2013年2月13日
#316 小野 晃征 『活躍したい、勝ちたいというプレッシャーの中で勝てたことが嬉しい』
福岡サニックスブルースから移籍1年目の小野晃征選手。他チームからの選手がサントリーに移籍してくることは珍しく、注目を浴びる中で、10番としてレギュラーに定着。ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズの歴代日本代表ヘッドコーチも認めるニュージーランド育ちの実力者の、その素顔に迫りました。
◆英語で考える
—— 出身は?
愛知県名古屋市です。3歳半までは名古屋にいました。親が新婚旅行でニュージーランドへ行き、ニュージーランドを気にいって、僕が2歳半の時に6ヶ月間、語学勉強を兼ねて旅行に行ったんです。それから日本に戻ってきて、妹が生まれて、僕が3歳半の時にニュージーランドに引っ越しました。ニュージーランドに引っ越した時は、親はお土産屋さんをやっていて、よく日本の観光客が来ていました。今は整体師の仕事をしています。
—— 整体師のお父さんには施術してもらったりしているんですか?
あまりしてもらったことはありません(笑)。
—— 日本代表になるまでは、ずっとニュージーランドで暮らしていたんですか?
たしか3回くらい日本に来たことはありましたが、ずっとニュージーランドで暮らしていました。
—— 言葉の問題はありませんでしたか?
いつの間にか英語も日本語も話せるようになっていました。基本的に家では日本語で話をしていて、10歳くらいまでは親から日本語で話すように厳しく言われていました。でも10歳以降は、英語で話をするようになっていました。親も英語が分かるので、日本語で何か聞いてきても、英語で返事をしていました。
朝起きて朝食を食べて、それから10時間くらいは英語での会話になって、家に帰って勉強をして寝るという生活だったので、99%は英語での会話になるんです。だから自然と英語で話をするようになっていました。
—— よく日本語を忘れませんでしたね
今も日本語が下手ですが、日本に来た時は日本語が分からなくて大変でした。覚えていた訳じゃなくて、日本語を勉強している段階です。普段の会話は問題ありませんが、知っている単語の数が少なくて、今でも英語の方が楽だと感じます。例えば、銀行とか携帯の契約の話になると、ほぼ内容が分かりません(笑)。
—— 頭の中で何かを考える時はどちらの言葉で考えているんですか?
どちらの場合もあります。考える内容にもよると思いますが、英語で考えることの方が多いと思います。国籍も見た目も完全に日本人なんですが、ニュージーランドのカルチャーで育っているので、多くの面で外国人選手に近いかもしれません。
◆大きな人にぶつかっていく
—— いつから日本で暮らし始めたんですか?
19歳の時にサニックスと契約をして、それからは日本で暮らしています。
—— 文化のギャップを感じましたか?
基本的に海外では上下関係がなくて、敬語が分かりませんでした。あとはレストランに行っても、メニューが読めませんでした。だから店員さんにお勧めを聞いて、「じゃあ、それをください」と頼んでいましたね(笑)。日本で暮らし始めて最初の2~3年は苦労しました。
—— 福岡での生活はどうでしたか?
海もあって、のんびりしていて過ごしやすかったですね。契約前に日本に来た時に泊まったホテルの周りが畑ばかりで、ニュージーランドに似ていたので、落ち着くという印象を持っていました。
—— ニュージーランド人と日本人が似ていると感じる部分はありますか?
あまり考えたことがないですね。ニュージーランドの選手の話を聞くと、「日本が好き」「住みやすい」と言っています。僕の場合は、頭は外国人なのに見た目は日本人なので、日本人扱いされることに戸惑いがありましたが、今はもう大丈夫です。
—— ラグビーは何歳から始めたんですか?
6~7歳くらいだったと思います。友達のお父さんがタッチラグビーのコーチをしていて、子供の人数が少ないから、土曜日に試合に来ないかと誘われたのがラグビーを始めるきっかけでした。クライストチャーチにいたので、ラグビーが盛んな地域でした。
ニュージーランドでは、ラグビーは冬のスポーツで、夏にはラグビーをやらないんです。僕も夏には小学校の時に少しクリケットをやって、高校ではローイング(ボート)をやっていました。ニュージーランドでは、日本で言う中学校というカテゴリーがなくて、5歳~10歳がプライマリースクール(小学校の低・中学年)、11歳~12歳がインターミディエイトスクール(小学校の高学年)、13歳~17歳がハイスクール(高校)になるんです。それ以外に、タッチラグビーもやっていました。
—— スポーツが得意なんですね
得意とは言えないかもしれませんが、体を動かすのが好きです。ローイングも勝つためにやるんじゃなくて、好きでやっていたことです。友達と運動をするという意味でやっていました。
—— その中でもラグビーは面白かったんですね
ラグビーは本気でした。僕らの高校はラグビーが強くて、高校5年間で、確か5試合くらいしか負けていないと思います。
—— 当時、ラグビーの面白さはどこにありましたか?
