2016年3月16日
#475 金井 健雄 『自分は何が出来るのか』
8年間で82キャップという成績を残して、サンゴリアスを去ることになった金井健雄選手。自ら「身体能力では劣っている」と語るプロップは、どんな方法で、そしてどんな思いでサンゴリアスの一員として戦ってきたのでしょうか。その静かな佇まいに隠された熱き闘志に迫ってみました。(取材日:2016年3月2日)
◆もともとポジティブ
—— 2015-2016シーズンを持ってサンゴリアスを離れることになりましたね
若い選手たちに挑戦するチャンスを作りたかったということと、自分としても新しいチャレンジをしたかったので、色々と考えた末、チームを離れることにしました。
—— サンゴリアスでの8年間はどうでしたか?
最後の2年間は悔しさというよりは、チームの方向性について質問を投げかけられていたようなシーズンだったと思います。チームが上手くまとまれていないことを、みんなが感じていたと思うんですが、解決の仕方が人それぞれになってしまっていたと思います。
ただ、サントリーというチーム自体が、そうやって勝ってきたチームではないと思います。パナソニックを見ると、選手が主体的にコミュニケーションを取っていることが多いと感じますが、サントリーの場合は、優秀な指導陣から与えられたものに対して100%取り組むという形の方が強かったんです。そういう意味で、今回は考えさせられたので、選手も主体性を持って取り組むことが大切だと感じました。
—— 最後の2年間については難しかったんですね
選手たちが動き始めた2年だったんですが、結局は新しいDNAが加わったわけではなかったので、試行錯誤の年だったと思います。
—— チームが上手くまとまっていたシーズンもありましたよね
自分たちで正しいラグビーが分かっていたと思います。結果的には自分たちが作り出したラグビーなんですが、それは選手たちが生み出したわけではなくて、ヒントをくれたのは監督やコーチだったんです。
そういう状況ではなくなった時に、選手たちが創造性を出せるかどうか、自分たちの力でまとまるかどうか、そういうところが出来なかったと思います。その意味では、強い時と弱い時の雰囲気を感じることが出来たと思います。
—— そういう時にはどういうところが大変で、どういうところが面白いんですか?
私はもともとポジティブなので、面白いとしか思わなくて、課題をずっと考え続けるシーズンになったことというのは、みんな1人1人にとっては良いことだったと思いますし、チームを離れることになった私たちにとっても、今後の人生においては相当の意味を持つと思います。
—— チームの中でリーダーシップを発揮したりしていたんですか?
全体に対してのリーダーシップを発揮するということは出来ませんでしたが、部分部分でしっかりと教えられるところは教えられたと思っているので、後輩に対して何かをしてあげられなかったという思いはありません。
—— 大学ではキャプテンを務めていて、社会人でもキャプテンやリーダーをやりたいという思いはありませんでしたか?
やりたいという思いはありましたが、結局は役職が与えられたからやるということではなくて、1人1人がリーダーの自覚を持って日々行動して、積極的に取り組んでいくべきだと思いますし、そういうことが多ければ多いほど、チームはまとまると思っているので、あまり役職のことは意識していませんでした。
◆目指してきたところにたどり着けている
—— 大学の時に考えていたイメージと比べて、社会人として活躍できたと思いますか?
もともと社会人でもあまり出来ないだろうと考えていた中で、試合にも出させてもらいましたし、それなりには良かったのかなと思いますが、最後のシーズンを9位で終えたことが悲しいですね。
—— 考えていたよりも出来た要因は何だと思いますか?
やっぱり環境ですかね。慶應の時には慶應の物差しで社会人チームを見ていて、この人たちと戦っても厳しいだろうと思っていたんですが、社会人の環境に入って取り組んでいけば、それが当たり前になっていくんです。そういう意味では、自分をどんどん厳しい環境に置くということが凄く大事なんだと思います。
—— 大学時代に社会人でもラグビーを続けようと思ったのはいつ頃でしたか?
