2008年12月17日
#163 畠山 健介 『計算・自由・思慮・スクラム』
◆気づいたことはどんどん言う
—— まずはいちばん聞きたいことから聞きますが、大阪だったと思うのですが、ハーフタイムのロッカーでフォワードに対して指示を出しているのを見て、この人は1年目なのに凄いなと驚きました。あれは自然と出たんですか?
そうですね。自分が実際ゲームをしてみて、感じたことを伝えた方が、勝ちに繋がると思ったんで言っただけです。まぁ、その試合には負けてしまいましたが。
—— そういう考えは大学1年生の時も同じでしたか?
いや、大学1年の時はそんなことはなかったですね。むしろ引っ込み思案じゃないですけど、3年生や4年生が引っ張っていく感じだったので、1年の時はその先輩の姿を見て学んでいました。隆道さん(佐々木)が大学1年や2年の時に、先輩に対してもどんどん指示出しているのもテレビで見ていましたし、試合中は年齢関係ないですし、そういうコミュニケーションを取るという癖がついているんだと思います。
—— その話を佐々木選手ともしたことがあるんですが、佐々木選手にどうしてそういうことが出来るのか聞いたら、「自信があるからだと思う」と話していました。畠山選手は自信があるんですね
そうですね。自分が今までやってきた練習や試合、それにいろいろな人との出会いや清宮さんから指導を受けたりしたことで、試合で勝ち進んだり結果が出ているんですよ。その中で学んだこととして発言をしているので、自信というか根拠がありますね。
—— 代表ではどうですか?
先頭に立ってという感じではないですけど、スクラムやラインアウトに関わらず、感じたことはコミュニケーションを取って発言しています。
—— 先ほど引っ込み思案と言っていましたが、どこで変わったんですか?
自分が大学3年、4年の時ですかね。1年の時は当時の4年生たちが本当にまとまりがあって、凄いメンバーだったのでみんなで引っ張っていく感じだったんですよ。後藤翔太さん(神戸製鋼)や菊池和気さん(神戸製鋼)、それに安藤栄次さん(NEC)や伊藤雄大さん(ヤマハ発動機)、後はもう辞めてしまわれた諸岡省吾さんや桑江崇行さんもいました。
各ポジションというかほとんどが4年生で、4年生全員が引っ張っていくタイプでしたし、下級生はついていく感じでしたね。2年生の時は、僕は試合に出ていたんですけど、隆道さん中心のチームという感じでした。その中でも発言していたのは五朗丸(歩/ヤマハ発動機)ですね。そして自分は3年になって、初めて感じたことを言うように心掛けました。
—— 大学生の時にそういうことを言ってみて良かったとか言うべきだったと思ったから、社会人では1年目から発言するようにしているんですか?
そうですね。やっぱり言った方が、ぜんぶがぜんぶ言ったように動いてくれたりはしないですけど、少しでも頭の片隅にでもあれば、実際にトライを防げたりトライをするチャンスが広がったりすると思うので、気づいたことはどんどん言うようにしています。
—— もともとは口下手なんですか?
いや、もともとはすごいおしゃべりですよ。普段の生活の中では喋る方なんですけど、ラグビーになるとあまり喋らなくなるんですよね。試合中とかは最低限のコミュニケーションしかしないですね。
—— それはプレーで示すという感じですか?
いや、そんなかっこいい感じではないですよ。あまり喋らないんですけど、僕なりにいろいろ考えてはいます。試合中に視野が狭くなることはないですね。大学の決勝戦でも冷静で、熱くなることはあまりないんですよ。試合中に観客席を見て、誰々が来てるなってことを思ったりもしてます。
—— 泣いたりはしないんですか?
試合が終わった時とかは泣いたりもしますけど、中盤とかピンチの時とかは結構冷静ですね。
—— それは昔からですか?
昔からです。
◆吹っ飛ばしていった
—— 何歳からラグビーを始めたんですか?
8歳からですね。小学2年生の時に始めました。
—— それはスクールですか?
