SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2010年7月21日

#199 松平 貴子 新通訳 『ラグビーも通訳も一度に勉強できる環境』

◆落ち込んでいるのに「元気だね」

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—— サントリーに来てどれくらい経ちますか?

4週間くらいです。

—— 慣れましたか?

だんだん慣れてきましたが、通訳がまだ慣れないです。

—— 通訳として入ったんですよね?

そうですね、通訳として入ったんですが、いろんな仕事があります。通訳の他に翻訳もあって、エディーさん(ジョーンズ/GM兼監督)の秘書的な業務もあるので、いろいろ仕事があって、やり甲斐があります。

—— 翻訳のお仕事とはなんですか?

ラグビーの関係の書類などを、英語のものは日本人選手やコーチ用に和訳をしたり、日本語の書類を外国人選手やコーチ用に英訳したりする仕事です。それはエディーさんが持ってくるラグビー関係の書類や本だったり、コーチミーティングの資料だったり、いろいろあります。

—— 何がいちばん大変ですか?

翻訳がいちばん大変ですね。ですがやっぱり通訳も大変で、この前もラグビーのセミナーがあって、前任のジェフ君(カトラー)の通訳を勉強したりしたんですが、私は通訳が本職ではなく、英語が喋れるというところからのスタートなので、先ずは自分の勉強が大変です。

—— ラグビー用語は問題ないですね?

そうですね。ただ、サンゴリアスのサインプレーだったりを理解していないと訳せないことがあるので、その辺も覚えていかないと出来ません。今はちょっと大変ですけど、すごく働きや易い環境で、スタッフみんなが優しいので楽しいです。

—— どういう状況でも明るく振る舞えるのはいいことですね?

そうですかね(笑)。

—— それは自分の取り柄だという自覚はありますか?

昔から落ち込んでいても元気に見られますが、私としては落ち込むときはかなり落ち込んでいます。それがそうみえないのかなぁ(笑)。私の中では落ち込んでるのに、人から「元気だね」とか言われるので・・・。

—— 生まれ持ったものなのですね

私は結構、自己開発の分野が好きで、大学でも野外教育を通して自己開発をしていくようなことを勉強してきたので、自分でもコースを持って教えていたりしたので、それを役立てています。

—— 自分のコースの生徒は?

ニュージーランド人です。中学校2年生~高校3年生までで、日本語と体育と保健を教えていたんですが、その授業の中でもそういうことを活かしてやっていました。

—— 自己開発に目覚めたのには何かきっかけがあったんですか?

私は本が好きなんですが、そういった本が特に好きで、そういう本しか読まないので、それがきっかけですね。小説とかは全く読まないです。すべてを受け入れている訳ではなく、読んだものを実践してみて、自分に合っているなと思ったり、効果があったことはどんどん取り込んで役立てています。脳みそを活性化して行くと、本当に人生が開けてくると、私は実感しています。鳥肌が立つようなシチュエーションもありますよ。

—— それはどういうシチュエーションでしたか?

本当に考えていたことが起こった時ですね。思ってた通りのことが起こる回数が増えてきて、それで鳥肌が立つことがよくあります。

—— サントリーでもありましたか?

サントリーの通訳の仕事も、たまたま友達が教えてくれたんです。たまたま女子の香港戦があって日本に帰ってきていたんですが、それですぐ履歴書を書いて送りました。

—— それまではニュージーランドにいたんですか?

ニュージーランドには中高大と8年間いたんですが、その後、一度日本に帰ってきて、神戸で英語の先生をしたり、保育所の先生をしたり、4年間日本で働きました。教育ソフトウェア関係の会社にいたこともありました。海外用の塾の教材などを作る開発のお手伝いをしていました。

そうこうしているうちに、また本格的にラグビーがしたくなって、ニュージーランドに戻って、ラグビーしながら教員免許を取って、向こうで仕事をしていました。

◆生まれは神戸

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—— 生まれはどこですか?

生まれは神戸です。

—— 親は?

両方日本人です。松平家でございます(笑)。13歳までは日本にいました。

—— 13歳まではどんなスポーツをしていましたか?

