2010年7月12日
#198 大久保 直弥 新コーチ 『よりシンプルに』
◆実家に戻って来たような
—— お帰りなさい
ファン感謝イベントで、ファンの皆さんに「お帰りなさい」と言われて、なんだか実家に戻って来たような、落ち着いた心地よさみたいなものを感じました。
—— とは言っても、たった1年間空いただけでしたね
本当に丸1年、実家の豆腐屋の仕事をメインに過ごしましたが、こんなにラグビーから離れたのも初めてだったしサントリーに戻って改めて実感しました。その辺はどうなんでしょう?
—— ずっと気になっていたという感覚でしたか?
もちろん気にはしていましたが、いかんせん仕事の方が優先で、なかなか試合を見に行くところまではいけませんでした。かなりハードなトレーニングをしているというのは話では聞いていました。
—— リーグ戦はずっと負けなしで、最後にトーナメントで負けましたが、その辺はどうでしたか?
まぁ本当に去年1年間を通しで見ている訳ではなく、ビデオで何試合か見た感想でしかないんですが、サントリーはプレーオフに入るまでは本当に素晴らしかったと思います。プレーオフに入ってからは勝利への執着心とか、ボールへの執着心といったあたりが、東芝や三洋電機に比べて、少し劣っていたかなというのを感じました。もちろんチーム内では、外からは分からないいろいろな準備だとか、中の人間にしか分からないこともありますが、外から見ただけの感想で言うとそういう部分を感じました。
—— 自身はラグビーから全く離れてみて、どういう生活をしていましたか?
朝から晩まで豆腐屋です(笑)。朝は毎朝3時に起きてました。それから豆腐作りです。
—— そんな早い時間から豆腐を作り始めないと、間に合わないということですか?
季節にもよりますが、刺身と一緒なので、すぐ腐っちゃうんですよ。3時から作り始めて、配達用に詰めるところまでやると、だいたい午前中いっぱいかかりますね。
—— 朝ご飯はいつ食べていたんですか?
朝ご飯はだいたい配達の前とか配達の途中ですね。朝飯と言うより、朝昼兼用ですね。
—— お昼に配達が終わった後は?
午後からは次の日の準備とか、大豆を水に浸けるんですが、それが終わるともう夕方です。もちろん夜は早めに寝ます。
—— 健康的ですね
お店の人はみんなタフですね。僕が生まれる前からずっとやっている人もいますが、男性も女性もみんなタフですね。
—— 体調管理も大事ですね
体調管理もそうですけど、フォワードに近いところがあって、いかに朝から晩まで黙々と働くかというところですね。単純作業なんですが、単純さが大事なんです。
◆恩返しがしたい
—— チームワークも必要ですか?
そういえばそうですね。作る人がいて、切ったり加工する人がいて、そういう意味ではチームワークです。
—— 子供の頃から豆腐屋の息子ということですが、仕事をしっかりとしたのは今回が初めてですか?
いや、僕が小さい頃がいちばん忙しい時期だったので、夏休みとかはよくかり出されて働いていました。その頃と基本的にやることは変わらないですし、生活のリズムも変わらないですね。うちの会社の戦略会議は、家族団らんの時間がそのまま戦略会議になります(笑)。その会議には小学生の頃から出ていました。そんな状況なので、よく晩飯を食べながら、親たちは大げんかをしていました。
—— 晩飯には豆腐も出てくるんですか?
そりゃ出ますよ。豆腐だけじゃなく、油揚げとかも出てきます。
—— 豆腐で体が大きくなったということはありますか?
関係ないと思いますが、知らず知らず大きくなっていました。豆腐が好きとか嫌いという感覚は全くなくて、そこにあって当たり前のものでした。
—— 家族はみんなでやっているんですか?
父、母、祖父、兄弟、家族総出でやってましたね。今は、親父が社長で、母と、親父の弟と、僕と、僕の弟2人がやってます。
—— 豆腐屋は継がないんですか?
継いでましたよ(笑)。継いでやる気満々だったんですが、どういう訳か、またこっちに来てしまいました。
—— その時は迷いましたか?
それは悩みましたよ。
—— お父さんにも相談しましたか?
相談という相談はしてないです。昔から僕が決断したことには何も言わないので。ニュージーランドに行くときも、ラグビーをやめる時も、サントリーに入る時もそうでした。
—— 決断までに時間はかかりましたか?
そうですね。かなり豆腐屋の方も高齢化しているので、技術やノウハウを吸収したい、引き継ぎたいという思いはありました。ただ、サンゴリアスに、育てられた人間としては、いつか恩返しがしたいとは思っていたので、それで決めました。こればっかりはタイミングなんで、人生分からないですね。
—— 豆腐屋の方は「後は任せたぞ」と言う感じなんですか?
そうですね。1回決断したら、やるしかないですからね。
—— 今はラグビーに専念しているんですね?
今は朝、配達をちょっとだけ手伝っています。
◆いかに考えずにプレーしていたか
—— サンゴリアスに帰ってきてどうですか?
当たり前ですが、コーチとしては経験がないので、いかに自分が考えずにプレーしていたかが分かりました。言葉にするということ、いかに選手に分かりやすくプレゼンテーションするかということを、勉強しながらやっています。
—— コーチになるときに、他に勉強しようと思ったことはありますか?
