2007年3月28日
#83 新田 博昭 クリーン先駆者 『人間の能力は開発できる』
◆中心から外へ
—— ラグビー選手というのはアスリートの中でも特殊な体の持ち主なのでしょうか?
走れなければいけないことと、体のサイズを大きくする作業は相反します。そこのバランスですね。選手たちの体を大きくしなくちゃいけないけれど、大きくすれば走れないということに繋がります。そうならないように、スピードとフィットネスの両方を失わないようなメニューを、考えていかなければなりません。
どちらかを犠牲にして、例えば走ることだけのトレーニングをしていれば、4週間でこれだけ走れるようになります、という結果を出すことができますが、そのアップ分が10%だとすると、それを5%ずつにしてもいいからバランスをとってアップしていくようにするということが大切です。
そのコツは、基本はいかに筋力を高めるかというトレーニングなので、その中でスピードの強化を意識した方法で行うことです。体を大きくすることだけに特化したトレーニングをしすぎないように、体を大きくすることに関しては、ある程度長期プランとして考えながらやっています。
—— 今まで日本でやられていたトレーニング法と新田コーチの方法はどこが違うのでしょうか?
日本で今までやられているのは、ボディビル的なトレーニングなんです。もしくはパワーリフティング的トレーニング。でもそこにはスポーツに繋がる動きを取り入れたトレーニングはありません。これまでの方法は純粋に筋肉だけを見ている方法なんです。
そうではなくて、筋肉がいかに効率的な動きをして、筋力を発揮するように体を動かすトレーニングを常にさせているか、ということです。細かく言えば、例えば「クリーン」はスクワットでありベンチプレスであり、ぜんぶやって、すべての種目において理にかなったパフォーマンスに繋がる動きを、常に求めているんです。
—— 具体的には角度が違ったりするのでしょうか?
コーチとして角度ももちろん見ます。というのは、柔軟性が不足すると関節の角度が出ません。そうするとフォームが悪くなります。そういう点で角度は見ますが、「動き」というのは体全体が連動して動いていないとダメなんです。連動した動きが上手くいっているかどうかを、コーチとして常に見ています。
法則というのは決まっていて、「中心から外へ」なんです。体の中心で生まれたパワーを末端に繋げる、どんなスポーツであれ、そういう法則なんです。
—— 中心というのは体幹ですか?
中心は腰です。いちばん強い力を生み出すのは、大きな筋肉がついている腰なんです。英語でヒップ・ジョイントと言うんですが、日本語訳になると股関節になってしまって、ちょっとイメージが違ってきちゃいます。
日本人だと腰、はっきり言ってお尻ですね、お尻と前の腹側の筋肉も含めての腰です。そこで力が生まれます。野球のピッチングにしろ、バッティングにしろ、スプリントもジャンプするのも、ぜんぶそこからです。
—— そうすると足は速いけどジャンプ力は余りないという選手は、腰の使い方がわかっていないということですね?
使い方がわかっていません。アスリートというのは、効率的な動きを教えられなくても、ある程度できている選手なんです。ウエイトトレーニングでは中心から外への動きを、いい姿勢を保った状態でできるか、それを複雑化しないでいちばんシンプルな形に戻してトレーニングさせています。
シンプルにできないのは、ラグビーにしろ野球にしろ、そこにスキルが入ってくると、動きが複雑化するからなんです。でも人間の動きは必ず「中心から外へ」というシークエンス(連続)から生まれるので、競技の特性によって違って見える動きも、基はすべて同じなんです。
◆クリーンとは
—— 「クリーン」とは何か?サンゴリアスの選手をインタビューしていると何度も出てきますが、この言葉をもう一度説明して貰えますか?
単純に、足の屈伸です。重心の上下動なんです。中心から生まれてくる力が上手く連動して動いているなら、足の屈伸に対して、肩、尻、膝、足首、これらのポイントが一緒にシンクロして動いています。そこがちゃんとシンクロして動いているかを、コーチとしては見ています。
まったくシンクロを考慮しないやり方がありますが、それは必要なところを強化していることにはなりません。筋肉は強くなるかもしれませんが、それで強くなった筋肉がその競技に有効的に使えるわけではありません。
これはただ筋肉を強くするだけで、後は選手の持つ能力とコーチングスキルに頼っているやり方です。僕はトレーニングというのは、選手の能力開発だと思っているので、そういうやり方はしません。
—— そのやり方はどこで学んだのでしょうか?
