2014年11月26日
#405 リシュケシュ ペンゼ 『ラグビーが僕の道』
今シーズンからサントリーに加入したリシュケシュ・ペンゼ選手は、珍しいインドのラグビー選手。まずはインドのラグビー事情から訊いてみました。「ラグビーは先生みたいな存在」という言葉を始めとして、ラグビーに対する深い愛情にあふれたインタビューとなりました。
◆やったこと全てが自分に返ってくる
—— 生まれはどこですか?
インドのムンバイで生まれました。海外に出るまでずっとムンバイにいました。
—— ラグビーを始めたきっかけは?
周りにラグビーをする人があまりいませんでした。僕は成長していく中で、たくさんのコンタクトのあるスポーツを経験していて、高校を卒業するまで柔道を10年間やりました。その後で、運良くラグビーに関われるようになりました。 僕の親友の父親が昔ラグビーをしていたんです。ムンバイには小さいんですが、クラブチームがたくさんあります。インドのラグビーの歴史は100年くらいあるんです。僕が17歳の時に、親友の父親がクラブチームを紹介してくれてラグビーを始めました。
—— 初めてラグビーをやった時はどうでしたか?
最初は失敗ばかりしていたので、あまり好きじゃありませんでした。クリケットやサッカーなど他のスポーツでは、ボールを前に投げてはいけないというルールが無いですよね。だから、ボールを前に投げてはいけないということが凄く難しかったんです。ですが、ラグビーを始めて数週間経った頃には、もう他のスポーツが目に入らなくなっていました。
自分がやったこと全てが自分に返ってくるということは、他のスポーツではなかなか無いことだと思います。ラグビーを始めたことで性格も変わりましたし、ラグビーはチームの仲間とすぐに仲良くなれるスポーツだと感じました。 ラグビーは本当に先生みたいな存在だと思います。恐怖心を無くすこと、瞬時に判断をすること、そして一般社会の中で自分がどういう態度を取らなければいけないのかを教えてくれました。隣の選手との関係も大切になりますし、それが大きくなり、家族というものにも関わってくることにもなります。
—— 柔道やラグビー以外で経験あるスポーツは?
学校でクリケットやサッカー、スカッシュをやりました。クリケットは必須の授業でした。だから球技は得意な方だと思います。
◆インド人で初めて海外でプレー
—— インドでラグビーをやっている人はどれくらいいるんですか?
現在では、インドには50~70くらいクラブチームがあります。10年前はほとんどクラブチームが無かったんですが、ここ10年で一気に増えました。
—— ワールドカップのアジア予選には出場しましたか?
インド代表として出場しましたが、負けてしまいました。
—— いまペンゼ選手は28歳ですが、17歳でラグビーを始めて、すぐに代表に選ばれるようになったんですか?
17歳でラグビーを始めて、18歳で代表デビューを果たしました。他のスポーツの経験があったから、すぐに代表に選んでもらえたんだと思います。それにもともとアグレッシブさがあり、ラグビー選手になるための要素を持っていたんだと思います。 代表として10年プレーしているので、ワールドカップの予選は2回経験しましたが、キャップとしては15キャップ位だと思います。
—— インドのラグビー選手の中で、海外のチームでプレーする選手はいるんですか?
これまで誰もいなかったので、僕が初めてです。凄くラッキーだったと思いますが、インド人で初めて海外のチームでプレーする選手になれて、とても誇りに思っています。 サントリーに入ることが出来たのは、本当に運が良かったと思います。2010年にインドのデリーでコモンウェルスゲームズが行われ、その大会にインドのセブンズ代表として出場しました。それがきっかけでニュージーランド代表のチーム関係者から「ニュージーランドに来てプレーしてみないか?」と声を掛けてくれました。
そして2011年にニュージーランドに行ってプレーしました。その後に神戸製鋼からアプローチがあり、神戸製鋼でもプレーしました。ニュージーランドでは素晴らしい経験をすることが出来ました。
—— インドでラグビーをしている時は、何をお手本にラグビーを学んでいたんですか?
僕は小さい頃から“どんなスポーツをしても必ずプロフェッショナルになりたい”という強い想いがありました。インドでプレーしている時も、常にそのことを考えてプレーしていました。ただし、インドでは周りに海外でプレーする選手がいなかったので、どう海外のチームにアプローチをしていいか悩みながらプレーしていました。
—— ニュージーランドでプレーするようになって、プロ選手になったんですか?
ニュージーランドではセミプロで、神戸製鋼で初めてプロ選手になりました。
◆トップリーグの扉をノックしている状態
—— ニュージーランドから神戸製鋼に入ったきっかけは?
2011年に神戸製鋼側がニュージーランドでプレーするタレントを探しているという話を聞いて、それで神戸製鋼に入ることを決めました。
—— 2つ目の海外が日本になりましたが、日本に行くことを決めた要因は?
