2011年6月 1日
#242 大島 佐利 『サントリーでのレギュラーは日本代表と同じくらいの位置にある』
◆来シーズンのお楽しみ
—— 出身地はどちらですか?
僕は栃木県栃木市出身です。大学に入るまでずっといました。
—— 栃木県のラグビー熱はどうですか?
徐々には高まっているみたいですが、昔は不毛の地と言われていたみたいですね。
—— トップリーグの選手は?
最近増え始めました。僕の出身高校が國學院栃木高校なんですが、多くの先輩がトップリーグでプレーしています。以前は、他の高校出身の方もトップリーグでプレーしていましたが、引退してしまいました。
—— 昨シーズンは最後の2試合に出場しましたが、その前は?
コカ・コーラウエスト戦に、No.8で出場しました。僕は大学時代にNo.8をやっていたこともあり、一度だけNo.8で試合に出ました。その試合もリザーブで入っていて、最後の5分、10分間だけ試合に出ました。それがトップリーグデビューです。
—— デビューしてみてどうでした?
大学の時に何回も試合をしていた熊谷ラグビー場だったので、思ったよりは緊張しませんでした。ただ時間が短くて、何も出来ませんでしたね(笑)。
—— ボールには触りましたか?
ブレイクダウンに少し入っただけで、ボールには触れませんでした。けど、本当に嬉しかったということは覚えています。
—— デビューから次の出場まで時間が空きましたが、自分ではどうして出られなかったと思いますか?
僕に欠けているのは、プレーの正確性だと思っていて、その部分が改善出来ていなかったことが、いちばん大きかったと思います。
—— 社会人にになって、どこが大学時代とのギャップだと思いますか?
相手からくるプレッシャーが今までとは比べ物にならないことが、僕の中で正確にプレーすることへのプレッシャーとなってしまっていました。
—— 試合に出ていない間、そこを課題に取り組んでいたんですか?
変な考え方なんですけど、プレッシャーを感じるくらいなら、相手を見ないでプレーしようと思い、そこから徐々に良くなっていきました。相手がどうこうよりも、自分のプレーに集中することへ絞って練習していました。
—— いまと学生時代では、プレー自体が違いますか?
思い切りが良くなりました。自分のいちばんのスピード、いちばん得意な形を、何も気にせず出せるようになりました。
—— 考え方が変わったきっかけは何だったんですか?
社会人になって、上手くやろうと凄く考え過ぎてしまっていました。デビューのコカ・コーラウエスト戦の少し前に、リコーと練習試合があり、その時に社会人で初めてNo.8で試合に出ました。それまではセンターやウイングで出ていて、上手くやろうとか、綺麗に抜こうと考えていました。ただ社会人でいきなりNo.8をやることになって、どうしようか悩みましが、試合の前には変に開き直っていましたね。もし上手く出来なくても、指名した監督やコーチのせいにしようというくらいに思っていました(笑)。そして開き直って試合に出たら、良いプレーが出来たんです。そこで、バックスに戻った時も開き直ってプレーしていけばいいのかなと思いました。それに気づけて良かったと思っています。
—— その開き直りが、トップリーグセミファイナル、ファイナルでの出場に繋がったと思いますか?
そう思いますね。昨シーズンはその開き直れたことが、いちばん良かったと思いますね。
—— セミファイナル、ファイナルの感触はどうでした?
その時も時間が短くて、ボールを触る機会がなかったんですが、ディフェンスをしていて通用する部分はあると思いましたし、嬉しくて楽しかったですね。
—— バックスデビューでもあった訳ですね
ボールを触りたかったという思いはありましたが、そこまで違いも感じず、緊張もあまりしませんでした。その時も5分くらいの出場で、セミファイナルではボールを触れず、ファイナルではボールにかすったくらいでした(笑)。セミファイナルの東芝戦では、ずっとディフェンスをしていてボールは触れなかったんですが、短い時間でも良いディフェンスは出来たと思っています。ファイナルの時は、ハイパントの処理に行って、相手に競られてボールにかすったくらいで取れませんでした。
—— まだまともにボールを持って走ったり、パスをしたことはないんですね
それは来シーズンのお楽しみにしておきます(笑)。
◆チームが一体となってやるスポーツ
—— ラグビーはいつ始めたんですか?
