2007年11月26日
#120 中村 直人 真打ち登場! 『いっぱい笑える人生』 - 8
—— サントリー1年目、チームの成績は?
東日本社会人リーグの入れ替え戦です。東京ガスと熊谷第3グラウンドかなんかでやりました。ギリギリで逆転勝ちしたんですが、本当にヤバかった試合でした。試合に出る前のロッカーで、「負けたら(部が)潰れるぞ」みたいな声が飛んでました。下に落ちたら存続は難しいんじゃないかという中での入れ替え戦でした。
—— 相当の緊迫感がありましたか?
負けるわけにはいかなかったんで、そりゃありましたね。
—— 入った年はレギュラーだったんですか?
入った年の5月頃にいきなり出て、人生初の秩父宮での試合でした。香港U-23とサントリーの試合で、初めての秩父宮ですごく気合入れて、寮で隣の部屋だった同じ同志社大学の陸上部だった一般社員の奴が朝ごはん作ってくれて、「陸上の試合前はこれが良い」なんて言われながら食わせてもらいました(笑)。そしたら2トライか3トライしてMVPまでもらってしまいました。頑張って走ってコケてトライみたいな感じでしたけど。
—— ラックでボール拾ってそのままトライみたいなプレーですか?
そんなんもあったり、ラックからぴょんとパスもらってトライみたいのもありました。
—— その時から3番ですか?
はい、3番でした。
◆入れ替え戦
—— そこからずっとレギュラーですか?
はい。当時は怪我による選手交代を除いて入れ替えもなかったし、先輩が7つ上だったんで、若手ということで使ってもらっていました。清宮さんもよく辛抱して使ってくれてたなと思います。入部した時は120何kgありました。新人研修で練習に行けない時期があって、ラグビー部の奴はみんな研修が終わって走ってたんですけど、僕はずっと飲んでいて「やる気ないなら辞めろ!」って同期の奴に言われたりしました。そいつは僕より先に辞めて行きましたけどね(笑)。
1年目の夏合宿が菅平であった時には、午後の練習が始まる前にお腹が痛くなってしまって、トイレに駆け込んだんですけど、山のいちばんの上のグラウンドから「すみません、ちょっと抜けます」って言って走って下りながらトイレを探したんですが、なかなか貸してくれなくて、山のほぼ下まで降りてしまいました(笑)。トイレを済ませてまた走ってやっと上に戻ったと思ったら、練習終わっていました(笑)。
—— 1年目で最も印象に残っていることは?
入れ替え戦ですね。負けそうになって、土田さんは試合中にどっか行っちゃうし、グラウンドも印象的でした。一応芝のグラウンドでしたけど、第3グラウンドでしたからね。スタンドもなくて、清宮さんは試合前に「こんなところ2度と来るか~!」って叫んでました。それこそ、ちょっとした高校の大会とかをやっているグラウンドですよ。下手したら犬の散歩とかしててもおかしくないところです。
試合はギリギリ勝って、でも喜べなかったですね。内心ホッとはしましたけど、こんなところでやっててえぇんかという感じでした。来年頑張ろうなってみんなで言ってました。
—— 2年目は?
前年度入れ替え戦でしたから、清宮キャプテンを筆頭に「去年と同じじゃダメだ、変わろう!」という年でした。クラブハウスができて、グラウンドが1面取れるようになって、フィットネスコーチが加わってガラッと練習が変わりました。その時くらいから、冷蔵庫からビールがなくなりました。とにかく走りましたね。走ったし、ウエイトトレーニングもしました。冠婚葬祭以外の理由で練習を休む奴もいなくなって、急激に変わった年でした。
—— 成果は出ましたか?
出ましたね。全国大会の準決勝、花園でワールドに負けて、正月を超えることはできなかったんですけど、やはり練習して自信もついたし良い年でした。
(※今度は長谷川慎コーチが通りかかって...)
長谷川:「いいってもう連載終わらして。そんなに自分が可愛いか?」
中村:「お前のことばっかり喋ってるよ」
長谷川:「ははは(笑)」
中村:「今な、来年になったらお前入ってくるところやから」
長谷川:「まだ1年目かよ(笑)。まだ俺入ってないやんか」
(※更にそこへ、この日(リコー戦前日)の練習で怪我をした平浩二選手が通りかかって...)
中村:「浩二、痛くないことにしろって」
長谷川:「俺と同じこと言うな(笑)。痛くないと思ったら痛くなくなんねんて。俺は肉離れした次の日試合行ったよ。痛くないことにして」
中村:「でも、やっぱ痛かったんやろ?」
長谷川:「前半30分で退場した(笑)」
平:「プロップやったら行けるんですけど...」
長谷川:「あ、(インタビューの)邪魔?」
中村:「いやいや、ええで」
(続く)
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]