社会人でもラグビーを続けようという気持ちは、最初はあまりなくて、就職活動をしてある銀行から内定をもらっていたんです。その時にはラグビーに対して、少しくすぶった思いがあって、どうするかを悩みましたね。
その中で、大学でラグビーを辞めて、それからずっと仕事をし続けることが想像できなかったんです。だから、最初ラグビーを続けると決めた時には、猶予期間というイメージの方が強くて、ラグビーを続けることによって人生においての岐路を先延ばしにして、今後の人生を決めていく時間を設けようと考えたんです。ラグビーを続けていた方が選択肢は多いと思いましたし、今振り返ると、その選択は良かったのかなと思います。
—— なぜサントリーだったんでしょうか?
慶應の監督がサントリーOBの林雅人さんだったので相談をしたら、当時サントリーで監督をしていた清宮さんに話をしてくれて、そこから話し合いながらサントリーに入ることを決めました。
—— その選択は良かったと思いますか?
違う選択をした人生を味わっていないので何とも言えませんが、後悔などは全くありません。「ああしていれば」「こうしていれば」と考えると何も始まりませんし、戻りたいというよりも、ここからどうしたいかという思いが強いですね。今からだって何でも出来ると思っています。
—— 社会人でも通用すると感じたきっかけはあったんですか?
ラグビーというよりも、私がこれまで歩んできた人生で、大した功績などは残してきていませんが、学校や組織の中で頭の良い部類ではありませんでしたし、スポーツが出来る部類でもなかったんですけど、意思は強い方だと思っていて、「ここにたどり着きたい」と目指してきたところに、今のところはたどり着けているんです。
高校でも入ることが無理と言われていた学校に入ることが出来ましたし、大学でも「慶應には入れない」と言われていたところを一浪して入りました。当時は慶應のラグビーが出来る実力もなかったと思いますが、気づいたら試合に出させてもらっていたので、意思強くチャレンジしていけば、目標は叶っていくのかなという思いがありました。理由は特にないんですが、とにかく気持ちだけは強く持っていました。
—— 気持ちが更に強くなったということはありますか?
強くなったというよりは、それを積み重ねていくうちに、自分の感覚は間違っていないんだとは思いました。結局、自分の感覚というのは、感覚だけの問題ではなくて、考えた上で出てくるものだと思っています。自分の中で熟成されたものが、感覚として脳が出してくれたものだと思うので、それに従っていいのではないかという考えがあります。
◆選手同士を繋げる役目の選手
—— ラグビーでの自分自身の特徴は何だと思いますか?
他のポジションの選手と比べたら、力はある方だと思いますが、身体能力では劣っていると思います。ただ、その中でも状況などをしっかりと読んで、1、2歩でも相手よりも先に動ければスピードがある選手にも勝てると思います。頭を使って、気を遣って、ということを意識して、スタープレーヤーにはなれないですけど、痒い所に手が届くというか、チームを上手く回すための潤滑油になれればと思って取り組んでいました。
例えば、ディフェンスではあるポイントが埋まっていなければ、そこを埋めに行くとか、試合をしっかり見て、ここが抜かれそうだというポイントにしっかりと走り込んで行くとか、チャンスだと思ったところでギアをチェンジするとか、そういうちょっとしたことをやっていました。
—— そういうところを鍛えるためにはどうすればいいと思いますか?
試合を経験することと、見ることと、あとは常に周りを把握することだと思います。
—— 周りを把握しながらプレーするためには、冷静でなければいけませんよね?
どちらかと言うと、試合中に決めるのではなくて、試合前に決まっていることの方が多いと思います。試合のメンバーを見て、フォワードの中にボールキャリーが好きなメンバーがたくさんいた時には、自分がボールキャリアーになる必要はないと思っていました。
自分がしっかりと仕事をしてボールを出し、ゲイン出来る人がどんどんボールを持てば、それで試合が上手く回ると思います。選手1人1人が自分の特性だけを活かしてやっていたのだとしたら、それではチームは上手く回らないと思います。だから、選手同士を繋げる役目の人がどれだけチームの中にいるかが大切になると思います。
メンバー選考の段階で、選手同士を繋げる役目の選手を配置すればいいと思うんですが、それだけではありませんし、そこには経験や色々な要素が加わってきます。他人に対して影響を及ぼせる人間を、出来るだけ多く配置することが大事だと思います。
—— 選手同士を繋げられる選手は他に誰だと思いますか?
