2015年3月18日
#421 平 浩二 『ラグビーって、面白いね』
社会人10年目のシーズン、今シーズンは出場ゼロだった平浩二選手。どんな思いでシーズンを過ごし、これからのサンゴリアスに、そして若手に、どんな思いを持って引退するのでしょうか。「平浩二引退記念ロングインタビュー」です。(取材日:2015年3月10日)
◆吹っ切れていた
—— 2014-2015シーズンはどんなシーズンでしたか?
シーズン前の怪我でラグビーが出来る状態ではなかったので、シーズンの途中からは吹っ切れていました。昨年の5月に怪我をして、最初の診察の時には、セカンドステージ頃には復帰出来るかもしれないという感覚だったんですが、怪我の箇所が治りにくいところで、思うように復帰まで行くことが出来ませんでした。
—— 怪我の状態は?
すねの太い方の骨(脛骨)が真っ二つに折れてしまいました。その骨が折れるのは人の力では到底無理で、交通事故レベルの力が加わらなければ、真っ二つには折れないそうです。折れる前にその骨折した箇所がずっと痛かったので、たぶんヒビが入っていたんだと思います。
—— 怪我をした状況は?
タックルされた時に相手の肩が入ったんです。「痛い」と思って倒れたんですが、外からの見た目は何もなっていなかったんで、そのまま立ち上がったら、骨がズレるような感覚があって、すぐにまた寝転んだら、近くにいた太一(田原)が笑顔で近寄ってきたんです(笑)。僕はよく試合でも打撲をしていたので、太一が「打撲?打撲?」って聞いてきたんですが、僕としては脱臼だと思っていて、「外れた」と言ったら、太一が顔面蒼白になっていたのを覚えています。
—— どのくらいまで治ってきましたか?
今は、タッチフットくらいは出来るようになりました。骨って折れると、強くなって治るそうなんですが、完全にくっつくまでにはあと5ヶ月くらいかかるみたいです。
◆後輩に出て欲しい
—— 来シーズンも現役を続ければ、復帰出来ていたんじゃないですか?
来シーズンも続ければ復帰は出来ていたと思いますが、現役を続ける気持ちがなくなっていました。理由はいくつかあると思うんですが、1つの理由としては、自分はプロラグビー選手ではないということがあります。それに加えて、若い頃は怪我などで試合に出られずに、スタンドから試合を見ていると、「自分が出場していたらこういうプレーをしたい」「早く復帰したい」とか、色々と考えていたんですが、今シーズンに限っては、そういう気持ちがあまり出てきませんでした。
—— 仕事が忙しくなってきているんですか?
忙しくなってきていることもありますし、年齢も考えなければいけなくなってきました。「ラグビーを引退してからいくらでも仕事が出来る」と言われることもありますが、ラグビーをしてきた分、やはり会社の同期よりも遅れを取っていると感じています。
—— 早く復帰したいという気持ちにならなかったのはなぜですか?
「後輩たちに試合に出て欲しい」という気持ちの方が強くなってきて、そうなると「僕は選手として必要ないんじゃないか」と感じました。自ら後輩にポジションを譲るという気持ちはありませんでしたし、やるからには出たいというタイプなんですが、今シーズンは怪我で試合に全く出られなかったので、そういう気持ちになったんだと思います。
もともと「後輩に出て欲しい」という気持ちと「自分が出たい」という気持ちがありましたが、これからのサンゴリアスのことを考えると、7対3くらいで「後輩に出て欲しい」という気持ちが強くなりました。
—— 平選手の期待通りに、後輩たちは成長していますか?
松島幸太朗がいて、村田大志がいて、ポテンシャルNo.1の江見翔太(笑)、あと大島佐利もポテンシャルがあると思います。十分成長してきてくれていると思います。
—— 平選手が後輩たちにアドバイスや指導をすることはありましたか?
そこは後輩たちに申し訳なかったと思うんですが、僕は伝えるのが苦手なんです。上手く伝えられない上に、練習に参加出来ていない僕が、ああだこうだと上から言うことはあまり良いことだとは思っていませんでした。一緒に練習する中で、その都度伝えることは良いことだと思うんですが、怪我をしてグラウンドにも立っていない人間が、色々と言うのは好ましくないと思ったので、あまり言わないようにしていました。
—— 平選手は自分をどういう性格だと思いますか?
