SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年12月 6日

#61 ジャック タラント 『ナンバーが同じ相手を抜く』

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◆4歳からプレー

—— ジャックが来日したいきさつを教えて下さい

日本に来たのは6月でした。来る前までウェリントンのNPCというクラブでラグビーをやっていました。昨シーズンに活躍したので、エル(アラマ・イエレミア バックスコーチ)から来ないか?と声が掛かりました。NPCでは15人制ラグビー、ウェリントンの7人制代表チームでもプレーしていて、ニュージーランド7人制代表の候補でした。

—— 何歳からラグビーを始めたのでしょうか?

4歳の時からです。お父さんがラグビーの試合に連れて行ってくれて、それは年上のグループの試合だったんですが、それを見てやりたくなって、プレーし始めました。4歳ですから上手くはなかったですが、足が速かったので走る役目でした。小さいけど速かったんです。

—— 4歳!?まわりにも4歳の子供はいたんですか?

普通はたぶんだいたい5歳ぐらいから始めます。5~7歳のチームでしたが、人数が足りなかったので僕も入れました。ワイカト州のハミルトン市のクラブチームで、フレジャーテック・ラグビーフットボールクラブというところでした。この場所で僕は育ちました。

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ずっと同じクラブで4歳から18歳までやりました。だからチームメイトはみんな家族みたいな感じです。その中でも10人ぐらい、ずっと同じクラブにいました。ニュージーランドではだいたいクラブに入ったらずっと同じクラブで続けますから、僕もハミルトンに戻ったらそのクラブに戻ります。

—— ニュージーランドのクラブはどんな感じなんですか?

フィールドがあって、バーがあって、ロッカーがあって、サントリーの府中のクラブハウスのような感じです。

—— そのクラブでいちばん楽しかった思い出は?

年代ごとの代表チームがあって、それに選ばれた時がいちばん楽しかったですね。10歳の時です。

◆友達と一緒にいることと勝つこと

—— 他のスポーツの選択肢はなかったんですか?

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忙しかったし、機会がなかったです。サーフィンはやってましたけど。サーフィンは今でも、ニュージーランドに帰るとやってますが、子供の頃はラグビーで忙しかったんです。

土曜日はクラブの試合、日曜日には代表の試合があって、だいたい毎日練習してました。学校が9時から午後3時まで、練習が4時から6時ぐらいまで、そんな感じの毎日でした。

—— ラグビーのどこが楽しかったんでしょう?

友達と一緒にいることでした。いいチーム、強いチームだったんで、ぜんぶの試合に何年も続けて勝ってました。そうやって勝っていることも、もちろん楽しかったですよ。

—— ラグビーのプレー自体はどこが好きですか?

...............。わからない(笑)。コンペティションであることが好きですし、相手を抜くことも好きですし、ぶつかるという身体的なことも好きですが、やっぱりいちばんは自分とポジションナンバーが同じ相手を抜くことですね。

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◆カメラマンの勉強

—— 18歳までのクラブ生活の後は?

ウェリントンへ行って、勉強するために大学へ入りました。ニュージーランド・フィルム&テレビジョン・スクールというところです。そこでカメラマンの勉強をして、ムービーを撮りました。

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当時、3つの短編ムービーと、2つのドキュメンタリーと、その他にいくつかのプロジェクトに参加しました。

—— どんな映画なんですか?

1つのドキュメンタリーは、インドで撮影しました。説明が難しいんですが、お金がなかったり銀行に口座が作れなかったりする女性が、そこから上がっていくというドキュメンタリーでした。撮影のために6週間インドに滞在しました。

—— 短編ムービーは?

ずっと昔なので.......何のテーマかというのは説明するのが難しいんですが、1950年代をテーマにしたコメディとかですね。ラグビーをやっている間はカメラマンはしませんが、その後はまたカメラマンとして働きたいですね。

—— そのカメラマン経験から見て日本のラグビー放映はどうでしょう?

ちょっとカメラが遠すぎると思います。もっと近くに寄って、何が起こっているのかが見えるようにした方がいいと思います。今はアングルがちょっと広すぎるので、アクションがあるところにフォーカスした方がいいと思います。

—— カメラマンの勉強をしている間のラグビーは?

