2006年12月22日
#63 北條 純一 『グラウンドに立つのが恩返し』
◆怪我を治すことに専念
—— ずっとリハビリでしたが、いまの調子はどうですか?
おかげさまで徐々にですけど何とか、9割から8割ぐらいまでは体の調子が戻ってきました。山本さん(和宏/理学療法士)と若井さん(正樹/コンディショニングコーチ)の力が大きかったと思います。
でもまだウイングに必要な、トップスピードでコースチェンジしたり、相手の動きを見極めて動けるようなトレーニングをするところまでいけてません。怪我した左足と右足の筋肉の差がまだあります。
そこは練習が終わった後の補助トレーニングで補っています。やってすぐつくようなものでもないので、調整しながらチームに合流してやっているという感じです。
—— 合流したのはいつですか?
先月の下旬ですね。
—— 春先はチームにも顔を出さない時期がありましたね
仕事帰りに1人で会社が法人契約しているジムに通って、トレーニングしたり、病院に通って山本さんのリハビリのトレーニングを受けたりしていました。
みんなと一緒にリハビリしたりトレーニングしたりしているわけではないんで、淋しくなったこともありました。チームでは同期も頑張っているし、後輩も活躍しているので、自分も頑張んなきゃいけないと思ってやっていました。
—— それは自分でそうやろうと決めたんですか?
武田さん(三郎/GM)が病院にお見舞いがてら話しに来てくれたんですが、今年のチームの方針で、4月から新チームがスタートするにあたって、グラウンドに立てる選手から優先して選ぶ、新人の大型補強もあったので、その枠に入れない者は難しい、ということを言われました。膝を手術したばかりの僕はとうてい無理で、休部という形でサンゴリアスを離れて怪我を治すことになりました。怪我が治ったら合流できるということでした。
—— しようがないことだったんでしょうが淋しくなった気持ちもよくわかります
今回こういう制度を取ったのは、会社的には初めてだそうなんです。だから聞いた時は「えっ!!」でしたし「急に!!.....」でした。いろいろ考えましたけれど、それがチームの方針ならいくら言っても覆せないと思い、リハビリをしっかりやって怪我を治すことに専念しようと思いました。
◆迷ってステップを切った
—— やはり個人で直すのは大変ですよね
グラウンドでチームとやった方が、リハビリする時間も取れるし、食事もあるし風呂にも入れるし、トレーナーがいて体のケアもしてくれます。そういった面でいいところがたくさんあるし、自分のためにも回復が早まると思うんです。
—— チームに合流したのはいつでしょう?
6月末か7月のあたまぐらいですね。
—— そもそもいつどんな状態での怪我だったんでしょうか?
左膝の前十字靭帯の断裂です。今年の1月9日、トップリーグの最終戦のワールド戦の後半でした。その試合は調子が良くて、2トライぐらいしていました。左サイドのライン際でたぶん敬介さん(沢木)だったと思うんですが、飛ばしパスが来て、トイ面のウイングをかわして、フルバックと1対1になったんです。
ボールをそのフルバックの後ろに蹴るか、内にステップを踏むか、カバーディフェンスが内側から来ていたので迷ったんです。結局、蹴らずにボールキープをしようと内に切れ込んでいったんですが、内にステップを切った瞬間に「ゴリゴリゴリ」ってすごい音がして、踏ん張れなくなってその場に転倒しちゃいました。
感じたことのないような痛みで、膝が外れたのかな?と思ったくらいでした。笛が鳴って選手交替して、それでもグラウンドから外に出た時には歩けたので、そんなにひどくないだろうって思っていたんです。病院でレントゲンを撮ったら切れていて、(治るまで)1年ぐらいかかるね、と言われて、1か月ぐらいトレーニングしてから手術したほうが治りが早いということで、2月14日に手術をしました。
—— あまり怪我は多くない方ですか?
それまでいちばん大きかったのは、高1の夏合宿の時の足首の腓骨の骨折で、それから大きい怪我はないですね。サントリーに入って3年目に右の内束靭帯を痛めて全治2か月というのもありましたが、手術は今回が生まれて初めての体験でした。
個人的には昨シーズンはとても順調なシーズンだったんです。体重アップも図って、筋肉とレーニングにも積極的に取り組んで、調子は良かったですね。
◆3トライして優勝
—— サントリー1年目から試合に出ていたんですか?
最初は出られませんでした。まだトップリーグがなくてリーグ戦の時代でしたが、お互い勝った方が優勝というNECとの事実上の決勝戦に出させてもらって、3トライして優勝したんです。そこからずっと出るようになりました。それから毎年トライは取ってますが、トライを取らなきゃいけないポジションであり、トライを取れないと代えられますからね。
—— そこからはどう成長してきたのでしょう?
