2010年3月 5日
#191 岸和田 玲央 『1試合でも多く試合に出る』
◆ちょっとずつ強く
—— 出身地はどこですか?
兵庫県の宝塚市出身です。
—— 宝塚(歌劇団)は近いんですか?
近いですね。小学校の時に1回だけ宝塚を見たことがありますが、良く分からなかったです(笑)。
—— いま、もう一度見てみたいとは思わないですか?
いまだったら見てみたいですね。
大学時代に一度話を聞きましたが、実際にサントリーに入って社会人のラグビーを経験してみてどうですか?
最初の練習でレベルが違うと感じたんですが、次第にウエイトなどを積み重ねていくことで、ちょっとずつ強くなっていったと思います。あとコンタクトの練習でも短い時間の中でがむしゃらにやっていたので、今はそこまで問題なく出来ていたと感じます。
—— 思った通り順調に来ているという感じですか?
感覚的にはそうなんですが、怪我もあり、試せていない部分がいっぱいあるので、何とも言えません。すべて来シーズンに繋がると思っています。
—— 開幕の直前からリーグ戦の中盤までは怪我をしていたんですね
前半戦のうちはラグビーをやってないですね。サテライトのリコー戦で復帰して、スタッフの人にも褒めてもらえて、自分の感覚としてもよかったんです。けど次のサテライトのNTTコミュニケーションズ戦で運悪く相手に乗られて、怪我をしてしまい、また1か月間ぐらいリハビリをしていました。
—— NTTコミュニケーションズ戦以降の復帰はいつですか?
サテライトのクボタ戦ですね。そこでも100%回復していなかったので、その試合はぜんぜんダメでした。その後のサテライトの東芝戦ではまあまあの評価をもらったんですが、年末の練習中にまた怪我をしてしまい、またそこからリハビリをしていました。シーズンの半分は怪我していましたね。
—— 怪我の原因というのは分かっているんですか?
運もあったと思います。あと日頃の体調管理もよくなかったと思います。試合の後っていちばん大事で、リカバリーをしっかりして、栄養と睡眠をしっかり取らなきゃいけないんですが、それをおこたってしまったので、そういう部分も影響していると思います。そこは反省しているので、来シーズンはもう試合後には体のことを第一に考えます。
—— 仕事とラグビーの両立は問題ありませんでしたか?
最初は大変でしたが、夏過ぎてからは慣れてきて、少しずつ仕事も楽しくなってきました。両立も出来ていたと思っています。
—— 来シーズンへ向けての課題は体調管理ということですね
そうですね。
◆課題はコミュニケーション
—— 体力面や技術面で改善しなければいけないところはどこですか?
間違いなく体のサイズとパワーですね。フィットネスやスキルなどはそこまで変わらないと思うんですが、トップリーグでいちばん違うと感じたところがパワーなので、そこを改善していきたいですね。
—— パワーのつけ方によっては、フィットネスやスピードが落ちると思いますが、その点は?
それは新田さん(ストレングスコーチ)に聞きながらトレーニングをしているんですが、スピードトレーニングをしながらウエイトトレーニングをすれば、問題ないと言われているので、大丈夫だと思います。急激な体重アップなどした場合は、フィットネスやスピードが落ちたりすると思いますが、その辺は心配はしていないです。
—— クリーンはやっていますか?
やっています。いままでやったことがなかったので楽しいですね。
—— 食事面はどうですか?
一応は気をつけているつもりです。もちろん3食ちゃんと食べて、油ものは一切取っていませんし、タンパク質は他の人よりも多く取るようにしています。
—— レギュラーを取る上でアピールする部分はどこですか?
タックルとランニングスキルです。試合に出た時にそこはアピールしますが、課題とされている部分もしっかりとアピールしないといけないですね。エディーさん(ジョーンズGM)にも言われたんですが、春の頃は良かったんだけど、怪我をしてからは課題の部分が薄くなっていると言われました。
—— 課題とする部分はどこですか?
センターなので、コミュニケーションですね。アタックもディフェンスでもコミュニケーションが大切になってくるんです。それでエディーさんから、スキルの部分は問題ないが、そこの部分が課題と言われました。練習から出していかないと試合でも出ないとも言われているので、練習からトレーニングしていきたいです。
—— ともとも大人しいタイプなんですか?
そうですね(笑)。分からないところもあって静かになってしまうという部分もあるんですが、そこは敬介さん(バックスコーチ)やエディーさんに聞いて、練習中でも自信を持ってプレーできるようにしていきたいですね。慣れればすごい喋る方だとは思うんですが、人見知りはします。
—— 日常から変えていかないとプレーに反映されないと思いますが、その辺はどうですか?