そうですね。地元にスクールが1つだけあったのでそこでやっていました。母親が早稲田ラグビーをすごい好きで、兄貴もラグビーをやっていました。兄貴の送り迎えに母親が行っていたんですけど、僕もそれについて行っていたんです。
当時から僕は体が大きかったんですけど、それにスクールのコーチたちが目をつけ、僕にラグビーをやらせようとして、ボールを持って当たったりすると、凄いおだててきて僕も気分が良くなっちゃって、入りますって感じでラグビーを始めたんです。
—— スポーツは得意だったんですか?
縦はそんな大きくはなくて、横が大きかったんですよ(笑)。そんな体形だったんで。本格的にスポーツをやったのはその時が初めてでしたね。小学2年だったんで、授業の体育も体育っぽくない感じでしたから。
—— おだてられてラグビーを始めて、最初は遊びだったと思うのですが、ラグビーって面白いなと感じたところはどこでした?
周りの子に比べて人一倍体が大きかったので、どんどん相手チームを吹っ飛ばしていったんですよ(笑)。学年が上がっていくとそういうことは少なくなりましたけど、思いっきりぶつかっても許されるというところが面白かったですね。
—— 自分でも知らなかった部分が発見できたんじゃないですか?
結構平和主義者ですけどね。できるだけ争いごとは避けたいと思っているんですけど、逆にそういうのがスカッとしたのかもしれないですね。どんな気持ちでやっていたのかは、今となっては分からないですが。
—— 相手を吹っ飛ばした時の気持ちよさというのは今でも続いていますか?
吹っ飛ばした時の気持ちよさよりも、今は勝った時の気持ちよさの方が大きいですね。よりラグビーの選手に近くなった感じですかね。僕が吹き飛ばされようが、チームが勝っていればいいやって。
—— スクールでラグビーをやって、中学からはラグビー部に入ったんですか?
いや、中学校にラグビー部がなかったので、スクールの中学の部に通いながら、中学校ではバスケ部に入っていました。当時『スラムダンク』が流行っていたので、バスケ部に入りました。
—— バスケットの素質はどうだったんですか?
球技が好きで、しかも手でボールを扱う競技が好きだったんですよ。まぁ、自称ですけど、太ってはいましたけど、結構良かったと思いますよ(笑)。野球も考えたんですけど、あまり魅力を感じなかったんですよね。
—— では、部活としてラグビーをしたのは高校からですか?
そうですね。
—— 高校はどこですか?
仙台育英高校です。仙台育英という高校の名前で、よく仙台出身と間違えられるんですけど、仙台出身ではないです。
—— 小学校、中学校とずっとフォワードですか?
そうですね。
—— ずっとプロップでしたか?
いや、最初はロックもやっていました。当時はスクラムとかも組まなくて良かったんで、すぐにボールに触れるようにちょっと後ろ目をやらしてもらったり、しかも当時はセカンドハーフというのがいて、ボールを入れる係とそこから出す係とが分かれていたんですよ。最初はボールを入れる係をやっていたんですけど、その後ボールを出す人からボールを受け取って出すというサインプレーもあったんで、そういうのも少しやっていました。
—— 高校では当然プロップですよね?
そうですね。ですけど、公式戦で最初に出た時は5番でロックをやりました。それは1年生の5月か6月にあった宮城県のスポーツ大会でした。
—— では1年生の時から試合には出ていたんですね
そうですね。
◆関西弁になってしまった監督
—— ずっとラグビーをやろうというイメージが出来たのはいつ頃ですか?
早稲田に決まってからですかね。
—— 早稲田に決まって、お母さんが喜んだんじゃないですか?
喜んでいましたね。仙台育英高校ってラグビー部ができて間もなかったんですよ。なので、早稲田大学とか明治大学へのルートがなかったんです。行けても帝京大学や流通経済大学でしたから。早稲田大学に行ったのは僕が初めてでした。
母親が高校ラグビー部の監督に、早稲田大学に行けないですか?とか聞いていたみたいですけど、やっぱりルートがないのでって断られていたんですよ。それで高校2年の時に、早稲田に来ないか?というお誘いがありました。そこからは仙台育英からも早稲田へ行っていましたね。
母親はもちろん早稲田が好きでしたけど、僕も小さい頃から早稲田早稲田って言われていたので、僕自身も早稲田が好きになっていました。当時は早稲田の試合とかも見たことがなかったんですけどね。
—— 早稲田大学に入ってみてどうでした?
