2006年11月 6日
#55 伊勢田 彬人 『ぶっ飛ばすのが面白い』
◆歯がゆい誕生日
—— そのヘアスタイルはいつからですか?
中学ぐらいからですね。きっかけは、面白いから、と言いたいところですが、実はもともと髪の毛は長かったんです。あるとき床屋へ行って、すごい髪型になってしまって、親父の電動髭剃りで痛かったけど引っこ抜くみたいな感じで丸刈りにしました。そこが原点です。
もともとはロン毛で茶髪だったんです。そのころ坊主頭は別にまったく流行ってなかったですし、家族は「出てってくれ」と言いながら笑ってました。"二度見"されましたよ、家族からも友達からも会う度に。
もとからちょっと癖毛で香取慎吾みたいでいい感じだったんですが、一度剃ってから伸ばしたらもの凄くクリクリになっちゃって、それで丸刈りを続けることにしました。
丸刈りをずっと続けてみると、楽ですね。洗うのも乾かすのも(笑)。3日に1度、シックFX4枚刃にこだわりがあって、それで剃っています。失敗は一度だけ、耳を切りました。
—— 今24歳、サンゴリアス2年目ですね
つい先日誕生日でした。歯がゆいですね(笑)。何がって、子供の心を忘れてしまう分岐点だと思います(笑)。
—— 入った時から宴会担当ですか?
最初の新人歓迎会で、HG(レイザーラモン)が流行りだす前にやったんです。それが結構ヒットして、認知度がなかったにもかかわらず、こいつは何だ?ってことになって、それ以来、宴会の司会業をやっています。
—— 東野(憲照)選手との司会のコンビで気をつけていることは?
一線を越えない(笑)ってことです。いろいろ仲良くなってくると、相手の弱みに突っ込み過ぎることがあります。そうしないように気をつけてます。司会をしながら、いつも上手く笑ってもらえるように気を遣ってます。面白くなかったら、やってても意味ないでしょう。今は95%ぐらい目論見どおりにいってると思います。
—— そのためにネタを仕入れたりしてますか?
夜、寝る前に10分間、そういう時間を取っています。
◆二度見
—— 会社では営業ですか?
はい、量販店の担当です。まず"二度見"から入られて、最初会った時は「恐いんじゃないか?」と思うそうです。話してみると、イメージと違ったと言われます。街行く人からも、変な人だなぁと思われているかも知れませんが、気にならないですね。逆に、オイシイ、とすら思えます。
高校時代(流経大柏高)から、人を笑わすのが喜びでした。全校朝礼で校長先生が出てくる前に、先輩たちから「前に出て行ってやれ!」っていう指令が飛んでくるんです。最初はイヤイヤ受けていたんですが、受けていくうちに快感を覚えてしまって(笑)。
※横で聞いていた藤原(丈嗣)選手が一言
「ちょっと違うんじゃないでしょうか?さっきからラグビーの話がぜんぜんないですよ(笑)」
—— もともとのきっかけは何だったんですか?
中学(西原中)の文化祭のときに、大阪のテレビでしかやっていない「二丁目劇場」という番組があるんですが、そのビデオを入手して、夜中に部屋で研究したんです。それを見たおばあちゃんが、「夜中に1人で踊っている。おかしくなったんじゃないか」と親に言ったそうです。親から次の日に言われました。
—— さて、それではようやく、ラグビーを始めたのは?
高校からです。中学ではバスケットボールと野球と、フルートを少々やってました。今はもう指を3本折ってからは吹けてないですけど。野球はピッチャーとファーストをやってましたが、センスがなかったし、コントロールは良かったけど、野球好きではなかったんです。練習時間が長かったし。
流経大柏高校が家から3分ぐらいのところにあって、そこの高校はラグビーが強くて、親父がラグビーを薦めてくれたんです。その高校の応援に、中学2年と3年に花園へ見に行きました。親父はスポーツはいろいろやってたみたいですが、僕は当時体が大きかったので、大きな体に合ったスポーツを探してくれたんです。バスケットもしっくりきてなかったんで。
◆親が見守ってくれた
—— 初めてやったラグビーはどうでした?
