2006年11月29日
#60 藤原 丈嗣 『1対1に何度もチャレンジする選手になりたい』
◆ファーストトライは嬉しかった
—— 新人開幕戦デビュー&チーム初トライの初戦、どうでした?
結構、楽しかったです。
—— 試合会場へ行くバスでたまたま隣りに座って見てたんですが、スタジアムに着くまでずっと手書きのノートを見てましたね
やっぱりトップリーグって憧れてた部分があって、今までやってきたこととか、清宮さんやコーチのマットさん(林雅人コーチングコーディネーター)やアラマさん(イエレミア バックスコーチ)に教えてもらってきたことがいっぱいありすぎて、取りあえず読み直しておこうと思って、こんなにやってきたなぁという感じで見直してました。
—— 緊張してましたか?
グラウンドに着いたら、怒られてばっかりなんだから、期待されてないし、思い切りやればいいか、と思いました。
—— 確かに監督にはよく怒られてますね
監督、そうですね。マットさんにも慎さん(長谷川)にも注意されますけど、隆道(佐々木)や剛(有賀)と違ってこれが僕のプレーなんだっていうのが、まだ見つかってないというか模索中なので、これやったら怒られるのか、と勉強になってます。
—— 誉められる時は?
外抜いて、トライを取ったりしたら、ですね。ファーストトライは満足してないですけど、嬉しかったです。あのトライはモールと敬介さん(沢木)のパスのお陰でした。
—— 開幕戦は全体として満足のいく結果でしたか?
............................(長い沈黙)。ボールはよく触れていたんですけど、もっと触れるチャンスを増やせるし、ディフェンスのところでもっと仕事量を増やさないといけなかったんで、課題はいっぱいだったと僕は思いました。トライの後の後藤さん(翔太/神戸製鋼)にトライを取られたのは、僕のボールキープミスなんで、その点はその後ミーティングでフォーカスされました。
—— 怪我(右手甲骨折)をしましたね
痛かった。今はもう大丈夫です。やった時に、バック3だった野村(直矢)と小野澤さん(宏時)には、「パスは放れないかもしれないです」とは言いました。いろいろ考えて、半年間やってきて、これぐらいで出られなくなって退場なんて、これまでいっぱい教えてもらったのでそんなことはできない、と思いました。それで最後まで出ました。
◆スペースを見つけて走り込む
—— 怪我したあと、焦りはありましたか?
切り替えるのがその時は上手くなくて、永山ドクター(正隆)に「大丈夫っすよ」と言い続けて、ドクターは「ダメダメ」って.....(笑)。会う度に「もう大丈夫じゃないか?」と聞いていたので、マジに困らせちゃいました。
—— 全治どのくらいの診断でしたか?
1か月です。それで6戦目でカムバックしました。嬉しかったです。でも復帰するって、やっぱりすごくしんどかったです。試合にはコンタクトが入ってくるんで、あまりコンタクトの練習がそれまでできていなかったので、しんどかったですね。
80分間出れなかったですけど、体もしんどかったです。ハンドオフはちょっと恐くてできませんでした。ペナルティも多くて、自分のパフォーマンスは良くなかったです。
ボールに積極的に働きかけてなかったですし、オープンサイドの時にボールを待ってましたが、ブラインドサイドの時の仕事ができていなくて、それは開幕の神戸戦の時からの課題だったんです。
ディフェンスされても立っているということもありましたし、一発で倒されないということができずに、倒れちゃったりしました。ウエイトトレーニングの挙げる重りの数値も下がっていて、開幕戦前に挙がった重さが挙げられずに、そういう数値としても出ていました。
—— 課題は明快ですか?
人に当たりにいっちゃうところが良くないんで、スペースを見つけて走り込めたら、もっと自分の強さを活かせると思ってます。そのために剛と小野澤さんと、1対1の練習をしてます。ルールは決まってませんが、だいたい10mぐらい離れて向き合って、ボールを持って抜き合うという練習です。
タッチされるというか、これは抜かれたなというのは、お互いに感覚で分かりますから、そういう練習を「ちょっとやろう」みたいな感じで集中的にやってます。この練習はサンゴリアスに入った時からずっと、小野澤さんとやっていました。
—— 勝敗はどうですか?
いまのところは......剛のところはノーコメントです(笑)。
—— 勝ってるんですね?
はい(笑)。
◆飯いっぱい食ってメチャ寝てた
—— 6戦目に出た後、7戦目は外されました
すっごい悔しかったです。1対1のところに課題がいっぱいあると思いますし、まずやらなきゃいけないのは、そこ、1対1のとこですね。外に抜くこと、ですね。
—— それは大学(日大)時代からの課題ですか?
あまり外に抜く選手じゃなかったんです。どちらかと言うと内(うち)に切っちゃうんですね。そこが良くないんです。学生時代はそれでも良かったんですが。
内に行って、1人目は抜けるんですけど、社会人ではそこで終わりです。内に行くと、内側のサポートが上手く使えないところがあるんです。そこは学生と社会人のレベルの違うところだと思います。内側のディフェンスが結構厚いんですね。どうやって外を抜けるようになるか、それが自分の課題です。
—— U-19,U-21,U-23,学生,日本B,7人制,日本Aと各年代で代表に選ばれてますが、ずっとポジションは同じですか?
U-19の頃から変わってなくて、ずっとウィングです。7人制はプロップです。一緒に行った平さん(浩二)もプロップで出ています。
—— これだけ選ばれていることに対して、自分ではどう思ってますか?
