SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年10月24日

#52 高野 貴司 『あれもあるしこれもある』

◆高校ジャパンになるから毎日肉を

—— 最初に会った時、腕の太さに驚きました

腕が短いから太く見えるって言ってます、僕は(笑)。尾崎(章)とかと比べちゃうといちばんは無理ですけど、確かに腕は太い方だと思います。

—— ウエイトは意識してやってるんですか?

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体全体をまんべんなくウエイトしています。ウエイトは大好きじゃないですけど、人よりは好き(笑)。高校の時に始めたんですが、「よし!何kg!」「お前何kg持ち上げた?」なんて競争になるんです。そうやって重いものを持ち上げていったら、知らない間に体が大きくなってました。

—— ウエイトのどこが好きなんでしょうか

ウエイトは見た目が変わるじゃないですか。フィットネスのタイムは見た目には分らないので、ウエイトは明らかに分かりやすいという点がいいですね。高校の時にウエイトをかなりやったので、他の選手より強かったんです。他の人たちはそこまでやってなかったですから。

それが大学、社会人と進むにつれて、みんなやるようになってきます。高校生から社会人へと上にのぼっていく度に、(ラグビーの)レベルをもっと上げていかなければならないので、その中でもウエイトは簡単といえば簡単なので、みんながやるべきこととしてやるようになるんです。

—— 高校でのウエイトもやり方を間違えると怪我に繋がったりしませんか?

中学(茗渓学園)にはフィットネスコーチはいなかったんですが、高校(茗渓学園)には筑波大学のアメフト選手が、週に2回来てくれていたんです。中3で初めてウエイトを始めて、やり方が間違っていると高校で直されて、こんどは大学へ行くとまた違ってたことがあって直されて、それでサントリーで新田さん(博昭/フィットネス&ストレングスコーチ)に会ったら、また違ってて(笑)。やり方がどんどん変わってきているというのもあると思うんですけど。ただウエイトのやり過ぎで怪我した、ということはなかったですね。

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—— ウエイトに力を入れるということは食べる方にも力を入れますね

食べるのは「スマイルカフェ」(05/01 Day 1『強靭なカラダの秘密』)にも載ってますけど、体を大きくしたいってことで、高校のときに家で特別に300gのビーフを毎日出してもらったんです。とにかく肉が食いたかったんです。筑波大の教授が高校へ講義に来た時に「ご飯を食べてもでかくはならない、でかくするのは肉」と教えてくれて、それを真に受けて1年から2年に上がる時に親に言ったんです。

「高校ジャパンになって、そのまま大学へ入りたい、だから毎日、肉を出して」と。それで晩ご飯に肉がないと、怒ってました。肉がなかったら激ギレしてたんですね、高校生なのに.....今は少し反省してますけど、一応言った通りになったんで(その後U19日本代表~早稲田大学).....。肉を食べだして、高校1年で体重が72kgだったのが、高2で86kgになったんです。これは完全に肉のおかげです。とにかく躍起になって食べてましたから。

◆おにぎり

—— 今は何kgですか?

96kgです。高校では高3で花園へ行けなくて、引退してから大学に入るまで時間があったので、最終的に92kgまで太りました。大学に入ってからは、新人練と呼ばれる早稲田の1年練習でしぼられて、86kgまで落ちました。早稲田で太るというのは難しいんです。

と言うのは練習時間が長いし、走るのが多くてウエイトの時間が短かったんです。皆は練習の後、2~3時間は個人練習をしていましたが、その前に3~4時間も練習をやっていたので、気持ち的に僕はできませんでした。その代わりにウエイトをやって、それで体重を増やしていって、大学2年の後半ぐらいには93kgになりました。

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—— 高校生の頃の昼間の食生活は?

昼は弁当を2つ。1つはおにぎりを3つぐらい持って行って、2時間目が終わった後に食べて、もう1つは保温が効く弁当ジャーで、それは皆と一緒にお昼に食べていました。それにプラスしてプロテインの粉を持って行って、冬だけ出る牛乳を飲まない奴の余りをもらって飲んでました。

朝は家にいたら茨城納豆と卵とご飯でした。量はそんなに食べなかったかも知れません。学校ではおやつはなくて、練習が終わったあとは電車もバスもないので、自転車で家までの道10kmを帰るんですが、ちょうど5kmぐらいの地点にコンビニがあるので、そこに寄って、ゆで卵とおにぎりを毎日食べてました。月の小遣いの5千円は、ほとんどこれで使ってました。高3の最後まで、そんな生活でした。

—— ご両親は何か言ってましたか?

何も言いませんでした。親は僕のやりたいようにやらせてくれてましたが、今思えばすごいことですね。1つ上に兄貴がいるんですが、兄貴は普通の人で183cm、62-63kg、ガリガリなんで、くしゃみして肺に穴が開いて入院したこともあります。僕ももともとは細くて、中1の時の覚えているサイズは、157cm、55kgです。普通でしょう?

