2007年11月21日
#119 中村 直人 真打ち登場! 『いっぱい笑える人生』 - 7
◆たくさんやるべきことがあった
—— コカ・コーラ戦の敗戦後、チームの様子はどうですか?
う~ん。まぁ影響がないということはないですね。やはり、たくさんやるべきことがあったということですからね。それが負けて分かったというところでしょうか。
—— コカ・コーラ戦の時は、グラウンドの横で試合を見ていてどうでした?
何かちょっと、時間と共にいつも通りじゃなくなってきたというか、サントリーらしさがなくなってきて、コントロールしきれなくなっていたのは感じましたね。あの点差でしたから、チャンスはあったんですけど、点が取れなかったのが痛かったですね。
—— 感じとしては去年のヤマハ戦(2節)やトヨタ戦(日本選手権準決勝)に近いものがりましたか?
そうですね。似ている部分はあったと思います。
—— それは"できないことがある"ということなんでしょうか?
今週ミーティングでも出ましたが、できることをどの場面でどういう風に有効的に使えるかというところだと思います。
—— そういう試合展開の中で、頑張っていたフォワードでしたが、1番をつけていた林(仰)選手がアキレス腱を切ってしまいました
残念ですね、非常に。無念というか。アスリートとしてチャレンジする良い性格なので、戻ってきてくれると思っていますが、今回チャンスをつかんだ中で、あぁいう形でグラウンドを離れることになったってことは僕もすごく残念だし、本人も悔しいと思います。
◆もう飽きたって(笑)
—— では、前回の続きで、サントリーに来いと言われて来たら、その土田さんがいなかったんですね?
いなかったといいうか、気が向いた時にきてフォワードコーチをしていたという感じですね。昔は今ほどシステムがきっちりしていなかったんでね。
—— 大学からサントリーへ入ってみてどうでした?
関東で活躍していた選手も合わせて、同期として6人も入った年でした。僕と同志社から行ったもう1人は置いといて、関東から入った4人は期待されていました。僕ともう1人は、サントリーに入ることになって東京へ出ていく時も、同志社の当時部長をやられていた岡(仁詩)さんに「サントリーに行くのはいいけど、絶対ついて行けない」と言われて送り出されました。
(※通りかかった佐々木隆道選手が「直人さんのスピリッツはもうえぇって。飽きたって(笑)。聞いてたら笑えるけど、文字にして読むとそんな笑えへん。泣いてばっかりやないか」と野次を入れる)
周りでも飽きたって声が多いんですよ。ちょっと考えなあかんですね。この前、永友(洋司/前監督)さんからも電話があって「真面目な話聞きたくない」って言われました(笑)。
◆週5日練習になったのは僕のせい
—— いったん話を戻しましょう
入った年は、清宮さんがキャプテン1年目の年で、監督は巌さん(山本)でした。監督は入社2年目くらいまでグラウンドで見たことはなかったです。清宮さんが練習も仕切っていて、本城(和彦)さんが補助スタッフのような形でグラウンドに来ていました。場所は今と同じ府中のグラウンドだったんですが、クラブハウスもまだなくて、グラウンドも1面が取れないほどの大きさでした。テニスコートとかもあって、土のグラウンドでした。
—— フォワードコーチはいなかったんですね?
そうですね。一応土田さんが兼任みたいな感じでした。
—— 練習はどうでしたか?
練習自体は「社会人なんだから人にやらされるんじゃなくて、自分たちでやろう」という風土がありました。走ることも自分で必要だと思ったらやるし、練習以外の時間でもやらなきゃいけないことはやるという、そういう強い意志をもったチームになろうということだったんですけど、それがなかなか個人ではやらない人も多かったですね。仕事を理由に休む人もいました。練習は19時半からで1時間半くらいやって、ご飯を食べて帰るという感じでした。当時はまだクラブハウスにビールが置いてありました。今は冷蔵庫には牛乳とフルーツジュースが入っていますが、当時はぜんぶモルツでした。飲む人はお金をおいて1杯飲んでました。2軒目に行くところがなかったんですが、「それでは」と駐車場の入口の所に地元の人がカラオケスナックみたいのを建てました。今はもうないですけど。
練習は土曜日を入れて週4日くらいでした。清宮さんがキャプテンで、個人で走ろうということでやっていたので、清宮さんが走っているわけですよ。一緒の寮にいたんで、飲んで帰ってホロ酔いになっている若い僕と、走って帰って来たキャプテンの清宮さんがエレベーターで一緒になったりすると、これは気まずい(笑)。沈黙のままエレベータにに乗って「早く上がれ~」って思いながら...。
確か金曜日の夜が休みだったのが練習に変わった日があって、何でかと思ったら「お前がフラフラ飲みに行ってるから練習する」って言われたことがあるんですよ。週4日が週5日の練習になったのは僕のせいみたいになりました。
(続く)
(インタビュー&構成:針谷和昌/編集:植田悠太)
[写真:長尾亜紀]