SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年9月21日

#47 森岡 恵二 『どうやったらカッコよく抜けるか』

◆専修大学はスクラムハーフが伸びる

—— 網走合宿中に誕生日を迎えます(*インタビューは誕生日2日前に実施)

ちょうど試合の日(7/31 ワールドA戦&リコーA戦)なので、バースデートライできればいいなと思っています。こういう合宿のときに誕生日を迎えることはあまりないから、いつも一緒にいるメンバーに祝って貰えるかどうかわからないけど、ポジション別にプレゼントをくれたりするので、今年は何が貰えるか楽しみです。いつもは例えばTシャツとかタンクトップとか、夏系のものをメンバーがお金を出し合って買ってくれて、ロッカーにポンと置かれていたりします。

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—— 松山と言えばビーチバレーの選手が数多く出ています

佐伯美香さん(プロビーチバレー選手/シドニー五輪4位)は大先輩です。お会いしたことはありませんが、一緒の中学(南第ニ中学)だと思います。

—— サンゴリアスにも同郷がいますね

坂田さん(正彰)が新田高校ですね。ラグビーは新田高校と松山商業が愛媛のレベルでは高かったんです。うちの高校(松山聖陵高校)は花園の県予選の決勝で負けたことがなくて、高2のときの決勝で何十年振りかに松山商業に負けたのが、苦い思い出です。

高3のときは準決勝で負けました。そのときの相手は新田高校です。キャプテンをしていて、悔いが残る負けでした。大阪や福岡、東京などと違って、愛媛ではラグビー経験者も少ないので、僕は中学からラグビーをやり始めていたので、ある程度周りよりもできるという自信がありました。

伝えたいものもたくさんあったんですが、なかなか気持ちが通じない面もあって、部員も少なくて、メンバーを組むので精一杯という状態でした。そのチームが強くなっていって、勝つ喜びを覚えて、面白さが分ってきたところだったので、これが高3で最後の試合になると思うと悔しかったですね。

—— 大学は専修大学ですね

大学へ行くのであれば、強いところでやりたいという思いがありました。高校の監督が明治大学出身だったこともあって、明治に憧れがありました。でも体が小さくてスクラムハーフでしたので、スクラムハーフとして伸びるチームがいいんじゃないか、ということで高校の監督が専修大学を推薦してくれたんです。それというのも専修大学はスクラムハーフの有名選手をたくさん出している大学で、例えばヤマハの村田互(むらたわたる)さん、東芝の伊藤護(いとうまもる)さん、サントリーOBの小西さん(義光)、全員が専修でハーフで日本代表でした。

専修にはキャプテンだった伊藤さんの卒業と同時に入ったので、ポジションに穴が空いていて、そこへ伊藤さんと入れ替わりで入って、運良く1年生から試合に出ることができました。僕のレベルを見据えて、高校の監督は大学を考えてくれたんだということが、今は分かります。明治あるいは別の大学へ行っていたら、4年間試合に出られずにラグビーを辞めていたかもしれませんし、専修に入らなかったら今の自分はなかったと思います。監督に感謝しています。

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◆監督が望むならどのポジションでも出ます

—— そうすると日本代表というプレッシャーがありましたか?

日本代表は憧れですけど、まったく意識していません。先程名前を挙げた方々は、全員1年からレギュラーを取って、全員日本代表になっていますから、そういうジンクスがあったんですが、僕はハーフを今やっていないですし、今やっているポジションも嫌ではないし、チャンスだと思ってます。勝つ喜びを得るためには、どこでも一緒だし、どのポジションをやるやらないではないと思ってます。

フルバック、ウイング、スクラムハーフ、監督が望むのならどのポジションででも出ますし、勝利に貢献できればいいと思っています。正直、社会人になってから吹っ切れました。中学、高校、大学といずれも1年からレギュラーを取れましたが、サントリーに入って、初めて壁にぶち当たりました。

—— サントリーのスクラムハーフ陣が壁になったんですね

田中澄憲さん、澤木智之さん、耕太郎(田原)、1人1人僕が持ってない上手いところを持ってますから、その壁にぶち当たってどうすればいいのか考えていたんですが、永友監督(洋司/前監督)の時、たまたまウイングが怪我をしたりして、怪我人がたくさん出ていて、もう1人のウイングもカツオさん(大久保尚哉)で、僕と2人で両方初めてのウイングだったんです。スピードには自信があったので、その試合は練習試合ですが、3トライしました。