入った時から比べると、プレースタイルがちょっと変わってきています。1年目から3、4年目までは、どちらかというと土田監督(雅人)の方針もあったんですが、どんな局面でもボールを持っているようにということで、右から左まで、左から右まで、ずっと走るスタイルでした。ですからフィットネス重視のトレーニングで、スピードとフィットネスを兼ね備えたウイングを目指しました。
去年、一昨年は体重を増やして、1対1に当たり負けしないような体を作って、接点での重さが増えるようにしました。それでいてスピードが落ちないようにしていましたが、走っていた量が1~3、4年目までとは違うので、キレという部分は少し落ちていたかも知れません。
その頃になるとトップリーグもレベルが上がってきて、スピードで抜いていったりスペースが空いているシチュエーションも少なくなってきて、コンタクトが多くなってきたので、体重を増やして、筋力のレベルアップを図って、接点で負けないような体作りを心掛けました。
いまは85kgぐらいですが、それまでは体重は80kgを切ってましたから、何が足りないかといえば、80kgを切っていた体重を85kg台をキープしながら、なおかつスピードと切れを持てるようなトレーニングに取り組んで来ました。
—— 体重を増やすためによく食べたとかはないんですか?
食べるということより、ウエイトトレーニングとウエイトをやった後のプロテインの摂取は、意識してやるようになりました。
◆野球をやっていた
—— 最初にラグビーをやり始めたのはどんなきっかですか?
ラグビーは中3から始めました。もともとラグビーなんて全然知らなかったし、小学校からスクールに入って野球をやっていました。中学(水沢南中)でもそのまま野球部に入ったんですが、チーム自体はあまり強くなくて、野球は夏で終わりました。
体育の先生がラグビーをやっていた方で、水沢ラグビースクールというチームがあって、県の大会があるからラグビーをやってみないか?と誘われました。一緒に野球をやっていた友達もラグビーを始めていて、その友達からも誘われたので、やってみないと面白さはわからないと思って、やってみたんです。
野球ではセンターをやってましたが、肩は強かったです。走る方ですか?盗塁王でもなかったし、ズバ抜けて足が速いというわけではなかったと思います。バッティングもそこそこでしたし、守りがいちばん得意でした。
—— 初めてやったラグビーは楽しかったんですか?
基本的に個人スポーツよりも団体スポーツが好きで、1人で黙々とやるよりも誰かと楽しさや辛さを共有しながらやって、達成感を感じたり刺激しあいながらやったりするスポーツが好きなんですね。マラソンとかダメです。だからリハビリは辛いですね、やってて面白くなかったですからね(笑)。
それでラグビーをやってみたら、意外と活躍したんです。マラソンは好きではないですが、小学校からほとんどマラソンは1位でしたし、スポーツテストも1位で、体力には自信がありました。初めてのラグビーでも、3、4人をかわしてトライすることができました。
レベルはそんなに高いところではなかったですが、活躍することが多々あって、周りからも誉め讃えられたりして気持ちがいいですし、何かこのスポーツは自分に合ってるんだろうなと思いました。
その面白さはいまでも変わらないし、高校(盛岡工業高校)、大学(日本大学)、社会人と上がるに連れて、だんだんレベルが高い選手が集まって来ますから、刺激になるし自分の力を引き出してくれるプレーヤーがたくさんいて、そういう中でラグビーをやる幸せを感じます。だから高校の監督を始め、指導者の方々には感謝しています。
◆オーストラリア留学
—— そういう中で印象に残るできごとは?