最初、テレビで見たことがある人たちがいっぱいいたので、びっくりしましたね。隆道さんや翔太さんとか。なので、目をキラキラさせながら入りました。その反面、どうしたらいいんだろうとかやっていけるのかって不安な部分もありました。
—— 1年からレギュラーだったんですか?
たまにですけどね。当時、伊藤雄大さんという絶対的な3番がいたので、その人に追いつけという感じでBチームとかでやらせてもらっていました。
—— 当時、清宮監督が言った言葉で印象に残っている言葉はありますか?
いろいろあるんですけど、1年生の時のオックスフォード戦で、円陣の中で関西弁になってしまった監督は覚えていますね。その試合は、奥克彦さんの追悼試合で、監督も感極まって関西弁になってしまったんですよ。感極まったり、本気になったときは関西弁になるみたいなんですよ。「やれや~」みたいな(笑)。
あと何個かかっこいい話も知っています。ある先輩が好きな子に告白する日に、ちょうど練習が長引いてしまったんですよ。それで少し練習を抜けるためにその理由を監督に言ったら、なんで早く言わないんだよって言って行かせてあげたりとか。
◆計算することが得意
—— 早稲田大学でラグビーをやっていて、楽しいと思えたところはどこでしたか?
やっぱり勝ち進んでいったことですかね。高校の時は県内では勝てるんですけど、全国ではベスト4とかベスト8で負けてしまっていましたからね。2年の時は今村雄太さん(神戸製鋼)がいた四日市農芸高校と戦って、1回戦で負けてしまいましたし。優勝候補とか言われていましたけど、全国では勝てなかったんですよ。
—— では早稲田大学の1年生に優勝したのは印象に残っていますか?
そうですね。初めての日本一でしたから。ですけど、その時は決勝の舞台に一歩も立っていないんですよ。リザーブで出ないまま終わってしまいましたから。当時、勝った瞬間はすごい喜びましたけど、ワークシートと言ってその試合での分析したものが張り出されたものを見て、僕は0点だったんですよ。試合に出ていないので0点なんですけど、それを見て優勝に何も貢献していないということを冷静に判断した時に、情けなくなってしまって、勝った瞬間は嬉しかったですけどそれを見てへこみました。
—— それで2年生の時は試合に出ていたんですか?
出ていました。
—— それは、1年生の時の悔しさをばねにという想いがあったんですか?
少なからずありましたね。試合に出られなかった分、頑張ろうと。
—— 負けず嫌いなところは昔からですか?
昔からですね。何に対してもというわけではないですけど、特にこだわりがあることに関しては負けず嫌いですね。どうでもいいことに関してはおおざっぱです。ラグビーはこだわっている部分ですからね。
—— 血液型は?
O型です。
—— どうでもいいことって何ですか?
例えばですけど、学校の勉強で数学は好きだったんで、誰にも負けたくなかったんですね。ですけど、理科は得意じゃないから、負けてもいいやっていうところがあります。数学は得意だけど理科は苦手、社会は好きだけど国語は苦手っていう、理系なのか文系なのかよく分からない感じでしたね。
—— 数学のどこが好きでしたか?
因数分解が好きでしたね(笑)。なんかパパッと解けるんですよ。その後の証明でちょっとつまずきました。だって国語が苦手ですからね(笑)。計算することが得意でした。
—— それはプレーで活きていますか?
人生で活きていますね。お金の計算とはあまり細かくは計算しないですけど、いま財布にいくら入っているとか数字にはこだわりますね。貯金している分をこの金額よりは少なくしたくないとか、それを減らしてまで今これを買う必要があるかとか考えます。数学、体育、社会は好きでしたね。
—— 他に音楽とかはどうでした?
