SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2008年3月25日

#139 小川 真也 『怪我もいいチャンス』

◆焦りから先走ってしまう

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—— どちらの生まれですか?

生まれは青森県東津軽郡です。

—— 他にも同郷のラガーマンはいますか?

いないですね。今は合併して市になってしまったんですが、以前は村でした。村からは10歳位上にいたみたいです。そこまで合わせても3人位しかいませんね。

—— 高校も青森ですか?

青森北高校です。

—— 雪は結構多いんですか?

そうですね、12月の中頃、早い時は12月の頭から積もってしまいます。

—— 雪が積もると練習はどうするんですか?

雪の上では遊び程度の練習しかできません。ですので、学校の中で走ったり、どうしてもトレーニングが中心になります。

—— 昨シーズンは前十字靭帯断裂という大きな怪我をしましたが、怪我の前はすごく調子が良かったですね

僕だけの力ではないんですが、怪我した週のスクラム練習で結構いい形で押せていて、その前から徐々に良くなり始めていて、僕の中でも手応えを感じ始めている時でした。その週にサテライトの三洋戦(2007/12/23)があって、慎さん(長谷川コーチ)や直人さん(中村コーチ)に「ここ行ったら次あるぞ」と言われていて、僕の中でも「やるぞ」という気持ちで臨んだ中での怪我だったので、へこみましたね。

—— 医者からはなんと言われましたか?

とりあえず「夏合宿は無理だね」と言われました。言われた時は本当に頭が真っ白になって、車で病院まで行っていたんですが、帰り道の間中、ずっと真っ白でした。その日はずーっとへこんでましたね。多分人生で一番へこんでました。診断の時も直人さんがしきりに電話してきてくれて励ましてくれてたんですが、結構引きずりましたね。

—— いつ頃から気持ちの整理がつきましたか?

へこみはもうないですが、今でもまだ焦りから先走ってしまう部分もあって、山本さん(和宏/理学療法士)に怒られます(笑)。でも、結局どうあがいても、夏合宿に間に合わないという事実は変わらないので、出来ることをするだけです。去年、篠塚さん(公史)も怪我をして、体を大きくして帰ってきたということも聞いているので、僕もそれなりに身長もありますし、まだまだ体を大きく出来る要素があると思うので、大きくなって戻ってやろうと思います。

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—— そう思えるようになったのはいつ頃ですか?

1月の中旬ですかね。それまでは3週間くらい引きずってました。

—— 今の状態はどうですか?

良いです。山本さんにも「順調じゃない?」と言われてます。逆に「順調すぎるのも怖い」と言われるくらいです。

—— その辺はどうやって確かめていますか?

僕がすごく動きたくなって「これやってもいいですか?」「あれやってもいいですか?」ってすぐに聞いてしまいます。何回も「それはダメだ」と言われています。

—— 焦る気持ちは治まりましたか?

まだですね。それはやっぱり来年新しく入ってくる選手もいますし、同じく怪我をしている圭太さん(長谷川)が、最初は僕より復帰に時間がかかるんじゃないかと言われていたのが、僕より全然早く復帰ができるという見込みが立ってきたりしているので、復帰できるのが一番遅いということで、やはり焦りはあります。

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◆中学で野球に

—— 2007年4月時点では184cm、113kgですが、今はどれくらいですか?

今は118kgです。怪我をする前は124kgありましたが、入院中に6kg落ちました。入院中は食事も制限されるんで、ある程度落ちてもしょうがないのかなと思うんですが、今週からウエイトもできるようになるので、ちょっとずつまた体重も増やしていければ良いと思います。

—— とにかく大きいですが、いつ頃から大きいんですか?

小学校6年生の頃ですかね、急激に背が伸び始めたのは。中学校の時に野球をしていて、2回骨折しました。1回目は中1の時に僕の不注意で、海で転んで足首を真っ二つに折りました。医者にも「珍しいね。なかなか真っ二つに折れる人なんていないよ」と言われました。もう1回は中3の時の練習中に交錯して、鎖骨を折りました。ファーストをやっていて、ランナーと交錯しました。

—— 野球はなぜ続けなかったんですか?

4歳上の兄も青森北高校にいて、野球をやっていました。山崎先生という、後に僕の恩師になる先生がいて、山崎先生が兄をラグビー部に誘ったところ、兄は断ってこう言ったそうです。「4つ下の弟が僕の代わりにラグビー部に入りますから、僕には野球をさせてください」。僕は中学3年生の時に初めて山崎先生にお会いして、そういう話を聞きました。まずは見学に行くことになって、そしたらラグビー部のバッグを渡されて、あとは半強制的な感じで入部しました(笑)。

—— ラグビーはどうでした?

