SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2008年4月16日

#141 中村 直人 『僕はサンゴリアスが大好きです』-1

◆いつも通りが大事

—— このインタビューを始めた時の私の構想は、中村コーチの歴史を追いながらも、連載途中で現在に追いつき、現在進行形で何回か載せた後、引退の今日を迎えるということでした。その構想もモロくも崩れ、今日、こうして最後のインタビューをすることになりました。こうなったら、現在から逆行していって、サントリーに入った頃で終了する、という形を取らせていただきます。ということで、今日は3月最終日。奇しくも中村直人最後のお台場出勤日となりました(4月から横浜支店へ)。さて、16年間在籍したラグビー部を去ることになって、今どういう心境ですか?

まだ実感が湧いてないですね。先週も最後のミーティングをしたばっかりです。今回の転勤で横浜支店に行きますが、その新しい生活もまだスタートしてないので、実感する時はスケジュール表を見た時くらいですね。今まではラグビー部の年間スケジュールがあって、4月、5月、6月とラグビーのスケジュールがたくさん入っていたのに、それがすっぽり白紙のまま4月がスタートすると思うと、実感するというか、少し寂しい気もします。

—— 自由になった感じはありますか?

そうですね、どこかそういうところもあるかもしれませんね。ホッとしたような。ラグビー部ではずっと緊張感がありましたから。

—— お仕事は営業ですか?

そうです。横浜支店はラグビー部が結構多くて、林(仰)、青木(佑輔)、曽我部(佳憲)、それからOBも結構います。

—— 最後のミーティングではひとこと挨拶などはしたんですか?

ミーティングの後に、清宮さんがコーチングスタッフを食事に連れて行ってくれました。

—— 日本選手権決勝の前は最後の試合ということで、気持ちが高ぶっていたように見えました

準決勝の東芝戦の後、決勝ウィークに入っても自分自身はすごく穏やかでした。「あと1週間かぁ」なんて嫁さんと言いながら、「こんな感じなんだな、こんな淡々と過ぎていくんだなぁ」と思っていたら、水曜日ぐらいからおかしなことになり始めて、めちゃくちゃ寂しくなってしまいました。みんなでいる時は大丈夫だったんですが、一人になった時に寂しいっていう感情が最初にきて、その次にどうしても勝ちたいという気持ちになりました。

決勝戦を迎えるにあたって、いちばん平常心を保っていつも通りでいなければいけない立場だったんですが、気持ちが高ぶってしまって、試合の日も早く目覚めたりしました。とにかく一人になると寂しいとか勝ちたいとか、いろんな感情が渦巻くような感じでしたね。

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—— 試合直前のロッカールームでプロップ陣へ泣きながら指示を与えていたのが印象的でした

いろいろな思いがあったんですが、このことに関しては、恥ずかしいのでコメントを控えさせて下さい(笑)。

—— 現役引退の年も、日本選手権で負けたそうですね

自分の中では、うすうすというか、むしろ明確に感じていたんですが、稲垣(純一/トップリーグCOO)さんにこのことを言われた時には、「この人も感じてたんや」と思いました。それでも、今回の試合に関しては、試合前はかなり自信がありました。

—— 敗因は何だと思いますか?

力不足というか、持っている力をその場で出せないという力不足ですね。力を発揮できない力不足を感じました。僕もいつも通りいられなかった自分の弱さというか、そういう部分を感じましたし、あぁいう大舞台だからこそ、いつも通りにいられる力がすごく大事だと思います。

◆武器にする以上どんな場面でも発揮しないといけない

—— コーチとして見ていて、チームにどういう部分が加われば、これをクリアできると思いますか?