音楽も好きでした。音楽を聴くことも歌うことも好きで、カラオケにはよく行っていました。修学旅行のバスの中で歌うことがあって、小学校とか中学校の時ってそういうのはあまり歌わないじゃないですか。僕は歌いたいから歌うんですけど、またあいつ歌ってるよとか言われていました。マイクを離さないっていう感じですね。
—— それは今でもですか?
いや、今はもうないですよ。さすがに空気を読めるようになったので。カラオケに行ってもみんなに歌わせたりとか。声を出すことが好きなんですかね。よく喋るよねとか言われるんですよ。結構喋っていないこともあると思うんですけど。
◆プラスになるのであれば言うべき
—— 畠山選手はいい意味で言うことが最もなことを言いますよね。質問されたことに真っ直ぐに答えているという感じがします。
そうですね。たまに濁すこともありますけど。チームや誰かに迷惑のかかるようなことに対してはですけど。
—— 高校や大学ではキャプテンでしたか?
高校の時にキャプテンをやりました。ですけど、キャプテンをやってみて、自分がチームのトップとしてやり続けるという能力がないことに気づきましたね。最初キャプテンを選ぶときに、僕と日永田(泰佑/三洋電機)に票が分かれたみたいなんですよ。
それで監督にどうだ?って言われて、やれるんならやりたいですって答えたら、じゃあお前やれって感じでキャプテンになったんですよ。それもぶっちゃけると、ただ目立ちたいからだったんですよ。そんな安易な考えでキャプテンをやったんで、結構監督には怒られましたね。仙台育英でいちばん怒られたキャプテンじゃないですかね。
—— 例えばどういうときに怒られたんですか?
隆道さんみたいにオンとオフの切り替えができればいいんですけど、僕の場合ずっとオフみたいな感じでしたから。それにそういう感じだったので、威厳もなかったですしね。だからキャプテンには向いていなかったんです。あとで気づいたことですけど、僕としては自由にやらせてもらえた方が嬉しいですね。後ろからうるさく言われるのは嫌なんです。
—— もう一度やってみようと思いませんか?
絶対思わないですね。もしサントリーでキャプテンを任されるような歳になって、お前やれって監督に言われても断ると思います。僕は向いていないって自分で分かっていて、それで勝てていなかったんですから。たった1年間だけでしたけど、1回やればわかりますね。責任あるポジションに立ってワンシーズンやってみると、大抵の人は気づくと思います。
—— 試合中やロッカーでの発言に関しては、キャプテンじゃなくてもするということですね
そうですね。気づいたことがあってそれがプラスになるのであれば、1年目だろうが10年目だろうが、関係なく言うべきだと思います。
—— ラグビーの良さは勝つことということですが、ラグビーのスポーツとしての良さはどこだと思いますか?
いろいろなポジションがあって、1つの目的に向かっていくことですかね。最初はプロップって目立たないじゃないですか。僕は目立ちたがり屋なので、目立たないプロップをやっていても、あまりそういうことを考えたことがなかったんですけど、いま考えればそれが仕事なわけですからね。
僕が卒論の時に調べたことなんですけど、ラグビー部を持っている企業って、一流企業が多いじゃないですか。そのラグビー部を持っている企業の方にお話を聞くと、社長さんがラグビーが好きということなんですよ。それはラグビーって、プロップやハーフ、バックスっていろいろなポジションがあって、1つの目標に向かっていくということが、いろいろな部署が1つの目標に向かっていくという企業と似ているからという理由で、ラグビーが企業スポーツとして盛んであるみたいなんですよ。そのことをたぶん卒論に書いていると思います。
—— 卒論のテーマは?
『ラグビーの強化と方向性』みたいなテーマでした。
—— ラグビー界全体のことを考えて書いたんですね
そうです。1ラガーマンが卒業するために書いたものですけどね(笑)。けれど本当にそういうことがあるから、ラグビーが企業スポーツとして盛んみたいなんですよ。たぶんそこがラグビーの魅力だと思うんですよね。体張るやつもいれば、トライ取って華々しく目立つやつもいるというところが。
—— でも結果的に畠山選手は目立っていますよね?
