2014年7月30日
#388 垣永 真之介 『最後のチームで大きな挑戦』
プロップらしい身体つきで新人らしからぬ貫録をみせる垣永真之介選手。早稲田大学キャプテンとして培ったリーダーシップを含め、期待される新人に今シーズンへの意気込みを訊いてみました。
◆小学6年90kg
—— 見るからにプロップという感じがしますが、プロップでプレーしていくと決めたのはいつ頃ですか?
高校の時は「他のポジションでもやれるんじゃないか」という驕りもありましたが、大学になって自分の中でのスクラムへの想いを感じて、フィールドプレーも大事ですが、スクラムも大事にしなければいけないと考えるようになりました。
—— いつからラグビーを始めたんですか?
6歳から始めました。太り過ぎが原因でラグビーを始めたんです。
—— ラグビーを始めて痩せましたか?
僕は痩せませんでした(笑)。小学1年の時には40kgあった体重が、小学6年では90kgになっていました。
—— パワーでは負けなかったんじゃないですか?
小学生では負けなかったと思います。身長も170cm代の後半くらいあったので、小学生には見えなかったと思います。当時の写真を見ると、自分でも小学生とは思えません(笑)。
—— ご両親も体が大きいんですか?
父は180cmくらい身長がありますが、母はあまり大きい方ではないと思います。別に父親はラグビーをやっていたわけではなくて、僕の家系でラグビーをしているのは、僕だけだと思います。
—— ラグビーを始めたきっかけは?
幼稚園の先生から「太り過ぎているのでスポーツをやらせた方が良い」と親がアドバイスを受けて、紹介をしてもらったのがラグビーでした。それから調べてみたら家の近くで練習が出来るスクールがあったので、そのままラグビーを始めました。
—— 出身は?
福岡県です。幼稚園まで福岡にいて、ラグビーを始めた時には神奈川県に住んでいて、その後、小学1年の時にまた福岡に戻ったんですが、そのままラグビーは続けました。福岡はチーム数も多くて、レベルも高かったですね。
—— 痩せるために始めたラグビーに、始めた当初から面白さを感じていましたか?
辞めたくて、辞めたくてしかたありませんでした。運動するのは好きでしたが、得意な方ではありませんでした。
—— ラグビーをやっていこうと思い始めたのはいつ頃ですか?
高校くらいだと思います。小学生の時に、本当に大変だったので、親に「中学からは野球をやりたい」と言ったんですが、全く聞き入れてもらえず(笑)、中学でもそのまま続けました。中学でも本当に大変だったんですが、東福岡高校から誘って頂き入学することが出来たので、それからラグビーを真剣に考え始めました。
—— 高校でもラグビーを続けようと思ったきっかけは?
中学3年の時には、「九州大会で絶対に優勝したい」と思うようになっていました。高校に入ってからは、トップレベルの選手と一緒にプレーして、これまで経験のないラグビーの方法やスキルを身につけていく中で、楽しさを感じるようになりました。
◆友達が好きでラグビーを続けた
—— 中学に入る時に野球をやりたかったと言っていましたが、野球には自信があったんですか?
ラグビーと並行して、ソフトボールを3年間やっていて、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の試合を週に2回くらい観に行くくらい野球が好きでした。
—— ソフトボールではどこを守っていたんですか?
キャッチャーをやっていました。打球も結構飛んでいましたね。
—— 野球をしていたら、もしかしたら今頃は福岡ソフトバンクホークスのキャッチャーをやっていたかもしれませんね
そうですね。ソフトバンクホークスで4番を打っていたかもしれません(笑)。
—— 幼稚園から中学校まで、大変だと思いながらよくラグビーが続けられましたね
一緒にスクールに入っていた友達が好きで、練習が終わって、友達と遊びに行くのが楽しみで、ラグビーを続けていました。
—— 痩せなかったということですが、体力はつきましたか?
ついたと思います。小学生にしては練習で走る量は多かったと思います。たくさん走るとお腹がすいて、更に食べるようになったので、痩せなかったんだと思います。
—— 食べる量は多かったんですか?
母は料理を作るのが大好きで、料理関係の仕事をしているんですが、家で食べるご飯が美味し過ぎて、ついつい食べてしまいました(笑)。それに母の作る量がかなり多かったと思います。母に「お腹空いたから、おにぎりを買ってきて」とお願いをしたら、おにぎりを10個くらい買ってくるので、母の量に対する感覚は少しずれているんだと思います(笑)。ですが、食べ物があったらあったで食べてしまっていましたね。
—— お父さんもたくさん食べるんですか?
