2010年12月28日
#222 特別編[故・山本和宏氏 追悼特集] 高澤祐治+長谷川圭太 『まだまだですよ-3』
◆相当喧嘩もした
—— 選手達はどう感じているのか。長谷川選手にも聞いてみたいですね。でも、そういう経験が選手のためにもなるし、勉強になるんですね。
そうですね。山本さんは言うことを聞かない選手、例えばまだリハビリ過程なのに、無理して復帰しようとする選手だったり、ラグビー以外での生活がアスリートとして不十分な選手などとは、相当喧嘩もしたんじゃないですかね。そういうことまでしっかりと考えていました。怪我をしている選手は、不安も抱えてますし、辛いですから、そこをコントロールしながら上手に仕上げてくれていました。
—— 山本さんはラグビー以外にもいろいろなスポーツを見ていたんですか?
チームにくっついてということではなかったですが、サッカー、バレーボール、ハンドボールの高校生選手、柔道、いろいろな選手を見ていました。Jリーグの選手が山本さんを訪ねて来ることもありました。
—— 若い選手の怪我への対応はやはり重要なんですか?
大事ですね。高校生くらいの時がいちばん教育が必要です。例えば、前十字靱帯の損傷の患者さんがいたとすると、1カ月後に手術ということになります。そこで手術の前に山本さんに預けると、先ず彼は、「なぜあなたは前十字靱帯を損傷したのか?」というところから教育に入ります。そこを先に教育してから手術に入ります。
—— そうすると。手術が終わると、どういうトレーニングをしてこなかったということや、これからどういうことをしなければいけないかが分かってるので、回復が早いということですね。
そうです。それからもずっと教育して行きます。
—— それには食事に関することもあるんですか?
サントリーの場合は、食事に関しては栄養士がやってくれます。食事に関しては、選手も怪我してリハビリをしていてストレスが溜まっているのに、食べ物のことまで言わたくないということがありますから、バランスと距離の取り方が非常に難しいなと思います。
◆選手よりメディカルの方が選手の体に詳しい
—— 高澤先生から見て、怪我をした時、何がいちばん大切ですか?
先ず第一に、怪我をしないことがいちばん大切です。そのために、僕らメディカルスタッフが集まっていろいろなディスカッションを行っています。若井君(正樹)とか新田君がそこの部分に非常に気を遣ってくれていて、トレーニングメニューを組んでくれています。選手の疲れや過去の怪我や、体の筋力のバランスなど、そういうところまで考えてやってくれています。
さっきの話にもつながりますが、病院での普通患者さんへの対応では、膝を怪我した患者さんがいれば、膝を治して退院しますが、サントリーではトータルとして見ているので、腰が痛いとか首が痛いとかいう時に、そこだけではなくて体をトータルで見て把握して、メディカルミーティングをして、どういうトレーニングをするかを決めてやっています。選手より、メディカルの方が選手の体に詳しいと思います。山本さんもそうですが、今いる吉田さん(一郎)、若井君、新田君、田代君、みんな分かっていると思います。
—— 小野澤選手はそういうことに対して、自分の考えをしっかり持ってるという印象がありますが?
彼は分かっていますね。だから怪我をしませんし、怪我をした時も、他に比べて治りが極端に早いです。普通の人の3分の1くらいのスピードで復帰しますね。体のバランスが非常に良いんです。山本さんに言わせると、体のコア(幹)がしっかりしているということでした。体幹がしっかりしていないと、いくら筋力トレーニングをしてもダメなんですが、彼は体幹が強いので、パフォーマンスに繋がるんですね。30歳過ぎてジャパンでウイングであれだけやれている選手、他にいないですよね。
—— エディーさんの話は、メディカル面で参考になることも多いですか?
その辺はよく話をしっかりされています。1週間に1回メディカルミーティングをしていますが、昔は何時間もかかっていたんですが、今は5分ですね。怪我人の確認をして、それについて僕が話して、エディーさんが話して終わりです。
—— 昨年に比べて怪我人が非常に少ないですね
今年は少ないですね。企業秘密で言えないこともありますが(笑)、やはり春に非常にきついトレーニングをしてきて、春は怪我が結構出ました。記憶にあると思いますが、春シーズンにプロップがみんな怪我をして、スクラムが組めない時期がありました。そこで、練習のボリュームを下げてしまうと、また同じ負荷がかかった時にまた同じ怪我をしてしまうんですが、そこを我慢して続けたことで強くなりました。
エディーさんを含めて、自分たちのやりたいラグビーをするために、そこはどうしても落とせないところだったので、ついてこれない奴は捨てるしかないとう厳しい状況でやってきた成果が、いま出始めているんだと思います。春から今までのシーズンで、怪我人が5人に届いた時期は1回もありません。この前の三洋電機戦を見ても、後半残り20分でも、サントリーの選手はほとんど倒れていなかったですよね。
[長谷川圭太]
僕の場合は多分、他の人と違う山本さんとの出会いです。大学3年の時に怪我をして、その時から見てもらっていますが、膝、前十字靱帯の怪我でした。大学で前十字を切ったんですが、その頃から見てもらっていました。その時はそれで終わったんですが、4年の時にまた大きな怪我をしてしまいました。全く同じ前十字靱帯を切ってしまい、またお世話になりました。
