2007年8月30日
#104 曽我部 佳憲 『何もできないから始まる』
◆サントリーは昔から憧れていた
—— 社会人になる時、サントリーを選んだのはなぜですか?
最初は膝の怪我もあったので、トップリーグではできないと思っていました。大阪に帰りたいというのもあったので、関西の会社を受けたりしていたんですけど、その時にちょうど代表候補のフランス合宿とかが重なって、試験が受けれないことが多々あって、落ちてしまいました。周りの矢富(勇毅/早稲田~ヤマハ発動機)とか今村(雄太/早稲田~神戸製鋼)がトップリーグから誘いを受けてたんですが、僕は誘われるなんて思っていませんでした。でも、もし誘っていただけるなら、いちばん最初に誘っていただいたところに行こうと思っていました。そんな中どこからも声がかからず、周りは決まり始めていて少し焦っていました。 サントリーは昔から憧れていたんですけど、どうしようとさまよっているときに、清宮さんに「うち来いよ」って言ってもらえて、決めました。清宮さんに誘ってもらえたということはとても光栄なことなんで、考え直してトップリーグでやろうと決めました。
—— 大阪の企業を受けていた時はラグビーを辞めるつもりだったんですか?
いや、そうではありません。そんなに強くなくてトップリーグにいるようなチームじゃないところでラグビー部がある会社でやるつもりでした。ラグビー自体は続けたかったんですが、怪我や自分のレベルとかを考えて、トップリーグではできないなと思っていました。
—— 膝はそんなに深刻な状態だったんですか?
大学1年の時に右膝を怪我して、手術もしてもう治ってはいるんですけど、自分の感覚としては完全に戻ってないですし、もう怪我したくないという気持ちがありました。前十字靭帯を2回切って2回手術しています。世の中にはそういう人はたくさんいると思うんですけど、僕はそんなにメンタルが強い方じゃないんで、ダメだと思っていました。
◆少し天狗になってた時
—— 大きな怪我は初めてだったんですか?
そうですね。今まで手術するような大きな怪我はしたことなくて、2年間のリハビリをしたんですが、ラグビーを始めてから2年間もラグビーをしないことはなかったんで、怪我しないようにやろうと思っていました。大学1年でレギュラーになって、少し天狗になってた時にそういう大きな怪我をしたんで、体のことを気にかけてなければいけないし、天狗になったらいけないんだなと思いました。
—— 気にかける他に、体を強くしようとか思いましたか?
体を強くするのもそうですが、自分の動きが悪くて膝を怪我してしまったんで、まずは自分のステップであるとか動き方を大学のトレーナーさんなどに見てもらって、1からやり直して今までやってこれたというところです。
—— 大学1年で怪我をして、復帰したのはいつですか?
しっかり復帰したのは大学3年の夏合宿です。怪我をしたのは大学1年の時の早明戦の3日前の練習でした。その後2年間リハビリです。当たり前ですが、復帰してすぐは下の方のチームに復帰して、徐々に上がっていったという感じです。最後はレギュラーを取ることができました。
—— そうすると、復帰してまだ2年ですね。
そうですね、そのあと肩の手術もしたりしていたので、夏合宿で初めてトヨタ自動車と試合したり、本格的に練習したりして、今ちょっとついていくの大変だなと思っているところです。ラグビーは好きなんでラグビーしている時は楽しいんですけど、大学でも精一杯やっていた部分があるので、また社会人になってレベルが上がると体がついてこないというか、結構大変な部分はあります。
◆結構追い込まれていた
—— 今課題にしていることは何ですか?
課題にしていることはいっぱいありますが、まずは今サントリーがやっているラグビーについていくことですね。大学でやっていたラグビーがまだ体に染みついているんで、早くそれをサントリーラグビーにシフトしていくというところですね。
—— どの辺が早稲田のラグビーと違うところですか?
大学の時は何個か先のプレーまで決めて、こういうパターンでという決まりの中でやるような感じだったんです。それと大学の時は他のメンバーはそれにちゃんとついていってましたけど、僕は結構追い込まれていて、精神的にキツかったですね。
—— 大学での清宮監督とサントリーに来てからの監督は変わっていますか?