あまり食べないですね。兄がいるんですが、兄もあまり食べません。これだけ身体が大きいのは僕だけです。
◆壁を感じたことで楽しさを感じた
—— 高校でのラグビーの成績はどうでしたか?
1年生の時に、山下昂大さん(コカ・コーラレッドスパークス)がキャプテンで、高校選手権で優勝しました。それが東福岡高校の初優勝でした。高校2年の時には、ニュージーランドに半年間ほど留学をさせてもらったんですが、準決勝で常翔啓光学園に負けてベスト4で、3年の時にはキャプテンをやらせてもらい、また優勝することが出来ました。
—— 1年生の時からレギュラーでしたか?
リザーブでの出場が多かったですね。
—— ポジションは?
高校からはずっと3番です。小学生の時はローバーというポジションをやって、中学ではロックなどもやりました。身体が大きい割には走れる方だったと思います。
—— 小学時代のスクールでの練習の成果ですね
今となっては、その時の練習が大きかったのかなと思いますね。
—— 小学6年生で身長が170cm後半、体重が90kgあった身体が、中学や高校では更に大きくなったんですか?
身長はあまり伸びなかったんですが、体重ばかり増えましたね(笑)。身体が大きかったので、中学校まではある程度は通用したんですが、高校に入って壁を感じました。ただ、壁を感じたことで、逆に楽しさを感じましたね。壁がある中で上手くいった時は嬉しくなりましたし、知識や技術が身についていったので面白さを感じました。
—— 壁を越えるためにどういうことをやったんですか?
上手くいくまで、ひたすら練習をしました。高校の時はスクラムが苦手で、スクラムを組んでも押される気しかしませんでした。そして、大学1年生の時の大学選手権決勝では、スクラムで再三ペナルティーを犯してしまい、勝てると言われていた代だったんですが、負けてしまいました。
それがきっかけでしっかりとプロップとしてラグビーに向き合わないといけないと感じ、今の早稲田大学の監督をやっている後藤さんが、当時はフォワードコーチをされていて、後藤さんに指導してもらいながら、スクラムに時間をかけて練習しました。
それに加えて、以前、長谷川慎さん(ヤマハ発動機ジュビロ/フォワードコーチ)に一度、スクラムを指導して頂いたことがあったんですが、そこでスクラムに対する考え方が変わりました。以前までは、スクラムは8人で組むと分かっていながらも、自分がやりやすいように組んでいましたが、長谷川慎さんに指導して頂いてからは、周りを活かしながら、自分も活かす組み方があることに気づいて、スクラムが良くなったと思います。
—— 順調に上手くなっていますか?
昔よりは成長したと思いますが、まだまだだと思います。
◆24時間ラグビーに関わっている
—— 大学4年生ではキャプテン、なぜ選ばれたと思いますか?
いや、分からないんです。高校、大学とキャプテンをやってきましたが、キャプテンをやるタイプではないと思っています。ただ、チームから必要とされることは嬉しいので、キャプテンに選んでもらえたことは嬉しかったですね。
—— 話を聞いていると、落ち着いた性格だと感じますが
少しでも悩みがあると、眠れなかったりします(笑)。試合前とか緊張して、なかなか寝付けないこともありますね。そういう時は開き直って、眠れそうになるまでボーっとしながら起きています。
—— 悩みなどがあると眠れなくなる原因は何だと思いますか?
最近はなくなりましたが、大学の時は考え出すと、悪いことしか思い浮かばなくなってしまって眠れなくなっていましたね。試合に入った後は大丈夫なんですが、試合の前はそういう感じになってしました。
—— 試合の時は性格が変わったりしますか?
変わりますね。試合の時はハイテンションになります。声を出すことで、自分もしっかりやらなければいけないという気持ちになるので、プレー中に声を出して、再認識させています。普段は、小心者ですが、プレーをする時には自分に責任を持たせるために声を出しています。
—— 社会人になって、24時間の内どれくらいの時間をラグビーに費やしていますか?