自分がやりたいと思ったことは、やらないと納得できないタイプだと思います。高校の時は「同志社でやりたい」、大学の時は「サントリーでやりたい」、サントリーに入った後は「日本代表でやりたい」という感じで、やりたいと思ったことはその目標まで辿り着かなければ納得できないですね。そういう想いが仕事に向かったんだと思います。
◆みんなのリアクションも速かった
—— 8歳でラグビーを初めて、24年間のラグビー人生の中で、一番印象に残っていることは何ですか?
サントリーで、3年連続日本選手権で優勝したこと(2011年、2012年、2013年)と、無敗でシーズンを終えたこと(2012-2013シーズン)ですね。一番と言えるのは、無敗のシーズンですかね。
—— 2012-2013シーズンは調子が良かったんですか?
試合をしていても、個人というよりもチームとして、どのチームにも負ける気がしませんでした。
—— 今振り返ってみて、当時の強さの要因は?
やっぱりアグレッシブ・アタッキング・ラグビーを軸に、みんなの考えが1つになっていた上に、みんなのリアクションも速かったので、ボールを奪われることも少なかったですし、攻めればトライが獲れるという自信がみんなの中にありました。それに1人1人の役割がはっきりしていて、クリアに試合が運べていたと思います。
—— そのチーム状態がなくなってしまった原因は?
当時は、自分たちがやりたいラグビーをやるという強い想いがありましたが、その後、相手がこういうプレーをしてくるから、それに対応するためにプレーするという部分が出てきてしまったと思います。他のチームが強くなっているというのもありますが、自分たちのラグビーを貫くということは難しいことだと思います。
色々なチームがいる中で、パナソニックに負けることが、精神的なダメージが一番大きいと思います。No.1のアタックを掲げているサントリーと、ディフェンスNo.1を掲げているパナソニックなので、パナソニックに負けるとダメージを受けますが、逆に勝つと更に自信を持つことが出来ます。
—— 2013-2014シーズンは1回も勝てませんでしたが、今シーズンは日本選手権準決勝で勝ちましたね
あの試合はサントリーのラグビーが出来たから勝つことが出来たと思います。インプレーの時間も長くて、継続してアタックをしてトライを獲り切ることが出来たことが大きかったと思います。あの試合はチームとしても凄く自信になったと思います。
—— 今シーズンはトライを獲り切ることが少なかったですね
トライ数が少なかったですね。リーグ戦で言えば、得失点差も+14しかありませんでした(セカンドステージ1位の神戸製鋼は得失点差+129)。単純にサントリーのアタックが出来ていなかったと思います。アタックを継続して、外にいる選手が余った状態でトライを獲る形が良い形だと思っているんですが、その形が作れなかったんだと思います。
—— 以前はフィットネスで圧倒していた印象がありますが、そのアドバンテージがなくなったんでしょうか?
どのチームもS&C(ストレングス&コンディショニング)コーチをつけて、トレーニングしていますからね。
◆いかにゲインラインを切るか
—— 平選手のプレーで印象に残っているのが、2007年フランスワールドカップ・カナダ戦でのロスタイムのトライですね(その後のコンバージョンが入って同点)
単純に嬉しかったです。ザワさん(小野澤宏時)と一緒にずっとリザーブで、ザワさんとも「試合に出たらやってやろう」と話していたんですが、あのような舞台で同点に繋がるトライを獲れたので、嬉しかったですね。ただ、テレビには映りませんでしたが(笑/放送時間の関係上、放送されなかった)。ま、それも人生だと思います。
—— ワールドカップでも活躍しましたが、自分の良さはどこだと思いますか?
アングルチェンジやいかにゲインラインを切るかしか考えていないので、僕の良さなんてそこだけだと思います。
—— その良さを出すためにどういう工夫をしているんですか?
