2007年12月11日
#125 中村 直人 真打ち登場! 『いっぱい笑える人生』 - 9
◆ガラッと変わった
—— 2年目でもっとも印象に残っているのは?
ガラッと変わったことですね。宝田(雄大)さんというフィットネスコーチが来て、それまでやったことなかったような、科学的に考えられたしっかりしたメニューをやり始めた年でした。
(※再び長谷川コーチが...)
長谷川:「さっき2年目の話って言ってたやん。それ直人さんの3年目の話やで」
中村:「え?じゃぁ2年目どうしてたん?」
(※その後、長谷川コーチと何やら話をして...)
記憶ちゃいますわ。間違えてました(笑)。3年目、慎が入った年からこうやって大きく変わってきたんでした。今の話は2年目ちゃうくて、3年目でした。2年目は清宮さんが考えたメニューの中で走ろうということになった年でした。トイレ行って帰って来たら練習が終わっていたなんてことがなくなって、練習もいい加減に休むなんてこともなくなりました。
—— 120kgを超えていた体重はどうなっていたんですか?
95~96kgくらいになったんじゃないですか?
長谷川:「今は?」
中村:「今は言えへん。今そんなん言うたら嫁はんにバレるやろ」
長谷川:「115kgくらい?」
中村:「ないないないない...。」
長谷川:「115(ヒャクジュウゴ)です。」
中村:「"いいこ"(115)です(笑)」
—— 3年目まで来ました
中村:「そこで長谷川慎が入社ですよ。長谷川慎というよりも、今泉清が。」
長谷川:「おい、ここで下げんのか」
中村:「"今泉清入社!長谷川慎も(笑)"みたいな感じです。それとさっきの話のフィットネスコーチも来たんですよ。走りましたね」
—— 学生時代よりも走りました?
中村:「走りましたね」
長谷川:「走りましたね~。僕105kgで入ってきて85kgまで落ちました」
中村:「そしたらいきなり骨折しとったやん(笑)。僕は東京大学の研究室で体を測定したりとかして、研究に基づいたトレーニングを始めました」
長谷川:「僕はその待ち時間でバスケットをしていて着地に失敗して骨折しました」
—— 期待の新人が骨折?
長谷川:「期待の新人でもなかったですよ」
中村:「期待の新人の付属が(笑)。けど、結局慎の方が活躍しました」
長谷川:「僕、入社式でその時の社長の佐治敬三さんに『お前、ええ体してるな。ラグビーやったらどうだ?』と言われましたから(笑)」
中村:「この年は走りましたね。2年目よりもさらに走りました。管理された、計画的なメニューで走らされました。
その年は神戸製鋼に負けたんですけど、トライ数では勝っていて、当時無敵の神戸にそこまで差を縮めた年でしたね。
◆神戸に勝って優勝
—— 4年目に入りましょう
この年に坂田(正彰)が入ってきて、慎が2番から1番に変わりました。この年になってさらにメジャーな練習メニュー、加圧式トレーニングが入ってきました。特許も降りていないような時期だったと思います。毎日酸欠で吐きそうになっていました。そのおかげか、見るからにみんなゴッツくなっていきました。
—— その成果もあって優勝?
この年に監督が土田さんになって、キャプテンは洋司でした。順調に優勝したわけじゃなくて、東日本社会人リーグも優勝したわけじゃなくて、日本選手権に予選リーグのシステムが導入された年で、ワールドカップみたいなシステムになって、その予選ではトヨタとかにボロボロに負けていたんですけど優勝しました。
予選リーグから上位2チームが抜けて、最初が神戸製鋼とでした。8連覇のかかった神戸に対して、同点。トライ数の差で上回ってサントリーが次に進みました。7年連続で優勝しているチームですから、まさかそこに勝てるとは思っていませんでした。超満員の秩父宮でした。
次は東芝戦で大差で勝ち、その次は三洋電機でこの試合も引き分けで、サントリーがトライ数で上回って勝ち進みました。この試合で同点に追いつく永友のキックの前のトライが、この前話した、俺も絡んでるぞというトライの話です。坂田→中村→永友→清宮→吉野→尾関というトライです。
花園が超満員で、表彰式終わったらグラウンドにお客さんがなだれ込んできて、グラウンドにベビーカーとかがいるような状態でした。とびっきり感激しましたね。そのまま大阪の駅前のホテルでパーティーをして、すごく嬉しかったですね。清宮さんが表彰式で賞状をもらいに前に出ました。その年は永友キャプテンだったんですが、前の3年間の清宮さんの改革があってということで、みんな「清宮行け行け~」ていう感じでした。
—— みんな泣いていました?
武山さん(チームディレクター)とかボロボロでした。他は結構笑ってる人が多かったですね。
—— 4年目はほとんど試合は出ていたんですか?
ほぼ出ていましたね。期待されて入った同期6人で試合出ようなって行っていたんですが、それは1度もありませんでした。
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]