澄憲さんから試合前に「3トライしたら焼肉おごったる」と言われていて、4トライ目を取れるチャンスがあったんですが、その言葉を思い出して、他の選手に譲りました。「4トライやったら焼肉パスしようと思ってたのに」と澄憲さんに言われましたが、奢ってもらいました。1年目は試合に出ていなかったので、2年目のデビューでした。レベルの高いサントリーの中で、監督の目には、森岡はウイングでも使えるんじゃないか、と視野に入れ始めてもらった試合だったと思います。

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スクラムハーフにこだわって、自分の力を出し切れないで終わるのは悔しいと思ったんです。スクラムハーフだとこの中から1人しか試合に出れません。ウイングとフルバックは3ポジションあるし、そうなると頑張れば4枚のポジション枠がある訳です。リザーブを入れたらその倍。ぜんぶ頑張ればいつかはサントリーのジャージを着れるようになると思えるようになったのは、サントリー2年目の春のウイングで出た日でした。

◆細かいところを考えるようになった

—— 公式戦のデビューは?

3年目の一昨年です。開幕戦にスクラムハーフのリザーブで出ました。リコー戦でした。負けました。出た時点で負けていて、負けてたんで緊張感もなかったけど、勝つためにプレーしていっぱいいっぱいでした。ラスト10分ぐらいで出たので、出てすぐに終わった感じでした。あっという間でした。何もしない自分という感じ。流れを変えられないまま終わりました。

この年は4試合に出ました。ぜんぶ負けた試合です。まったく流れを変えられず、正直言って納得いった試合はそんなにありませんでした。目に見えないミスがあり、いつも課題がありました。相手の選択ミスで抜かれなかったけど、そうでなければやられていた場面とか、ディフェンスを止めるためのダミーランとか、そういうところの意識が低かったと思います。

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いつボールをもらってもいいプレーができるとか、最低限必要なスピードを出すとか、僕が顔を出したからあいつが抜けたとか、そういう細かいところを中心に考えるようになりました。栗原さん(徹)や、小野澤さん(宏時)、平浩二は、外から見ていてそういういうところが凄く上手いんです。

—— 去年はどうだったんですか?

去年は5試合出ました。勝った試合は1試合、2試合.....待って下さいよ....ワールド、クボタ、リコー......3試合ぐらい勝ちました。結構、沢木さん(敬介)から注文が多くて、ダメならダメ、良かったら良く言われます。ダメな時は自分のために考えるようになりましたし、良かったらプラスに考えるようになりました。沢木さんは凄く言ってくれます。「あそこ、アカンで。ビビってタックルいってるようじゃアカン」とか。

レベルアップしていても自分では気がついていない場合が多いんですが、見てくれていて言ってくれるので、言われる自分の責任が強くなって、信頼も生まれてきます。だから逆に言われなくても、敬介さんには聞くようにしています。それは沢木さんの性格でもありますが、あの人が間違ってる場合は、僕には言いません。僕もボールを取っていいゲインがしたいしトライしたいので、パスする側へもここに放ってきてほしいとわかるようにしたいし、100%できないけどなるべく言われないようにしたいですね。

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敬介さんからパスを貰うという場面が多くて、僕は体が小さいんで、そのためにどうしたらいいか?ボールの貰い方とか、このポジションの選手の気持ちとか、小野澤さんや栗原さんとよく話をするんですが、2人とも日本代表で経験が豊富なベテランので、そういうところに自分がいる環境で、聞かないのはもったいないでしょう。

そんな時に、いつも嫌と言わず、真剣に教えてくれます。とくにこの合宿(網走)ではそれを感じながら、いつ怪我するかわからないし、怪我してできない人もたくさんいる中で、いちばんコミュニケーションを取るようにしています。外国人選手たち、センター(スリークォーターバック)のジャックやライアンと、とくにコミュニケーションを取っています。

◆大きいミスに見えちゃう

国が違うので、コミュニケーションは凄く大事です。ジャックやライアンからフルバックとしてボールを貰うプレーが多いし、試合でいいプレーをするために、練習でコミュニケーションを取っています。体が小さいので、今までスクラムハーフでは勢いだけで必死に食らいついてやってましたが、今は1つのミスで「あいつ、いかんな」と思わせてしまうと思ってます。

栗原さんや小野澤さんたちのミスに比べると、大きいミスに見えちゃうと思うんですね。栗原さんがミスした時の、しょうがないとは違うと思うんです。ちょっとでもスタッフにいいように見られるために、コミュニケーションを取って、自分のいいプレーをどうしたらいちばんできるかを、考えています。

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—— ほかにどんなことを気に掛けてますか?