高校1年の冬くらいですね。それまでいろいろなスポーツをやってきたんですが、いちばん長くやってきたスポーツは野球でした。
—— 高校で甲子園を目指すことはなかったんですか?
目指したかったんですが、僕は下手だったんです(笑)。ピッチャーをやっていて、頭を使ってピッチングをしていたんですが、頭を使い過ぎていて下手だったのかもしれないです。あまり変化球も曲がらないんですけど、変化球を際どいコースに決めることばかり考えて、スパーンと打たれていました。
—— どうしてラグビーに転向しようと思ったんですか?
野球に限界を感じていたこともあるんですが、当時は僕はもう少し細くて足も速くて、それを高校のラグビー部の監督が知っていてくれたみたいなんです。高校に入った時からずっとラグビー部に入らないかと誘ってくださっていて、野球を続けるか迷っていた1年の冬にラグビー部に入ってみようかなと思い、軽い気持ちでラグビーを始めました。
—— ラグビー部に入って、最初はどう感じましたか?
最初は「何だこれ」と思いました(笑)。コンタクト練習をしていても、「お前は女の子か」って怒られていました。野球では人に当たることがないので、コンタクト練習が怖かったですね。最初は出来なかったんですが、監督につきっきりで教えてもらうようになってから出来るようになりました。
—— 続けられたのはなぜですか?
ラグビー部に、同じクラスの仲の良い友達がいたこともありましたし、試合に出て、分からないなりにもトライを獲ることが出来て楽しかったですね。徐々にラグビーが面白くなりました。
—— どの辺が面白かったですか?
そんなに強いチームではなかったんですが、僕がトライを獲ったときはチームのみんなが喜んでくれましたし、チームが一体となってやるスポーツだと感じました。
—— 野球をやっていながら、ラグビーに興味を持ったのには何か理由があったんですか?
姉が3人いるんですが、姉のクラスメイトにラグビー部の人がいて、姉と一緒に試合の応援に行ったりしていて、小さい頃からラグビーを見る環境はあったんです。あと県大会の決勝がテレビで放送されていて、姉の友達が出ているということで見ていました。
—— お姉さんが3人いて、待望の男の子だったと思いますが、ご両親が応援に来たりすることはありますか?
大学の時から、僕がAチームで出る試合には必ず両親が見に来てくれました。
—— お父さんはスポーツマンでしたか?
高校まで卓球をやっていたみたいです。どちらかと言えば母親の方がスポーツをやっていて、もう廃部にはなってしまいましたが、昔ヤクルトのバレーボールチームにいました。そこで大松博文監督(東京五輪女子バレー金メダル監督)に少し教わっていたと言っていましたね。大変だったとも言っていました(笑)。
—— お姉さんもスポーツをしていたんですか?
1番上の姉は特に何もしていないですし、2番目3番目の姉も中学時代にバレーボールをやっただけですね。いま本格的にスポーツをやっているのは僕だけですね。
—— ラグビーのどの辺に興味を持ちましたか?
ウイングの人が走るところを格好良いと思って見ていましたね。
—— 高校でラグビーを始めて、その時からバックスですか?
それからずっとバックスで、フォワードでプレーしたのは、大学の4年の1年間だけですね。大学4年の時は、一切バックスはやりませんでした。
—— 高校時代、ラグビーのいちばんの思い出は何ですか?
悔しい思い出しかないですね。花園には出場することは出来たんですが、そこでもいいプレーが出来ずに終わってしまったという感じでした。
◆善戦という言葉はない
—— 早稲田大学への進学はどうやって決めたんですか?
正直な話、大学ではそこまで本気でラグビーをやるとは思っていなかったんです。準硬式の野球をやろうかとも思っていました。高校の時に僕らの代が始まって最初の新人大会の時に、試合が終わった後にいろいろな大学の方からお話を頂いて、そこで初めて大学でもラグビーをやろうかと考えるようになりました。
早稲田大学に決めたいちばんの理由は、僕の高校でコーチをしていた古庄さん(史和)が、清宮さん(克幸)の下で、ずっと早稲田大学のコーチをしていたんです。僕が高校3年の時に、古庄さんがコーチとして高校に来て、それから早稲田の話や試合の映像を見させてもらって、早稲田に行きたいという思いになりました。
—— 早稲田大学に入ってみてどうでしたか?