やっぱりボール持つのが好きなんですよね。けど、昔より目立ちたいというのは少なくなりましたよ。ボール持つということは好きなので、これからも続けていこうとは思います。
—— 足は速いんじゃないですか?
いや、正直そんな速くないですよ。たぶんトップリーグでやっている他のプロップの方よりも遅いと思います。言い方が悪いかもしれないですが、トップリーグの下のリーグでやっているプロップの方たちの方が、僕の身体能力よりも高いかもしれないですね。
—— では、どこが自分の良さだと思いますか?
全体が見えているところですかね。ここにこう行けばいけるんじゃないかと思うところに、思い切り行けるところもですね。たまに失敗もしますけど。
◆いちばん自分のパフォーマンスが上がる
—— 早稲田大学に入学した時にラグビーで行こうと思い、早稲田で4年間ラグビーをやってみて、その想いというものは強くなっていったんですか?
そうですね。いつでもそうだったんですけど、高校でラグビーをやっていたときも早稲田でラグビーができるとは思っていなかったですし、実際早稲田に入ることになって早稲田でラグビーをやっているときも、トップリーグでラグビーがやれるとは思っていなかったですから。ですけど、ラグビーはずっと続けたいとは思っていました。そして、サントリーからお話が来て、そのほかのチームからもお話が来るようになって、初めて具体的に考えるようになりましたね。
—— 大学時代にいちばん印象的だったことはなんですか?
試合に関して言えば、やっぱり自分らの代で優勝したことと、2年の時にトヨタ自動車に勝ったことですね。
—— それはすごい自信になりましたか?
自信になったというよりは、純粋に嬉しかったですね。
—— 僕もあの試合を見ていたのですが、スタジアムの雰囲気がちょっと違いましたよね
そうですね。僕らは学生でしたし、トヨタ自動車の菊谷さん(崇)とか北川さん(俊澄)に聞いたんですけど、社会人になってから分かると思うけど、学生とやるやり辛さがあるそうなんですよ。もしかしたらというのもありますし、会場全体が学生を応援する雰囲気みたいなんですよ。だから今度は逆に食われないようにしなければいけないと思っています。
—— サントリーに決めた理由は何ですか?
ラグビーや大学を通じて色々な人に出会えて、たとえばU-23や学生日本代表に呼ばれたりして出会った人たちに、サントリーの人が多かったんですよ。野村さん(直矢)や篠塚さん(公史)、有賀さん(剛)もそうですし、隆道さんも青木さん(佑輔)もそうです。なので、楽しくラグビーができるかなと思ったんですよ。それに清宮さんがいましたし、サントリーがいちばん自分のパフォーマンスが分上がると思いました。
—— それで実際サントリーに入ってみてどうでした?
来て良かったと思っていますよ。サントリーでは長谷川慎さん(フォワードコーチ)が練習にずっとついてくれていますけど、大学の時はフロントコーチはいるんですけど、皆さん仕事があるのでなかなか毎日見てくれたりはできなかったんですよ。慎さんは日本のトップでやり続けている方で、知識も豊富で対処法もすぐ答えてくれますし、本当に環境、人材ともに充実しています。自分のパフォーマンスを上げるのに適した環境です。本当に毎日、学んでいる感じです。
—— 日本代表に呼ばれたのは嬉しかったですか?
嬉しかったですね。日本代表は将来の夢でもありましたから。
—— 自分で考えていたよりも早かったですか?
どうですかね。どこで呼ばれるかなんて考えてもいなかったですからね。ですけど、ジャパンのスケジュールが発表された時に、今年の11月に呼ばれたいなという思いはありました。
—— そこに呼ばれて、お母さんも喜ばれていたんじゃないですか?
そうですね。家族全員が喜んでいました。
—— お兄さんはどこまでラグビーをやっていたんですか?
兄貴が中学に上がるときは、地元のスクールにまだ中学の部がなかったんですよ。なので中学の時はサッカー部に入って、また高校でラグビー部に入りました。高校までですかね、ラグビーをやっていたのは。今でもたまに試合を見に来てくれますよ。
—— お兄さんのポジションは?