多くの機会があればどんどんチャレンジをして、たくさんのことを吸収したいと常に考えていました。神戸製鋼に行くことを決めた1番の理由は、プロフェッショナルの選手としてフルタイムでラグビーに取り組めるということです。
—— 日本に来てみてどうでしたか?
凄く楽しかったです。神戸製鋼に入って、3週間で怪我をしてしまったんですが、ラグビー以外のことも楽しかったですし、チームにフィットすることは出来ていたと思います。
—— 神戸製鋼では、試合にどれくらい出場したんですか?
チームに入ってすぐに怪我をしてしまったので、Bチームで4、5試合しか出場出来なかったと思います。トップリーグの試合には出場していなかったので、サントリーではぜひトップリーグの試合に出たいと思っています。トップリーグに出場しなければ、本当の意味でのプロ選手にはなれないと思っていますし、今の僕の最大のターゲットはそこになります。
—— トップリーグの試合に出場できるのは、どのくらいの時期になりそうですか?
今その扉をノックしている状態です。もし少しでも扉が開けば、そこから入っていきます。
—— 日本でプレーして得たものは何ですか?
継続して安定したプレーをするということです。波があるプレーをしてはいけません。基本的には安定したプレーが出せると思っていますし、コーチが言うことは理解しているつもりです。
◆弟はU19インド代表
—— グラウンド内では激しいですが、グラウンド外ではどういうキャラクターですか?
普段は大人しいんですが、常に大人しい感じではなくて、周りに合わせて騒ぐ時もあります。
—— 特に仲が良い選手はいますか?
多くの選手と仲良くしていますが、特にフロントローの選手と一緒にいる時間が長いと思います。フロントローの選手は面白い選手が多いと思います。
—— 家族は?
父親と母親と弟の4人家族で、父は既に仕事を辞めていますが、不動産関係の仕事をしていました。母は歯医者なので、僕の歯は凄く良いと思います(笑)。弟は20歳で、いまラグビーをやっていて、昨年まではU19インド代表にも選ばれていました。
—— じゃあ、一緒に代表チームでプレー出来るかもしれませんね
そうですね。一緒にインド代表でプレー出来ることを期待しています。
—— 家族に日本に行くことを伝えた時は何と言っていましたか?
凄くハッピーでした。けれど、母は僕に医者になって欲しかったらしく、僕がラグビーを始めた時はあまり歓迎されませんでした。少し時間がかかりましたが、インド代表に選ばれた時には喜んでくれました。
—— 結婚はしていますか?
いえ、まだ結婚はしていなくて、予定もありません(笑)。
◆アグレッシブさ
—— サテライトや練習試合で多く出場していますが、得意としているプレーはどんなプレーですか?
ディフェンスでもボールキャリーでもアグレッシブさを得意としています。コンタクトプレーも好きです。それだけでなくアグレッシブというのは、色々なプレーをカバーする言葉だと思います。
—— ポジションは昔から変わらないんですか?
ずっとバックローでプレーしているので、バックローであればどこでもプレー出来ます。
—— いま感じるラグビーの面白さはどこですか?
楽しみを与えてくれることです。ラグビーは自分を表現できる唯一の場所だと思います。画家の人が絵を描くのと同じように、ラグビーが僕の道なんです。
—— インド人の中で一番ラグビーを愛しているという自信はありますか?
インドの中にはラグビーを愛している人がたくさんいるので、僕はその中の1人だと思います。
—— インドのラグビーは、今後どのようになっていくと思いますか?
ラグビーを愛している人がたくさんいますし、人口が12億人ととても多いので、インドのラグビーの未来は明るいと思います。何かのきっかけがあれば、大きな進化を遂げると思います。僕の前にも偉大な選手はたくさんいましたし、僕の後にも良い選手がたくさん生まれています。今の状態からステップアップするためには、多くの人の協力が必要だと思います。
—— 改めて、今シーズンの目標は?
先発メンバーに選ばれて最初から試合に出ることです。
—— 試合に出る時には、ファンにどういうプレーを見て欲しいですか?
色々な場面に顔を出して、チームの勝利に貢献する姿を見て欲しいです。自分がプレーすべき場所で全力を出したいと思います。
—— どういうタイプの人間だと思いますか?
適応能力は高いと思います。それが違う文化であっても、違う言葉であっても、違うラグビースタイルであっても適応出来ると思っています。僕は常に成功したいと考えていて、成功する最初のステップが適応することだと考えています。
—— 日本の好きなところはどこですか?
日本人の労働意欲が好きです。僕も長く働くことが好きなので、日本が合っていると思います。日本人の労働意欲からは多くのことを学ぶことが出来ると思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]