楽しかったですね。青森ではラグビーはほとんどが高校から始めるので、最初は体が大きい子が目立つ存在になりました。後々高いレベルになると体だけでは通用しなくなってくるんですが、初めは自分が大きくて強かったので楽しかったです。

—— 高いレベルになってからも続けようと思ったのはなぜですか?

ちょうど花園の県予選が始まるときに、1回戦のメンバーに入れてもらいました。その時にダメなりにも、やれる部分があって、それが楽しくなって続けました。当時はロックでした。

—— その後は?

2年生の頃は楽しくなかったですね。青森では青森北か三本木かの2強で、僕が2年の時に春大会の準決勝で何十年か振りに負けました。その後の練習がすごくハードでした。今までやってきた中で一番きつかったですね。思い出したくもありません。

—— その時に鍛えられたこともありますか?

そうですね。2年の時に花園の予選で負けたんですけど、その後は僕らの代が中心のチームになって、県内では負けませんでした。上の人には申し訳なかったですが、そういうことの積み重ねで強くったんだなと思います。

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◆高1で105kg

—— 1年の時にロックをやっていて、その後のポジションは?

僕がプロップになったのは、春の選抜の全国大会の時です。その前の花園の予選に当たる東北の新人大会の時はまだロックでした。決勝で仙台育英に負けて、その後監督といろいろ話をしていて、「負けた原因は何だ?」と言われ、「フォワードが負けていた」という話になりました。その頃から僕の体重も増えてきていて、105kgくらいあって、僕がやってみようということになって、プロップデビュー戦が全国大会でした。

—— デビュー戦はどうでしたか?

デビュー戦は松山商業とやって、結構大差で勝ったのを覚えています。

—— 自分のプレーも良かったんですか?

初めてスクラム組んで、「あ、組めた」という感じでしたね。高校のルールは社会人とちょっと違うんですが、とりあえず頭入れて我慢していれば組めるという感覚はあったんで、僕の中ではとりあえず全国大会のレベルで組めたということで嬉しかったですね。

—— 相手は結構大きかったんですか?

そんなに大きくはなかったですね。その年僕らは花園に出ることができたんですが、僕ともう1人の1番の子と合わせて、「大きいプロップがいる」と少し騒がれていたくらい、自分たちが大きかったです。

—— プロップの魅力はどういうところでしたか?

正直、最初は嫌でした。自分が少しでも負けたらスクラムが崩れたりしちゃうんで、嫌でした。本当に好きって思えたのは、サントリーに来るまでなかったかもしれません。サントリーに来て、それこそ慎さんや直人さんに教えてもらって、組めて、相手をきれいに押せた時なんかは、嬉しいというか、やった~という感じですね。

—— 大学で日体大を選んだのは?

3年の時に山崎監督から「進路どうするんだ?」という話がありました。そこで僕も山崎監督みたいに体育の先生になれてラグビーを教えられたらいいなと思っていて、「体育の先生になりたいです」と言いました。山崎先生も日体大出身で、「じゃぁ日体大に行けよ」と言われました。

◆よく牛乳を飲んでいた

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—— 日体大に入ってからはどうでしたか?

推薦で入れてもらいましたし、ラグビーを辞める理由もありませんでした。それに加えて体育教員の資格も取れて、対抗戦では明治や早稲田と戦えるということで、迷いはありませんでした。

—— 日体大のラグビー部に入ってどうでしたか?

高校と違う部分はいろいろありましたけど、僕の中ではギャップというか、いろいろ感じることはありました。これは言っていいのか分かりませんが、首脳陣と選手の考え方のギャップもありましたし、そういうギャップの中で何人かの選手は練習に出てこなくなったりもしました。そういうことは4年間ずっと感じていました。

—— ということは、大学の時のラグビーはあまり面白くなかったんですか?

そういう訳ではありません。逆に僕らの代の仲間の絆は強くなって良かったです。何かあるごとに常に一緒に行動していました。

—— 大学に入った頃はもう今の体格に近かったですか?

だいぶ近かったですが、もう少しぷよっとしてました。体重は一緒ですが、筋肉質ではなかったです。

—— 体を作る上で食事には気を使っていましたか?

いえ、あまり気にせずに食べるものは食べていました(笑)。

—— 体が大きいのはご両親の影響ですか?