小さい頃はハーフをやっていましたし、あとセンターですかね。僕とはタイプ違いますし、体格もぜんぜん違いますからね。兄貴は身長も小さくて細いんですよ。あとお姉ちゃんもいるんですけど、上の2人は僕と違って運動神経は抜群にありましたね。
—— お姉さんは何かスポーツやっているんですか?
お姉ちゃんはテニスと水泳をやっていて、どちらも県大会に行くレベルでしたね。よく末っ子がいちばん能力が高いって言われるんですけど、うちは逆でした。
—— 子供のころから結構食べていましたか?
結構食っていましたね。白飯を食っていました。今もそうですけど、ご飯が好きなんですよ。
—— ラグビーを始めた小学2年生の時は何キロくらいありましたか?
覚えてないですけど、幼稚園の年少で35キロくらいでしたよ。それが重いのかもよく分からないですけど。
—— 100キロを超えたのは幾つの時ですか?
中学2年ですかね。僕は目立ちたがりだったので、バックスとかやりたかったんですけどね。
—— 代表で試合をしてみての感想は?
2試合とも試合に出られてどちらも勝利することができましたし、結果的にトライも取ることができ、本当に充実した代表としての活動でしたね。客観的に見ても、よくできた出だしだと思います。
—— チームの雰囲気はどうでした?
僕は初めてJK(ジョン・カーワン/日本代表ヘッドコーチ)や他の外国人のコーチに指導されて、僕が今までやってきたことやサントリーでやっていることと違うことを言われたりもしましたけど、まぁ言っていることは分かりましたし、他のメンバーも能力が高い人たちばかりで楽しかったですね。
—— そこで同期と会いましたか?
同じ3番で神戸製鋼にいる山下(裕史)というやつがいましたね。そいつは京都産業大学から神戸製鋼へ行ったんですけど、僕が3年の時にベスト4で戦ったんですよ。それまで早稲田のスクラムは強い強いと言われていたのが、その試合で京都産業にめちゃめちゃに行かれてしまって、京都産業の株が上がったんですよ。僕らが結局勝ったんですけど、そのチームに山下がいてそこから代表に選ばれたりするようになって、良く見るようになりましたね。
◆優勝と新人賞
—— 今年の目標は何ですか?
やっぱり優勝することと新人賞ですかね。よくそういうタイトル欲しがるよねって言われるんですけど、それだけの評価をしてもらえるというのは普通じゃできないことですし、普通にやっていて選ばれることなんてまずないですから、それだけ自分のパフォーマンスが上がっていると考えるので、僕は嬉しいんですよね。逆になんでみんな欲しがらないのかが、分からないんですよ。
—— 中期的な目標ってありますか?
スクラムに関してもプレーに関してもまだ波があるんですよ。サントリーはスクラムにこだわっているチームなので、ずっと出続けるためには常に良いスクラムを組まなければいけないんですけど、九州電力戦や横河戦の時に先発を外されたのも、その週のスクラムが良くなったからなんです。逆に池谷さん(陽輔)がすごく良くて、それで何回もレギュラーを外されたりしているので、その波をなくすことが目標ですね。
—— その波の原因は分かっているんですか?
スクラムのことを100%理解していないんでしょうね。やっぱりそこですかね。自分の得意なところと苦手なところを分かっているつもりなんですけど、いざ組んだ時にそれを出せている時と出せていない時があるので、そのムラをなくしたいですね。
—— その秘訣は長谷川コーチから聞いているんですか?
やっぱりやり続けることや意識しないと治らないと思うんですよね。スクラムに関してはもっとスクラムに集中しきった方がいいのかなと思います。そこまで冷静になる必要もないかなって。
◆自立してない、ませてない
—— 発言が結構大人っぽいんですけれど、子供のころからませていたんですか?
