラグビーをやりたいか」「寮生活の決まりはどうするか」「チームで一番こだわる部分は何か」ということを話し合ったんですが、チームが始動した最初の頃は、その話し合いで決めたことと、スタッフとの間にズレがあって、そのズレを埋めることに時間がかかり大変でした。
—— どのくらいでズレが解消されたんですか?
時間と共に徐々に解消されていきました。僕らの代は「自分たちでしっかりと考えて、スタッフにも意見を言って、自分たちのやりたいラグビーをやろう」という考えだったので、僕らの意見や思いをどんどんぶつけて、それを繰り返すことによって、ズレが埋まっていきました。
春シーズンは結果が出ず、内容もあまり良くなかったんですが、6月中旬頃からやってきたことが形として表れるようになってきました。結果が出ると、「これを信じてやり続ければ」と思えるようになり、そこからまとまることが出来たと思います。
◆人を活かすプレー
—— なぜ自分たちで考えてやろうと思ったんですか?
やっぱりグラウンドでプレーするのは僕らなので、選手が考えて動けなければいけないと思いました。実際にそういう取り組みをすることでチームの雰囲気もガラッと変わりましたし、大学選手権ではベスト4までしか進めませんでしたが、形にはなったと思っています。
—— キャプテンをやったことで良かったことは?
まずは人前でしっかりと話せるようになったことです。それまで話せないということはありませんでしたが、焦って一気に話してしまうところがあったので、そこが成長したと思います。あと、課題であったり、チーム内の揉め事であったり、そういうことを解決していくことで、人間としても成長できたと思っています。
—— 他の人を使ってコントロールするやり方は、いつ頃から出来るようになったんですか?
自然と出来るようになっていきました。キャプテンになった最初の頃は、周りを見過ぎて自分のプレーが中途半端になってしまい、注意されたことがありましたが、そこからは上手く調整しながら取り組むことが出来るようになったと思いますし、チーム全体を見て取り組むことを心がけていました。
—— ラグビーで言えば、10番や15番のようなスタイルですね
僕のラグビーのプレースタイルは、自分で仕掛けることもありますが、人を活かすプレーも出来るところが強みだと思っているので、そういう部分がキャプテンとしても活きたと思います。
—— フッカーというポジションではセットプレーも重要になりますね
スローイングの精度やスクラムの強さであったりコントロールの部分は、まだまだ成長しなければいけない部分だと思っているので、先輩たちを見たり、トップリーグでの試合を経験して、学んでいきたいと思っています。
◆ボールを持つプレーが得意
—— 今年のルーキーは4人ですが、そのうち、中村選手も含め明治大学から3人入りましたね
U18からずっと一緒で、気心を知れた仲間ですし、お互いのことを知り尽くしているので、そういう選手が同期にいるのは、僕にとっては心強いですね。
—— サンゴリアスに入ろうと思ったきっかけは?
僕はボールを持つプレーが得意なので、サントリーのアグレッシブ・アタッキング・ラグビーは、僕の強みを活かせると思いましたし、明治のコーチに元さん(申騎/サンゴリアスOB)がいて、色々と教えてもらっている中で、熱い人だと感じましたし、自分のやっていることにプライドを持っていると感じたので、「僕もこういう大人になりたい」と思いました。
あとは、U20日本代表の時に沢木さんがヘッドコーチをされていて、その時に本当にラグビー選手として成長させてもらい、もう一度「成長させてもらった人の下でラグビーがしたい」と思ったので、サントリーに入ろうと思いました。
大変なことをすることによって成長できると思いますし、なおかつ現役のうちから仕事もしっかりとやらせてもらえることがサントリーの魅力でもあると思うので、そういう環境で取り組みたいという思いがありました。
—— 現時点での課題と、これからどういう選手になっていこうと考えていますか?
フィットネスやストレングスの部分、あとセットプレーの部分は、まだまだトップリーグでも通用しないレベルだと思うので、そこが課題だと思います。現時点で、少しずつ数値は良くなってきていますが、まだまだ求められているレベルや、自分が目指しているレベル、同じポジションの先輩のレベルとは開きがあるので、その開きをしっかりと埋めていきたいと思います。
その課題をクリアしていき、アタックでもディフェンスでも、しっかりと基礎が出来ていて、その上で、臨機応変なプレーが出来るような選手になりたいと思っています。
◆家の中にラグビーボールが転がっている
—— ラグビーを始めたのは何歳からですか?
小学1年生の時に親にラグビースクールに連れて行かれて、そこからラグビーをやっています。
—— ラグビーを初めてやってみてどうでしたか?
最初の感覚は覚えていませんが、気づいた時にはハマっていました。
—— ハマるきっかけみたいなものは覚えていますか?
父親がラグビーをやっていて、家の中にはラグビーボールが2~3個転がっている感じで、生まれた時からラグビーは身近な存在でした。父親も明治大学で、バイスキャプテンとして大学選手権で優勝を経験しました。だから、自分の中に自然とラグビーが入ってきました。
他のスポーツは、野球とサッカーを少しやりましたが、ハマったのはラグビーだけでした。常にラグビーが近くにあったので、ラグビーをやるのが当たり前のような感じがありましたし、父親の作戦通りに進んだんだと思います。しかも父親もフッカーでした。
—— お父さんからプレーについて何か言われたことはありましたか?
大学1、2年生の時には、「もっとこういうことをしないと」とか「こういうプレーはどうだ」とか言われていましたが、今は特に言われなくなりました。
—— この先もラグビーを続けていこうと思ったのはいつ頃ですか?