アメリカです。カリフォルニア大(UCバークレー)にいた時の自分のボスが、カリフォルニア大のヘッドストレングスコーチで、彼のもとで2年間やったことが大きかったんです。競技のメインはフットボール(アメリカンフットボール)ですが、アシスタントにそれぞれ受け持ち競技があって、彼はそのすべてを管轄していました。
ヘッドストレングスコーチはトッド・ライスという人ですが、そのボスのフィロソフィーに沿って、多少自分なりのアレンジも加えながら、この方法を学びました。いま彼はボストンカレッジのストレングスコーチをやっています。年齢は僕より10歳上ですから、43歳です。
—— トッドさんのようなコーチはどの大学にもいるんですか?
各大学、どんな大学にもいます。ただ僕がラッキーだったのは、ストレングス先進国のアメリカですけれど、コーチは玉石混淆なんです。先進国だけあって、共通の理解は皆持っています。例えば、クリーンは大事、なぜ大事か、あるいはスクワットはこういうフォームでやるべき、といった共通認識はどこのストレングスコーチも持っているものです。
ただ、選手がやっている動きを見て、そこにこだわりを持ってやっているコーチは、非常に少ないんですね。「動きを見る」ということが難しいというか、実際に見ることができるコーチは少ないんです。見るためにはセンスもいりますし、結局見れるかどうかはバックグラウンドなんでしょうね。
このスタイルはいま、アメリカで主流です。始まって20年経つか経たないかぐらいのやり方です。自分はいいコーチに出会って、トレーニングをしてきて、それでそういうものを見ることができるコーチになってきたんですが、そういうことにまったく関係なくコーチングされてきてコーチになった人は、頭ではわかっていても見ることができない場合が多いと思います。
◆なりふり構わず
—— 具体的にはどうやってコーチングを学んだのですか?
カリフォルニア大にはコーチングスタッフとして入りましたが、その頃の僕にはまったく技術がないわけです。大学院で勉強していたので、理論は理解できますけれど、「動きを見る」時に、何がよくて何が悪いかを指摘することができない。そこを意識して自分でトレーニングしたこともなかったので、それを会得するために、ある時間を利用して自分で徹底的にやりました。
コーチが選手をコーチしている姿を横で見ながら、自分の中にインプットして、それを後で思い出しながら、自分で鏡を見ながらああでもない、こうでもないとやっていました。カリフォルニア大に関して詳しいことは知らなかったんですが、スポーツが強いのでここに入れた時に「これだ!」と思ったんです。
日本人で英語も上手く喋れない、しかもコーチングもできない、それでクビになったらこういう勉強ができる機会は一生で2度とない、一刻も早くこのコーチングをマスターしたい、できるだけ早くボスが持っているものを自分も持たなきゃいけない.....そう思って寝ても覚めてもとにかくやりました。
家では今のかみさんと同棲していたんですが、パンツ一丁で鏡を見ながらいろいろやっている僕を見て、かみさんは「何だ?この人?」と思っていたと思います。でもなりふり構わずです。それが6年前、27歳の時でした。
—— カリフォルニア大で何年コーチをやったんですか?
カリフォルニア大には2年いました。その後はUCLAです。でもUCLAにはトッドに匹敵するコーチはいませんでしたので、UCLAのコーチから学んだことは特にありません。それよりも今まで学んだことを、今度は自分が"コーチ・ライス"(トッド・ライス)から離れて自分主体でやるようになって、彼から教えてもらったこと、その中から自分で消化したものをベースにしつつ、初めて自分自身でコーチングしていきました。
コーチングのその第一歩がUCLAだったということで、それは物凄くプレッシャーでした。UCLAはバレーでナショナルチャンピオンシップタイトルを何回も取っている名門ですし、そこでバレーボールの担当となって、そしてやはり名門の陸上も任されたんです。
その結果、陸上では僕が去った次の年がアテネ五輪だったんですが、教えていた人間のうち2人がメダリストになりました。400mリレーで金メダルを取った選手と、女子110mハードルの選手です。UCLAにいたのは1年間でした。
◆カリフォルニア大でラグビー
—— カリフォルニア大ではアメリカンフットボール担当だったんですか?