父母どっちの家系を見ても体の大きい人はいません。兄も173cmくらいで、弟も169cmとかで、僕だけ184cmもあるんで、よく"拾われっ子"と言われてました。

—— 大きくなった原因は何だと思いますか?

幼稚園の時によく牛乳を飲んでいた記憶はあります。多い時には1日に1リットルくらい飲んでました。牛乳は比較的好きでしたね。

◆カチッとするやろ?

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—— 大学時代のいい思い出は?

やっぱり一番は良い同期に恵まれたことですね。

—— 大学では何年生から試合に出ましたか?

試合には1年生から出させてもらいました。1年生の時はリザーブがメインでちょこちょこ出させてもらう感じでしたが、2年生からはレギュラーで出させてもらいました。日体大にはフルタイムのコーチがいなくて、フォワードコーチもいませんでしたから、自分たちで考えなくてはいけませんでした。「ラインアウトはなんとかなる」と言ったらそれを専門にやっている人に失礼になりますが、スクラムの細かい所は、ほとんど何も知らない僕らでやるというのは、専門の人に「何とかしてほしい」という気持ちがすごくありました。

—— 自分たちで何とかしたことで、良かったことはありませんか?

う~ん、無いですね。

—— 試合では通用しましたか?

下のチームには通用しても、上のチームになると、ラインアウトは取れないし、スクラムは押されるし、楽しくなかったです。

—— 社会人になってもやろうと思ったのはいつですか?

3年の春にサントリーではないんですが、あるチームからお誘いをいただきました。そこではじめて僕の中で「社会人でもやってみようかな」と思いました。その後、5月くらいだったと思いますが、慎さんが見に来てくれて、「サントリーの長谷川さんだ」と感動したのを覚えてます。その時は本当に基礎的な事を教えてもらいました。夏合宿の場所も網走でサントリーと一緒で、合宿の時も少し来てくれて見てくれたりしていました。そんな中でもスクラムに対してすごく情熱を持っているというのが伝わって、こういう人たちと一緒にやりたいなと思いました。

—— 特に印象に残っていることはありますか?

インパクトが強すぎて、言葉としてどうこうというのはあまり残っていないんですが、夏合宿に坂田さん(正彰)が来てくれたときに、しゃべった言葉が僕の中で新鮮でした。「ここをこうするとカチッとするやろ?」と言われて(笑)、すごく覚えています。

—— 大学ではずっとプロップですか?

そうです、プロップの3番です。

◆130kgに

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—— サントリーからオファーが来たのはいつごろですか?

その3年の網走合宿の時でした。サントリーはもう東京に帰っていたんですが、その後、サントリーOBの尾関さんから正式に聞きました。憧れていた慎さんや、スクラムに情熱のあるサントリーに誘って頂いたことはすごく嬉しかったです。

—— サントリーに入ってみてどうですか?

ほとんど僕の場合、まっさらな何もない状態できたので、いろんなものを吸収できる感じでした。

—— そのままサテライトの試合まで行ったわけですね

まぁ波はありましたけどね。

—— 自分の性格はどうですか?

集中したらずっと集中してられますが、一度切れるとだめですね。短気です。車の運転にしても...短気ですね。

—— サントリーに入っていちばん良かったことは?

サントリーのプロップの皆さんに会えたことですね。昨日もいろいろ話をしていて、感極まって泣いてしまったんですが、今怪我していることに対して、体を大きく出来る期間をもらったと思うようにするとか、怪我している人と一緒に頑張ろうなという話をしていました。また、チームを離れる直人さんにも、3番ということでいろいろお世話になって、直人さんの前でジャージを着て見せたいという思いはあったんで、それをあと一歩というところで逃してしまい、それが僕の落ち込んでいた原因でもありました。

—— もう吹っ切れましたか?

体を大きくしてからスクラム組むのもだいぶ良くなってきたというのもあるので、そういう意味では、今の怪我もいいチャンスだと思います。焦ってもひざを悪くするだけだと思うので、いまは体を大きくすることを第一前提において、焦りはありますが、そうやって行こうと思います。

—— 体重はもとに戻すんですか?

当初の予定の130kgに持っていきたいですね。124kgの時も重くて体が動かないという感覚はなかったんで、そこに6kgプラスしても僕の中ではさほど変わりはないと思います。段々腹の130kgは嫌ですけどね(笑)。

—— 言い残したことはありませんか?

サントリーに来て本当に良かったです。

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(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]

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