SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年11月22日

#59 前田 航平 『あのスクラムが世界でも闘えるスクラム』

◆キャップ0

—— 日本代表の経歴がありますね

日本代表には今年の3月あたま、日本選手権が終わった後に追加招集されました。それでフランス合宿に行ったはいいんですが、公式戦には1回も出ずにリリースされてしまいました。キャップ0というやつです。

向こうでは3試合、練習試合に出させてもらって、途中まで良かったんですが、最後の試合で大ぽかをしてしまい、それが悪かったんだと思います。雨でグラウンドがぬかるんでいたんですが、スクラムの対応ができずに、落とすは押されるはのさんざんの出来でした。

全体的なコンタクトが、あのレベルに達してなかったんだと思います。相手はクラブチームだったり、最後のミスった試合はどこかの代表チームでした。もちろん全てプロップで出ました。

前田 航平 画像1

—— その時に感じたことは?

日本のいまのスクラムでは、やっぱり限界があるなと思いました。他の細かいところは分からないですが、ランキングトップ10にはパワーが劣っていると思います。それに対して似たような組み方をしても、サイズもパワーもない日本人がどうやって組むのか?それじゃねーだろ、という感じがしました。

大きく構えて、ドン、っていうスクラムを組んでいたんですが、向こうも大きいので、大きい人にはもちろん負けちゃいます。そこをコンパクトに低く組むとか、スピードで勝つとか、そういったアプローチの仕方もあるんじゃないかと思っていました。

—— そう感じたあとに入ってきたサントリーはどうでしたか?

サントリーではやることが違っていて、こっちに来て最初の1週間で、直人さん(中村コーチ)と慎さん(長谷川)に「何やってんだ!?」という感じで言われて、それまでと見る世界がまったく違いました。

例えば、肩の出し方、右手のパックの仕方、左手の使い方など、フロントローの基本であり細かいテクニックの部分を、すごく教えてもらって、「これが直人さんも慎さんも、世界とわたり合ってこれた人たちなんだ、あそこまで行くんだったら、細かいところまで突き詰めてやってかないと」と思いました。逆にこれができれば、あっちに戻ったらそれなりにやっていける、という自信がいまはあります。

前田 航平 画像2

◆オッサン

—— 練習中、清宮監督にはよく怒られてますね

どうも最初から、性格的に気持ちが出ない方なんです。出してるつもりだけど、結局、最初は適当に組んで、最後だけ辻褄合わせしているように見られるんです。昔からそうで、ハッパかけられて、それで自分で勝手にキレ出して、そこから良くなっていくというタイプなんです。

—— 自分自身どんな性格ですか?

性格はマイペースですね。基本的に自分ありきで、チームの調子と自分の調子があまり関係しないんです。チームの調子が良くて、自分の調子が悪いとか、その逆の時にスクラムで個人的には良かったりとか、そういうことがたまにあります。

そこを変えてかなきゃいけないと思っています。そういうプレーができればいいけど、そこまで僕のプレーのベースが上がってないと、若さというかアグレッシブさが足りないと思うので、これからそういうところをどんどん出していかないとと思ってます。"オッサン"のニックネームもそういうところと、あとビジュアル的な問題で付けられていると思います。

—— 早稲田大学時代もそうだったんですか?

大学の時は周りが熱かったので、自分も試合の時にはそれに自然と引っ張られていました。ですけど試合に出たのは4年目からですが、いまと変わらない部分で怒られてていました。「いい加減、ちゃんとやれ!」みたいな...。

1年の時には下のチームにいたんで、清宮監督ともあまりからむ機会はなかったんですが、コーチ陣から結局同じことを言われてました。

前田 航平 画像3

—— 高校の時はどうでしょう?

高校(早稲田実業高)にはバスケットボールの推薦で入ったんです。中学(習志野第1中)は公立中学で、ラグビーとバスケの両方をやっていたんですが、ラグビーでも推薦を取れる話がありましたが、バスケの成績が良くて、より入り易かったんです。

なので高校ではバスケ部に入って、3年間負けるまでやって、受験がない学校で非常に自由な高校だったので、負けて終わり次第すぐに7月からラグビーをやり始めました。

小学校(谷津小)も公立でしたが、ラグビーとバスケの両方やってて、2年生からラグビースクールに入っていたんですが、小学校のメンバーでのバスケも強くて、中学へ行く時に県のバスケ選抜チームの監督をやっている人がいるから、みんなでやろうと言って中学でもバスケをやることになったんです。だから最初はバスケは中学で辞めるつもりでした。

◆甘い蜜

—— バスケのどこが面白かったんですか?