少しオープンな感じになったんじゃないでしょうか?学生時代は合宿の時は一緒にご飯を食べたりすることもありましたが、クラブハウスで一緒に食べるようなこととかはありませんでした。言葉じゃうまく言えないんですが、今の方が選手に対する接し方がオープンな感じですね。学生と社会人では人間関係も変わるんだなぁと思いました。戸惑ったというよりは、ほのぼのした良い感じに思いました。
—— 練習も全然違いますか?
ところどころ「これ大学の時も言われたな」とかはあるんですけど、社会人になってからはすごく判断が大事なんだなと思いました。大学の時はさっき言ったように決まってた部分があるんですけど、社会人になってそういう決まりごとも何個かはありますが、ほとんどが判断で常に空いているところを見つけてという感じなので、そういうスタイルだと僕は感じています。
◆思い切ったプレーができてない
—— 清宮監督に誘われてトップリーグでやることを決意した時、気持ちにどんな変化があったんですか?
ちょうどその頃は日本代表候補でフランス合宿に行ったんですけど、自分が早稲田でやってたからこそ、のびのびやれていて活きていたなと思いました。代表合宿では自分のプレーも全然できずにいて、その時のコーチ3人にもすごく言われて凹んでいました。そんな時に清宮さんに誘われて、「やっぱお前のことわかってるやつじゃないとダメだよな」みたいなことを言ってくれて、なんていうかわかってくれている人がそういうことを言ってくれて、嬉しかったんでしょうね。
—— 自分の良さというのはどういうところだと思いますか?
自分ではあまり分からないですけど、パスとか、空いてるスペースに走り込んでいくタイミングとかだと思います。自分ではそういうところが良さだと思いますが、最近全然できないですね。
—— トヨタ戦(夏合宿1試合目)はどうでした?
10分くらいしか出られませんでしたが、自分がイメージしているプレーに体が全然ついてこないという印象でした。ひとことで言うとまだ全然思い切ったプレーができていないですね。まだ練習も試合も久々なんで、これからですね。
—— 肩の調子ももう良くなってきましたか?
肩は思ったより良い感じです。肩は4年の12月の早明戦で前半10分くらいで肩が外れてしまって、そこからシーズンはやり抜いたんですけど、シーズンが終わって、ラグビーを続けるために手術をしました。普通にやる分には手術の必要はなかったんですが、トップリーグでやるんであれば、このままではまた外れてしまうかもしれないと医者に言われて手術しました。
◆親父が好きなラグビー
—— 少し話がさかのぼりますが、早稲田を選んだ理由は?
やはり早稲田は憧れの一つだったんですけど、別にそこまで心からこの大学に行きたいと思っていたわけじゃなくて、自分の勉強のレベルとかも分かってたんで、第一志望は他の大学でした。高校の監督に受けるチャンスがあるんだから頑張ってみたらと言われ、受けたら受かりました。高校で一緒にハーフを組んでいた三井(大祐)っていうやつと一緒に受けて一緒に合格しました。彼は留年して今年もう一年早稲田でやっています。
—— 早稲田には入れた時とサントリーに入れた時とではどっちが嬉しかったですか?
どうですかね~。早稲田は入れた時は親も周りも喜んでくれましたね。まさか自分が早稲田?という感じでした。早稲田に行けるとは思っていなかったんで、自分以上に周りが喜んでくれました。サントリーに入った時もそうですね。周りの方が喜んでくれました。お爺ちゃんもお婆ちゃんも、大学の頃から大きい試合には来てくれていました。
—— 高校は啓光学園ですね。ラグビーを始めたのは高校からですか?
いや、ラグビーは幼稚園からやっています。父親の仕事の関係で転勤が多かったんですが、兵庫に住んでいた時に初めてラグビーをしました。親父がラグビーをやっていたわけでもないんですが、親は2人とも見るのは好きでしたね。僕が一人っ子ということもあって、団体スポーツをやらせたいというのもあったみたいです。その中で「見るのが好きなラグビーをさせたんだよ」という話をされた記憶があります。
—— 始めてみてどうでしたか?