高校に入る時です。高校は桐蔭学園に進んだんですが、そこからは続けられるまでラグビーをやっていこうと思いました。中学の最初の頃まではラグビースクールでやっていたんですが、スクールのコーチに「高校でトップレベルを目指すのであれば、中学の部活で毎日やった方が良い」と言われて、ラグビー部がある中学に転校したんです。
—— その時に感じていたラグビーの面白さは?
当時はスタンドオフをやっていて、その時から自分で仕掛けるプレーも好きでしたし、他の人を活かすプレーも好きでした。
◆父親もフッカー
—— スタンドオフからフォワードにポジションが変わったのはいつですか?
高校からです。高校に入る前に、監督とフォワードコーチと面談をして、そこに父親もいたんですが、そのフォワードコーチが高校の時に、父親がいた明治大学に練習に来ていたそうです。最初は僕のことをバックローで使いたかったそうなんですが、フォワードコーチも父親もフッカーだったので、その面談をきっかけに「フッカーになれ」と言われて、それ以来フッカーです。
僕はフランカーやNo.8にカッコよさを感じていたので、バックローをやりたかったんですが、今となってはフッカーをやっていて良かったと思います。バックローであれば、トップリーグのチームには入れなかったと思いますし、もしかしたら大学でもプレー出来なかったかもしれないと思います。
—— フッカーの面白さは?
桐蔭学園の場合は、セットピース以外は自由に動かせてもらっていたので、そこに面白さを感じていました。監督もコーチも、僕のボールスキルについては評価してもらっていて、僕がボールキャリアーになるような戦術を作ってくれていたので、やっていて面白かったですね。
—— お父さんは喜んでいますか?
大学の時もずっと試合を見に来ていたので、喜んでいると思います。サントリーの練習試合にも、両親が見に来てくれています。僕の母親が小林(航)の母親と仲が良くて、家族ぐるみで仲が良いので、一緒に来て試合を見ていたりしています。
—— サンゴリアスに入って、何か言われたことはありますか?
母親から「初任給をもらったら、何かプレゼントしなさい」と言われました(笑)。父親からはお金をもらうという意味であったり、「大学よりも大変なことが増えると思うけど、しっかりと目標に向かって毎日頑張りなさい」というLINEを4月1日にもらって、少し泣きそうになりました。
◆気遣いとアンテナ
—— 自分はどういう性格だと思っていますか?
自分の中では優しい人間だと思っているんですが、周りからは「冷たい人間だ」と言われていました(笑)。キャプテンをやっていて、同じ人が何度も同じミスをしていた時に「そういう人はこのチームにはいらない」ということを言っていたので、僕の立場としては言わなければいけないと思っていましたが、周りからは冷たいと言われたことがありました。
もちろん人によっては言い方を変えますが、言わなければいけないことは言うべきだと思っているので、そこは役目として厳しいことも言っていました。ただ、その中で、周りの状況を見ることが大切だと思います。他に厳しく言う人がいるのであれば、僕はその選手をポジティブな方向に持って行けるように取り組むようにしていました。
—— これまでのラグビー人生の中で、尊敬している人、感謝している人はいますか?
親にも感謝していますが、桐蔭学園の監督、コーチなどスタッフ陣には、僕のラグビーの基礎を作ってもらったと思っているので、とても感謝しています。尊敬している人は、明治の監督の丹羽さんです。丹羽さんには僕のメンタルの部分も、チームの運営の部分も、本当に色々な部分でお世話になりました。
—— その人たちから学んだ部分を、どういう場面で活かしたいですか?
気遣いとアンテナの部分は本当に勉強になりました。人を見る力にもアンテナを張っていることが大切になりますし、何か違うことが起きているということを察知するのもアンテナが重要になります。桐蔭学園のスタッフ陣も丹羽さんもその力がある人だと思っていて、キャプテンをやっていた時にも、その部分を意識して周りを見るようにしていました。
サンゴリアスでは、今は練習についていくことに必死で、その経験を活かしきれていないとは思いますが、自分の立場、立ち位置をしっかりと確立できた時には、その経験を発揮して取り組んでいきたいと思います。
◆どこで差別化を図っていくか
—— 1年目のシーズンの構想は?
まずは、今年1年で先に話した課題をどれだけクリアできるかにかかってくると思います。課題に対してチャレンジしていくとともに、しっかりと練習からアピールしていき、1年目からレギュラーとしてトップリーグの試合に出たいと思います。
—— 自信はありますか?
そこで無いと思ってしまったら、果たせられないと思いますし、自分の中で常に達成できるという自信を持ってやっていきたいと思います。あとは、僕の一番の強みはボールスキルの部分なので、その部分では負けられないですし、自分の強みを活かして、他の先輩たちとの差別化が図れれば、試合に出ることは不可能ではないと思っています。
—— 今シーズンの目標は?
チームがターゲットにしている2冠を果たせるようにしたいと思います。昨シーズンは9位という成績でしたが、僕としたら全く関係ないと思っていて、今シーズンは日本一になるという目標と、それに向けた準備、練習の部分がしっかりとマッチしていると思うので、その目標を達成する自信はあります。
—— 将来的な目標は?
日本代表に選ばれることが目標ですし、同い年の坂手(淳史/パナソニック)と橋本(大吾/東芝)が先日のアジアチャンピオンシップで代表のキャップを取ったので、早くそのレベルに追い付きたいと思っています。
—— 2019年にはどういうイメージを持っていますか?
ワールドカップに出たいと思いますが、サントリーでしっかりとレギュラーを取って、アピールをすることがその道に繋がっていると思うので、まずはサントリーでしっかりと結果を出したいと思います。
—— ファンにはどういうところを見てもらいたいですか?
ボールタッチが多い時は気持ち良くプレーしている時だと思うので、そういうプレーが出ているかどうかを見ていてもらいたいと思います。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]