点取りゲームのところです。当時デカかったんです僕は。早熟だったんで、中2で180cm近くあって、当時は70kgちょっとでちょうどいいくらいの感じでした。高校ではラグビーをしようと思ってたんですけど、推薦の話を聞いてしまったら、甘い蜜を吸わないわけにはいかなかったんです(笑)。

—— ラグビーをやり始めたきっかけは?

母方のおじさんの友達がラグビースクールでコーチをやっていて、いつの間にか親父に連れていかれて、いつの間にか入ってました。当時は何も思ってなかったし、ボールを触って、持って、走って、楽しい、そんな感じでした。

体は大きかったんで、何トライしたらご褒美、なんていうのにつられてやってました。この時からフォワードですし、ずっとフォワードです。プロップやったり2列目やったりしてましたが、前の方が多かったですね。

ラグビーには周りほどこだわりなくて、とりあえずスポーツをやって、継ぎのカテゴリー、高校や大学に楽に入れればいいなと思ってました。勉強が嫌いだったので、その逃げ道みたいなもんですね。早稲田実業に入ってなかったら、いまごろ肉体労働者になっていたかもしれません。

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—— ほかにスポーツは?

水泳と空手をやってたんですけど、そんなに上達もせず、水泳は小学校で頭打ちになって、サッカーなんかもダメで、右に蹴ろうと思って左に飛んでいっちゃう記憶しかない始末です。

ラグビーは小学校の高学年あたりから、やっと同じ世代のチームでプレーする機会が増えてきたんですが、それまで3、4年の頃は人数が足りないと上の代のチームに入れられて、子供のころだと3つも離れてると強いんですよね。その後同じ歳の仲間とたくさんやるようになってから、いけるんちゃうかな?と思うようになりました。

バスケは微妙だなと思っていたんです。個人の力で勝っていくチームではなくて、走り勝つチームでした。だからいつかは限界がくるだろうなと思ってました。

最後にラグビーを決定的にしたのは、中学のときに千葉でNECとどこかの試合をやって、その試合のパンフレットを見たら、プロップって自分と同じぐらいの身長でできるんだ、でかくなくてもできるんだなと思って、もしかしたら自分もやっていれば、大人になってもできるんじゃないかなと思ったことです。

◆4か月のラグビー

—— 短い高校でのラグビーはどうだったんでしょうか?

高校では最後の4か月だけやりましたが、ちょうど3番が空いていたんで、出してやると言われてましたし、体もあってバスケやってて運動能力はあったと思うので、試合に出させてもらいました。試合に出てみるとスポーツとしての種類が全然違うので、最初はメチャクチャ疲れましたね。

高校のチームは弱かったんで、11月に終わっちゃいました。だから4か月のラグビーでした。バスケでは最後の方はポジションがセンターで、周りは篠塚(公史/196cm)みたいな奴ばっかりなんです。どんなに技術で勝ってても、身体的なところで負けてて、最後シュートするときはもう度胸でやるしかなくて、こりゃ無理だ、負けたらバスケは終わろうと、自分の中で区切っていました。身長の問題でした。

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それと比べて4か月でしたがラグビーは楽しかったんです。体をぶつけること、体をぶつけても文句を言われないところが良かったんです。バスケではちょっと接触しただけで、相手が吹っ飛んでいって笛が鳴ったりするので、フラストレーションがたまってました。

それがなく、体も大きい小さい関係なくて、ぶつけてもいい、ぶつかることが容認されること、こっちは悪くないのに当たっちゃダメと言われて笛を吹かれる、バスケのもどかしさから解放された気分です。

—— ぶつかるのが好きなら格闘技は?

もともと気が小さいんで、格闘技は無理です。ラグビーでもやったポジションがプロップだったんで、スクラムという、またラグビーとは別のスポーツをしているみたいな感じです。

◆過呼吸と眼窩底骨折

—— 4か月だけの高校ラグビーだったら、大学に入ったら大変だったでしょう?