同期の長友とかは、ディフェンスで外から声を出しているので、内側の選手も積極的に前に出られると思います。それを身につける方法は伝えづらいところではありますが、その時その時の状況をしっかりと伝えられるかどうかで、全然変わってくると思います。
◆15分の1になれる選手
—— サンゴリアスでは82キャップでしたが、100キャップを取りたかったという思いはありませんか?
それはないですね。最初の頃は自分の体の状況を掴めずに怪我を毎年繰り返していたので、妥当な結果だったと思います。
—— 82キャップの中で最も印象に残っている試合は?
4年か5年前に、調子が良かった時に前十字靭帯を切ってしまったことですね。それによって色々な未来がズレたりしましたが、ポジティブなので、それほど深く考えずにいたと思います。でも、怪我をしなかったら、他にも色々なチャンスがあったかなとは思いますね。
—— 日本代表キャップは4でしたが、印象に残っていることはありますか?
日本代表では周りについて行くことで精一杯だったので、何か鮮明な記憶があるわけではありませんが、「ここからチームのことを考えてやろう」と思っていたら日本代表を外されてしまったり、怪我をして選ばれなかったりしました。そういう意味では、もう少し日本代表にいたかったと思います。
—— サンゴリアスのメンバーへのメッセージをお願いします
まず1つは、強かった時代はありましたが、それはもう無いものとして考えてもらいたいです。2シーズン前も日本選手権で決勝までは進みましたが、トップリーグではプレーオフに進めませんでした。結果が全てであり、ここ3シーズンはタイトルを取れていないわけです。時代も変わって、ラグビーも変わっている中で、簡単には「2冠を取る」とは言えないと思います。
そういう状況で、自分たちも良い方向に変わっていかなければいけないんです。そういった時に、チームが良い方向に進んでいくために、自分は何が出来るのかをしっかりと考えてもらいたいと思います。チームの中での自分の役割を探してもらいたいですね。いかにチームの中で15分の1になれる選手が増えていくかが重要だと思います。
—— そういう選手が増えていくためには、どうすればいいと思いますか?
意識で変わると思います。人間なので、これまで経験してきた中でしか物事を考えられないことが多くて、考え方の根本を変える必要があるかもしれません。挫折を知らない人が挫折した時にどうするかというイメージですね。ただ、遅すぎるということはないと思うので、9位だったという結果をどう捉えるかが大事だと思います。
「不本意な9位」と思っている人がほとんどだと思いますが、「この順位でいるチームではない」と思っているのはチームの外の人たちだけで良いと思います。チームの中にいる人たちは、「自分たちは9位のチームだ」というところからスタートしなければいけないと思いますし、それくらいの謙虚さが必要かもしれません。誰もが実力があると思っていると思いますし、私もそう思うんですが、それを過信しないで欲しいと思います。
—— サントリーという会社に対してはどういう思いがありますか?
8年間出来たのは、サントリーというチームがあったからですし、その中で、社会人としての生き方を学ぶことが出来る出会いが多かったと思います。チームとしても優秀な人材が入ってきますし、仕事に関しても優秀な人材、一流な経営者と直接話すことが出来るので、両面で素晴らしい人たちと話す機会が多かったと思います。
組織の中のいち個人として仕事をして、課長や部長など役職ある方たちを見ながら一流の経営者の方たちと話をすることと、何も経験がなくゼロの状態でそういう人たちと話をすることとでは、吸収できることが変わってくると思います。そういう意味では、仕事をしながらラグビーが出来たことは、自分にとって凄く財産になったと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]