世界一のコーチがいちばん身近にいますし、世界中にはエディー(ジョーンズ/GM兼監督)の下でコーチングの勉強をしたいと思ってる人はたくさんいる訳ですから、全てここで学ぼうと思っています。僕が選手としてサントリーに入った時から彼はチームにいましたが、そういう意味では、彼のラグビー観で育ったという思いもあるので、あまり違和感はありません。
—— エディーとはよく話しをしますか?
よく質問もしますし、ラグビーの知識だけじゃなくて、選手との接し方だったり、トレーニングの組み立て方だったり、勉強になることは非常に多いです。
—— 正式にサントリーに帰って来たのはいつですか?
いつと言うのははっきりしませんが、キックオフミーティングの前に、1週間、沢木敬介(バックスコーチ)と一緒にオーストラリアのワラタスにコーチ留学をさせてもらった時ですかね。
—— それはどうでしたか?
本当に全てがプロフェッショナルでした。コーチも選手もみんなプロフェッショナルで、論理も明確で、本当にしっかりしていました。
—— 参考にしていますか?
そうですね。選手とコーチの距離感みたいなものは、日本とオーストラリアでは違いますし、フレンドリーなところと距離感を持っているところもありますから、全てが当てはまるということではないですけれど。
—— 選手からは戻ってきたことに対してどういう印象ですか?
ほぼ一緒にプレーした仲間ですが、やはり選手とコーチという関係ですから、一線は引いているという感じだと思います。
—— 大久保コーチとしても一線を引いているんですか?
僕はそんなでもないですね。1年間離れていたので、コーチとしてチームに戻った時に、わざわざ線を引かなくても、そこは分かっているという感じでした。もしチームから離れずに選手からそのままコーチになるということであれば、その線引きは必要になってくるでしょうね。そういう面では、1年離れてよかったと思います。
◆コミュニケーションがうまくいっている
—— 選手とコーチは何がいちばん違いますか?
なんでしょうね...。気持ちの面で言うと、選手は試合の日にピークを迎えるんですが、コーチは試合が始まったら何もできなくなるので、それまでにすべての良い準備をターゲットに向けて組み立てて、それを選手に落とし込んで、前日までにすべて終えられるかというところですね。ターゲットに向かっていく中で、選手が混乱したりしないように、よりシンプルに伝えられる様に意識しています。
—— フォワードコーチは去年まで2人いましたが、今年は1人と言うことに対してはどうですか?
去年のコーチングスタッフの役割分担がどうだったかは僕は分からないですが、これまでのところ、2人が1人になってキツイと言うことはありません。それは敬介にしろ、パット(パトリック・バイロン/コーチングコーディネーター)にしろ、エディーさんにしろ、今のところ良い関係が作れていると思うし、自分だけの責任ではなく、お互いに「もっとこうした方が良い」とか、言い合える関係なので、今のところはコミュニケーションがうまくいってると思いますし、とりわけ大変だとは感じていないです。
—— コーチとして嬉しい瞬間は?
それはやっぱり選手が変わってくれた時ですね。今まで出来なかったことが出来るようになったり、内面的なこと、ラグビーに対する姿勢が目に見えて変わってくれた時は嬉しいですね。
—— まだ数カ月ですが、そういう場面があったんですか?
ものすごくいっぱいあります。その辺の観察力は、土田さん(雅人/強化本部長)にしてもエディーさんにしても、ものすごく見ていますね。
—— 逆に難しいなと思うことは?
自分もプレーしたくなっちゃう時ですね(笑)。フォワードのすごく激しいコンタクト練習なんかを見ていると、自分もやりたくなってきちゃいますね。そこをグッとこらえてやってます。
—— 体は動かしているんですか?
最低限だけですね。
—— 最後は怪我で引退でしたが、やり残したことはないですか?
選手としてやり残したことはまったくありません。
◆チームの文化を創る
—— コーチとして今後、何をしていきたいというのはありますか?
コーチとしてというか、エディー監督と一緒にチームの文化を創るというところが、いちばんの使命だと思っています。
—— それは勝ち続けることで生まれるものですか?
この何年かは良いところまでは行くけど、最後に勝てないというのが続いていて、それを些細なことと考えるか、ものすごく大きなことと捉えるか、勝者と敗者の差を大きなものとして捉えるかということに対して、僕は大きな差があると思っています。
僕らの時代でも、昔、神戸製鋼と何度やっても勝てない時期があったんですが、チームのひとりひとりが何が足りないかと考えた時に、初めてその壁を乗り越えられたので、やはりチャンピオンになるにはチャンピオンにふさわしいメンタリティーが必要なんだと思っています。
—— そのためには?
やはりもっとシンプルにラグビーを考えて、やるべきことをシンプルにしてタフに戦うということを、フォワードコーチとしては、伝えていきたいですね。ラグビーは迷った方が負けると思っています。プレーの選択ひとつとっても、迷いがある選手、チームは勝てないと思っています。
—— 自身が迷ったことはありますか?
僕はそんなにインテリジェンスなタイプじゃなかったんで、選択肢が2つしかありませんから、全然迷うことはなかったですね。でもそういうことが大事なんですね。オプションをたくさん持っている選手もそれはそれでいい選手ですが、選択肢は2つ、ボールを持ったら前に行くかパスか。
それだけでもいい選手はいい選手ですからね。とくにフォワードなんてそうですね。9番とか10番がこれじゃダメですけど、フォワードはこれで良いんです。後は前のめりになりすぎて、自分から転ばないように気をつけることですね(笑)。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]