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早稲田に入って来る人たちは、少なくともそれぞれのチームでエース級の人間です。高校でラグビーを3年やって体に染み込んでいる人間。そういう人間と久し振りにやる人間の経験の差を、体の使い方など細かいところで感じました。でも大まかなところでは、そんなに劣っているような気はしなかったので、ここでやってけば大丈夫だとは思いました。

—— 大学時代の忘れられないことは何ですか?

過呼吸を2回やってるんです。ポジション練習をしていて、平均台の前で姿勢を取る練習があって、1分間を10本、背中の上にコーチが乗ってました。それがきつくて、あまり呼吸しない方がいいらしいんですが、僕は沢山してしまって、急に目の前が真っ暗になって倒れました。最初の過呼吸は2年目でした。その後、もう1度やってます。

それから4年目の夏合宿での"リアル・テディベア事件"(笑)。コンタクト練習中に相手の顔が当たって、眼窩底骨折(がんかていこっせつ)したんです。その場でそのまま足を開いてテディベアの格好で座り込んでしまいました。

でも普通の人なら「怪我したんだなぁ」となるんですが、清宮さんはマジ切れして「てめぇ!やれよ!!」と...。こっちはそれどころじゃなくて(笑)、いつも痛い時やキツい時に「アーウー」言ってましたが、この時は一声も発せられなかったんです。それで病院から帰ってきたら、清宮さんに「お前、何も言えない時は、ほんと危ないんだなぁ」って.....。その後すぐにケンブリッジ大学戦があったので、1週間休んで、次の週からヘルメットつけてやってました。

—— それでも1週間しか休まないのは、体が強いんですか?

危ないことを避けている、体が危ないことから自然に防御してる感じです。ここ、危ないんだぞという箇所から、ヒュッとどいてしまう感じで、あまり良くないんですけど。自己防御能力が高いんですね、良く言えば。

◆アクを取り除く

—— サントリーに入って来てからは順調ですか?

順調ではないです。春シーズンはずっと使ってもらっていて、こんな感じかな、というのがありました。夏合宿でのトヨタとの試合でスクラムトライをされてしまって、これじゃダメだと言われたし自分でも思って、スクラムの組み方を根本から変えました。

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その組み方をやって1か月したら上手く組めなくなって、前に戻してもあのレベルの中途半端にしか行けないのがわかっていたので、これでやってくしかないと思って、またやって、やっと9月になってから、こうすればいいのかな、ああすればいいのかな、というのが出てきて、少しわかるようになってきました。

それがわかるようになってきたら、徐々にですけど組めるようになってきて、慎さんに代わって使ってもらったんですけど、あまり納得のいくパフォーマンスが出せませんでした。慎さんからも直人さんからも、Bチームでずっと組んでいた坂田さん(正彰)からも、いろいろ教えてもらってます。

—— いまはどんな段階ですか?

いままでフッカーに助けてもらっていたのを、自分でも勝負して、いちばん最初にぶつかる時に、どういうふうにしたらいいかというのをやってます。いままで隠れていたアクが沢山でてきて、例えばその1つは角度が悪いとかがあるんですが、そのアクの1つ1つを取り除いている状態です。

完成までは、まだだいぶ遠くて、使えるようになるまでの、半分ぐらいのところまできていると思います。そのアクを取り除くことで、慎さんがいるうちにあの人の持っているものを吸収して、トップリーグで強いと言われるレベルまでいきたいですね。

—— やり残した日本代表については?

呼ばれれば行きたいんですけど、納得のいくスクラムが組める方が先です。それが組めるようになれば、自然に行けると思います。今シーズン慎さんがほぼフル出場していて、日本代表の可能性もあったと聞いているので、あのスクラムが世界のスクラム、慎さんの組むスクラムが世界でも闘えるスクラムだと思っています。

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サントリーでの営業の仕事も含めて、いまは目の前のことをクリアしていくことでいっぱいいっぱいです。先のことは考えられないし、仕事も覚えなきゃいけないことが沢山ありますし、ラグビーもまだ全然ダメです。

—— それだけ経験していて、でもまだラグビーを本格的にやり始めてそんなに経ってないですよね

まだ5年目ですもんね。ラグビー中心の生活で、やり過ぎて嫌になるとか、そういうことは全然ないですね。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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