カリフォルニア大ではラグビーも見ていました。カリフォルニア大はアメリカでいちばんラグビーが強い学校なんです。ラグビー自体アメリカではあまり盛んではないんですが、何十年間もずっと連続で優勝しているところなんです。ですからアメリカ代表に山ほど選手が入ります。今のアメリカ代表ラグビーチームのキャプテンも、僕が当時コーチしていた選手です。
カリフォルニア大で僕はラグビーと女子のサッカーをメインでやっていて、その他にもいろいろなコーチのお手伝いとして顔を出していました。でも必ずやるのはアメフトなので、アメフトとラグビーと女子サッカーをやっていました。
学生時代、サンノゼ州立大の大学院に通っていましたが、クラスメートにカリフォルニア大のコーチがいたんです。その頃は僕にとって大学院の勉強をしている中で、コーチっていうのはつまらないかな、と思い始めていた時期だったんです。テキストで勉強してプログラムを選手に渡して自分で軽く見本が見せられればいい.....コーチというのはそんな存在なのかなと思っていたところでしたので、結果的に「動きを見る」というコーチングを知ることがなかったら、コーチはやっていなかったと思います。
それだったら自分の一生をかけるほどの仕事ではないと思っていました。それでこのまま大学院の研究の方向へいこうかなと思っていた時でした。そんな時にクラスメートから、ストレングスコーチをやっているという話を聞いて、面白そうだなと思ったんです。
彼から話を聞いていて、「クリーン」をやっているということに興味を持って、「何でクリーンをやるの?」と質問したら、ちゃんと彼は説明してくれたんです。要するにどんな競技でも下半身が生み出すパワーが大事で、そのパワーをどの競技でもパワーとして発揮するようにする方法が、クリーンなんですね。「クリーン」によっていちばん選手の能力が引き出されるということです。だからそれをやるんだ、という話でした。
カリフォルニア大って、僕が住んでいるところから車でフリーウェイを使っても1時間かかるんです。100km以上離れていたんですが、アメリカの大学のフットボールクラブのトレーニングは、朝6時から始まります。ですからコーチ陣は5時半に集まります。ということは4時半に家を出なければいけません。僕はちょっと余裕を持って、当時3時50分に起きていました。
最初はそんなことで行ってみました。それで行った時に衝撃を受けたといったらいいのか.....アメリカ人はでかくて強い、それってアメリカ人だから、じゃなかったんです。それには理由があって、その理由がこれなんだ!と思ったんですね。
当時そんなに大きくないウエイトルームに、1回で30人ぐらいが入って、雰囲気もピリピリとしていて怖いくらいの雰囲気でした。コーチ・ライスも怖いし、アメリカ人は普通一般的に社交的だと言われてますが、最初だけですね(笑)。
僕は今でも彼のことをトッドと呼べないんです(笑)。"コーチ・ライス"としか呼べない。その雰囲気の中で、でかくて強い人間が、さらに強くなるために目の色を変えてトレーニングしているんです。コーチ・ライスは時々そのトレーニングを止めて指示します。そこは間違ってる、だの、ああしろこうしろ、だのと。
◆ここには自分の求めたものがある
いちばん最初のトレーニングでその姿を見て、ここには自分の求めていたものがあるんじゃないか?朝3時50分起きで辛いけれど、ここで僕はやりたい、と思ったんです。でもいきなり見学している飛び入りの人間には、ポジションを与えてくれません。だからやる気と情熱を見せなきゃいけません。
情熱は自然と出てきましたし、毎朝早起きしても楽しかったですよ。とても充実していました。練習が終わるのは日によってまちまちでしたが、だいたい7時に終わって、家には8時に着いているという感じでした。
家が遠いので気を利かせてくれて「早く帰っていいよ」と言われましたが、「はい」と答えて帰るわけにはいきません。そうやってやっていたので、すぐにグラジエーター・アシスタントというポジションをくれました。
クリーンはジャンプです。垂直跳びです。ウエイトを持ってジャンプします。ジャンプは1回です。その1回でできるウエイトを上げていくんです。例えば小野澤選手(宏時)は、僕がきた3年前に初めてやった1回目が、110kgでした。今は140kgです。
この数値の最少単位は2.5kgで、すぐに激増するものではないのですが、いつも選手に言っているのは、2.5kgアップするということは、全体の2~3%アップするということで、自分の能力がそれだけアップするということ、足が生み出すパワーがそれだけアップするということは、大変な作業なんだということです。そんな簡単に数字には出ないけれど、数パーセントのアップした分、そのすべてが自分の能力のアップなんです。