自分の経験になったと思うのは、サントリー2年目、3年目にオーストラリア留学をさせてもらったことです。同期の山口大輔と元(申騎)と3人でラグビー留学して、シドニーユニというクラブチームに在籍させてもらいました。
1軍から6、7軍まで各グレードがあるんですが、エディさん(ジョーンズ/テクニカルアドバイザー)の関係で4本目(4軍)ぐらいから入れてもらって、毎週ゲームがあって、いいプレーした人は1つずつ上に上がっていくんです。
僕らは3月末から5月初めまでの2か月間、オーストラリアのトップのクラブチームでプレーできたんですが、大輔は1stグレードまでいって、僕は2ndまでいきました。2ndの試合で頑張って、1stに上がれるということだったんですが、その試合で肩を亜脱臼してしまったんです。怪我が大きいとなるとせっかくのチャンスなのに帰らなきゃいけなくなるんで、騙し騙しやりながら市販の薬を買って飲んで、向こうの薬はきついので目眩もしてました。
よく覚えているのはテーピングでもギューギューに巻いてもらうんですが、ヘタなんですよね(笑)。怪我しててもアタックはいいんですが、ディフェンスが大変でした。でも毎試合1トライは必ずして活躍できてたと思います。
結局怪我で1stグレードは断っちゃったんですが、そこまでいくまで、とにかく最初はボールをぜんぜん回してくれませんでした。日本人だというのもあったでしょうし、信頼性もなくて自分がアピールして上にいかなきゃいけない状況だったので、自分からボールに近づいていって、毎試合トライ取れるようになって、ようやく信用してボールも回してくれるようになりました。最後は僕のサインプレーも作ってくれたりしましたが、とても勉強になりました。
この留学以外では、ウエールズとの試合や、サラセンズというクラブチームとゲームしたのが、印象深い思い出です。
◆酒が好き
—— 結婚は?
独身です。
—— 趣味は?
酒が好きですね。サントリーに入ってから好きになったんです。大学の時はあまり飲まなかったし、1人では飲まなくてみんなで飲みにいって、酒自体は苦手でもその場の雰囲気が好きという感じでした。
会社に入ってお酒の勉強をしたり、研修したりしている間に、いつの間にか好きになっていて、いまでは週に1回は飲みに行ったりします。種類は何でも好きですが、ビール飲んで最近はワインやシャンパンを飲んだり、最後はウイスキーを飲みますね。
食事の方はその時その時で変わっていきますが、最近はお好み焼きとか好きなんで、下北沢にあるお店に、月に2回ぐらいは行きます。下北にはよく行くんです。
あと犬の散歩です。犬と散歩しながら、ドッグカフェみたいなところへ行って、お茶して犬と遊んだりしているのが、最近のストレスの発散方法ですね。心が癒されます。
—— ご両親は岩手ですか?
はい、親父は岩手でサラリーマンです。試合に僕が出る時、東京の試合には大学の時から必ず来ます。サントリーに入ってからも埼玉の親戚のオジさんとか来てくれますが、説教されるんですね(笑)。ラグビーは素人なんですけど、鋭い観点から的を射た質問を投げてくるんです。あまりしつこい時は、うーん、言われなくてもわかってるけど、と思いますが(笑)、僕にとってはいい存在でいてくれます。
—— 今年の目標は?
まず怪我を100%治して、体調を万全に回復させることが第一です。この怪我によっていろいろと担当してくれた高澤先生(祐治/ドクター)、山本さん、若井さんたちにはお世話になってご迷惑をかけた部分が大きいので、今シーズンにグラウンドに出られるようにチャレンジして、グラウンドに立つのが恩返しだと思って、目標にしています。
—— 将来構想なんてありますか?
いまのところサントリーで今後も仕事していくと思ってます。営業をやってますが、家庭用といってスーパーの練馬、杉並、中野エリアを担当しています。MPさんというアシスタントの女性の方がスーパーを回ってるんですが、彼女たちに対しての指示を出して、売り上げに繋げるのが仕事です。キャリアを積む上でもいい勉強をさせてもらっています。
その前にやった仕事は都内のホテル担当で、結婚式場や宴会場、レストラン、バーなど、業態が違う店にビールやワインを入れる仕事でした。店に合ったものを提案していかなきゃいけないんですが、お客さんと接しながらコミュニケーションをとって、提案した商品が入ったりすると、やりがいのある仕事だと感じましたね。人と人との繋がりが大事だということも実感しました。
いずれにせよこれからも営業をやっていきたいですね。業務用と言われる街場のバーやレストランに、しっかりとうちの商品を入れてもらった時の達成感は、店の人との関係もできますし、やりがいだと思います。
—— ラグビーでは日本代表というキャリアがありますね
前回のワールドカップの時に選ばれましたが、試合には出ていないので、キャップゼロです。だからもう一度選ばれたいというのも勿論ありますが、まずはサントリーでレギュラーを獲得することが先です。
—— 個人としてのラグビーの面白さはどこにありますか?
単純に相手を抜いてトライを取った時の爽快感ですね。それはいままでやった別のスポーツで味わえなかった感覚です。ゲーム中、1人、2人かわしてトライした時に歓声が聞こえてきますが、その時に鳥肌が立ったりしますから。
それを味わうためにこれからもチャレンジしていきたいですし、今年は選手層が厚くて簡単には出られるようなものではないので、だからこそやりがいがあります。出たいですね、試合に。
(インタビュー&構成:針谷和昌)