2014年3月26日
#372 小野澤 宏時 『自分の態度が試された年』
サントリーサンゴリアス185キャップ、日本代表81キャップ。いずれも燦然と輝く歴代No.1の記録保持者。その小野澤宏時選手が今シーズン限りでサンゴリアスのジャージを脱ぐことになりました。サンゴリアス14年間の想いを語ってもらいました。
◆一喜一憂
—— 小野澤選手には珍しく、今シーズンはプレーオフトーナメントも日本選手権もスタンドから見ていましたね
ファイナルラグビーというよりも、1つの試合をスタンドから見ているという感覚でした。プレーオフセミファイナル、ファイナル、そして日本選手権準決勝を見て、1つ1つのプレーに一喜一憂していましたね。
—— ハーフタイムにロッカーに行き、何かアドバイスをしたことはありましたか?
そこはコーチに任せていましたが、浅田さん(アシスタントコーチ)と一緒にスタンドの上から見ていたので、ハーフタイムにどういう話を選手にするかというところは理解していました。試合中に何か足りないところや気づいたところがあれば、その都度、浅田さんに伝えていました。
試合としては、自分が出場していないので、良いのか悪いのかというところは分かりませんが、自分が出場していたらこうするということを感じながら見ていました。ヤス(長友)とか健太(塚本)には試合が終わった後に、「どういうコメントをしたのか」ということを聞いて、「僕だったらこうする」という話をしました。
僕が気づいたことは、試合が終わった直後に話をしていますし、失敗の体験を試行錯誤して、次に繋げていくしかないと思います。
—— サントリー14年目の今シーズンを振り返ると、どんなシーズンでしたか?
怪我ですね。春の日本代表での怪我から始まり、手術をしたんですが、焦ってしまい治らず、更に違うところを怪我してしまいました。手術をした箇所は、開幕の時には治っていたんですが、そのところをかばって違うところを痛めてしまいました。
◆1年目と14年目
—— これまでの14シーズンを振り返って、最も印象的なシーズンはありますか?
1年目と14年目ですかね。1年目の時は、何も知らずにチャレンジ出来るというか、何もイメージがない強みというのがあったと思うので、勢いだけでやった年だったと思います。いま振り返ると、1年目は「自分の走りが通用する」と感じられたので、楽しかったですね。
1年目の時は、試合を重ねるごとに自信を持つことが出来ましたし、トライもたくさん獲れました。初めてフルバックというポジションでの出場でしたが、ポジションに関係なく、走りで勝負した年ですね。「分からなくても走れ」ということを言われましたし、(厳しい)敬介さん(沢木/現U20日本代表ヘッドコーチ)からもパスをもらうことが出来ました(笑)。
—— 1年目から活躍したことは、小野澤選手の学生時代を知る人たちにとっては当たり前という感じだったのでしょうか?
両親は驚いていた方だと思います。父親はラグビーをやっていたので、いまだにその時の話になりますね(笑)。実家に帰ったりすると、毎回「最初、通用すると思った?」と聞かれます。毎回聞かれるので「覚えてない。こうやってラグビーやってるんだから通用したんじゃない?毎回同じこと聞くじゃん」って応えて、終わらせるようにしています(笑)。
—— 学生の時は、学生なりの自信はあったんですか?
学生レベルの中では自信を持っていたと思います。学生時代は代表や日本一ということをあまり意識出来ない環境だったんですが、社会人1年目を終えてからは、意識するようになりましたね。
—— 2年目のシーズンはどうだったんですか?
1年目の時は途中で怪我をして、シーズン終盤に復帰したんです。だから、1年目は、自信はつきましたが、やりきったという感覚はありませんでした。だから自分個人のプレーに自信を持ったというだけです。日本代表には呼ばれましたが、その環境を守るという気持ちはありませんでした。
—— 印象に残っているのが1年目から14年目に飛びますが、その間のシーズンで自分が変わったと感じるようなシーズンはありましたか?