バスケットボール、サッカー、その他にもバレーとかいろいろやってました。

—— 元気だったんですね?

冬も半袖半ズボンでした。スポーツが好きでしたね。

—— 兄弟は?

お兄ちゃんが1人います。家の近くが山だったので、近所の友達とお兄ちゃんと一緒に山に遊びに行って、イノシシとぶつかったりしていました。崖から落ちたりとか、すごく危ない遊びをしていました。

うちの父がゴルフが好きで、小さい頃に少しやらされたんですが、その影響があってか、お兄ちゃんがアメリカにゴルフ留学に行きました。うちの父はレスリングでオリンピックの候補まで行ったそうです。うちは両親とも体育の先生で、お母さんは中学の体育の先生でハンドボールとダンスが得意でした。お父さんは高校の先生で体育を教えていました。

私がまだ生まれる前、交換先生というのがあって、親が1年間シアトルに行きました。そこで親が感じたことがすごく素晴らしかったらしく、子供たちにもこういう経験をさせたいということで、留学を薦められました。

お父さんの教え子が、ニュージーランドへの留学サポートの会社を起こしていて、そのこともあって、アメリカから変更してニュージーランドに行くことになりました。ゴルフ留学だったんですが、アメリカに比べてクラブフィーが安くて、日本の1日分が1年分でした。2年間ゴルフの練習をしたんですが、私には向いていないと思って、つまらなくなってしまい、なんでこんな1日中ボールを追っかけなきゃいけないんだと思って、性格的に自分がゴルフに向いていないと思って辞めました。

—— どういうところが向いていないと思ったんですが?

やっぱり人としゃべったりするのが好きなので、1人で黙々とやるスポーツより、チームスポーツが良いと思いました。

—— スコアはどうだったんですか?

スコアはそこそこ良かったんですが、特別上手かったわけではありませんでした。結局ゴルフは辞めるけど、留学は続けることになりました。その1年後くらいにたまたまラグビーと出会って、ラグビーを始めました。最初はラグビーをしていた友達が、「試合のメンバーが足りないから来て」と言われて行ったのが初めでした。それでハマってしまいました。

はじめはウイングから始めたんですが、すぐにノースハーバーの高校代表にも選ばれました。そこにはアイランダーとかの大きい選手がたくさんいたんですが、私たちの高校のチームはすごく小さい子が集まっていて、弱いチームでした。

—— 何歳までやってたんですか?

高校から大学までやりました。リンカーン大学に行ってやってたんですが、1年くらいは近くにクラブがなくて出来ない時期もありました。

—— 本気でラグビーをやろうと思ったきっかけは?

ずっとやろうとは思っていませんでした。高校では、チームでキャプテンとかもやっていて、ノースハーバーの代表のセレクションを目標に継続してやっていました。

—— ラグビーの面白さは?

はじめは訳が分からなかったですね。「何これ?」という感じでした。ただ好きだったのは、何でも出来て、好き勝手できて、それが楽しいと思いました。タックルの練習も大好きで、思いっ切り走ってぶつかったり出来るのが楽しいなと思いました。

—— ゴルフとは全然違いますね

全然違います。やっぱりゴルフは合ってなかったんです。

◆奇跡の合格

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—— ずっとバックスをやってたんですか?

高校時代はずっとバックスでした。センターもウイングもやりました。

—— 大学では?

大学ではリンカーン大学のチームもあったんですが、すぐに人がいなくなってしまって、近くのカンタベリーユニバーシティのクラブに行っていました。大学卒業まではそこでラグビーをして、卒業した頃には、日本語も忘れかけていて、日本の文化も忘れていたので、これはまずいと思って日本に戻ってきました。

—— ゴルファーを目指してアメリカに行ったお兄さんはどうなったんですか?

お兄ちゃんはハンディキャップゼロまで行って、プロテストも受けたんですが、やっぱりゴルフだけで生活するのは厳しいということで、今は帰ってきて接骨院をやっています。

—— 貴女は日本で4年働いた後、またニュージーランドに戻ったんですね?

