2008年4月 9日
#140 アルフレッド ウルイナヤウ 『日本はすごくいい方向に向かっている』
◆走り回れることと相手を倒すこと
—— 生まれはどちらでしょうか?
フィジーのスーバというところです。7歳の時に家族でニュージーランドに引っ越しました。
—— フィジーやニュージーランドには良いラグビー選手が多いですね
フィジーに限らず、パシフィックアイランドの人間は、ラグビーをナチュラルに出来るんじゃないかと思います。
—— アスリートが多いのは、小さい頃から自然の中で遊んで鍛えられているからですか?
子供は常に外で遊びますし、そういう生活の中で自然と身に着くんでしょうね。
—— その中でもアルフィーのように世界で活躍する選手は、子供の頃から目立っていたんですか?
僕は子供の頃から年上の人と接していたし、叔父さんたちとも一緒にラグビーをしたりしました。常に平均よりは高い位置にいたとは思います。
—— 小さい頃からラグビーをしていたんですか?
ソフトボール、サッカーやラグビー、バレーボールなど、いろいろなスポーツを小さい頃からやってきて、ニュージーランドに移った時にラグビーリーグから始めました。
—— ラグビー以外のスポーツも得意でしたか?
色々なスポーツをやりましたが、ソフトボールも得意でした。そして、それぞれのスポーツの中にラグビーに必要な要素がありました。
—— ラグビーを面白いと思ったのはいつですか?
高校に入って、友達にラグビー部に誘われてやってみて、楽しいと思ったし、自分のスキルはリーグ(13人制)よりユニオン(15人制)の方が向いていると思いました。
—— ラグビーのどういうところが好きになったんですか?
走り回れることと、相手を倒すことへのチャレンジ、これが楽しかったです。
◆勉強することが大事
—— 子供の頃から足は速かったんですか?
小さい頃に陸上も少しやっていたんで、短距離は速かったですね。
—— もし陸上を続けていたら、100mでオリンピックに行っていたと思いますか?
ハハハハハ(笑)。無理です。
—— ぶつかることも好きですか?
パシフィックアイランドのラグビーでは、コンタクトの激しさが目立つので、自然と自分もそういうラグビーをやってきたし、好んでいました。
—— コンタクトの面でも強かったですか?
リーグラグビーでは、いちばん大事な要素がタックルとコンタクトなので、そういうところはリーグをやっていた頃から育って、直接ラグビーに活かせたので良かったと思います。
—— 大学では?
高校からクラブでラグビーをやっていて、大学でもそうでした。
—— 工科大学出身のラグビー選手はあまりいないですよね。
若い選手たちは勉強することもすごく大事なことだと理解していると思います。特にラグビーは出来ても10年くらいだと思うので、その後の人生を考えても大事ですし、今ではラグビーをする時間を割いてでも勉強をする人が増えていると聞いています。
—— 頭も良かったんですか?
自分にとっても家族にとってもラグビーをする以前に、勉強をすることが大事だったので、そっちを優先してやってきました。
—— ラグビーで国の代表として戦うようになったのはいつ頃からですか?
96年、サントリーに来た最初の年で、初めてフィジーの代表に選ばれました。
◆シェフになる勉強
—— 大学を出てからサントリーに来るまでの2年間は何をしていたんですか?
大学を卒業してからシェフになる勉強をしていました。
—— 料理も好きなんですか?
はい、好きです。家でもよく料理はするんですが、そのことをみんなに話すとびっくりされます。
—— 将来は日本でお店を出したらどうですか?
カフェでもやりたいですね。ラグビー中心の生活になったので、タイミングが合わずに勉強を辞めてしまいましたが、将来的には興味があります。
—— どんな料理が得意ですか?
なぜカフェがやりたいかというと、シェフの勉強をしていた時は、洋菓子の勉強をたくさんしていたからなんです。もうずいぶん時間が経ってしまったので、コーヒーの味なども違いが分からなくなってしまいましたが、やるって決めた時は、もう一度その辺も勉強し直さなくちゃいけませんね。
—— 日本食は出来ますか?