すべてにおいて繋がりがあって、最初は勢いだけで勝てていたのが、4年目くらいからは勢いだけでは勝てなくなってきて、その中で悩みながらやった3年間があって、その後に監督が清宮さん(克幸/現ヤマハ発動機ジュビロ監督)になって、色々な方法論を教えてもらいましたし、それで何か1つの方向性が見えた年だったと思います。
—— 清宮監督の時には、代行キャプテンを務めていた時期でもありましたが、それによる良い影響はありましたか?
その影響もあると思います。代行キャプテンをやったことで、1人がチームに対してどういう関係性で、どう影響を持たせるかということをすごく考えましたね。悩んでいた3年間で僕の中にエナジーを貯められて、その熱量を持っている中、新たな方法論で爆発させてもらったと思っています。
—— 日本代表として印象に残っていることは何ですか?
代表は2007年からひたすら年齢との戦いでした。僕の課題は年齢とサイズでした(笑)。自分ではどうしようも出来ない要素が課題だったので、どうしようかと思いましたね。ただ、その課題を差し引いても使おうと思われる選手にならなければ必要なくなってしまうので、グラウンド内外で良いことを実践していくしかないと思っていました。
◆"良い"という指標
—— さて、14年目の今シーズン、これだけ試合に出られなかったのも初めてですよね
今シーズンはリーグ戦で2試合だけの出場で、2トライでした。その中で、自分の態度が試された年だったと思います。ポジティブに捉え、態度で示せたと思います。これまでは試合のメンバーとして練習に参加していましたが、今シーズンはノンメンバーとして練習をしていたので、試合に出られていない選手と練習をすることで、「こういうコミュニケーションの取り方をしているんだ」という新たな発見もありました。自分の中ですごくプラスになりましたし、若い選手の可能性も感じました。
コミュニケーション1つ取っても、試合に出ているメンバーは、予防線を張りながらというか、未来に対してコミュニケーションを取っている感じなんですが、ノンメンバーになると、練習で起きたことを反省するコミュニケーションが多かったんです。
最初の頃はそのギャップにイライラしたこともありましたが、ノンメンバーと練習をしていく中で、徐々に良いコミュニケーションが取れるようになってくると、練習後に話をしていても「今日の練習、良かったですね」という話も出てくるようになりました。
選手の中で、今日は良い練習が出来たと感じることが出来て、"良い"という指標が生まれたことが嬉しかったですね。何で"良い"かということが基準になれば、"悪い"と"より良い"が生まれてくるので、若い選手の中で軸が出来て良かったと思いました。
—— 視点を与えたということですね
若い選手にしてみるとそうですし、僕にとっても、みんながその視点を持っていると思っていたのが、持っていない選手がいて、その中で若い選手はリアクションだけで勝負をしていたという、新たな発見がありました。
—— みんながその視点を持つことが出来れば、すごいチームになりますね
すごいチームになると思いますが、逆に言えば、昨シーズン日本一のチームに対して、毎日の練習の中でアタックディフェンスをして、それをリアクションだけで勝負している若手もすごいと感じましたね(笑)。そのリアクションにプラスして、プレーの予防線を張れるようになれば、すごく良くなると思いますよ。
—— 具体的に、プレーの予防線とは?
例えば、ミーティングで出たことを、何度も何度も準備のコールで入れてあげるとか、今日のブレイクダウンではこのプレーをしようとか話すことで、それが1つの基準になるんです。その後に、実際にプレーしてみてどうだという反省をすることで、次の予防線になると思うのですが、事前の予防線がないとプレーが追いつかなくなっていくんですよ。
—— その部分が今シーズンの収穫なんですね
他のチームは分かりませんが、サントリーの中では出来ていると思っていたことが、実際には出来ていなかったという認識がで出来たことが収穫ですね。
—— そういう収穫があった中で、日本選手権には出場したいと思っていたんじゃないですか?
そのために日々の練習と府中合宿でアピールはしていて、ただ最大のアピールの場として予定されていたU20日本代表との練習試合が、雪の影響で中止となってしまったんです。だから、その時は「なんで雪が降るんだろう」って思いましたね(笑)。
この続きは、サンゴリアス・フレンズ(ファンクラブ)の会報誌『SKAL!!vol31』にてファンクラブ会員の方々に先行でお伝えいたします。後日、ホームページにも掲載予定です。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]