メチャメチャきつかったです。監督も先輩も恐かったし、練習もきついので授業中は勉強しないで寝ていたし。高1の時なんか何を話しても「きつい」ということしか話していませんでした。
それでも続けられたのは、親の影響だと思います。親父と母親がすべて見守っていてくれました。1年生の時に、からだ中がつっちゃって、風呂に1人で入れなかったんです。それで親父と一緒に風呂に入って洗ってもらったり、食事も食えないから、美味しいカレーライスを母が作ってくれました。カレーなら毎日食えますから。
それから洗濯物が大変で、土のグラウンドだったので、もうグチャグチャなんです。それを洗濯機ではなく、手洗いで洗ってくれていて、他の奴らは洗濯機だから汚いままなんですが、僕のだけ新品みたいでした。とにかくよく話し相手になってくれたし、疲れたときでも一声掛けてくれたり、素晴らしい親だと思います。
中学の時は反抗期もあったけど、この時点ではもう卒業していました。兄妹は兄と妹がいます。兄は野球とバレーボールをやっていて、妹はまだ大学生ですが、法政でチアリーダーをやっています。高校の時には男に交じって硬式野球をやっていたんです。兄妹の中でいちばんセンスがありました。野球でも飛び込んで獲ったりしていました。勉強面でもいつも1、2位。
兄貴も優秀でしたから、僕だけ勉強できなかったんですね。勉強が嫌いでした。小学校の時は、親は知らないと思いますがほとんど立たされていて、机の中にテストをまとめてグチャグチャに入れてました。5年の時に、こうやって評価するのがよくないってことでテストが廃止になった、と嘘を言ってたんですが、親も半信半疑だったと思います(笑)。
保護者会があって机の中を見られて、バレてしまいました。「あんた何なの?コレ?」って。その日は友達の家に遊びに行って帰りませんでした。小学校でもよくイタズラしてました。友達と一緒に図工室に入り込んで、他の人が上手くできている作品をぶっ壊して、それで佳作とかを取った覚えがあります。もちろん最後まで人の作品を壊したなんてことは言いませんでした。
◆バスケットの経験が繋がった
—— ラグビーの話に戻りましょう(笑)
1、2年生の時はラグビーはぜんぜん理解できずでした。ボールを持ったら前へ行け、と言われてました。高3になってようやくラグビーを認識したし、後輩もできて、体もでかかったんで、ぶっ飛ばせてました。そのぶっ飛ばすのが面白かったんです。
3年の時に花園へ行って、ベスト16で天理に負けました。ポジションはフッカーです。最初はロックをやったり、プロップも少し練習しましたが、運よくフッカーになれました。バスケットの経験がスローイングの距離感に繋がって、ラインアウトが決まった時が嬉しかったですね。サインも自分たちで考えたりして楽しかったです。
—— どんなサインだったんですか?
いちばんくだらないサインは「1人」というサイン。1人しかラインに入らなくて、思いっきり動いて取る、というプレーです。練習することなく、却下されました(笑)。
—— そして流通経済大学へ
大学は最初、明治、大東って話を親としていました。でも付属高校ということで、先生にも恩があるし、その先生から「大学を強くしてくれ」ということを言われて、流通経済大学へ入りました。
大学生になると結構丸くなります。子供じみたことをしなくなったし、みんな仲が良かったし、高校の時にいじめられた先輩もいましたが、大学でまた一緒になってもいじめられることもなく過ごしました。
—— 大学時代いちばん印象に残ることは?
チームは弱かったり、変な時に強かったりしたんですが、僅差で勝った時は嬉しかったし、1年からレギュラーでやってたので、大学でもぶっとばすのが面白かったですよ。
◆涙が出るほど悔しかった
—— サントリーへ入ったのは?
大学では副キャプテンや寮長をやったりして、いろいろと大変だったんです。ラグビーに疲れていた部分もありました。大学2年の時に、母が倒れたこともあって、大学時代は大変でした。それで大学が終わったら、ラグビーを辞めようと思っていたんです。
母が入院した病院が東京女子医大だったんです。病院がサントリーに近かったので、もしサントリーに入れたらずっとお見舞いに行けるんじゃないかと思ったんです。就職前のこの時期が辛くて、その母が2年前に亡くなって、ラグビーをやりたい気持ちがまた出てきました。何でも親に相談していたし、つっぱったり親を大切にしない、ってことはなかったですね。
サントリーに入社が決まって親に報告ができましたが、母親が亡くなってしまいました。試合に出れてないですけど試合を見にきてほしかったというのが、いちばんあります。
—— サントリーで試合には?
去年は5月から左足首のひどい捻挫で、それが今まできちゃってるんです。我慢しながらずっとやっていて、痛い痛いと思いながらもやっていたんです。自分の気持ちの中で、ラグビーやりたい、と思いますし、練習を休みたくないんです。
やりたい気持ちが強くて、フィットネスも去年はそこそこ走れたんですが、ちょっと前の練習でフィットネスでいちばん遅くなってしまって、涙が出るほど悔しかったんです。雨が降っていたんですが、これはもう無理だな、と思いました。
今はじっくり治す期間をもらっているところです。ですから今年の目標は、治すこと、1日も早くチームに合流することですね。
—— もう少し長い目で見た目標はありますか?
日本文化に興味があります。京都のなんとか焼など、焼きものや織物の職人を、やってみたいですね。もしかしたら、前世がそうだったかも(笑)。それがすべてではないけど、気持ち的に3~4割程度、興味があります。歴史の知識はあまりないし詳しくないけど、大河ドラマが好きだったり、お城を見に行ったりしてました。そうなれなくても、旅行で行けるだけでもいいかな。
◆母親と親父に感謝
—— 自分でどんな性格だと思いますか?
人の前では明るくふるまっていますが、最近そうでもないかなと思ってます。1人でいる時は結構静かなんです。喧嘩っ早いとか怒りやすいこともぜんぜんなくて、いつも極力心をなごませればいいと考えてます。
—— 宴会芸は合ってますか?
大学の時はそうでもなく、やる機会もそんなにありませんでした。ほんとはあまりやりたくないって時もあります。後輩ができたら譲りたいですし、東野さんとは青木(祐輔)と長谷川(圭太)に任せようという案が出ています。東野さんと僕の中では、かなり彼らが育ってきてます(笑)。
これを見た清宮さんが、もしかしたらやれってことで、その時は王座を譲るかもしれません(笑)。青木と圭太の面白さをここでアピールしておきます。
—— 言い足りないことありますか?
母親と親父には、本当に感謝してます。これからも親孝行をしていきたいです。
(インタビュー&構成:針谷和昌)