ボールをもらう瞬間にコースを変えることですね。中学とか高校から、それしかやってきていないので、経験で出来ている部分もあると思います。
—— そのプレーが自分の活きる道だと思ったから取り組んできたんですか?
小さい頃から、そのプレーでビッグゲインが出来たり、トライが獲れたりしていたんです。今思えば、自分の強みに早く気づいて取り組むことが出来たと思っています。当時は、抜けるから楽しくてやっていただけだったと思います。
—— 今でも相手を抜くのが楽しいですか?
そうですね。やっぱりラインブレイクが楽しいですね。13番の選手はラインブレイクが好きな選手が多いと思います。幸太朗(松島)もラインブレイクが好きですし。
—— 今までの中で会心のラインブレイクはありますか?
2010-2011シーズンの12月の三洋電機(現パナソニック)戦で、それまで三洋電機にはほとんど負けていたんですが、やっと勝つことが出来た試合でのラインブレイクですね。敵陣22mの中に入って、トゥシ(ピシ)とライアン(ニコラス)がループした時に、ザワさんが上手く僕の裏に走ったんですよ。それで僕の対面の選手がザワさんに気を取られたので、トゥシから1mくらいしか離れていない距離で、トップスピードでパスをもらってそのままゴール真下にトライをしました。それが会心ですかね。
そのトライで、コンバージョンも決まって14対15になって、試合終了間際にペナルティーゴールが決まって、17対15で試合にも勝ちました。プレーオフのファイナルでまた三洋電機と戦って、そこでは負けてしまったんですが、その後の日本選手権決勝で三洋に勝ち、そこから3連覇しました。
—— ラインブレイクに期待する後輩はいますか?
幸太朗は天性のものもあり、タイプとしてはトゥシに近いかもしれません。幸太朗のようなプレーは、単純にスピードも速いんですが、教えられて出来るものじゃないですね。トゥシも同じで、0からトップスピードになる初速が凄く速いんですよ。江見や大島には期待していますが、特に江見にはディフェンスをメインに教えていました。
—— ディフェンスは得意だったんですか?
自分なりの考えを持ってやっていました。僕が考えていることは簡単なことで、相手の10番をとにかく見ていました。相手の10番がどのタイミングでボールを離すかで、その後の全てが決まると思っているので、そのポイントだけを考えておけば、自ずと詰めるディフェンスが良いのか、流すディフェンスが良いのかが判断できると思います。ディフェンスについては、そこを考えながらやっていました。
—— 動きが読めなかった10番の選手はいますか?
判断が難しくなるようなプレーをする選手もいますが、大体は読めていました。そこも経験を積まなければ、難しい感覚だと思います。
◆ワイルドカードからまとまった
—— 2014-2015シーズンのセカンドステージでは、5チームが5勝2敗で並びましたが、勝ち点で5位、日本選手権では決勝まで進みました。外からチームをどう見ていましたか?
ワイルドカードトーナメントから、選手がまとまったと思います。コーチから与えられるだけじゃなくて、真壁や剛(有賀)、晃征(小野)が中心となって選手だけでミーティングをして、アタックとディフェンスでその週にやるべきことをクリアにして、トレーニングをするようにしました。
ワイルドカードトーナメント1回戦の近鉄戦の前には、そのミーティングをやっていなくて、選手自身が危機感を持ったことで、選手だけのミーティングをするようになったんです。コーチから落とし込まれたことだけじゃなくて、選手がミーティングで共有したことをグラウンドで話せるようになることが大事だと思います。
—— 平選手がサントリーに入って、一番影響を受けた先輩は誰ですか?
敬介さん(沢木/現 日本代表コーチング・コーディネーター)です。口調は厳しかったんですが(笑)、尊敬できる先輩です。非常に厳しいんですが、そこで落ち込んだらダメで、はむかうくらいのメンタルが無いといけないと思います。グラウンドの内外問わず言われて、そこではむかえば、更に言われるんですが、それを積み重ねていくことが大事だと思います。敬介さんがコーチになってからの方が、良い関係を築けたと思います。
—— 平選手が良く教えていた後輩は誰ですか?