そのウエイトで発揮する力の形体が、スポーツで使われる動きの形体と同じかどうか。同じでなければ、その力は使われないんです。あらゆるスポーツに共通する「走る」こと。
「走る」ことは、どのスポーツにも共通します。「走る」というのは、足の動きを「トリプルエクステンション」といって、ヒップジョイントと膝のニージョイントと踵のアンクルジョイントの3か所が、シンクロした動きで進転していく作業なんです。
「ジャンプ」もそうです。ジャンプ力がある人は、スプリントの能力がある人です。ということは、ジャンプにいちばん近い形で「トリプルエクステンション」の動きをする「クリーン」の能力を上げることは、すなわち「走る」ことと同じ形体で足のパワーを鍛えることになるんです。
—— その方法が20年前ぐらいに始まったんですね
たぶん20年前ぐらいからじゃないかと思います。その理屈をアメリカのコーチたちは共通して持っているんですが、じゃあ実際に「シンクロ」というのがどういう状態なのか、ということはあまりわかっていないんです。
アメリカでも突き詰めていくと、トレーニングはアメフトも陸上も変わらなくなってきます。ただフットボーラーは体を大きくしなきゃいけないので、高回数のトレーニングをしたり、ベンチプレスをたくさんやったりします。でも陸上選手も筋量が少ない選手は、高回数トレーニングを取り入れたりしています。やる種目に関してはほとんど変わらずに、その処方の仕方が変わるだけなんです。
◆高校時代に柔道部
—— サンノゼ州立大の前は?
サンノゼ州立大の前はユタ州立大にいました。そもそも高校まで遡りますが、高校時代(浜松湖東高校)に先生も含めて初心者しかいないような柔道部に入りました。そこの顧問の先生は、柔道は初心者なんですが、パワーリフティングでは全日本2位になった人でした。
それでその先生の指導で、ウエイトを結構やったんです。柔道の技術的なものは教えられる機会はなかったので、本を読んで練習していたんですが、体を鍛えたら結構強くなったんですね。その時に思ったのが、「人間の能力って開発できるんだな」ということでした。
僕はもともと運動能力に恵まれた才能がある人間じゃなく、まったくアベレージなところにいる選手でした。そういう人間であっても開発されていくということが、すごく面白いなと思ったんです。「そういうことを勉強したいな」と思って、日体大に行ったんです。
高校の普通の勉強ではその点は不十分だったので、高校時代から自分で運動生理学の本を読んで勉強していました。日体大では高校時代に自分で勉強した以上のことは教えてもらわなかったし、アメリカの大学院へ行ったら、高校時代に独学で勉強していたテキストと同じテキストを使っていました。自分としては遥か昔に勉強したので、ほとんど勉強しなかったけど、A-(Aマイナス)の成績が取れました。
—— そもそもなぜアメリカに?
アメリカに「ストレングスコーチ」というものがあって、資格もあるということを聞いて、もともとアメリカで生活したいなと思っていたし、何のあてもお金もなかったんですけど、いま考えたら何も調べない状態でアメリカへ行っちゃいました。
ロスアンゼルスに4か月、ユタに10か月、それからサンノゼです。最初はずいぶん時間の無駄をしたと思います。何をすれば向こうの大学院に入れるかとかはまったく知らないで、でも向こうに行けば何とかなるだろう、そう思って行ったんです。
—— サンノゼにたどり着いたのは?
アメリカに渡って1年2か月後のサンノゼでしたが、なぜ行ったかというと、柔道がやりたかったんです。コーチを目指している人間が、まったく体を動かしていない期間があるのはよくない、と自分では思っていて、アメリカに来たのはいいけれど、右も左もわかりません、この先どうなるんだろう?そう思いながらも、アメリカでいちばん柔道が強いのがサンノゼ大だったんです。
サンノゼで柔道をやって体を鍛えて、もう1回初心に戻って柔道をやって、それをエネルギーに変えようと思いました。サンノゼ大の柔道部は日本の大学とも繋がりがあって、日本以外で柔道のメダリストを世界でいちばん出している大学なんです。世界チャンピオンも2人いるし、古賀稔彦(バルセロナ五輪金メダリスト)を破った選手もいました。
自分が日体大で柔道をやっていたと言ったら、柔道のコーチがすぐにいろいろと連絡してくれて、入学の手続きもしてくれて、運動生理学を学ぶことになったんです。それからは大学院の勉強に集中して、余計なことができない状態でしたし、最初はついていくので精一杯でした。
でも2学期目にはクラスメートに誘われて、働き始めました。今度は勉強する暇がないくらいメチャクチャそっちが大変で、授業は夕方からだったんですが、授業がある時には早く帰って授業に出て、それ以外はコーチとして働くという生活を2年半やりました。
—— スポーツは柔道のほかには?