今は特別に出来ないんですけど、クラブハウスで出る料理について、いろいろレシピを聞いたりしていました。
—— 好きな日本食は?
スキヤキですね。
—— フィジーの料理でお勧めのものはありますか?
日本の料理と比べると、全然違うんですが、どれって言う訳ではなく、すべてを薦めたいですね。料理は好きですし、食べるのも好きです。日本も島国ですが、シーフードが好きです。
◆お酒はラグビー・カルチャー
—— なぜサントリーに来ると決めたんですか?
ニュージーランドのクラブにいた時に、NECが遠征に来たりしていて、NECの選手とも知り合いになりましたし、その時にNECのコーチに誘っていただいてオファーも頂いたんですが、ニュージーランド協会にリリースしてもらえずに、NECに行くことはできず、来年にしましょうという話になりました。そうしたら数か月後にリリースしてもらえることになって、その時にちょうどサントリーからオファーが来て決めました。サントリーでは初めての外国人のバックス選手だったので、それが自分だということで光栄に思いました。
—— 日本に来てからもびっくりすることは多かったんじゃないですか?
サントリーに来るということもびっくりでしたし、サントリーという会社も聞いたことはありませんでした。NECという会社は向こうでも聞き覚えがあったし、そういう意味ではすごくびっくりでした。
—— お酒は好きですか?
もちろんです。ラグビー・カルチャーです(笑)。
—— サントリーがお酒の会社だと知って嬉しかったんじゃないですか?
ニュージーランドの友達にはよくお酒の会社でプレーしていると言われて、からかわれましたね(笑)。
—— サントリーに来てからはどうでした?
何を期待していいのか分からなかったし、文化も違うし、すべて大変なことばかりでしたけど、すごくサントリーはウエルカムで、心を開いて接してくれたので、日本に慣れることが出来ましたし、だからこそ日本にこれだけ日本に、サントリーにいられたんだと思います。
—— 当時はフルバックですか?
ニュージーランドではフルバックとウイングをしていましたが、サントリーでははじめからセンターでした。
—— 日本でいちばん驚いたことは何ですか?
文化も言葉も違いますが、人の多さに驚きました。ニュージーランドは300万人しかいないですからね。
◆日本の歴史を作った
—— 8年間で何が一番思い出深いですか?
サントリーが優勝した翌年に日本に来たんですが、まだその段階では成長をしていて、世間に名を広める段階でした。みんなにとってこれからという時期だったので、いい形でみんな頑張っていたと思います。土田(雅人)さんも若い監督として、いろいろな経験を積んで、サントリーの歴史の中でも1、2を争う素晴らしい監督だったと思います。
—— プレーヤーの頃から日本人選手にいろいろ教えていたんですか?
来たときに期待されていたことの1つだと思っていたので、外国人メンバーとして、日本人の選手に自分持っている知識を伝えるということはやってきました。
—— 面白いと思った選手はいましたか?
敬介(沢木コーチ)は特別なものを持っていたと思います。小野澤(宏時)も、長いキャリアの中で今でもトップでプレーできている特別な選手ですね。
—— 印象に残ってる試合はありますか?
やっぱり優勝するのが特別ですね。3連覇した時のファイナルなんかはすごく印象的です。あとはウェールズに勝った試合は、初めて海外のチームに勝ったということで、日本の歴史を作ったという気持ちもありますし、嬉しかったですね。
—— サントリーの日本人の選手はよく泣くことがありますが、アルフィーもよく泣きますか?
これも日本で初めて経験したことです。試合前に泣くということも、これまで経験したことはなかったし、向こうでは試合前はロッカーで自分の気持ちを高めて、グラウンドでは自分の感情をぶつけるということでやっていました。けど、長く日本にいるので、なぜそういう雰囲気になるのかということも理解してきたし、それだけ気持ち、熱、熱さがあるからこそ、そういう感情が出て来るんだと思います。
—— アルフィーは日本でラグビーで泣いたことはありますか?