毎試合、試合の位置づけというかシチュエーションは変わります。マイクロソフト決勝までの道のりは、トヨタ、トヨタ、三洋という順番でしたが、マイクロソフトカップを優勝した後に、サンゴリアスの長年の最大のライバルである東芝に良い勝ち方をして、その次の試合に力を発揮するということの難しさですね。東芝戦で一度最高潮に達したモチベーションはすごく高かったんですが、トータルとしてコンディションの部分などで決勝にピークを持って行けなかったということでしょうね。

試合の日は夜みんなで飲んで、次の日に外国人選手の送別パーティーがありました。そこで青木が涙流しながら僕の所に来てくれて、「もっと一緒に喋りたかった」って言ってくれて、2人で泣きながら話しました。「ラグビー部は辞めるけど、会社は辞めへんからまた会えるよな」なんて言っていたら、支店が一緒になってしまって、恥ずかしいやらなんやらです。もう会えないという勢いで話していて、青木なんて「直人さんに1回こんなことしたかったんです」と言って、後ろから抱きついてきたりしてましたからね(笑)。結局「毎日会うやん」という感じですね。

—— マイクロソフトカップで勝って、日本選手権で負けましたが、今のサントリーと三洋電機の力関係はどうだと思いますか?

まだまだサントリーは上乗せしていかなければいけないこともたくさんありますね。力を発揮できるようになるだけではだめです。

—— 今年は、"大阪のオバハンが見ても勝ってると分かるスクラム"はかなり組めていたんじゃないですか?

かなりありましたけど、やはり一番大事なところ、最後の2、3試合でどうだったかというと、不満が残りますね。トップリーグの試合では大阪のオバハンもオッチャンもみんな分かるくらい、三洋戦も押せていました。その相手に対して、マイクロ決勝、日本選手権決勝と、コントロールできなかったですね。シーズン半ばまでは、かなり良く組めていたんですが、それを武器にするという以上は、どんな場面でも強さを発揮しないといけないということで、シーズン終盤にそれを発揮できなかったということで、責任は感じます。

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—— その辺は今後は長谷川コーチに委ねていくわけですね?

長谷川コーチにも委ねますし、今回出たメンバー、出なかったメンバー、怪我して見ていたメンバー、みんな来年に繋がるために悔しさは持っています。

—— 具体的に足りなかったことはどういう部分ですか?

フォワードで言えば、押せたモールを相手が少し崩したことで圧倒出来なくなったり、そういう細かい所がたくさんですね。新しいスキルが必要な部分と、今あるスキルを強化する部分とあります。

—— そんなに簡単に三洋が対応してこれないだろうという思惑はあったんですか?

マイクロソフトで三洋とやった後、日本選手権決勝まで3週間だったわけですが、サントリーは自信になったところをさらに強化しましたし、そう言われてみるとそうかもしれませんね。難しいですね。まぁ言っても同じ相手とやる以上、対応の仕合いですからね。そういう修正力というのは、清宮さんの長けているところだと思います。そういう意味でもこの前の敗戦は、来年に向けて無駄にはならないし、負けたことの悔しさは精神的なエネルギーにもなると思います。

◆スクラムマシンの横に梅の花が咲く

—— コーチになって何年目ですか?

5年です。清宮監督が2年、永友(洋司)監督が3年です。

—— コーチ時代、一番印象に残ることは?

全部印象に残ってます。清宮監督の時代は非常に楽しかったですね。選手の時は僕はプロップで清宮監督がフランカーでずっと一緒で、会社も一緒で営業のグループも一緒で、すごく近い存在でした。途中から清宮さんは早稲田に行って、実績を残して5年ぶりに帰ってくるとなったと時に、どんなになって帰って来るんだろうと思っていました。いざ帰ってきたら、僕の知ってる清宮さんのままでした。ラグビーに関しては目も肥えていて、5年間早稲田で蓄えてきた素晴らしいものがあると思いますが、本質的には僕の中での清宮さんのままで、それはすごく嬉しかったし、やり易かったですね。

—— 監督が帰ってきて、サントリーは変わりましたか?