—— ウエイトで体を大きくするというアプローチはそのまま続いてるんですか?

今はウエイトの種目で"クリーン"というのがあるんですが、それで挙げる重量が、トップのトモ(ブレント・トンプソン)と澤木さん(智之)が140kgで、僕は135kgなんです。今は体をでかくするというよりも、クリーンを挙げて瞬発力を上げるという、そこだけを目指しています。

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最初は60kgから始めるんですが、新田さんに教えてもらって形がわかって、120kgまでは4か月ぐらいで挙げられるようになるんです。そこから苦労しました。3年前に始めて一気に1年で120kgまでいきましたが、その後の2年間で15kgしか伸びていないんです。ずうっとそれだけやっていたら数値は上がるとは思いますが、ラグビーをやっているのでそうもいきません。

ウエイトしてラグビーの筋肉を使ってダメージを受けて、という繰り返しですので、だいたいマックスの数字はオフ中に出ます。135kgを挙げた時も、体が疲れていない時でした。今はシーズン中ですので、130kgが挙がるか挙がらないかに落ちています。

—— 他にどんな種目があるんですか?

クリーンの他に、ベンチプレス、スクワット、ベントロー。ウエイトトレーニング場に貼り出されてますけど、ベンチプレスは尾崎、ライアン(ニコラス)、元さん(申騎)の次です。スクワットは僕と同じぐらいの人がいっぱいいます。ベントローも僕はトップ3に名前が載ってないですね。クリーンに力を入れてますが、体全体の瞬発力が欲しいと思ってます。

◆フランカーとセンター

—— 今年は何年目でしょう?

社会人6年目です。最初の4年間はセンター(スリークォーターバック)をやってました。アラマ(イエレミア/バックスコーチ)と同期のセンターだったので、どうなっちゃうんだろう?と思いました。アラマとは練習でいつもトイ面でできるので、やりがいはありましたが、4年間1試合も公式戦の試合に出られなかったんです。歯がゆくてどうしよう?と思い悩んだというか、ここで終わりなのかな?とも思いました。

4年目のシーズンが終わる時に、洋司さん(永友前監督)が、チームラン、Bアタックの時「高野、フランカー」って言ったんです。「えっ、ほんとですか」と声には出しませんでしたが、そんな気持ちでした。その次の週に三洋電機Bとの練習試合があって、フランカーでやってみろと言われ、1週間フランカーで練習しました。そしたらその練習試合は雪で中止になっちゃった(笑)。それが4年目の最後のチャンスだったのに、そのままシーズンが終わってしまいました。

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5年目、去年はシーズンが始まる時、フランカーとセンターの両方できるなら、リザーブでも使えるし武器だから、両方練習していこうということになりました。結局、練習するのはフランカーだけだったんですが、ある意味チャンスで、しかも元さんがアキレス腱を切っていたり、直弥さん(大久保)もいなかったりしたんです。フランカーはすごい新鮮でした。

—— 歴代のポジションを教えてください

中1では何が何だかわからなかったけど、プロップから始まって、2年生でもプロップでした。3年生ではフランカー的存在でしたが、中学ラグビーは12人制で、そのローバーワンというポジションでした。高1でセンターになって、高2でフランカー、高3でセンターに戻って、大学1年から4年まではずっとセンターでした。

—— ポジションが変わると随分感じが変わりますか?

同じラグビーなのにやることが結構違うと思いました。フランカーはラインアウトはあるし、スクラムもあるし、センターだったらこう動くところを、フランカーだとこういうふうにしてブレイクダウンに入るんだ、なんていうのがありました。僕はバックスだったんで、その辺りがあまり上手くいきませんでした。

その代わりにスクラムからブレイクして、プレーがグチャ~なんてなった時に、感覚的にはバックスが1人増えているという感じになれるんです。それでバックスラインに参加しようと思いました。それが新鮮で、あり得ないプレーヤーがバックスに勝手に1人増える、それが"自由"だと思ったんです。それからすごく楽しくて、声が出て、皆に声を掛ける役目になっていったんです。

◆ラグビーしてきて間違いなかった

—— そういう2役はあまり例がないんですね?

瀬川(貴久)が今年からウイングとナンバーエイトをやってるんですが、トップリーグの公式戦では珍しいかも知れません。去年は11試合ぐらい出ましたから。5年目の開幕戦が初のスタメンで、メチャクチャ嬉しかったですよ。何て言うのかな?ラグビーを続けてきて間違いなかったと思いました。その開幕戦でトヨタに勝って、あの時のトヨタは外国チームにも勝って強いチームだ、というのがあって、すごく嬉しかったですね。とくに試合で活躍したというのはなかったし、自分の出来は普通でしたけど。

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—— ラグビーを始めたのは?