その通りだと思います。調子がよくないからとか言って、そういう態度で練習を続けていってはいけないと思うんです。1年目はがむしゃらにやっていたんですが、2年目になって慣れてきた部分などもあるので、しっかり切り替えていくことが試合に出るための鍵になると思っています。
◆中学の県選抜
—— 最初にラグビーと出会ったのは何歳の時ですか?
小学2年生の時です。僕は生れは大阪で、いま実家が兵庫にあるんです。当時はラグビーというスポーツを知らなかったんですが、大阪に住んでいる時に友達がラグビーをやっていて、その友達の母親から誘われてやりました。
—— やってみてどうでした?
ラグビースクールだったんですが、最初は楽しさも分からなかったです(笑)。やっぱり最初は怖いスポーツという印象はありました。
—— ラグビーを始める前までは他にスポーツはやっていたんですか?
水泳をやっていました。ラグビースクールが日曜日だったので、小学校の間は土曜日に水泳をして、日曜日はラグビーをしていました。
—— どの時期からラグビーが面白く感じましたか?
中学校に入ってからですね。小学校の時は走るのがしんどいし、辞めようかとも思っていて、中学校に入ってからも同じスクールでラグビーを続けて嫌々やっていたんですが、中学1年生の時に県の選抜に呼ばれるようになって、そこで上手い人たちと試合をしたりして、ラグビーのレベルがアップしたんです。そこで面白いと感じましたね。
—— 当時のポジションは?
その時は10番でした。そのあとも試合に出させてもらって、さらにそれでもレベルアップできて、2年と3年の時も県の選抜に選ばれて、ラグビーが上手くなっていくことで、ラグビーの面白さが分かってきましたね。
—— どこが面白かったんですか?
やっぱり練習などはしんどいんですけど、試合に勝ったときに感じるみんなで勝ったという嬉しさと、相手をタックルで倒した時や、ラインブレイクをした時のスリルですね。
—— タックルは怖くないですか?
怖いですけど、自分は出来る方なので。まあ、怖いから練習したんですけどね。練習したことで小さい頃からレベルアップできて、それが今に繋がっています。タックルは怖いですけど、やらなければ試合に使ってもらえないですから。
—— ラグビー選手には痛いのが好きというタイプもいますが、そういうことはありますか?
痛いのは嫌いです(笑)。
—— ご両親は今は大阪の試合を見に来てくれるんですか?
僕がメンバーに入ったら見に行くとは言っていましたが、まだないですね。
—— ご両親は友達の母親から誘われたラグビーがここまで続くとは思っていなかったんじゃないですか?
高校で辞めたいと言った時に親からもすごい説得されたんですよ。その後に高校日本代表とかにも選ばれたので、すごく応援してくれていると思います。
—— ご両親の2人はスポーツが得意だったんですか?
父親がアメフトをやっていて、母親は水泳をやっていました。父親はアメフトの影響で体がすごく大きくて、その遺伝でウエイトをするとすぐパワーも上がります。
◆監督の目力
—— 高校でもラグビーは続けたんですか?
エピソードがありまして、高校は東海大仰星を志望して、推薦の話も来ていたんですが、一般入試で受けたんです。その受験の日にものすごい熱が出てしまって、意識が朦朧としたまま試験を受けたら、案の定落ちてしまったんです。落ちた時に叔母がオーストラリアのゴールドコーストに住んでいるので留学も考えましたが、東海大仰星の監督と御所工業の監督が知り合いで、東海大仰星に落ちたことを聞いて、御所工業の監督が僕を欲しいと言ってくれたんです。最初は電話だけだったんですが家まで来てくれて、その熱意が伝わって、留学はやめて御所工業に決めました。
中学3年の時に兵庫県選抜の後に近畿選抜というのがあって、花園で地域選抜による交流戦があるんですが、その時に近畿選抜の監督に「お前は日本代表になれるから、絶対にラグビーを続けろ」って言われたんです。その言葉がずっと頭に残っていて、その言葉を信じてラグビーを続けるために御所工業に決めました。
—— 高校の時は寮だったんですか?