仲間と一緒にラグビーをすることが楽しかったですね。カンタベリー地区の代表にも選ばれていて、高校のチームのシーズンが終わった後に代表のシーズンになるんですが、その代表に選ばれることを目標にやっていました。
僕の高校は全生徒が1300人~1400人くらいいて、その中でラグビーチームが22~23チームありました(笑)。U13(13歳以下)のチームだけでも、A、B、ブルー、ブラック、ゴールドと5チームに分かれていて、ブルー、ブラック、ゴールドは楽しんでラグビーをやるソーシャルチームでした。そしてU14も5チーム、U15も5チーム、U16は3チームくらいで、年齢制限がない1軍、2軍、3軍、ソーシャルチームが2チームあって、それぞれのチームには必ず22人の選手がいるんです。だからほとんどの生徒がラグビーをやっていて、友達は必ずどこかのレベルでラグビーをしていました。全校で800人ぐらいがラグビーをやっていたと思います。
練習する場所も限られているので、どのチームも1回の練習が1時間半で、週に2回しか練習をしませんでした。そして土曜日はどのチームも必ず試合がありました。自分のレベルにあったラグビーが出来るので、楽しくラグビーが出来ました。あるチームの選手が少ないから、そのチームに借り出されるということはありましたが、土曜日の試合の結果によってチームを移動するということはほぼありませんでした。
—— ラグビーのどういうプレーが好きでしたか?
高校の時はずっとセンターをやっていたので、ボールキャリアーが楽しかったですね。足はそこまで速くはありませんでしたが、ボールを持って体をぶつけていくのが好きでした。体が小さかったので、大きい人にぶつかっていくチャレンジが楽しかったんだと思います。
◆全てのプレーを自由に発揮出来るチーム
—— 日本に来たきっかけは何ですか?
当時の日本代表ヘッドコーチだったジョン・カーワンに誘われたのがきっかけです。もともとは大学に4年間通って、体育教師の資格を取ってから日本に来るつもりだったんですが、大学2年の時に日本に来たので、体育教師の資格は取れませんでした。
—— 日本に来る時にはサニックスに入ることが決まっていたんですか?
その時点ではサニックスには決まっていませんでした。たまたまサニックスとの繋がりがあって、チームを見学して、入ることを決めました。泊まったホテルから見た風景がニュージーランドに似ていました。
—— 初めて日本のラグビーを体験して、どう感じましたか?
"速い"と感じました。ニュージーランドでは公園にラインを引いてラグビーをしていて、グラウンドがドロドロの時もありましたが、日本のグラウンドは状態が凄く良くて、ボールが速く動かせると感じました。プレーに関しても、カンタベリーのチームは決まり事が多い中でプレーしていましたが、サニックスでは比較的自由にプレーをさせてもらっていたので、プレースタイルのギャップにも最初は戸惑いました。
—— 日本での試合は、日本代表とサニックスとではどちらが先でしたか?
日本代表です。初めての試合が、秩父宮ラグビー場で行われた韓国代表とのテストマッチでした。後半20分くらいからスタンドオフで出場しました。たぶん5年振りくらいのスタンドオフでした。なぜスタンドオフだったのかをカーワンに聞かなかったんですが、聞いておけばよかったですね(笑)。
—— スタンドオフの出来はどうでしたか?
キックパスをしたことは覚えていますが、他は覚えていません。キックパスをしたんですが、オフサイドがあって成功しませんでした。そのオフサイドをしたのがザワさん(小野澤)だった気がします(笑)。
—— それからは日本代表には選ばれていましたか?
その時は日本代表に呼ばれたのは1年だけでした。僕のパフォーマンスもあまり良くありませんでした。それからエディーさん(ジョーンズ)が日本代表の監督になって、5年振りに日本代表に選ばれました。
今、思い出しましたが、カンタベリーU19の時にスタンドオフをやりました。以前、コカ・コーラウエストレッドスパークスにいて、今、トゥシ(ピシ)と一緒にハリケーンズにいるティム・ベイトマンも一緒にU19に選ばれて、ティムが12番をやっていたので、僕が10番をやりました。クイーンズランドとオタゴとカンタベリーの3チームで、ホーム&アウェーで試合をした時に、エディーさんがクイーンズランドの監督をやっていました。
エディーさんと話をした時に、その当時の話になって、「クイーンズランドの12番に吹っ飛ばされてたね」って言われました(笑)。その選手はもうラグビーをしていないんですが、本当にビッグヒットされました。それしかエディーさんの印象には残っていなかったみたいです(笑)。
—— サニックスでは5年間プレーしましたが、サニックスでの一番の思い出は何ですか?
ラグビーで言えば、自分が持っている全てのプレーを自由に発揮出来るチームでした。2011-2012シーズンにサントリーとやった試合は、自分の中で一番大変な試合でした。
—— エディーさんが日本代表ヘッドコーチになったことで、また日本代表に選ばれたことについては?