その時はリハビリのメニューがすごくキツくなりました。みんなに聞いても分かると思いますが、山本さんのリハビリメニューは本当にきつくて、週に1回だけリハビリをするのを3カ月くらい続けていましたが、それが水曜日で、当時水曜日が嫌で嫌で仕方ありませんでした。卒業したらサントリーに入ることになていて、「サントリーって、怪我人でもこれだけきついんだから、グラウンドの練習に入ったらどれだけきついんだろう。俺どうなっちゃうんだろう」っていう不安に掻き立てられた記憶があります。その時点でとんでもない時間、山本さんとリハビリを一緒にしていました。
それから、学生時代はすごく怒られました。まだ社会人になる自覚がぜんぜんなかったんですね。12月にシーズンが終わって、すぐに手術をして、12月はずっと入院していたんですが、2月と3月は通いでリハビリをしていたんですが、ちょうど卒業旅行とかの時期で、お金も貯めていました。ずっと楽しみにしていたんで、3回行ったんですが、行く度に日焼けして戻ってきてという感じでした。それで最後の3回目に帰って来た時に、病院でどなられて怒られました。「お前は何考えているんだ!サントリーに入る自覚があるのか!」と。そこでハッと気付かされました。めっちゃ怖いんですけど、選手のことを真剣に思って怒ってくれる人なので、その時はただ怖い人だったんですが、本当に大事な人だと思いました。たぶん、1回目も2回目も、そうとうイライラしていたと思います。旅行中も言われたメニューを一応やってはいました。一応です(笑)。
サントリーに入った年は8カ月ずっとリハビリで、夏に復帰しました。その後の練習がきつくないということではないですが、リハビリが圧倒的にきつかったので、すんなり入って行けたと思います。山本さんに大きいことで怒られたのはそれが最後ですが、その後も細かいことでちょくちょく怒られました。例えば、時間に遅れたり、それを連絡しなかったりとか、常識的なことが出来ない時は怒られます。
監督とかより指導していただいた時間が長いのもありますし、非常に怖くもありました。2年目に足首を脱臼骨折しましたが、その時も山本さんに見てもらいました。骨も6本折れていて、最初は治るか分からないと言われていたんですが、その時僕はあまり考えずに「山本さんが言った通りにすれば、いつかまたラグビーができるかな」と思っていました。リハビリに行く度に、山本さんがマッサージをしてくれたり見てくれて、その時はそれが当たり前になってしまっていましたが、今思えば、もう少し山本さんに対してちゃんとしておけばよかったなと思います。
今年サントリーに入って5年目ですけど、大学時代から合わせると相当な時間を山本さんと一緒にやっています。山本さん抜きでは語れないラグビー人生です。本当に厳しい人なんですが、入院している時は、病院の食事に飽きただろうと、お昼に目の前のレストランに連れて行ってくれたりしました。週末に外泊したいと言ったら、先生と掛け合ってくれて、リフレッシュさせてくれたりとか、辛い時にはいろいろ考えて優しくしてくれることもありました。
復帰して僕が試合に出た時はすごく喜んでくれました。去年、前十字を切った時も、温かくと言うか、「また頑張るか、調子良かったのにな」なんて言って迎えてくれました。その時は正直「また山本さんとか」と思いましたけど(笑)。
それで、山本さんが急に体調を崩したと聞いたのが、そのリハビリ期間にだったんです。いつもは病院で見てもらっていたんですが、ちょっと山本さんが病院で検査をするから、今日はクラブハウスでリハビリをやってくれと言われて、「あぁ分かりました」なんて言ってやっていたら、しばらくして戻って来たんですね。そうしたらまた検査で、病院に行くと言われて、「大丈夫ですか?」みたいな感じで言っていたら、それきり、病院には来なくなりました。その時から入院していたんだと思います。最初はちょっと体調崩したのかなというくらいでしたが、全然戻ってこないので、ちょっと良くないのかなと僕は思っていました。あまり心配するというよりは、いずれ戻ってくると思っていました。
山本さんとは、僕の怪我の多さについて話をしました。体重の割に機敏な動きをしてしまい、膝が体を支え切れなくて怪我をしていると言われ、120キロあったのを、今110キロくらいにしています。山本さんは、入った時から体重落とせと言っていてんですが、僕も1年目は半分聞き流していて、やっと落として、試合に出たら「ほら言っただろ」と言われました。
山本さんは僕にとって親ではなくて、兄貴分的な感じです。病院からグラウンドまで僕の車で一緒に行ったりもしましたが、車の中でプライベートのことも結構話したりしました。車が好きだったので、車を買おうとしていた時に相談したり、山本さんが自転車が好きなので、自転車自慢を聞いたりしていました。休みの日は自転車で来ていましたね。だから車もハイエースかなんかを買って、それに自転車を積んで行きたいところへ行って、そこで自転車に乗るというのが好きだったみたいです。大会やレースみたいなものにも出たことがあるとも言っていました。
山本さんは自分にも厳しいですね。リハビリをしていても、常に新しいことを取り入れようという姿勢がありますし、僕より山本さんの方が日々進化してるなと思ってました(笑)。林さん(仰/OB)がアキレスけんを切っていて、小川が前十字、僕が骨折の時期にみんなで病院に行って、リハビリが終わってから山本さんと4人で話していた時期があるんですが、その時がすごく印象に残ってます。やっぱりまだ実感出来ないですね。また次、怪我をしたら、順天堂で手術して、病院に行ったら山本さんがいるんじゃないかなぁって思います。多分僕の場合、怪我をして、初めて実感するんだと思います。でも、怪我をしない方が良いですね。怪我をしたら、怒られちゃいますから(笑)。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]