もちろん変わりましたし、サントリーだけじゃなくて、世の中のラグビーが変わってますよね。

—— 清宮監督の中で一貫しているのはフォワードを重視するところですね

そうですね。永友監督もスクラムハーフ出身なので、フォワードを大事にしていました。しかも明治出身ですからね。まぁ基本的にフォワードが大事だというのは、どこに行ってもラグビーでは同じですが、ただ、清宮さんになってより一層重視されましたね。

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—— 今シーズンは今までで一番長かったですか?

そうですね。花粉症の時期に始まって、今もう花粉症になってますからね。それから、スクラムマシンの横に梅の花が咲くなんて、見たことなかったですから。みんな「誰がこんなところに梅植えたんや」なんて言ってましたけど、よく考えたら、梅が咲くような時期は、もうオフで誰もグラウンドに来てなかったから。今まで気付かなかったんですね。それくらい長かったですね。

—— 去年の負けた悔しさはかなりエネルギーになっていたんですか?

そうですね。

—— 去年のマイクロソフトカップ決勝で東芝に負けた時、いちばん泣いていましたね

清宮さんが握手しに来る前に号泣でしたね(笑)。

—— 永友監督の時はどうでしたか?

面白かったです。なかなかタイトルは取れなかったですが、一番印象に残ってるのは、新米監督と新米コーチで、いろいろ暗中模索じゃないけど頑張ってきたとこです。

◆分からんもんは分からん

—— 初めてコーチをやってみてどうでした?

違いますね。最初に「こんなにミーティングしてたんだぁ」と思いました。土田監督の時からそうだったみたいです。けどそれは嬉しかったですね。「選手がいないところでこんなに時間費やしていたんだぁ」って。当時は分析するにしても全部手作業で、よそのチームはどんどんコンピューターでやってる時代になっても、サントリーはビデオデッキ3台使って手作業でやっていて、当時同じく手作業だった神戸製鋼のコーチと「手作業に限るなぁ」「手作業じゃないと見逃してしまうよ~」なんて励まし合いながらやってましたね。いかんせん時間がかかりました。

—— コーチをやってみて、選手と見方の違いなどで感じたことはありますか?

最初に思ったのは、今でこそ僕も"3番コーチ"なんていってますけど、初めてフォワードコーチになった時はそうではなかったんです。5年やってみて、余裕が出来て初めて言えるんです。最初の頃は、新しく入ってきた新人なんかは、僕をコーチとして見るのでいろんなことを質問してきました。自分で分からないことなども、コーチとして答えなくちゃいけないと思って、とりあえず答えたりしていました。今は分からんもんは分からんと言えるし、そうやって背伸びするようなことはなくなりました。

—— 選手と違ったコーチの面白さって何ですか?

やってきたことを発揮できた時ですね。選手の時とはまた違った感覚なんです。コーチになって思うのは、1つの成功したものに対して、例えばBチームのメンバー、コーチングスタッフの分析、そういったいろんな要素があって成功したプレーだというのを感じられました。選手の時はもっと単純に「出来た」、「ダメだった」だったのが、コーチになるともっと細かいところ、たとえばラインアウト1つでもBチームのメンバーが研究してくれたことができたらそれで嬉しいし、出ていないメンバーとその喜びを分かち合えたというのは、すごく印象に残ってます。

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—— 愛弟子の池谷選手が日本代表スコッドに選ばれましたね

嬉しいですね。これは彼の力です。自分が日本代表になった時とは全く別の喜びですね。自分の時は自分しか知らないいろんな辛いことなどもあって嬉しかったですが、今回の立場は横にいたものとして素直に嬉しいという感じです。僕は元吉(和中)にレギュラーを取られて、その元吉からレギュラーを奪ったのが池谷で、当時監督だった永友さんに「池谷で行きましょう」と伝えたのも僕でした。当時日本代表だった元吉から、池谷に代えさせた僕の責任は、今回で取れたかなと思います。

—— 監督をやろうという気持ちはありませんか?

やってみたい気持ちはありますが、ラグビー以外のこともいろいろあるので、現段階では難しいですね、考えていないです。

(続く)

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(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]

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