どうですかね。親は違うって言うと思うんですけど、子供のころはぜんぜん可愛がられなかったんですよ。お姉ちゃんが生まれた時は初めての子供ですし、女の子でしたので父親が可愛がったんですよ。それで兄貴の時は顔がまあまあ良かったんですよ。それに生まれた時は結構体も大きかったんですね。それで母親が可愛がったんですよ。それで僕が生まれた時は4,500gあったらしいんですけど、正直可愛くなかったみたいなんです。デカかったですし。
それでおばあちゃんとは一緒に住んでいなかったんですけど、近くに住んでいた母方のおばあちゃんによく面倒を見てもらっていたんです。父親がお姉ちゃん、母親が兄貴で、僕はおばあちゃんだったんですよ。おばあちゃんはたまにでしたけどね。
それでさっき言った運動能力についても、お姉ちゃんと兄貴は逆上がりをさせられていたり、夜な夜なトレーニングみたいなことをしていたんですよ。僕はそれをやらされていないんですよ。それに、お姉ちゃんはかごから出るのに3か月かかったとか、兄貴は4か月、僕は5か月とか比較されたりしましたし、正直そこまで可愛がられていないと思いますね。なので今でも人に好かれたいという願望はありますね。
—— それで自立したんですかね、発言が大人っぽいのは
いや自立してないですよ。今まで親がやってくれていた部分があるので、社会人になってめんどくさいと思うことが多々ありますよ。例えば保険とかもそうですね。
—— ませていたわけではないんですか?
ませていたとは思わないんですけどね。よく喋っていたんで、周りから見ても大人っぽいとは思われていなかったと思いますよ。同級生で大人っぽいやつなんて周りにいっぱいいましたからね。ただ自分で言うのもなんですけど、思慮深いとは思いますよ。いろいろと考えていますし。
—— 考えるけれども喋ることが好きだから、考える前から言葉が出てくるってことはないですか?
いやそんなことはないですよ。考えながら喋りますから。何か聞かれてもすぐ考えてすぐ答えます。あと本当に思っていることは言わなくて、どうでもいいことやくだらないことは言ったりしていましたね。今は違いますよ(笑)。中学生の時とか、同級生とワイワイ騒いでいる時に、どうでもいいことを言ったりしていました。だけど、本当に悩んでいることとかは言わなかったですね。
—— 状況判断に優れているんですね
それはありますね。試合とかでもそれが活きていますね。
—— 話を聞いてみないとそうは見えないですよね(笑)
ただ喋っている男と思われているかもしれないですね。いちばんダメなパターンとしては、僕が喋っているのを第三者から見ると、ただうるさい男なんですよ。あいつスゲェ喋っているよなって思われるんですよ。でも相談されることも結構ありますけどね。
—— 今はほぼラグビー漬けですか?
そうですね。2部練習の日も1日増えましたし、会社に行ける日が3日くらいになっちゃったんですけど、ラグビー漬けといえばラグビー漬けですね。
—— 部屋に帰ってもラグビー漬けですか?
ぜんぜん考えてないですね(笑)。部屋にいる時は落ち着きたいですし、考えるとしても自分が良いプレーしているところしか考えないですね。
—— 練習に追われているよりは練習を追っている感じですか?
もっとこうしたいとかああやりたいとか考えても体が持たないんですよね。だから今できることをしっかりやるということしか考えてないですね。どれだけ求めたとしても、今はサントリーとしてやれることをやっていくしかないですし、例えば今すぐ海外に行きたいですって言っても無理な話ですし、まずサントリーの一員として次のトップリーグ第8節があることを考えてやっていく。そして次の9節のことを考えてというように1つ1つクリアしていくことがいちばんだと思うんですよ。それにその方が集中できると思うんですよね。
—— どうやってそういうことを学んだんですか?
大学の時からの流れですかね。1戦1戦大事にみたいな。けど早稲田も矛盾しているんですよ。1戦1戦大事にとか言いつつ、荒ぶるって言っていますからね。
—— 体は強いですか?
強い方ですかね。あまり大きな怪我をしたことがないです。
—— それは親に感謝しなければいけないですね
そうですね。昔から牛乳とか好きでしたから。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:五十嵐祐太郎)
[写真:長尾亜紀]