早稲田大学に入れて良かったですね。凄い世界を経験出来ましたし、悔しい思いも、嬉しい思いも出来ました。
—— 中竹監督はフォロワーシップと言っていますが、実際に指導を受けてみていかがでしたか?
僕らの意見を聞いてくれましたし、中竹さんがこうしようと言ったことでも、そこに僕らの意見も取り入れてくれたので、本当に僕らのチームという思いでプレーすることが出来ました。
—— 何年生の時から試合に出ていましたか?
2年生の時からちょくちょく試合には出ていましたが怪我などもあり、本当にレギュラーとして試合に出たのは4年生の時ですね。
—— 順調に成長出来たと感じますか?それとも紆余曲折でしたか?
大学2年、3年の時は、良いところまでは行くけど、そこで怪我をしたり試合でミスをしたりしていたので、本当に悔しかったですね。
—— 高校時代とは違う面白さはありましたか?
早稲田は独特の雰囲気があると思いますが、その独特の世界に入れて、その中で本気になって試合に出ること、優勝を目指す環境でラグビーが出来たので、楽しかったですし自分のためになりました。
—— 独特とは具体的にどういう雰囲気ですか?
みんなが負けちゃいけない、負けることはあり得ないと口にしていますし、善戦という言葉はない、勝ちか負けしかないと言われてきました。本当に勝つことにこだわる世界でした。あといちばんは、高校までは無名で、勉強して早稲田大学に入った選手でも、本気で努力して試合に出ていて、そういう環境の中にいることが出来たので、良い経験が出来ました。
—— 負けた時の雰囲気はどういう感じなんですか?
負けた次の日の練習では、監督に何かを言われたわけでもないのに、みんなの目つきが変わり、練習をしていましたね。いちばん凄いと思ったのは、1年の夏合宿をBチームで参加したんですが、いままでBチームのキャプテンだった人が、たまたま怪我をして試合に出られなくて、その試合に負けてしまったんです。その人が次の日の朝、誰よりも早く起きて、走り込みをしている姿を見て、凄いチームだと感じました。
—— 大学時代でいちばん良かったことは何ですか?
あのチーム、あのメンバーで試合が出来たことが良かったですね。
—— 大学時代は、自分の力を出し切れたと思っていますか?
自分自身に対しても、チームに対しても、もっとやりたい、もっとやれるんじゃないかという思いはありました。最後は負けて終わってしまったので、どうしてもあの時こうすれば良かったんじゃないかという思いが出てきてしまいますよね。終わってから言うことじゃないですが、自分がもっとこうしていればとか、そういう思いは全員が持っていると思います。
—— 大学時代に泣くこともありましたか?
学生時代はよく泣いていましたが、社会人になって泣くことはなくなりましたね。
◆自分のプレーに集中
—— サントリーに決めた理由は何ですか?
3年の時に社会人のチームのどこからもお話が来なかったんです。自分としては社会人でも続けたかったんですが、誘われることがなかったので、普通に就職するのかなと思っていました。当時は怪我でリハビリをしていて、その日もリハビリのためにグラウンドに出たら、坂田さん(正彰/チームディレクター)がいたんです。僕を見に来たじゃないだろうと思いながらも、わざと何度も坂田さんの前を通りましたが、声はかけられませんでした(笑)。残念に思いながらもリハビリをしていたんですが、コーチに呼ばれて行ったら坂田さんがいたんです。そこで誘ってもらって、その後のリハビリは嘘みたいに楽しく出来ました。
—— 他のチームからは誘いはなかったんですか?
坂田さんから声を掛けて頂いた後に、他のチームからも誘いはありましたが、自分のプレースタイルなど総合的に考えて、サントリーがいちばん合っていると思いました。
—— 実際にサントリーに入ってどう感じていますか?
本当に楽しいですし、良いラグビーが出来ていて、成長出来ていると感じています。
—— 最初にも話に出ましたが、学生と社会人でのギャップにはあまり悩みませんでしたか?
