SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2007年6月27日

#94 成田 秀悦 2007ルーキー 『スピードで勝負』

◆いまいちばん面白い

成田 秀悦 画像1

—— スピリッツ今年の新人第1号です

正直嬉しいです。過去のスピリッツはぜんぶ読みました。

—— 新人で早くも活躍していますが、サントリーに入る時に描いていたイメージ通りですか?

いやまったく。一緒に入った同期のみんなも凄い人たちですし、チームのメンバーはテレビで見ていた人たちばかりなので、その中で自分がプレーしている姿はぜんぜん想像できませんでした。夏まではゆっくりと地道にやって、それからだと思っていたので、こんなに早く試合に出させてもらって、いまいちばん面白いです。

—— 本職のスクラムハーフでなく、ウイングとしての起用が多いですね

最初は戸惑いましたけど、チーム事情もあるし、いずれハーフに戻ったときに役に立つとプラスに考えています。

—— でもやはりスクラムハーフで出た方が楽しいですか?

そうですね!

◆寝ている間にお父さんが

成田 秀悦 画像2

—— 子供の頃から足は速かったんですか?

小学校3年まで太っていて、足は遅いしイジメられてました。負けず嫌いなので、運動会で負けて悔しかったんです。それを親にしゃべったら、それから毎日、坂を走らせられたり、僕が寝ている間にお父さんが靴に重りを入れたり、そういうことが続いて痩せて、そのお陰で瞬発力もつきました。お父さんのお陰ですね。

—— どこを走ったんですか?学校へ行く前?

家の周りには海と山しかなかったので、坂道もけっこうあって、そこで短い距離でしたけどダッシュしたり、砂浜を走らされたり、親に頼んで鍛えてもらったんですが、最初は嫌でしたしきつかったですね。走るのは学校から帰って来てからでした。

—— 効果は現れましたか?

3年のときから足の速さはクラスで3本の指に入っていました。痩せてからはイジメられることもなくなりました。まぁもともとイジメという程のものでもなかったんですが、とにかく運動能力がそれまではなかったですね。

—— それまでは大事に育てられ過ぎた?

長男なので大事にされていました。弟もラグビーをやっていたんですが、弟はかわいそうで、だんだん年齢を重ねてくると僕との差が出て来て、それが嫌でラグビーを辞めてしまいました。

—— 大事にされていたのなら重り入りの靴には驚いたでしょう?

靴が重いという感じがあったんですが、まさか重りが入っているとは.....。最終的には重りが入っていることを教えて貰いましたけれど。父は運動が好きで、野球でもバレーでも運動神経がいいし、足が速かったですね。

—— お父さんはいまでもスポーツマンですか?

はい。電柱2本分、毎年どっちが速いか勝負をしてました。大学に入って初めて勝った。それは嬉しかったです。父はかなり悔しがっていて、それからは勝負しようと言わなくなりました。逆に僕は高校のときに負けるのが嫌で、父に勝負を挑みませんでした。母もバレーをやっているので、うちはスポーツ一家です。

◆ずっとハーフ

成田 秀悦 画像3

—— ラグビーを始めたのはいつですか?

小1からやってましたが、ドンクサそうな運動できないタイプだったのです。体が弱かったのでラグビースクールに入れられたんです。僕の地元はラグビーが盛んで、仲のいい友達がみんなラグビーに入るので、僕も入りました。

—— ラグビーは最初から面白かったんですか?

楽しかったです。友達といて楽しい、という感覚です。人数が多くて、1、2年生のときには試合してません。3年生でスクラムハーフをやりました。

—— そうするとラグビー人生はスクラムハーフ一直線?

中学のときにハーフに上手い後輩がいたので、ポジションを移されたことがありましたが、それを抜かせばずっとハーフです。

—— スクラムハーフの面白さは?

ボールの起点なんで、ボールに触る機会も多いし、チームでもトライをいっぱい取る方だったので、試合が楽しかったですね。人を抜くという感覚が、その頃から楽しかったです。

—— 中学でもラグビーを?