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ウェスタン・サバーブズというクラブチームでプレーしていました。ポジションは子供のころからずっとバックスです。このチームは選手たちが大きくて、強くて、とても良かったと思います。今でも帰ればこのクラブでプレーすることになります。

2002年に卒業して、その後はTV局で働きながらラグビーを続けました。TV局では、ニュースやスポーツ番組、それから「60ミニッツ」という情報番組も担当しました。

スポーツではラグビーも撮影しましたが、プレーしていてゲームを知っているので、次にどんなことが起こるかが分かるし、予想もできるので、選手を追うことは難しくなかったですね。

◆大平洋諸島はほとんど行った

—— カメラマンとして海外にはかなり行ってるんですか?

太平洋諸島はほとんどぜんぶ行ってます。トンガ、サモア、フィジー、ニーウエ、これはNIUEと書くんですが、お父さんの出身地で、トンガやサモアに近いところにあります。

—— ラグビー選手として海外は?

長期的に海外でプレーするのは初めてです。学校のチームやクラブで、オーストラリアへ行ってプレーしたことはあります。

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—— 日本は初めてですか?

初めてです。最初日本に着いた時は恐かった。人が多過ぎて、街が大きくて.....。今は日本、大好きです。

—— 日本のどこが?

人。ニュージーランドに比べて、日本人の方がフレンドリーですし、礼儀正しいと思います。例えば電車で助けを求めても、親切に教えてくれます。

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—— 自分の性格をどう思いますか?

性格.....わからない。リラックスしてます。試合の前もリラックスしてます。

—— 兄弟姉妹は?

3人姉妹で上に2人、下に1人、それと義理の兄が1人います。そのうち1人はオーストラリアにいますが、後はみんなニュージーランドです。両親はニュージーランドにいますが、すごく大きな庭があって、家族の家、という感じです。とてもいいところです。

—— ラグビーのグラウンドができるくらいですか?

小さいフィールドならできますね(笑)。

—— ジャックが結婚とこの間私はレポートしましたが.....

それは間違いで、兄の結婚でこの間帰りました。自分の結婚は、今のところ、たぶんないですね。

◆日本で初めてのトライは嬉しかった

—— ラグビーで今までいちばん楽しかったことは?

いっぱいあって、1つに絞ることはできません。

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—— では、最も若い時に楽しかったことは?

ワイカト地域の大会で、クラブが無敗で決勝戦まで進んで、ファイナルの最後の1分に決勝のトライを決めたときです。15歳でした。

—— ではいちばん最近で楽しかったことは?

日本での初めてのトライです。クボタ戦(トップリーグ第4節)ですね。僕がブレイクしてバックパスをライアン(ニコラス)にして、すぐライアンが僕にバックパスをした時のトライです。とりあえず最初のトライで嬉しかったですね。

—— ライアンとのバックパスの応酬(10/7 セコム戦)は練習の賜物ですか?

彼も僕がどこにいるかわかったし、どこに投げるかもわかっていて、自分も彼がどこに投げるか簡単にわかりました。とくにあのプレーの練習をしたわけではないし、そういう場面場面の練習はしません。でも一緒にプレーしていくうちに、彼がどんなプレーヤーかわかってくると、何となく予想できるようになるんです。

—— 日本のラグビーとニュージーランドのラグビーは違いますか?

サントリーのラグビーはニュージーランドのラグビーと似ています。スピードもそうですし、起こっていることを見ることもそうです。グラウンド全体を見るという考え方が似ています。他のほとんどのチームは走ってタックルされ、走ってタックルするというラグビーですが、サントリーのスタイル、全体を見るオープンなゲームは、やっていて楽しいですね。

—— ジャックの今年の目標は?

いいプレーをして、毎週試合の22人のメンバーに入ることです。いちばん大事なことは、いい練習をして、いいプレーをして、チームが勝つことです。

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(通訳:ジェフリー・カトラー/インタビュー&構成:針谷 和昌)

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