高校の時から、ラグビーの時間の為に、他の時間をどう過ごすかを考えて生活するように指導をされてきたので、基本的には24時間ラグビーに関わっていると思います。ご飯を食べている時もラグビーのことを考えていますし、ラグビーのために寝る時間を考えたりして、ラグビーを中心に生活しています。
◆畠山さんを目標に
—— 大学2年、3年の時を振り返ってみて、印象に残っていることは?
2年では怪我をしてしまったので、あっという間に終わってしまいました。3年の時は監督が変わって、練習前に個人練習をして、自分の中でも凄く練習をしたと思っていたんですが、それでも帝京大学に勝てずに、もっと頑張らないと勝てないと思って4年の年にガムシャラに取り組んだんですが、それでもダメでした。
—— 大学でのラグビーの面白さはどこでしたか?
大学で「ラグビーをやらない」という選択肢がある中で、「ラグビーをやる」と選択した人たちが集まって優勝を目指すという過程が楽しかったですね。後は単純にラグビーが楽しかったです。
—— 社会人となりサントリーに入ってみてどうですか?
凄く楽しいですね。入る前からサントリーの練習は走る量が多いと聞いていて、実際に入っても、それが嫌とは感じていませんし、まだ入ったばかりの僕に、伸び伸びやらせてくれる先輩方の人格が素晴らしいと思います。本当に居心地が良いチームだと思います。
—— 同期には帝京大学のキャプテンだった中村選手もいますね
良いライバルだと思っていましたし、帝京大学のお陰で成長できたと思います。まさかチームメイトになるとは思っていませんでした(笑)。
—— サントリーに入ろうと思った理由は?
ずっとサントリーの試合を見てきましたし、サントリーのアタッキングラグビーが自分のプレースタイルに合っていると思ったので、サントリーに入ろうと思いました。それから大学の先輩でもある畠山さんがチームにいて、畠山さんを目標にしつつ、追い抜ければと考えています。これからチームが変わることはないと思うので、最後のチームで大きな挑戦をするためにサントリーに入りました。
—— 畠山選手のどこが凄いと思いますか?
畠山さんは、「フロントローだからパスミスをしても仕方がない」とは言われないですよね。そういう選手になりたいと思っています。
◆相手の脅威になる
—— 育成枠でしたが、今年の4月には初めて日本代表にも参加しましたね
凄く驚きました。日本のトップの選手が集まる中に参加したので、また新たな知識を得ることが出来ました。僕は育成枠だったので、チャンスをものにしなければいけないという想いはありますが、楽しみながらやらせてもらっています。
—— サントリーでの今シーズンの目標は?
チームのスローガンでもある「We want it back !」(なくした物を獲り戻す)ということを一番に考え、新人であることなどは関係なく、全員が頑張らなければ獲り戻すことは出来ないと思っています。自分自身も頑張り、周りに良い影響が与えられるようにならなければいけないと思います。相手の脅威になるような選手になっていきたいです。
—— 身体は更に大きくしますか?
大きくしようと思っています。脂肪を落として、更に筋肉をつけていこうと思っています。
—— スクラムについてはどうですか?
日本代表に参加してみて、色々と得るものがありましたし、サントリーでも日本代表選手がいるので、多くのことを学びながらやっていこうと思っています。プロップなので、スクラムには重点をおいて取り組みたいですね。フィールドプレーについては、今でも楽しくやらせてもらっているので、楽しみながら積極的に取り組めば、成長に繋がっていくと思います。
—— 開幕戦には出場したいですよね
開幕戦までに脅威と思われる存在になっていたいですね。「3番を着て出たい」とはまだ言えませんが、虎視眈々と狙っていきたいですね。それに今年のサントリーの開幕戦は熊本なので、両親も見に来てくれると思います。
—— ご両親は、日本代表にまで選ばれるようになった姿を見て何か言っていますか?
計算外と言っています(笑)。やりたいことをやらせてもらってきたので、活躍することも親孝行のひとつかなと思っています。
—— 最初は望んでラグビーを始めたわけではないのに、これだけ続けることが出来たのはなぜだと思いますか?
それは友達がいたからだと思います。小学校から大学まで、その年代ごとで常に仲が良い友達を作ることが出来て、楽しく続けることが出来ました。社会人になったので、更にキャパシティーを広げて、多くの人と良い関係を築いていきたいと思います。
—— ファンの人にはどういうところに注目してもらいたいですか?
スクラムでもフィールドプレーでも、どういうプレーでも存在感があると思われるようなプレーをしていきたいと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]