エディーさんからは「パフォーマンスが良いからスタンドオフで日本代表に選ぶ」と言ってもらいました。サニックスでは最初の1年半はスタンドオフをやっていましたが、その後はずっとセンターでプレーしていました。
—— スクラムハーフでの出場はなかったんですよね
今シーズンの第10節の東芝戦とプレーオフ決勝の東芝戦だけですね。東芝と試合をする時はスクラムハーフをやらなければいけないみたいです(笑)。
—— 2度目に日本代表に呼ばれた時は、最初に日本代表に呼ばれた時よりも成長していると感じていましたか?
最初の日本代表の時は、他の選手の名前も顔もどういうプレーをするのかも知らず、他の選手がプレーをしている姿を見たことがない状態でチームに入ったので、かなり大変でした。今は知っている選手ばかりで、やりやすさを感じますし、落ち着いてプレーが出来る分、成長していると思います。
◆プレッシャーの中で勝てたことが嬉しかった
—— サントリーに入るきっかけは?
サントリーでラグビーがしたいという思いもありましたが、藤井さん(サニックスブルース部長兼監督)が、「もっと成長したかったら、トップ4のチームへ行って、チャレンジしても良いんじゃないか」と言ってくれました。今シーズンのサニックスはあまり良いシーズンにはなりませんでしたが、僕個人としては良いシーズンになりましたし、藤井さんが言ってくれた言葉が嬉しかったですね。本当に僕のために言ってくれたんだと思います。
もともとサニックスもボールを動かしてトライを取るというラグビーをしていましたが、サントリーの試合を見ていて、楽しそうなラグビーをすると思っていて、僕が入っても楽しめるラグビーだと考えるようになりました。
—— 実際にサントリーに入ってどうですか?
最高です。
—— トップリーグで史上初の全勝優勝を果たしましたが、プレーしていてどこがそういう結果に繋がったと思いますか?
チームの文化と、誰が出場してもプレースタイルが変わらないところだと思います。サントリーは誰が出場してもトライの取り方が変わりませんし、それをシーズン通して出来たからこそ、15勝することが出来たんだと思います。
—— サントリーのトレーニングは厳しいと感じますか?
短い時間で濃い練習をするので、コンディショニングが大事だと思います。体を動かすことが好きなので、トレーニングが苦しいとは感じないですね。
—— 今シーズンの中で、一番印象に残っている試合は何ですか?
開幕戦ですかね。移籍してきて、いろいろなプレッシャーがありました。開幕前の練習試合ではNECには負けていましたし、サントリーに移籍してきた日本人選手は初めてなので、プレッシャーを感じていました。自分の中だけでのプレッシャーだったかもしれませんが、活躍したい、勝ちたいというプレッシャーの中でチームとして勝てたことが、嬉しかったです。
—— プレッシャーは好きですか?
嫌いではないですね。
—— 楽天的な性格ですか?
日和佐ほどではないと思います(笑)。9番と10番で日和佐と組んで試合をしたら面白いかもしれないですね。日和佐も試合になるとスイッチが切り替わるので、その切り替えは凄いと思います。
—— サンゴリアスで大変と思うことはありませんか?
「SOS(ソス)」が大変だと思います。僕はSOSのメンバーではありませんが、早朝から練習しているところを見ていて大変だと思います。
—— 初めて優勝を経験してどう感じましたか?
トップリーグだけを考えれば良いシーズンだったと思いますが、サントリーは昨シーズン2冠を取っていますし、チームのテーマが「HUNGRY」で、昨シーズンの自分よりも成長することを目標にやっています。僕はサントリー1年目なので、まずはベースを作って、毎週毎週レベルを上げてきた結果が優勝に繋がっていると思います。
—— 一番自信のあるプレーは何ですか?
キックパスです。決勝でのキックパスは、村田君が良い判断をしてくれました。僕は全く蹴るつもりはなかったんですが、外からコールが聞こえたので、その時にハーフをやった小野澤さんからの素晴らしいパスを受けて、蹴りました(笑)。
—— 今後の目標は?
僕はあまり先のことを考えないタイプですが、日に日にレベルアップしていき、自分が納得出来るトレーニングとプレーが出来れば嬉しいですね。
—— 課題はありますか?
日本語がもっと上手くなりたいですね(笑)。日本語の勉強をし始めると頭が痛くなっちゃうんですよ。今は小学1年生くらいの漢字しか分からなくて、本は読むんですが英語の本を読むので、漢字が全然覚えられません。
—— ご両親は今もニュージーランドにいるんですか?
両親も妹もニュージーランドにいます。妹が2人いるんですが、下の妹は大学生で、体育教師の勉強をしています。上の妹はこの前大学を卒業して、今はPT(理学療法士)をやっています。2人の妹もスポーツが大好きで、下の妹はタッチラグビーのニュージーランド代表です。
—— ご両親や妹さんが試合を見に来ることはありますか?
毎年1回は見に来ていたんですが、今シーズンはタイミングが合わずに見に来ていません。僕も初めてラグビーをフルシーズンやっていて、ニュージーランドに帰っていないので、シーズンが終わったら帰ろうと思います。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]