日曜日の朝早くに家を出て行くのが嫌でした。日曜日の朝は小さい子向けのテレビアニメや戦隊ものをやっている時間帯で、ギリギリ終わりまで見れなかったので、それが嫌でした。ラグビーが嫌だったということではありません。
小学校に入ってからは大分に転勤になって、大分ラグビースクールでラグビーをしました。林(仰)さんと一緒のラグビースクールです。小学校に入った時は、当然ラグビースクールに入るような感じでした。
小学校では、ラグビースクールが日曜日だけしかなかったんで、月曜から土曜日まで放課後でやっているようなクラブに入ろうと思いました。野球とサッカーがあったんですが、僕は野球が好きだったんで野球に入ろうと思っていました。でも、野球のコーチがすごく怖そうで、練習中もすごく怒鳴っていて嫌だなと思い、サッカーのクラブに入ったら、サッカーの虜になってしまって、日曜日サッカーの試合とラグビーが重なるとサッカーに行くことも多かったです。
◆サッカーの虜
—— 中学では?
中学は大阪に戻ってきました。大阪の中学には普通の部活にラグビーがあって、そこに入りました。サッカーはうまく諦めたような感じで、ラグビーをするために大阪に引っ越したような感じでした。大阪に家を買って、父親だけ単身赴任をするような環境になりました。
—— お父さんのお仕事は?
普通のサラリーマンです。銀行系の仕事です。3年か4年に一度は転勤がありましたが、そのおかげでいろいろなところに友達ができましたが、幼稚園や小学校の頃に転勤が多かったのは、新しい友達作ったりするのに大変でした。
—— サッカーの虜になりかけていたところでラグビーに戻った大きな原因はなんですか?
僕が小学校で行っていた大分ラグビースクールの同級生が、今でも現役で頑張っているような友達が多くて、すごくいいチームに恵まれたことでしょうね。試合も大体勝っていました。小学校の頃はウイングをやっていたんですが、僕がいちばん足が速いと思っていました。いろんなチームに勝って気持ちにも余裕があって、いけるんちゃうか、という感じでした。
中学校の頃は、僕のラグビーの折れ線グラフで言ったら、一回ドーンと落ちた時期があったんです。中学校のラグビーは12人でやるんですけど、先輩たちが辞めてしまって部員が7人しかいなくて、試合もできない状態でした。中3の時には友達に「ラグビー部入ってよ」と声を掛けてなんとか20人くらい集まっていいチームができたんですが、試合やってもよそのチームも人が足りなくて合同チーム作ったりとかしていて、なかなか大変な時期でした。
—— 高校ではもう一度本格的にやりたいと思ったんですか?
そうですね。小学校の時に思い描いていた僕のラグビー人生とは全然違いますね。僕の行っていた中学校は今言ったとおり部員も集まらないような部でしたが、全国には強い部もたくさんあって、高校の推薦なんてまさか自分には声掛からないだろうなと思っていました。だから中学校の横にあった工業高校を受けて、そこでラグビーしようと思っていたんですけど、たまたま中学校の選抜のセレクションが啓光学園のグラウンドであって、その日僕が調子良くて、高校の監督に「高校どこ行きたいの?」と言われて、そのときはまだ全然考えていなかったんですけど「啓光学園です」と答えたら、そこで決まりました。
—— 高校でポジションが変わったんですか?
高校でもレギュラーになれたのは3年の時で、レギュラーになれた最初の頃はフルバックをやっていました。最後の全国大会前にスタンドオフになりました。高校の時はフルバックが面白かったですね。
—— 今でもフルバックがいちばんおもしろいですか?
今はそんなことはないですね。いまはスタンドオフがいちばん面白いです。背番号がカッコいいじゃないですか、10番って。それから攻撃にしろ何かと起点になるポジションなんで、そういうところがカッコいいなと思います。
◆すごい気分屋
—— ご両親はラグビーをする息子を見て何か言いますか?
進路のことについては言い合いとかしてましたけど、最終的にはいつも良かったねと言ってくれます。大学入試の時に僕が行きたかった大学と、親が行ってほしかった大学(早稲田)があって、そこでもめました。たまたま早稲田に受かってよかったです。
—— 小学校と中学校の名前を教えてください
小学校が兵庫県の丸尾北小学校と大分の大道小学校で、中学校は大阪の喜連中学校です。中学校の自慢を言うと、姉妹でタレントしてる"マナカナ"が卒業した中学校です。
—— サッカーはどこのファンでしたか?
選手は小倉(隆史)選手が好きでした。膝を怪我してしまって残念な現役生活になってしまいましたが...。チームはガンバ大阪が好きでした。
—— 野球はどうですか?
