2010年12月28日
#221 特別編[故・山本和宏氏 追悼特集] 高澤祐治+田中澄憲 『まだまだですよ-2』
—— スポーツメディカルの分野は、世界的に見るとどこの国が進んでいるんですか?
オーストラリアですね。オーストラリアはフィジオセラピストと言う職業が確立されていて、自分で開業できるので、ドクターは手術をすると、優秀なフィジオのところにリハビリさせに預けます。日本では病院の中でしか働いていませんから、そういうことが出来ないんですね。山本君はサントリーで独学で何年か学んでから、オーストラリアへ、フィジオセラピストの資格を取りに行ったりもしていましたし、勉強もしに行っていました。サントリーでオーストラリアに遠征へ行く機会が何度かあって、そこでフィジオセラピストを見て刺激を受けたと言っていました。
—— オーストラリアがそういう分野で進んでいるのはなぜですか?
やはり国を上げてスポーツを強くしようという取り組みじゃないでしょうか。オーストラリアの他に、アメリカもスポーツ医学は発達しているんですが、オーストラリアのシステムとはちょっと違うんですね。
—— サントリーはどちらかと言うとオーストラリア方式ですか?
そうですね。
—— どういうところが優れているんですか?
システムですね。僕は、エディーさんがワラビーズの監督だった時に3カ月くらいチームに帯同させてもらったことがあるんですが、その時にすごく感じました。ワラビーズのシステムは非常にきっちりしたものでした。
—— そのワラビーズのシステムに、サントリーも追いつこうというところですか?
サントリーがリードしているところもありますし、足りないところもあるという感じです。
◆教育にものすごく時間をかける人
—— 高澤先生がスポーツの分野に目を向けたのはいつからですか?
医者になった時からですね。
—— ということは、それを目指して医者になったということですか?
頭の中にはありました。普段は病院で一般の患者さんも見ていますが、自分のもう1つのフィールドがスポーツのフィールドです。
—— 2つのフィールドでの仕事のバランスはどうやって取っているんですか?
通常の病院での仕事は、比較的スケジュールがはっきりしているので、他の人は空いてる日にゴルフに行ったりしてリフレッシュしている時に、僕はラグビーに来ているという感じです。やはりスポーツのフィールドは、気持ちがいいですね
—— 選手によって、怪我や体の構造についてすごく理解している選手と、そうでない選手はいますか?
もちろんいます。
—— そうすると、やはり理解している選手の方が治りが早かったりするんですか?
そうですね。
—— そういう分野の教育も、リハビリの中でしたりするんですか?
もちろんします。山本さんはそこにすごくこだわっていて、そういう教育にものすごく時間をかける人でした。
—— それは、対話で行う教育ですか?
そうですね。山本さんは一見無口に見えますが、全然そうではなくて、長谷川圭太とか小川(真也)を、直接病院に呼んだりしていたことがありました。澄憲(田中)も順天堂大学病院で前十字靱帯の再腱手術をして、その後山本さんの病院に入院したことがありました。彼はその時、隣のベッドにいたのがおじいさんの患者さんだったんですが、同じ病院で同じ部屋で、同じ食事をしたりしている中で、澄憲がそのおじいさんにすごく気を遣ってくれて、優しくしてくれました。山本さんは頭の中でいろいろ考えて、若い選手なんかにはそういう経験もさせていました。
[田中澄憲]
僕がサントリーに入って1年目に方の手術をしました。順天堂の浦安の病院で手術をして、執刀医が高澤先生の兄貴でした。浦安で入院して、リハビリについてくれたのが山本先生でした。僕もかなり一緒にリハビリを見てもらったんですが、土田さんが監督になった年に、山本さんがサントリーに来るようになりました。それが3年目の時で、そこで再会しました。
その時は、山本さんもスポーツのPT(理学療法士)というよりは、病院に勤めているPTという感じの人だったんで、そこまで親密に付き合ったということではなかったです。浦安ということで遠いと言うこともあって、定期的に通うくらいでした。
サントリーに入ってきてから、今度は僕が前十字靱帯をやってしまいって、そのリハビリが非常に印象に残っています。やはり、それまでは怪我をして手術をしてから復帰するまでの過程のプログラムが、まだラグビーの世界であまり確立されていませんでした。それまでは病院に行って手術をしてからは安静にしていて、自分の感覚でそろそろ行けそうだと思ったら動き出すという感じでした。リハビリの過程にガイドがあるわけでもなく、どちらかと言うと自分の感覚でやっているような時代でした。それが山本さんが来て、復帰するまでのプログラムが出来て、復帰した時には強くなっているということを築いたのが山本さんでした。
リハビリはもちろん、キツイですよ。どこまでやって良いのか、自分の感覚だと痛いと止めちゃうこともありましたが、山本さんが来て、キツかったですけど良かったですね。普通に練習している選手より、かなりのメニューをこなすような感覚でした。
喧嘩みたいになることもありましたよ。「ここまでやるか?」と思ったことも何度もありましたし、僕らからすると理にかなってないメニューだと思うこともあって、「これってどうなの?」ということも多々ありました。外国人の選手がこのメニューを見たら「クレイジーだ」と言って絶対やらないだろうということもありました。それでもやって来たから、今この歳になっても出来ているという部分もあると思います。
僕なんかは、リハビリの期間もすごく長いですし、山本さんと一緒にやった時間が長かったですから、理解もしましたし、やってよかったと思います。今の若い選手も、今のリハビリのメニューを「多い」とか「キツイ」と言う選手もいると思いますが、当時の山本さんのメニューに比べたら、甘っちょろいですよ(笑)。
「ここまでやるのか?」言うと、山本さんは冷静に、「これをしっかりやらないと、復帰できないよ。早く復帰したいんだったらやらなきゃ」と言われて、納得させられました。山本さんは、自分を通す人でしたから、そういう意味では強い人です。人にも厳しい人ですけど、自分にも厳しいと思います。それから勝利へのこだわりが強かったですね。そのために早く復帰させてあげたいし、怪我をする前より強い状態で復帰させるということをいつも言っていましたから、昔みたいに、復帰してから少し慣らしてということではなくて、復帰した瞬間から100%で行けるということをしていました。
そういう山本さんのためにも今シーズンは絶対優勝したいですし、山本さんもそれを望んでいると思います。今シーズン、序盤ではもたつきましたが、春からやって来たことがだんだん形になってきて、タフなチームに仕上がっているのを見て、喜んでいると思います。
土田さんが監督時代に、試合の前日に山本さんが全員のストレッチをする時がありました。選手1人1人全員時間が決められていて、部屋に行くと山本さんがいて、メンバー全員のストレッチをしたことがありました。千葉の方の家からわざわざホテルに来てやってくれていました。それがとくに印象に残っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]