ラッキーっす。体のサイズが大きいというのと、足が速く、伸びしろがあるところが長所だと思ってます。足は小さい頃から速かったんです。背の順も小学校からうしろの方で、小学校卒業してから中学で20cm伸びました。あの頃は、飯いっぱい食ってて、メチャ寝てました。ずっと寝てましたね(笑)。
—— 日本大学時代の思い出は?
1年の時に関東学院戦で、初めてリザーブのジャージを着させてもらって、すごく嬉しかったですね。その試合には出なかったんですが、その後の法政戦で初めて試合に出ました。2年からレギュラーになりましたが、すごい選手もいるんですけど、チームは弱かったですね。
◆欲しいと思う時にパスが来る
—— 高校は関西高校ですね
ラグビーで大学へ行く高校ではありません。ラグビーを続ける人があまりいなくて、東京に行った先輩も、僕は知りません。体育の先生になりたくて、教員免許を取れるのが、日体大と日大と順大と筑波、早稲田でした。筑波と早稲田は指定校推薦だったら行けたんですが、行き先が商学部なのでダメで、普通入試じゃなおダメでした。
日体大と日大はラグビーも強いと聞いていたんで、その中でも日大の方が環境がいいよ、と聞いたんで日大にしました。そのアドバイスは高校の阿多(あた)監督のアドバイスでした。
ラグビーはこの関西高校から始めました。最初バレー部に入ったんですが、親が2人ともバレーをしていて、ちょっとやってみるかなと思ってやったんですが辞めて、たまたまラグビー部長が担任だったんで、「じゃあ、やってみたら?」「じゃあ、やってみます」ということで入りました。
バレーは競技としては面白いけど、チームメートも本気でやってなくて、つまんなかったんです。中学では陸上部、小学校の時には、ソフトボールと陸上をやっていました。
—— ラグビーをやった感想は?
初めてラグビーをやって、その時もボールが取れなくて、怒られてばかりいました(笑)。1年生の時から出させてもらって、トライとか取ってたんで、反抗しながらやっていました。
高3の夏にサマーキャンプがあって、高校日本代表の候補たちが集まったんですが、その時すごい選手がいっぱいいて、勉強になったし、大学へ行きたいと思ったのも、この合宿に呼ばれてからです。篠塚(公史)、野村、佐々木、有賀、たぶん青木(祐輔)もいたと思います。とにかく有賀がいたことは覚えています。
ここでは、欲しいと思う時にパスが来るし、上手い人とやると、ここで抜けてたらいいのにというところで、すごい奴らなんで抜いていったりします。自分が足りないところが見えますし、練習したらもっともっと上手くなれるなぁ、と思いました。
—— 日大を卒業して今年サントリーへ来ました
サントリーは同期がすごくていいなと思いましたし、入ることによって励みにもなりました。入ることに決めたのは、いくつかの要因がありました。
1つは小野澤さん、元さん(申騎)がいるということ。日大がサントリーに近いところになって、授業に来ていたという出会いがあったことです。
2つ目は彼らから「誘うリストの中に名前が入っているよ」と言われました。それで「サントリーに入れるんだな、環境もいいし、メンバーも有名な人ばっかり」と思いました。
3つ目は、これがいちばんの決め手になったんですが、インスピレーションなんですけど、エディー・ジョーンズさん(テクニカルアドバイザー)に武山さん(哲也/チームディレクター)が会わせてくれたんです。
エディーさんが選手見る時に「あいつは仕事できるのか?」と聞くことがあって、「仕事ができる奴はラグビーもできるし、ラグビーができる奴は仕事もできる」と常々言っているそうなんです。そういうことを聞いて、自分も一緒にできたら成長できるんじゃないかな、と思って、サントリーに入れてもらいました。
◆気を遣ってるとわかっちゃうようじゃまだダメ
—— その仕事は営業ですよね?
営業です。簡単じゃないです。時間管理が小さい頃からアバウトでしたんで、行き当たりばったりというか、まずそこがきっちりしなくちゃいけないと思ってます。営業での自分のコーチは坂田さん(正彰)なんですが、慣れてきたなんて言えない、みたいな感じです。
坂田さんはすごく皆さんからも信頼されてて、気配りもすごいできる先輩で、だから僕に対しても「楽にやればいいんだよ」みたいな感じです。
—— HPの書き込みにもありましたが藤原選手はサッとゴミを拾ったり、飲み物を何気に出してくれたり、よく気がつくと思いますが
母親が気が利くんです。僕はいままだ「気がつく」ことを相手に気づかれてしまいますが、気を利かせてないように見せて気がつくというのがウチの母親で、そんな感じでできたらいいなと思ってます。
周りが気を遣ってるとわかっちゃうようじゃ、まだまだダメです。自分が緊張してると、周りの人も緊張しちゃうと思いますんで、リラックスが大事だと思ってます。ラグビー中でもそうで、ちょっと硬くなっちゃうところがあるんです。『楽にする』とうのがこれからのテーマですね。
—— さて、今年の目標は?
目標は、今年優勝、そのために1対1に何度もチャレンジするような選手になりたいと思います。優勝の先の目標は、日本代表になりたいです。サントリーのメンバーに入って、優勝して、代表になって、その先はスーパー14とかも、いいなと思います。スーパー14やってみたいっすね、やれるんなら。当面、ここで頑張りたいですし、教職(教員免許)も取りましたが、教員になろうとは思ってません。
(インタビュー&構成:針谷和昌)