最初は凄くギャップを感じました。サントリーに入った当初は、いまよりも5~6kgくらい体重が重かったんですが、それでも僕よりも体重の軽い人の方がコンタクトが強いですし、それでも凄く足が速くて、なぜと思いました。
—— いまはその部分ではどう感じていますか?
徐々に追いついてきたかなと思っています(笑)。足が速い方ではないですが、この1年でコンタクトに関しては自信を持って出来るようになりました。
—— 自分自身で、フィジカルには自信がありますか?
どちらかと言うと、フィジカル面には自信を持っていますね。
—— どちらかと言えば、自分のことは頭を使うプレーヤーだと思いますか?
頭を使わない方が良いですね。大学の時から「何も考えるな」って言われていました(笑)。それを言われて悔しかった思いをした記憶がありますが、大学4年の最後の時も「最高のパフォーマンスをすることだけを考えてくれ」と言われましたね。それを言われたことで、自分のプレーに集中しようと思ってプレーしました。
—— ラグビーを始めて、大学、社会人と日本一のチームでプレーしてきましたが、そういうチームでプレーすると想像していましたか?
想像はしていなかったですが、自然とそういうチームでプレーしてきましたね。
—— 壁がなくここまでラグビーを続けてきたと感じられますが、自分ではどう感じていますか?
変な話ですけど、ラッキーだったと思いますね。良いタイミングで、良い指導者、良い仲間に巡り合えたので、ラグビーを始めよう、早稲田でラグビーをやろうと思えましたし、それがあったからサントリーでラグビーが出来ているんだと思います。
—— まだラグビーを始めて7年しか経っていないし、まだまだ成長しますね
まだまだ課題は多いですね。スキル面でももっとやれると思いますし、体の面でもよりスピードを付けて、よりコンタクトが強くなれると思っているので、これからまだまだ成長出来ると思っています。
—— 1年間サントリーでラグビーをして、得たものとは何ですか?
日本一になったチームで1年間やったことが大きな自信になりましたし、このチームにいれば自分ももっと成長出来ると感じました。来シーズンこそは、日本一になる時に試合に出ていたいと思いましたし、自分自身まだまだやれると感じています。
◆レギュラーを獲得できるように
—— いままでキャプテンやバイス・キャプテンを経験したことはありますか?
やったことはないですね。本当に自分のことを一生懸命やることが合っているんだと思います。キャプテンなどは、まず自分のことをやってからだと思います。
—— 自分の性格はどういう性格だと思いますか?
こだわっているように見せて、こだわっていない性格だと思います(笑)。ストレスを溜め込むタイプでもないですし、嫌なことがあっても寝たら忘れてしまうようなタイプだと思っています。
—— 仕事はどうですか?
同じようなミスを繰り返してしまうんですが、会社のチームに良い人ばかりで、温かく見守ってもらっています。僕は赤坂にいるんですが、僕の右側にはヤスさん(長友泰憲)がいて、目の前に玲央さん(岸和田)、後ろには圭太さん(長谷川)、辻本がいます。あと平さんが僕の右斜め前です。
—— 大島選手の仕事のコーチ役は誰でしたか?
心さん(菅藤/2011年3月引退)でした。福岡に異動になってしまいましたが、本当にお世話になりました。
—— オフの日は何をしていますか?
部屋の掃除をしているか、あと最近車を買ったので、ドライブに行くことが多いですね。
—— ファンにメッセージをお願いします
来シーズンは1年間やってきたことに更に磨きを掛けて、1試合でも多くでもではなく、今年はレギュラーを獲得出来るように、そこを目標に頑張っていきたいと思っています。そして僕が試合に出られるようになって、必ず2冠を獲得し、良いシーズンにしたいと思っていますので、ぜひグラウンドに来て応援して頂ければと思います。
—— 今年はワールドカップがありますが、日本代表へのイメージはありますか?
将来的になれたらいいなとは思います。凄く感じているのが、サントリーのバックスの方は日本代表が多くて、センターは2人とも日本代表ですし、サントリーでのレギュラーは、日本代表と同じくらいの位置にあると思うので、凄くイメージしやすいですね。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]