そうですね。ニュージーランドに戻って、教員免許を取る勉強をしながらラグビーをしました。

—— 日本にいる間はラグビーはしていなかったんですか?

兵庫レディースクラブでやっていました。そこでやりながら日本代表のセレクションなどを受けていました。ちょうど確か2002年のワールドカップの時に、代表スコッドに入っているメンバーはセブンズの代表にはなれないということがあって、その時に香港セブンスのセレクションを受けて受かりました。ワールドカップのメンバーがいなかったので、奇跡の合格でした。それで香港セブンスへ行った後に、15人制の方にピックアップされました。

—— 香港セブンスでは活躍したんですか?

活躍したかは分かりませんが、日本チームのMVPを頂きました。でも日本は優勝できませんでした。それから4年間は日本で代表の活動と兵庫レディースで活動していました。

—— それからニュージーランドに行ったんですね?

そうですね。日本代表で活動させてもらって、もっともっと強くならなきゃいけないと思って、これはもう一度ニュージーランドに行くしかないと思って行きました。当時25歳くらいでした。日本にいると毎週試合ができるようなリーグもなかったので、ニュージーランドの方がそういう環境が整っているので行こうと決めました。クライスチャーチのティーチャーズカレッジに行って、学校の先生になる勉強もしながらラグビーをしました。日本代表の活動があるときは、一時的に帰ってきてやっていました。

—— 年間日本代表の試合はどれくらいあったんですか?

その時は1年に1回は必ず海外遠征がありました。教員免許を取り終わった後は高校の先生として5年間働きました。最初は体育の先生でしたが、最後の方は日本語のクラスが増えてきたので日本語だけを教えていました。

—— 日本に帰って来たきっかけは?

ずっとニュージーランドにいたので、もう少し違う刺激が欲しいなと感じていました。それでまた違うところへ行こうと思っていました。そういう中で、私のホストファーザーがカンボジアのラグビークラブの代表の方と話して、ちょうどコーチとか女子をアシスタントしてくれる人を探してるという話をしたみたいでした。

それでホストファーザーのカンボジアのアパートに、2カ月くらいただで住ませてもらって、アシスタントで行ってきました。その後はタイに行って、お母さんと合流して、マッサージを勉強して、香港戦があるタイミングで日本に帰ってきました。

日本に帰って来てからは、通訳の勉強をして、ちゃんとした通訳を目指そうかということと、もうひとつはヨーロッパのスーパーヨットで1年間働こうかなと思っていました。ヨットの資格はニュージーランドにいた時にすでに取っていました。あとはイタリアでクラブチームで選手として契約してくれそうなところもあったので、何をしようか考えていたところでした。

◆体をバンバン当てられる

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—— プレーヤーとしてはまだ成長段階ですか?

日本にいる時に比べたら伸びたと思います。日本にいた時はセンターをやっていましたが、なんとなく自分に合っているのだろうかと違和感を感じていたんですが、ニュージーランドに行って、コーチに「あなたはオープンサイドフランカーだよ」と言われて、そのポジションをやって、私もこれだと思いました。

—— フランカーが合っていると思ったのはなぜですか?

何でも出来るからですね。スクラムから抜けたり、そういうプレーが好きですね。

—— いろんなことに興味がありますが、ベースにはラグビーがあるんですね。

そうですね。

—— 改めてラグビーの面白いところは?

やっぱり体をバンバン当てられるところですね。ラグビーってやっぱり難しいスポーツじゃないですか。選手を見ていても性格が出ますよね。そういうところが面白いですね。自分がきつくていっぱいいっぱいの時でもやってくれる選手とか信頼できる選手とか、いろんなドラマがありますよね。あとは日本代表を通して、いろんな国の選手や文化と交流出来たり、仲間が増えることも楽しいですね。

—— 男子のラグビーは試合前に感情が高ぶって泣いたりすることもありますが

それは女子でも一緒です。テストマッチの前なんかはすごく興奮します。やっぱりジャージを着られなかったメンバー、メンバーに入れなかった選手の、心からの応援とかをすごく感じますし、それを背負ってプレーするわけですから、とても感情的になります。

—— 新しい生活が始まって、自分のラグビー活動はどうしているんですか?