タイガースファンです。小さい頃兵庫県に住んでいた時は、甲子園球場の近くだったのでよく見に連れて行ってもらっていました。最近は野球も見なくなって全然わからないんですが、当時は八木(裕)とか真弓(明信)とか、田尾(安志)、亀山(努)とかの世代ですね。
—— 技巧派が好きですね
小さい時はそこまで細かいことはわかって無かったですけどね。
—— 自分の性格はどう思いますか?
すごい気分屋だと思います。テンションが高い時と低い時の差が激しいです。基本的にネガティブなんで、何事もできないから始まります。できない、できない、できないときて、できたということが多いです。早稲田の受験の時も無理から始まって、最後受かったという感じです。マイナス思考ですね。
ちょっと守りというか、セーフティに行きがちですね。良くいえば高望みしないというところですね。高望みしてできなかった時のショックとか味わいたくないんです。怪我をした時も調子に乗っていて、このまま4年間行けると思っていた矢先の怪我だったんで、その辺からですかね、高望みしないようになったのは。今はラグビーができているだけで幸せです。
—— 最初に怪我した時はかなり落ち込みましたか?
ここまで落ちるかというくらいまで落ち込みましたね。半分諦めましたけど、一緒にリハビリしていた仲間に助けられましたね。
◆嬉しいことだらけ
—— 今年の目標は?
学生の時と違って会社もあるんで、仕事にも慣れることと、サンゴリアスのラグビーに慣れることですね。この先もずっと続いていくことですので、まずはここからですね。レギュラーとかはその先ですね。日本代表だワールドカップだというのは遥かその先で、目標というよりは憧れですね。
—— ラグビーをいやっていていちばん嬉しかったのは?
1人で何かするのも好きなんですが、みんなで一緒になってやることですかね。結構嬉しいことだらけですけど、高校に入れたことも、大学に入れたことも、今サントリーに入れたこともですね。いっぱいありますね。一緒にリハビリしていた友達が復帰して試合に出たのを見た時も嬉しかったです。それがまだ復帰できていなかった自分にとって励みになったりもしましたし、ラグビーを通していろんな人と出会えたことも嬉しいことです。
—— 社会人になって変わったことは?
いい意味でリラックスしていると思います。なぜかわからないんですけど、今すごくリラックスしてラグビーをできています。
大学の時なんかは4年間という限られた時間の中で、みんなの喜ぶ顔が見たいから頑張るという感じでしたね。変にいえば追い込まれていたんでしょうけど、その時に比べたらリラックスできています。
—— 休日はどんなことをして過ごしていますか?
ほとんど大学の時に仲良かった奴らと、ご飯食べに行ったり、遊んだりしてますね。
—— 趣味は?
買い物行ったり、音楽聴いたりですね。いいリズムがあれば何でもいいです。タワーレコードとかCD屋さんへ行って視聴したりしています。
◆ラグビーを楽しんでる姿を見てほしい
—— 成田秀悦選手が「曽我部は僕の部屋に入り浸りです」と言っていました
そうですね、暇あったら成田の部屋行って、部屋のものいじったりしてますね。やるだけやって「おやすみ~」って言って帰りますね(笑)。
—— 成田選手は「大学のころから知っているけどこんなに仲良くなるとは思わなかった」と言っていました。
それは僕も思います。やっぱりほかの大学だったんで、成田がどんな奴だなんて分かりませんでしたけど、冗談言いあったりよくしますね。
—— 去年の新人9選手は歴史的な新人デビューとなりましたが、今期の同期はどうですか?
僕の同期はみんな「行ってやろうぜ」っていう感じの4人ではないので、「俺たちも負けないように頑張ろうぜ」みたいなことは今まで出てこないですね。
—— 仲はいいんですか?
4人で一緒に行動とかはあまりしないですね。この前久々に4人でご飯食べに行きましたけど、ほんと久々ですね。みんなそれぞれの居場所があるんで、4人で集まってなんかしようぜってことはあまりないですね。
—— ファンに対してここを見てくれというところはありますか?
ラグビーを楽しんでいる姿を見てもらえればいいかなと思います。ラグビーをやっている上でそこは揺るがないと思います。練習では苦しいこともありますけど、試合中くらいは楽しくやろうと決めています。そのための辛い練習ですからね。試合に出られるかわりませんが。出られたらそこを見てほしいと思います。
(インタビュー&構成:針谷和昌)