はい、男鹿南中学のラグビー部に入りました。僕のときには校名名が変わっていましたが、敬介さん(沢木コーチ)、智之さん(沢木/昨シーズンで引退)が先輩にいて、智之さんの家とうちの親が仲良くて、花園の土産をもらったけど誰からもらったかそのときはわからなくて、それが智之さんからだったりしました。ですから智之さんと一緒にプレーできるのを楽しみにしていました。

◆いまいちばん面白い

成田 秀悦 画像1

—— スピリッツ今年の新人第1号です

正直嬉しいです。過去のスピリッツはぜんぶ読みました。

—— 新人で早くも活躍していますが、サントリーに入る時に描いていたイメージ通りですか?

いやまったく。一緒に入った同期のみんなも凄い人たちですし、チームのメンバーはテレビで見ていた人たちばかりなので、その中で自分がプレーしている姿はぜんぜん想像できませんでした。夏まではゆっくりと地道にやって、それからだと思っていたので、こんなに早く試合に出させてもらって、いまいちばん面白いです。

—— 本職のスクラムハーフでなく、ウイングとしての起用が多いですね

最初は戸惑いましたけど、チーム事情もあるし、いずれハーフに戻ったときに役に立つとプラスに考えています。

—— でもやはりスクラムハーフで出た方が楽しいですか?

そうですね!

◆寝ている間にお父さんが

成田 秀悦 画像2

—— 子供の頃から足は速かったんですか?

小学校3年まで太っていて、足は遅いしイジメられてました。負けず嫌いなので、運動会で負けて悔しかったんです。それを親にしゃべったら、それから毎日、坂を走らせられたり、僕が寝ている間にお父さんが靴に重りを入れたり、そういうことが続いて痩せて、そのお陰で瞬発力もつきました。お父さんのお陰ですね。

—— どこを走ったんですか?学校へ行く前?

家の周りには海と山しかなかったので、坂道もけっこうあって、そこで短い距離でしたけどダッシュしたり、砂浜を走らされたり、親に頼んで鍛えてもらったんですが、最初は嫌でしたしきつかったですね。走るのは学校から帰って来てからでした。

—— 効果は現れましたか?

3年のときから足の速さはクラスで3本の指に入っていました。痩せてからはイジメられることもなくなりました。まぁもともとイジメという程のものでもなかったんですが、とにかく運動能力がそれまではなかったですね。

—— それまでは大事に育てられ過ぎた?

長男なので大事にされていました。弟もラグビーをやっていたんですが、弟はかわいそうで、だんだん年齢を重ねてくると僕との差が出て来て、それが嫌でラグビーを辞めてしまいました。

—— 大事にされていたのなら重り入りの靴には驚いたでしょう?

靴が重いという感じがあったんですが、まさか重りが入っているとは.....。最終的には重りが入っていることを教えて貰いましたけれど。父は運動が好きで、野球でもバレーでも運動神経がいいし、足が速かったですね。

—— お父さんはいまでもスポーツマンですか?

はい。電柱2本分、毎年どっちが速いか勝負をしてました。大学に入って初めて勝った。それは嬉しかったです。父はかなり悔しがっていて、それからは勝負しようと言わなくなりました。逆に僕は高校のときに負けるのが嫌で、父に勝負を挑みませんでした。母もバレーをやっているので、うちはスポーツ一家です。

◆ずっとハーフ

成田 秀悦 画像3

—— ラグビーを始めたのはいつですか?

小1からやってましたが、ドンクサそうな運動できないタイプだったのです。体が弱かったのでラグビースクールに入れられたんです。僕の地元はラグビーが盛んで、仲のいい友達がみんなラグビーに入るので、僕も入りました。

—— ラグビーは最初から面白かったんですか?

楽しかったです。友達といて楽しい、という感覚です。人数が多くて、1、2年生のときには試合してません。3年生でスクラムハーフをやりました。

—— そうするとラグビー人生はスクラムハーフ一直線?

中学のときにハーフに上手い後輩がいたので、ポジションを移されたことがありましたが、それを抜かせばずっとハーフです。

—— スクラムハーフの面白さは?

ボールの起点なんで、ボールに触る機会も多いし、チームでもトライをいっぱい取る方だったので、試合が楽しかったですね。人を抜くという感覚が、その頃から楽しかったです。

—— 中学でもラグビーを?