江見ですかね。江見のポテンシャルは、本当に凄いんですよ。藤原丈嗣(2009年度引退)と同じくらいだと思います。あとは考えられるようになれば良いと思います。それとメンタルを強くしないといけないですね。そこを伸ばすためには、ハードワークして自信をつけることと、サントリーに限らず海外のレベルの高い試合の映像をたくさん見ることが大事になると思います。
僕も海外の試合の映像で、13番の選手を中心にスローでずっと見ていましたね。家で嫁に「どれだけラグビーが好きなの」って怒られるくらいずっと見ていました。
—— 海外の選手で参考にした13番の選手は誰ですか?
最近はあまり出ていないんですが、フルーエン(ロビー/クルセイダーズ)という選手で、少し怪我が多くて、オールブラックスに選ばれるかもしれないと言われていた時に、怪我をしてしまった選手なんです。オールブラックスの13番でコンラッド・スミスという凄い選手がいるんですが、僕はあまり参考にしませんでしたね。
あとは、ブルーズにいたレネ・レンジャー(モンペリエ)という選手です。ペネトレーターになるプレースタイルなので、憧れている部分もありました。江見には、サントリーの試合の映像と海外のレベルの高い試合の映像を見るように言いましたけれど、たぶん見てないでしょうね(笑)。
◆一生つき合える仲間が出来ることがラグビーの素晴らしさ
—— 現役を引退することについて、奥さんは何か言っていましたか?
いや、特に何も言いませんでした。嫁を呼んで座らせて、改まって言ってみたんですが、驚きとか「まだ出来る」とかは言われずに、僕が考えて出した答えだと感じてくれて、「お疲れ様」と言ってくれました。
—— ご両親は何か言っていましたか?
両親が問題でしたね(笑)。父親とは喧嘩にまでなりました。母親も最初は「続けて欲しい」と言っていましたが、父親ほどではなかったですね。最近は僕の考えも理解してくれて、納得してくれたと思います。
—— 仕事での目標は何ですか?
単純に成果を出したいですね。
—— 改めて、ラグビーの面白さは何だと思いますか?
大きな括りで言えばラグビーは団体競技なので、24年ラグビーをやってきて何を得たかと言えば、一生つき合える仲間が出来たことが大きいと思います。その仲間はこれからもずっとつき合っていく仲間だと思うので、そういう仲間が出来ることが、ラグビーの素晴らしさだと思います。
それと、みんなが1つの方向を向いてやり切るということは、普段では得られないことだと思うので、ラグビーをやってきて良かったと思っています。
これまで僕がやりたいと言ったスポーツはほとんどやらせてもらい、これまで水泳、サッカー、バスケット、剣道、ラグビーとやってきました。僕は覚えていなくて親から聞いたんですが、僕がラグビーを初めてやった時に親に「ラグビーってボールを触れて、投げられて、蹴れて、人に当たれて、何でも出来るから面白いね」って言ったそうなんですよ。だから、ラグビーが自分の性格に一番合っていたんだと思います。
—— まだラグビーを続けることが出来る後輩にメッセージはありますか?
僕もいちファンになりますが、サンゴリアスの復活に期待しています、くらいしか言えないですね(笑)。無敗のシーズンの時のように、「どのチームとやっても負けない」と選手が感じるくらい強いと、見ている人も「サントリーって強い」と感じると思うんですよ。そういうチームを作って欲しいと思います。
—— 来シーズンにそういうチームになる可能性はあると思いますか?
あると思います。ただ、若手にはもっと「試合に出たい」という欲を出してもらいたいです。若手から「試合に出られなくてもしょうがないと思っているな」と感じてしまう時がありました。若手からすると「ずっと試合に出ていたから、試合に出られない選手の気持ちは分からないだろう」と思われていたかもしれませんが、僕が若い頃は「ずっと試合に出たい」と思ってやっていたので、そういう気持ちを持ってもらいたいですね。
今の若手は、「やれ」と言われればやると思うんですが、それを飛び越えて、「これが自分だ」という色を出していけば、良い若手選手がたくさんいるので、試合に出られるようになると思います。だから、未来のサンゴリアスは若手が握っているんです。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]