中1で始めたんですが、もともとバスケットボール部に入っていて、でも学校の校技がラグビーだったんです。中学へ入る時の入学試験で面接したのが、ラグビー部の監督で、僕は「ラグビーをやりたい」と言ったらしいんです。体育でラグビーの授業があって、その監督から「どういうことなんだ」という話があって、それでも、バスケを辞めるのはどうかなぁって思って、辞めなかったんです。

ラグビーの授業を受けてみると、自分は人とのコンタクトが好き、ということがわかりました。そんな時、1年生なのにバスケ部で生意気な口をきいて、先輩と喧嘩したんです。それでこんなレベルの低いチームにいるくらいなら、実際バスケ部は弱かったんですが、ラグビーの方がいい、ラグビーで有名になったらいーじゃないか、と思ってラグビー部へ入りました。

—— それで人とのコンタクトが好きなのを再認識したんでしょうか?

メチャクチャ好きでした。正式なルールで人とぶつかっていい、というところが良くて、タックルするのが面白かったんです。その頃は細かったんですが、それでもタックルするのが楽しかったんです。なぜかって、強いタックルにいったら、ワァーッとなるでしょう、あいつ何だよ!?みたいな、それが好きでした。

中3から高2までは、そのタックルが得意ということで、フランカーをやらされていたんです。そのうちに慣れてきて、高3になる時フランカーをやりながら、うちのバックス、スピードないな、俺ならもうちょっと上手くやれるんじゃないかと思っていたときに、監督が「他にいない、お前しかもういないだろう」と言ってきてくれて、センターになったんです。

それからアタックが好きになりました。どこが面白かったんでしょうね。自分が思い切り走ると、視野が動いてるんですが、走っててその瞬間に一瞬空くスペースがあるんです。それを見つけるのが楽しかったと思います。TVゲーム的に上から見て抜くという感覚でなくて、視界に薄い人影が見えて、そこへ走り込んだら抜けるという感覚、それが楽しかったんですね。

今、清宮さんからボールキャリアオプションを教えてもらって、抜くだけでなくて、クルッと回るとか、プレーに幅ができて、またそれが面白いんです。抜くオプションが増えて、こうやってぼやけて見える時は回るとか、こういう時には抜いて走るとか、いろんなことを考えるようになりました。他の人はどんな視野でやってるのかな?

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◆チームの目標に重なるのが最高

—— 今年の目標を教えてください

今年は自分のオプションが増えたので、こういう見え方をしたらアウト、真っ直ぐ行 くしかない、スピンしたらこうしてターンしてパスしたらいい、なんて、余裕を持っ てプレーができていると思うんです。俺には、あれもあるしこれもあるぜ、みたいな。

今年は春先に肉離れをしてしまったので、自分をアピールすることができずにきて、 夏合宿で復帰してから少しずつ体が試合に慣れてきて、やっと自分をアピールできる ところまで持ってこれたかなというところです。目標はもちろん試合に出ること。チー ムの目標が優勝なんで、そこに自分の目標が重なるのが最高の目標です。

—— 中1からずっと続けているラグビーの魅力は?

ラグビーをポジションが違うのに同じスポーツと考えるのがおかしくて、ポジション が変われば15人15種類のスポーツなんだと思っています。1人1人違うプレーの責任が あって、違うプレーをする場面があって、というスポーツだと思います。センターを 少しやり過ぎたかなと思ったところで、また違ったところに変わって楽しかったです し、僕はポジションにはこだわりません。

—— これまでやってきた中でのいちばんの思い出は?

早稲田の時の思い出は、大学4年の時の早明戦です。僕ら4年間でその時に初めて明治に勝ったんですが、負けたら歴史上これまでない5連敗だということで、すごいプレッシャーがかかっていたんです。逆転勝ちした試合です。優勝はクリ(栗原徹)たちがいた慶應でしたけど、その試合がいちばん良かった思い出です。僕たちが卒業した後に清宮さんが来たので、僕は清宮チルドレンではないんですよ。

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—— サントリーへ入ったのは?

サントリーの今駒さんという人が、早稲田のセンターのコーチをやっていて、社会人ラグビーのどこからも誘いが来ないだろうと思っていたら、サントリーでやってみたら?話してみる?と言ってきてくれたんです。じゃあ話を聞かせてください、と今はGMのサブさん(武田三郎)が人事担当で、サブさんと会ったんです。

そうしたら「サントリーの仕事をしながらラグビーをする」ということで、僕は教職を持ってるんですが、早稲田でも勉強しながらラグビーをやってきたんで、そこに惹かれて逆に自分から入りたいと言って、入れてもらったんです。

—— 結婚してますか?

結婚してます。12月24日に男の子が生まれる予定です。

—— 息子にはやっぱりラグビーをさせたいですか?

好きなことをやらせます(笑)。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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