公立高校は寮というものがなくて、兵庫と奈良の間を片道2時間半かけて通ったんですが、本当にキツくて監督に相談したら、監督の家の近くに僕と同じような人が住んでいたので、その人と一緒に住んで、ご飯は監督の家で食べさせてもらっていました。2年目は弟も同じ高校に入ることになったので、弟と2人暮らしをしていました。弟と2人兄弟です。
—— 弟さんはひとつ下なんですね
そうですね。弟は大東文化大学に入って今年卒業するんです。トップリーグのチームから声もかかっていたみたいなんですが、ラグビーはやりたくないとずっと言っていて、そんなことを言っていたら行くとこがなくなって、大阪府警でラグビーをすることになったみたいです(笑)。
—— 弟さんのポジションは?
ハーフです。弟はいろいろなポジションができて、センターもやっていましたね。僕が大学4年の時に、同じリーグなんで対戦したんですが、弟はリザーブだったんで戦うことはないだろうと思っていたら、試合が始まって僕が相手の13番にタックルしたら、その人が足を痛めちゃって、代わりに弟が入ってきたんです(笑)。対戦できて楽しかったですよ。
—— 高校時代は日本代表になったんですか?
高校の時は1年からミスしてもずっと使ってもらっていて、2年に上がったときにU17に選ばれて、その後に高校日本代表とかにも選ばれました。
—— 海外遠征にも行ったんですか?
アジアが多かったんですが、あとはニュージーランドにも行きました。あと僕は早生まれなので、大学1年の時にU19に選ばれて、ドバイに行きました。その時はキャプテンが真壁(伸弥)で、僕がバイスキャプテンをしました。ドバイはすごかったですね。一生行けないと思いました。
—— 印象的な思い出は?
高校1年から2年に上がるときに、監督の家の近くに住んでいたんですが、たまに実家に帰ると高校に行きたくなくなるじゃないですか。それに通う時間も長くてキツくて、そのことを監督に話したら、「一回家に来い」って言われて、両親と一緒に行って話をしました。監督と僕は泣きながら話をして、監督に「お前が必要だ」って言われましたね。そこで続けたことで、高校日本代表まで上がれたと思います。
—— その時の監督の言葉や態度でいちばん印象に残っていることは?
目力(めぢから)が強い監督だったので、目で何かを訴えているというのがあるんですよ。人間としてもしっかりしている人で、それに自分にも厳しい人で、負けた試合の後とかは「負けたことは自分の責任だ」とかいう人だったんです。高校3年間のうちに花園に出たのは2年の時だけだったんですが、その時は「勝たせてくれてありがとう」って言っていました。両親と一緒に行った時はそういう言葉というのはなかったんですが、その時の姿勢というのは印象に残っていますね。
—— 監督はなんという方ですか?
竹田寛行という人で、日本代表の菊谷さん(崇/トヨタ自動車)も同じ高校なので、菊谷さんも竹田先生に育てられたんですよ。
—— 大学は法政ですね
はい。U17の試合でいいパフォーマンスが出せたんですね。その試合を清宮さん(克幸/前監督)が見に来られていて、試合の後に「絶対に早稲田に来い」って言ってくれたんです。その時は、早い段階から声を掛けていただいたし、早稲田に行きたいと思ったんです。
けど、2年の時のシーズン前に竹田先生の恩師で大久保さんという方がコーチで来てくれていて、その人が法政出身で、成長出来たのもその人のお陰でもあったんですね。その人の影響もあり、早稲田よりも法政のラグビースタイルが好きで、あと森田恭平さん(神戸製鋼)も法政出身で活躍されていたので、一緒にプレーをしたいと思って法政大学を選んだんです。
—— 法政大学を選んで正解でしたか?
正解でしたね。高校日本代表やU19の経験もあったので、1年の時から使っていただいて、森田さんとノムさん(野村直矢)と組んでプレーをさせていただきました。シーズンの途中でも、U19のドバイ遠征にも参加させていただきましたし、2年のときは途中で足首を怪我してしまい、試合に出られない時もあったんですが、3年と4年の時はずっと試合に出させてもらいました。
—— いつから10番からセンターへポジションが変わったんですか?
高校1年のシーズン前ですね。それまではずっと10番をやっていたんですが、戦術的に12番もやれって言われて、高校3年の時はチーム事情でまた10番をやりましたね。高校日本代表やユースの代表に選ばれた時はぜんぶセンターでした。本格的に変わったのは大学入ってからですね。
—— それは監督に言われてですか?
いや、センターの方が自信があったので、自分から言いました。
◆12番が好き
—— 高校や大学でキャプテンはやったんですか?
やってないですね。キャプテンをやれと言われてことはありましたが、「嫌だ」って言ったんですよ(笑)。どうしてもなりたくなかったですね。「バイスキャプテンだったら、プレーでもアピールできるしサポートもできるんですが、キャプテンという重みでは、自分のプレーが出せないです」と言ったら、納得してもらえましたね(笑)。
—— 大学時代はどうでした?