はい、男鹿南中学のラグビー部に入りました。僕のときには校名名が変わっていましたが、敬介さん(沢木コーチ)、智之さん(沢木/昨シーズンで引退)が先輩にいて、智之さんの家とうちの親が仲良くて、花園の土産をもらったけど誰からもらったかそのときはわからなくて、それが智之さんからだったりしました。ですから智之さんと一緒にプレーできるのを楽しみにしていました。

◆パスで勝て

—— ディフェンスでのタックルは大学ではやったんですか?

大学では行かなきゃいけないんですけど、なかなか苦手でした。小ちゃいんでコンタクトプレーはいまでも苦手です。

—— 大学時代のいちばんの思い出は何ですか?

一度ラグビーを辞めようとしたことです。挫折なんですけど、後輩に日本で注目されるようないいハーフがいたんです。それで立場が変わって、それまでリザーブだったのがメンバーからも外されたんです。2年のときです。

親にも電話して「辞める」と言ったし、親も辞めるなら辞めるでいいという感じでしたが、周りの同期に励まされたんです。「どこがそいつに勝てるところか?どういったところで勝つのか?」と。その凄い後輩はタイプが同じ路線の選手だったんですが、同期たちは「違うところでお前は勝てばいいんじゃない?」と言ってくれました。

—— 違うところとは?

「パスで勝て」ということです。それでその後輩は飛び抜けた運動能力を持っていましたが、同期の励ましもあって続けることにして、結局僕がレギュラーになりました。あとあと監督に聞いたんですけど、レギュラーとして選んでくれたきっかけは、野村さん(直矢)だったそうです。

きっとスタンドオフの野村さんに、監督が「どっちがやりやすい?」みたいなことを聞いたんだと思います。パスが良かったんで選んでもらえたそうです。この話は4年生になってから聞きました。

—— じゃあサントリーでその野村先輩と9、10番コンビ復活だといいですね

僕はそうですけど、ノムさんは関係ないんじゃないですか(笑)。あまり深く考えないタイプなんで(笑)。

—— サントリーにもスクラムハーフとして入ってきたんですね

はい、ハーフをやるにあたって、キヨさん(田中澄憲)、耕太郎さん(田原)がいるんですけど、2人に勝つには"スピード"で勝負したいと思います。

—— 体は大きくしたいんですか?大きくして速く、ですか?

大きくもしたいですし、スピードもつけたいです。

—— それには、新田コーチ(博昭ストレングスコーチ)のトレーニングですね?

はい、クリーンです。ウエイトもやってるんですけど、まだ成果は出てません。

◆サントリーの魅力

成田 秀悦 画像8

—— サントリーに入ったいきさつは?

僕からお願いしました。注目を浴びるチームだったし、ノムさんとかシノさん(篠塚公史)とかから色々と話を聞いていたんで、入りたかったんです。

—— その2人が新人ながら活躍しました

2人とも大学から中心選手として飛び抜けていましたけど、まさか1年目からって、みんなで話していました。そういうところもサントリーの魅力になっていると思います。早いうちから試合に出してもらえるのは魅力です。もちろん実力があってのものだと思っています。

—— 成田選手も今年の春季オープン戦第1戦から先発でしたね

ウイングですけど、もちろん嬉しかったんですが、初めてのポジションだったので凄く緊張しました。

—— 自分として出来はどうでしたか?

ハーフをずっとやってきたので、ハーフとして今日はどうだったかというのはわかりますが、ウイングは初めてだったんで、どれだけやったらいいかわからずに必死でした。

—— スクラムハーフとは別の楽しさはありましたか?

それはまたスクラムハーフとは違った感覚で「人を抜く」ので、違った楽しさがありましたし、ウイングは思いっきり走ることが多いですね。走るのは好きなんで、楽しいです。

—— 走りは得意技でしょう

大学時代はランよりパスマシーンでした。

—— ではそのパスで気をつけていることは?

いいパスを出すために、ラインを殺さないことです。リズムもそうだし、例えば後ろにパスしたらそれだけでもうラインは活きないし、そこのところは意識しています。

走る方では、捕まったらこの体なんで弱いので、絶対に芯でぶつからないように、ちょっとでもズラしたり、緩急をつけたり、そういうことをやっていかないと、通用しないと思っています。

—— オープン戦に3試合とも主にウイングとして出て、ここまでどうですか?