自然の感情として、自分から涙が出てくることはありませんでしたが、チームメイトが泣いていたりして、もらい泣きしたことはあります。
◆日本のリーグでプレーしたことの積み重ね
—— サントリーにいる間に、ワールドカップに出てベスト15になるほど活躍しましたね
自分のプレーヤーとしてのピークはその頃でしたね。結果も出ましたし、ベスト15にも選ばれましたし、自分のキャリアの中で他の時期と比べても、やはりその時期がいちばんでした。
—— いちばん良い時期をサントリーで過ごしたんですね
そうですね。ワールドカップでベストの状態でプレーできたというのも、日本でトレーニングを重ねてきたこともそうですし、日本のリーグでプレーしてきたことの積み重ねが、そこでピークに持って行けたことの大きな要因だったと思います。
—— サントリーで8年過ごして辞めるとなった時は、自分から言い出したんですか?
自分で決めたことでした。チームにも新しい顔ぶれが必要な時期でしたし、時期的にも良かったと思っています。
—— プレーヤーを引退してニュージーランドへ行ってからは何をしていたんですか?
引退して初めは、ニュージーランドへ行って半年くらいはゆっくりしようと思っていたんですが、自分が行っていた高校からラグビーのコーチのオファーが来たので、やることにしました。
—— その時に高校生に教えていた経験は、今のコーチ業に役に立っていますか?
もちろん役に立っています。オークランドでは高校のコーチだけではなく、オークランド協会のディベロップメントコーチとしてもやらせてもらったので、いろいろ経験できました。
—— その後3年ぶりに、サントリーから今度はコーチとして呼ばれた時はどうでしたか?
最初はびっくりしました。しかし、プロ生活のほとんどを過ごしたサントリーからのオファーということで、すごく感謝しましたし、嬉しかったです。もし、サントリー以外の別の会社からオファーが来たとしても、受けなかったと思います。
◆家族のことを優先して戻る
—— 選手時代のアルフィーとコーチとして帰ってきたアルフィーは全然違うという噂を聞きました
選手の時は若かったですね(笑)。リラックスする時は思いっきりリラックスして楽しんで、仕事をする時は集中してやるように言われて育ってきたので、そうしていました。そういう経験が今にも役に立っていると思います。
—— 今はすごくジェントルマンですが、これが本当のアルフィーの姿ですか?
歳も取ったし、落ち付いてきましたからね(笑)。もちろん若いころの僕も、それはそれで本当の僕の姿です。
—— 帰って来てからのサントリー、日本のラグビーはどうでしたか?
選手時代に比べれば成長していると思いますし、協会としても成長していると思います。これからも良い外国人選手がどんどん入ってくればレベルは上がってくると思いますし、これからの日本のラグビーに期待していきたいです。
—— ニュージーランドに帰ってからは何をするんですか?
なぜ戻るかというと、家族のことを優先して戻ることにしたんです。妻が大学院に通っていて、今年が最後の年なので大変になりますし、娘もまだ小さいので、面倒をみることも手伝わなければいけないので、それで帰ることにしました。妻は今まで10年間、僕がラグビーに関わっている間サポートしてくれたので、今度は僕の番です。
—— サントリー、日本ラグビーに対してメッセージをお願いします
ラグビー国としてすごくいい方向に向かっていると思います。代表の監督はJK(ジョン・カーワン)で、彼はいろいろな良いアイデアを持っていますし、それに取り組んでいけばきっといい方向に進みますし、レベルは上がっていくと思います。
清宮さんもJKと同じですごくいいコーチですし、これからサントリーも強くなっていくと思います。大学でも結果を残していますし、サントリーでは2年目で優勝しましたし、彼が将来をどう思っているかは分からないですが、JKの後の監督の候補として考えてもいい存在だと思います。日本代表の監督になれば、日本代表ももっと強くなると思います。
(通訳:ジェフリー・カトラー/インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]