プレーが上手くいかなくて悩んだ時期もありましたが、1年から森田さんやノムさんと一緒にやったことで、自分のスキルなどアップすることが出来ました。けど法政大学はバックスのチームで、試合には勝てない。サントリーに入って改めて思ったのは、フォワードが強くないと、ラグビーは勝てないということですね。大学時代はパスで相手を振って、トライなど取っていたんですが、ここぞという時には勝てないんですよ。早稲田や慶應相手では勝てないですね。自分の中ではレベルアップできたんですが、負け癖がついていたと思います。
—— いちばん最初に思ったみんなで勝つ面白さというのはなくて、スキルの面白さのみになっていたんですね
バックスはみんなセンスがある人が揃っているので、バックスとして試合をするのはすごい楽しかったですね。バックスでトライも取れたし、そういう面で楽しかったですけど、試合には勝てなかったですね。
—— そこで12番が自分に合っているとさらに思ったんですか?
大学の時は13番だったんですよ。それまではパスだったんですけど、そこでランニングスキルが身につきましたね。
—— 12番と13番はどっちが好きですか?
いまは正直どちらでもいいんですが、12番の方が好きですね。
—— そしてサントリーに入ったわけですね
サントリーにいちばん最初に声を掛けてもらったんですよ。また早い段階で清宮さんから声を掛けられました。その時に何で早稲田来なかったという話もされましたが、その時はいろいろと事情を説明しました。また清宮さんに声を掛けてもらえたので、清宮さんの下でラグビーをやりたいな思い、サントリーに決めましたね。
—— 法政からサントリーに来た選手は、名を残すというか、素晴らしい選手ばかりですが、そういう選手のひとりになれるといいですね
そうですね。法政の選手はみなさん名を残されているので、そういう選手になりたいですね。
—— 法政の良さってなんですか?
僕は先輩のプレーを見て、自分のものにしていきましたが、そういうふうにやっていた部分が多かったので、トップリーグに入った時の伸びしろがあると思います。そして後輩もそれを見て上手くなっていくんです。そういう集団だから、バックスは上手くなっていくんだと思います。基本のプレーの練習をやってから、バックスはパスの練習が中心でした。
—— 代表に行ったりすると、練習方法などがだいぶ違うと感じますか?
違いますね。けどそれはそれで楽しいんです。コンタクトの練習などもあるので、勉強になりましたね。そして代表などで学んだことを大学に持ちかえって、自分たちで練習するんです。
◆気持ち、一体感
—— サントリーに入って、初めて知った練習方法などもありましたか?
個人スキルは自主トレで磨けというのは、暗黙の了解であって、サントリーでは基本のスキルしか練習していないと思うんです。それでもやったことがない練習ばかりですが、サントリーで練習していることができれば、試合で点は取れると感じますね。
基本的なことなんですが、試合ではなかなか出せないと思うんです。それがサントリーでは練習からしっかりやっているので、みんな試合で出せていることが多いし、チャンスの時に点が取れないと試合には勝てないし、そういった面でチャンスで点が取れる練習を常にしています。
—— チームとしてサントリーをどう感じていますか?
リーグ戦は誰が見ても強いと感じていると思うんですが、トーナメント戦になってからは気持ちの面で違うと感じました。リーグ戦は引き分けはありましたが、1敗もしてないじゃないですか。そういう自信もあって、リーグ戦で引き分けた相手や勝った相手と試合をするわけだから、今までやってきたことが出来れば勝てると思っていました。
ただラグビーは気持ちでそこの部分を持っていかれるところがあって、気持ちの部分で相手よりも劣ってしまったので、東芝やNECに負けてしまったと思うんです。
—— 来年に向けての課題ですね
シーズン終了後にチームで振り返りをして、何で負けたかということを考えたと思うんですけど、たぶん皆ほとんど一緒だと思います。気持ちであったり、一体感であったり。
—— 来シーズンの目標は?
もちろん1試合でも多く試合に出ることですね。課題のコミュニケーションの部分で評価してもらえれば、レギュラーも奪えると思っています。あと怪我もしないようにして、1年間戦ってみてどういう流れかというのも理解できたので、春からしっかりとトレーニングしていきたいと思います。
—— 12番ではなく、13番でやっていくんですね?
春からは多くやらせると言われたので、どちらでもやっていくつもりです。12番でも13番でもどちらでもできれば、また評価も上がると思うので、そのポジションになった時に、しっかりと役割を果たすことですね。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]