小学校、中学校ではもともとサッカーをやっていました。 (※たまたま横に来た有賀剛選手が一言「ぜんぜん面影ない(笑)」)
高校は普通の進学校だったので、とりあえず勉強していい大学へ行こう、と思っていたんです。でもやっぱり体を動かしたいし、たまたま柔道部を覗いたら、「練習は1時間半しかやらないし、土日は休み」という嘘の(笑)甘い勧誘に騙されて始めたら、結局のめり込んじゃったんです。
◆絶対的な数字
—— サントリー4年目の新シーズンの目標は?
軌道に乗せる作業を1、2年目にやってきて、3年目は軌道に乗ってそれなりの数字が出てきた思います。前シーズンはチームが勝ってもおかしくない数字が出ていましたが、かと言って絶対的な強さを持った数字ではありませんでした。
4年目の新シーズンには絶対的な数字まで出したいと思っています。サントリーが勝って、でもこの数字だったら当たり前、というところまで行きたい。最初、何もないところ、トレーニングの文化がまったくないところに入ってきて、トレーニングとはこういうものだということをチームに植え付けることから始まって、ここまで来ました。
—— 前シーズンの9人の新人は初めて教わったわけですから、成長率はこれからも高いんでしょうね
チームにトレーニングの文化ができてきたところに入ってきたので、ここまでのサントリーの中で、トレーニングのスタンダードがいちばん高いところに入ってきていますので、飲み込みも早いし伸びもいいですね。もともとの才能もあるとは思いますが、1年目にしていい数字を残してくれました。ですからいきなりちゃんと強化できました。
—— サントリーに入ったのは?
カリフォルニア大の同僚で友達だったフィルというコーチが、ニュージーランドの7人制ラグビーの選手だったんです。オーストラリアにも1年間ぐらい行っていたんですが、その時にサントリーの元コーチであるアンディ・フレンドと知り合いになっていたんですね。
それで僕が日本に帰って仕事を探している時に、フィルが「サントリーの元コーチのアンディを知っているよ、彼に問い合わせてみよう」ということで聞いてくれて、たまたまその時、サントリーがフィットネス&ストレングスコーチのポジションの人を探していたんです。それで9月に日本に帰ってきて、半年経った新シーズンからサントリーのコーチになりました。
—— やはりアメリカでラグビーのコーチをやっていたことが大きかったんですか?
日本に帰ったらラグビーしかないと思っていました。僕のようなコーチを必要としてくれる競技は、日本では限られています。それからサンノゼ大のラグビー部の人間が、すごく良かったんです。ハードワークを厭わない。反吐をはいてペロンペロンになるまでトレーニングしても、終わった後に「今日はいいトレーニングができたね」と笑って握手を求めてくる、そんな奴らだったんです。
そういうこともあって、日本へ戻ったらラグビー、と決めていました。アメリカで一生懸命頑張ってサントリーに来れた、ということがとても良かったと思っています。日本で一生懸命就職活動をしてサントリーに入ったわけではなく、アメリカで作ってきた人間関係によってここに来れたこと、そうやって繋がったことが、とても良かったと思うんです。
フィルに出会った時には、それが将来日本に帰った時に何かに繋がるなんて、もちろん思っていなかったですけど、彼も優秀なコーチだったし、彼と一緒に仕事をするのが楽しかったんですね。
それで仲良くなって、自分がやりたいことを一生懸命にやってきたことが、次に繋がってきているんで、自分がいまいる場所で自分のできることを精一杯やる、それが次にどこでどうなっていくかわからないけど、道は絶対に開けていく、ということだと思います。この職業は不安定な職業だけど、いままでも報われてきたと思いますので、これからもこういう感じでやっていきたいと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌)