SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2012年9月12日

#295 村田 大志 SOS5人目『自分らしいセンターになりたい』

スリークォーターバックスの中では、ニコラス選手(190cm)、平選手(185cm)に次ぐ身長の村田選手(181cm)。恵まれた体を活かしてのプレーで、トップリーグデビューが待ち望まれている。2年目を迎えた未完の大器が意気込みを語る。

◆父親が作ったラグビー部

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—— 出身地と家族について教えてください

菅藤心さん(2010年度引退)や浩二さん(平)と同じ出身地の長崎で、小学生の時からラグビースクールでラグビーをやっています。最初は親にスクールに連れて行かれて、そこから訳も分からないまま続けていました。

兄弟は姉と兄がいるんですが、兄よりも僕の方が先にラグビーを始めました。兄はずっと野球をやっていて、高校になった時にラグビーを始めたんです。なぜラグビーを始めたのかは分からないです(笑)。

父親は自分ではスポーツマンと言っていますが、そこまでラグビーが上手いとは思わないですね(笑)。父親が高校の時に、自分の高校にラグビー部を作ったんです。それが面白かったみたいで、子供にはラグビーをやらせたかったみたいです。その父親が作ったラグビー部が、竜太郎(竹本)などが出た高校(長崎北高校)のラグビー部なんです。今は長崎北高校も名門になりましたが、僕はそこには行きませんでした。

—— なぜ長崎北高校には行かなかったんですか?

ただ単に家から遠かったからです(笑)。家から近くて、長崎北高校と同じくらいのレベルの高校(長崎北陽台高校)に行って、決勝戦などで戦いましたが、負けてしまいました。3年間ずっと決勝は長崎北高校と長崎北陽台高校だったんですが、1回だけ2年生の時は、勝つことが出来て花園に出場しました。今はザキさん(尾崎)や浩二さんの出身校の長崎南山高校が強いみたいです。

竜太郎とは小学生の時から対戦していて、10数年間ずっと敵同士でしたが、サントリーで初めて同じチームの選手としてプレーしました。ずっと敵でしたが、県選抜などでは一緒にプレーしたこともあり、その時から頼もしい選手と思っていました。同じ長崎出身ということもあり、いい刺激になっています。

—— 大学時代ではどっちの方が先に試合に出たんですか?

大学時代は、竜太郎の方が早く試合に出たと思います。確か竜太郎は2年生の時から試合に出ていて、僕は3年生から試合に出ました。

—— ポジションはずっとセンターですか?

ポジションはずっとセンターですが、時々ウイングなどもやりました。

◆知らなかった人たちとチームを作る

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—— 子供の頃、ラグビーのどこに面白さを感じていましたか?

最初は面白いところよりも、辞めにくかったから続けた部分があります。父親からラグビーをやって欲しいという気持ちが伝わってきましたし、家から遠いラグビースクールに通っていたんですが、土日は毎週スクールに連れて行ってくれました。あと父親が怖かったということもあります(笑)。

—— お父さんはどこのポジションをやられていたんですか?

父親がラグビー部を作った時は、同好会みたいな感じで、自称ウイングと言っていました。

—— お父さんはラグビーのどの辺が好きだと思いますか?

これまで父親とラグビーの話はしたことがなく、父親がなぜラグビーが好きなのかは分からないんです。スクールの行き帰りの車の中で、その日の試合の反省点などの話はしましたが、父親の話は聞いたことがありません。

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—— ラグビーを続けていこうと思ったのはいつ頃ですか?

小学生の時は、やるしかないという思いでラグビーを続けていましたが、中学校の途中くらいから自分の意志でラグビーをするようになったと思います。小学生の時に入ったスクールは、まだ出来たばかりで、試合も出来ないくらいの人数しかいないチームでした。最初は竜太郎と同じスクールに入るよう誘われていたんですが、竜太郎とは同じチームになりたくなかったんです(笑)。

だから最初は人数を集めるところから始めて、自分たちの努力次第でどんなチームにでもなるというところに面白さを感じていたのかもしれません。父親がラグビー部を作った気持ちと近いかもしれませんね(笑)。僕が入ったスクールは、長崎で凄く有名だった中学校の先生が定年退職になられて、次はラグビースクールでラグビーを教えようということで作ったチームで、その先生がいるからそのスクールに入りたかったという気持ちもありました。チームを1から作っていくことが面白かったと思いますし、新しい環境で今まで知らなかった人たちと一緒にチームを作り上げる過程が、凄く面白かったように感じます。

—— 中学を卒業する頃には高校でもラグビーを続けようと思っていたんですか?

中学生の時は高校でもラグビーをやることを決めていて、当時強かった高校に進学することを決めたんですが、高校を卒業する時は大学でもラグビーを続けるかどうか迷いました。

—— 高校時代の花園の思い出は?

高校の時は花園でベスト8になることが出来て、凄く良い思い出になっています。その年に優勝したのが伏見工業だったんですが、準々決勝で伏見工業と試合をして、ロスタイムで逆転されて負けました。全国で優勝したチームに、あそこまで対等に試合が出来たことは自分の中でも自信になりましたし、凄く良い思い出です。高校3年生の時には長崎予選の決勝で負けてしまいましたが、長崎は毎年花園に出場出来る高校があるわけではないですし、どの高校にも花園に出場出来る実力を持っている県なので、長崎県予選で優勝出来なかったから恥ずかしいという思いはありませんでした。ただ自分の学年では花園に出場したかったという思いはありました。

◆スピード対決

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—— 大学は早稲田大学を選びましたが、その理由は?

早稲田大学が当時一番強くて、大学でラグビーをするならば早稲田と思っていました。早稲田大学にはサマースクールという早稲田大学のラグビーを体験出来て、受験指導などをしてくれる講習みたいなことがあって、そこで受験して欲しいという流れになって、成績の面で推薦をいただくことが出来たので、受験しようという思いになりました。別に勉強は得意ではありませんでしたが、通っていた高校は進学校で、周りは国立大学を目指す人たちが大勢いる高校だったので、僕も国立大学を目指そうかとも思っていました。

—— 当時の監督は中竹竜二監督ですか?

中竹監督です。当時は畠山さん(健介)や五郎丸さん(歩/ヤマハ発動機ジュビロ)などがいて、テレビで見たことがある人と一緒に寮生活を始めて、ずっと緊張しっぱなしでした。1年生の時は4年生が本当に怖かったですね。だからと言って、4年生が卒業した時は嬉しくはありませんでした。2年生の時は自分の中でも余裕が出てきて、少しずつ上のチームに入ることが出来ていたので、楽しくなってきた頃でした。

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—— 順調な大学生活でしたか?

はたから見たらそこまで挫折もなく進んできたように感じるかもしれませんが、大学1年生の時に肩を脱臼して手術をしましたし、1年生の時の大半はずっとリハビリをしていました。そして2年生の時は、清宮監督(克幸/ヤマハ発動機ジュビロ監督)の時から対抗戦でずっと連勝していた帝京大学に負けてしまったんです。その試合でグラウンドにいて、凄くショックでした。2年生の時は、帝京大学に負けた後はずっと調子が上がらず、3年生になって心機一転という気持ちで切り替えました。

—— 自身のプレーの持ち味はどこだと思いますか?

今であればディフェンスと答えますが、大学生の途中までは凄くディフェンスが苦手で、当時はディフェンスが出来ないから試合には出さないと言われていました。そこからディフェンスの練習をするようになりました。当時と今では選手としての特徴がまったく違うと思います。

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—— 当時はなぜディフェンスが苦手だったんですか?

単純にアタックが好きで、ディフェンスが嫌いでした(笑)。今はアタックもディフェンスも好きです。ディフェンスが出来るようになれば、試合に出られる確率がグッと上がると感じていたので、ディフェンスの練習をしたんです。3年生の春からずっとディフェンスの練習をしていて、そこから評価してもらえるようになり、レギュラーになることが出来ました。

ディフェンスをすることは難しかったんですが、気持ちの面が大事だと感じました。そもそもはタックルが出来ない人間でしたが、タックルだけをずっと練習していたら上手くなっていきました。ディフェンスに関しても、アタックと同様に自分をアピール出来る場だと思います。ただ大学と同じタックルではトップリーグでは通用しないので、サントリーに入って、更にタックルの技術を身に着けないといけないと感じました。

具体的に言うと、大学時代は、最初から構えて突撃するというイメージですが、トップリーグでは最初から構えていると、特に外国人選手などは倒れないです。タックルする瞬間にスピードを変えるとか、いかに相手が構える前にタックルをするかが大事になります。ディフェンスする側もアタックする側も構えていない状態から、いかに素早く構えてタックルをするかというスピード対決です。

—— 他に大学時代で印象に残っていることはありますか?

自分の学年で優勝出来なかったことですね。1年生の時からずっと言われていたんですが、当時の早稲田大学には「優勝以外は意味がない」という文化があって、その気持ちは大事だとは思いますが、その気持ちが強すぎて固くなってしまう面もあったと思います。ですが、帝京大学に負けた試合を今振り返っても、帝京大学の方が強かったと思います。

◆このチームが好き

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—— サントリーを選んだきっかけは?

サントリーに一番早く声を掛けていただきましたし、会社としてもラグビーチームとしても一番魅力があるのがサントリーだったので、サントリーに入ることを決めました。実際にサントリーに入ってみて、予想以上に練習が厳しかったですね。仕事の面でも予想以上にしっかりと仕事をするんだと思いました。

—— 1年目は大変だったんじゃないですか?

大変でしたが、仕事もちゃんとやれることは良いことだと思いましたし、色々な経験もすることが出来ました。練習は厳しかったんですが、自分のためになっているとずっと感じていました。

—— 社会人になっていきなり2冠を経験しましたが、どう感じていますか?

今までは優勝しても自分が試合に出ていなければ嬉しくないという気持ちが心のどこかであったんですが、昨シーズンの2冠獲得は、チームの一員でいることが出来て嬉しく感じました。

—— その意識の違いはどこから生まれていると思いますか?

大学の時は、自分のプレーをしっかりやることだけを考えていて、チームということを意識したことはありませんでしたが、今はこのチームが好きですね。

—— 大学と社会人との違いを一番感じたところはどこですか?

大学と社会人の違いは、練習の質から違うと思います。大学は練習が長くて、何のための練習かが分からなくなる時がありました。サントリーの練習は短い分、1つの練習にも意図があって、やることをシンプルに提示してもらえるので、自然と練習の質が高くなります。練習の質を高くすることも捉え方次第だと思います。

個人のスキルの部分でも、例えばボールをもらう時のスキルなど、全体的にレベルアップしていると思います。まだまだ足りない部分はありますが、大学時代はそこまで考えずにプレーしていたと思います。アタッキングチームではスキルがあることが当たり前ですが、自分自身でもスキルが上がっていると感じます。

◆1つでもキャップを取る

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—— サテライトなどの試合を振り返って、自身の評価は?

良いプレーもあれば良くないプレーもあって、いつも同じプレーが出来る選手が良い選手だと思うので、そういう部分ではまだまだだと思います。特にアタックはまだまだです。ディフェンスではあまりブレることはないので、大学時代にしっかりと練習をしておいてよかったと思います(笑)。

—— 今の課題は何ですか?

まだ自信を持って当たり負けないとは言えないので、フィジカルの部分ですね。あとはアタックでボールを触る回数を増やすことが大事だと思います。1年目の時と比べると、体脂肪は減って、筋力が増えているので、体は大きくなったと思います。体重はそこまで増えてはいませんが、体の質は上がっていると思います。あとスピードも大学と比べると上がっています。走るということに関しては速くなっていると思いますが、それを試合に活かせるようにならないといけないと思います。

—— 今思うラグビーの魅力は何ですか?

考えたことがないですね(笑)。今はメンバーに入りたいという思いしかありません。

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—— ラグビーをしていて楽しさを感じる部分はありますか?

サントリーでラグビーをすることは凄く居心地が良くて、ラグビーに集中出来る環境だと思います。試合にはどんどん出たいという気持ちはありますが、まだまだ平さんよりも下だと思います。その中でも昨年よりもレベルアップしている部分があり、平さんに勝っている部分もあると思います。センターとしてタイプが違うので、自分らしいセンターになりたいと思います。

—— 自分らしいセンターとは?

今は運動量を意識してプレーしています。平さんの運動量が低いというわけではないですよ(笑)。平さんはフィジカルも強いんですが、1つ1つのプレーの質が高いので、運動量も質も高めていかなければ勝てないと思っています。

—— お父さんは今も応援してくれていますか?

応援してくれていると思います。父親は長崎に住んでいて、僕が試合に出ることになったら、応援に来るかは分からないですけど、僕がチケット代を出せば応援に来ると思います(笑)。

—— 今シーズンの目標は?

昨シーズンは1キャップも取れませんでしたが、1つでもキャップを取ることが出来れば自信にもなると思いますし、メンバーに入るチャンスも増えてくると思うので、これから出来るだけキャップを取り続けられるようにしていきたいと思います。

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(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]

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