いままでずっとスクラムハーフをやってたんで、いちばん外からフォワードの動きやバックスの動きを見ることができたことが、凄い勉強になりました。僕にとって初めての視点でした。

—— じゃあもうウイングにも慣れましたか?

3試合で慣れたら苦労しません(笑)。でもちょっとずつは、分かるようになりました。

◆「来る」より「呼びたい」

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—— 今年の目標は?

試合に出ることです。

—— 長期的な目標は?

体を大きくすること。

—— 日本代表は?

のちのちの夢ですけど、ここでレギュラーを取ることがいま、いちばんの目標です。

—— 自分の性格をどう思いますか?

「負けず嫌い」だけど「マイペース」です。先輩、後輩、同期を問わず、人に接するのが好きですね。

—— 会社の仕事は営業ですか?

物流です。同じ部署に恵二さん(森岡)がいるんで、色々教えてもらって、お世話になっています。恵二さんがいなかったらと思うと、ぞっとします。仕事ではまだ何も任されていないので、「スピリッツ」も「スマイルカフェ」もぜんぶ読みました(笑)。

—— 趣味は?

買い物です。服はたまに買います。CDとかですね。あとは部屋に入ったばかりなので、部屋のものを揃えるのが好きです。小ちゃいんですけど気に入ったソファがありますが、帰ったらほとんどいつも曽我部(佳憲)が寝てますから(笑)。

部屋は違うんですが、階も違って僕が上で曽我部が下なんですが、反対側にあるのでお互いに電気がついているのが見えるんです。電気がついていると、お互いに行ったり来たりしてます。学生時代は挨拶程度でしたけど、ここまで仲良くなるとは思わなかった。曽我部の人柄が良かったんですね。

—— お父さんたちは試合を応援に来るんですか?

北上の試合には両親と中学校時代のコーチが来てくれました。父はウイングにビックリしてました。

—— 東京の試合にも来ますか?

「来る」というより僕が出るようになったら「呼びたい」です。

—— 出るのならウイングでもいいですか?

そこはこだわってハーフ。そこはこだわりたいです。

—— 改めて、サントリーに入ってどうですか?

部員のみんながアットホームな感じです。凄くそれがいいです。ラグビーをやる環境は完璧なんじゃないかなと思ってます。

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◆僕より速い奴はいっぱいいた

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—— 高校ではチームはどうでしたか?

3年間、花園に行きました。2、3年のときに同じところに負けたんです。佐賀工業。3年のときに抽選を自分で引きに行って、相手が佐賀工業というのを引いたときは凄い嬉しかったですね。1度負けた相手なんで、やる気は相当ありました。

でも3回戦、正月の1発目で負けました。完敗でした。相手の面子が凄い良かったんです。五郎丸(歩/早大4年/来年からヤマハ発動機)とか、東芝のスタンドオフの藤井(亮太/関東学院大~東芝)とか、いいプレーヤーがいたんです。

—— 負けず嫌いにとって2年連続の負けは相当悔しかったでしょうね

はい、でも最後は「高校は終わっちゃったものだから、しょうがない。また大学に行ってから勝とう」というふうに考えました。

—— その大学は法政大学ですね

中学校のときから行きたいと思っていました。法政は"高速ライン"で、バックス中心なラインなので、スクラムハーフとして行くんだったら、凄い成長できるんじゃないかと思っていました。ですから迷いなく法政でした。

—— 実際入ってみてその通りでしたか?

やっぱりバックスが凄い上手くて、パス回しにもスキルにもみんなスピードがあって、凄いやりがいがありました。レギュラーになったのは3年からでした。

—— そのバックスの中で足は速かったんでしょう?

足は速い方とかでなくて、もっと周りが速かったんです。僕より速い奴はいっぱいいました。後輩だったり、下のチームにいたり。計測すれば僕は標準タイムです。50mを6.5秒とか6.6秒です。サントリーに入ってちょっと伸びた気はしていますが。

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(インタビュー&構成 針谷和昌)

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