クラブチームを変えました。日体大OBのフェニックスというチームに変えて、現役の日本代表や代表OBもいて、青葉台で練習しています。今はちょっと忙しいですけど、もう少し落ち着いたらもうちょっとやりたいですね。

—— 通訳の方はどうですか?

難しいですね。改めて感じます。ただ英語と日本が出来ればいいだけじゃないな、というのをすごく感じています。

—— たとえばどういうところですか?

私の日本語のボキャブラリーが足りてないところもあるんですけど、例えばミーティングではいろんな人がどんどん喋りますが、その時のノートへの書き込みですね。書きながらも今しゃべっている人の内容を聞いていなくちゃいけなかったりするのが大変です。

あとはエディーさんは日本語が少し話せるので、ミーティングでも日本語でしゃべったり英語でしゃべったりするので、それを他のコーチに伝えるのに切り替えなくてはいけないので大変です。エディーさんにも、「最初の1年は大変でしょう」と言われています。

—— 何事にもポジティブな姿勢が伺えますか、それはどこで身についたんですか?

めげる時もありますよ。そういう時はポジティブな友達や家族としゃべって解決してます。最終的にはめげて泣いてる時間があったら、少しでも前に進むために何かをしようという考えになります。

◆次のワールドカップに出たい

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—— 今の喜びは何ですか?

理解してもらえた時ですね。本当に伝わっているかどうかって分かりずらいところなんですが、時々、目や感情で伝わったという時があります。その時はすごくうれしいですね。

—— 逆に大変なところは?

全てです(笑)。今はサンゴリアスのラグビーの方針、サインプレー、いろんな面で勉強しなくちゃいけないことが多いので大変です。

—— ラグビーをしている立場として、この環境はすごくプラスなんじゃないですか?

最高ですね。エディーさんと一緒にいて、コーチのミーティングに出ていると、すごく勉強になります。ラグビーの博士と一緒にいるようなものですからね。それはすごく有り難いです。ラグビーも通訳も一度に勉強ができる環境ですからね。今年は自分の時間はすべて捨ててでも、ここで勉強したいと思っています。

—— 代表の活動が重なったらどうするんですか?

それは交渉中です(笑)。

—— 今後の目標は?

日本代表に選ばれ続けることと、次のワールドカップに出たいですね。あとは素晴らしいこの環境で、通訳の勉強もラグビーの勉強も頑張りたいです。

—— 通訳としては?

最終的には学校とかにも行って、資格を取りたいですね。

—— 将来のトータルな目標は?

ハウスワイフです(笑)。向いてないですか?家で大人しくしてるという環境に自分を置かないので、ビジネスウーマンになっているかもしれないですね。本当は今年も学校の6年目で1年間ゆっくり過ごせば良かったんですが、結局自分で忙しくして、今までの何倍も忙しくなっていますから、そういう性格なんですね。

—— 息抜きは何をしていますか?

今は息抜きの時間もないですが、ラグビーの練習をしたり、友達とご飯を食べに行ったりですね。あとはお母さんに電話したりします。

—— エディーさんはどうですか?

本当にすごい人だと思います。世界のラグビーのトップでチームを優勝させたりしてるにもかかわらず、それに満足せず、常に自分を磨いて、勉強して、さらに上に行こうとする姿勢だとか、コーチとしても凄いなと思います。選手の見方もそうですし、いろんな視点で物事を見て、判断して、行った方が良いこと、今は言わない方が良いことなどを判断してやってます。常に頭を使って行動しているんだなと感じます。

—— 自身のトレーニングも頑張ってください

はい。今は朝5時半にクラブハウスに来て、ウエイトトレーニングをしたり、走ったりしてトレーニングをしています。やはり夕方や夜になると選手が来てしまうので、私がトレーニングできる状況じゃないので、早起きして頑張っています。時々トゥシ(ピシ)が7時半くらいに来ることがありますが、基本的に朝は1人でやってます。そのメニューもエディーさんが作ってくれたのをやって頑張っています。

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(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]

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