練習中、試合中によく言う言葉は「アライブ」です。アライブを自分が言うことによって、周りにも気づかせると同時に、自分でも気づく時があります。言っている自分がやらなかったら、言葉に出して言えません。きつい時に走れというプレッシャーは、自分にもかかってきます。毎日練習で今日やるべきことのターゲットを設定して、コールを出します。そしてチームのキャプテンやゲームリーダーの言うことをしっかり聞いて、やっています。

—— ラグビーを始めたのは?

小学校までソフトボール部でした。ショート(遊撃手)をやっていて、打順は6番、7番それから2番。バッティング(打撃)は自信がなくて、僕は守りの方が好きでした。ヤクルト(スワローズ)にいた池山選手(隆寛)が好きでした。自分はボールの取り方、さばき方にこだわってプレーしてました。西武(ライオンズ)の辻選手(発彦)が超上手かったんです。バックトスするとか、ダブルプレー(併殺)を取る時のベースへの入り方とか。

—— 中学でなぜ野球部に入らなかったんでしょう?

坊主が嫌だったんです。3つ上に兄貴がいたんですが、兄の時に中学にラグビー部ができて、兄貴はテニスをやってたんですが3年の6月ぐらいの高校総体で終わっちゃうので、9月からラグビー部に入ったんですね。野球、テニス、バスケ、陸上、そういう部が終わってみんな最後にラグビー部やらんかと監督に誘われて、兄貴もそれでラグビーをやったんです。母親がテニスで高校時代に全国大会に出たそうで、兄貴もテニスをやり続けるつもりだったらしいんですが、ラグビーをやったら「恵二、面白いねん」とやり始めたんです。

それで家の部屋の中で、兄貴のパスを受けたりしていて、ラグビー部は坊主でないし、中学は恐い先輩が多かったんですが、ラグビー部なら大丈夫、手を出してこないと聞いて、中学ではラグビー部に入りました。

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◆ドツキ合いやで、メチャ面白い

—— 入ってみてどうでしたか?

ヤバイっすね(笑)、面白かった。兄貴は、ルールが分かんなくてもボールをもらったらひたすら走れ、相手が来たら殴れ、って教えてくれました。兄貴は「プレーで殴れる、平手やないとアカンけど、ドツキ合いやで、メチャ面白い」と言ってました。殴れるっていうのは、ハンドオフのことなんですけど。今やってるレベルから見たら中学のレベルは違うと思うけど、面白そうに兄貴が言っていたのが、ラグビー部に入ったきっかけでもありました。

ラグビー部に入って僕のポジションはバックスのセンターでした。サインを自分で考えて、どうやったらカッコよく抜けるか、ラインの図を描いたりして、いつも抜くことを考えてました。今でもバックスの練習のサインプレーの時に、アラマ(イレミリア・コーチ)からニューサインを教えてもらう時なんか、もうドキドキです。

そのサインプレーでボールを貰ったら、どういう感じで抜けるか、想像力を使ってとても楽しみな気分になります。図では、どうやって貰ったら自分はいちばんいいか、僕はここを抜きたいし、ここを行きたいっていうことを、ザワさん(小野澤)、栗原さんと図を見ながらそれぞれどこで貰ったらいいか話す時が、結構ワクワクします。10、12、13番は体を張るところで、11、15、14番はフィニッシャーですから、そういうのは結構好きですね。

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中学の時は全国大会に出て、花園でやりました。Aブロックは強豪ばっかりで、Bブロックは四国とか岐阜とか少し弱いブロックですが、そのBブロックで2年の時に優勝しました。サインを考えてトライした時、気持ちよかったし嬉しかったのを覚えています。

今なんてトライすることに必死ですから、トライしても絶対に喜んでないですよ。喜んだら「なめてるな」みたいな「調子に乗るな」みたいなことを沢木さんに言われますし、笑ったりも絶対にしてないと思います。そういうことを言われないためにも、トライしても表情には出せないですね。最終的に負けたら立場ないですから、終わるまでいいプレーをして、トライしても喜んだりしないで、次やるぞと、試合が終わるまでずっと思ってやっています。

—— 今年の目標を聞かせて下さい

とりあえず今、怪我人が多いので、いつ出ても自分のいい結果を出すことも勿論ですが、チームとしていい結果が残せるプレーをしたいですね。自分が活躍してもチームが負ければ意味がありません。チームが勝つための15人の1人でありたいですね。

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—— 将来的な目標は?

ないです。社会人に入って、ほんとに試合に勝てない悔しさはかつてなかったものです。何でこんなにいいメンバーがいるのに勝てないのかと思います。そして下から毎年新しいメンバーも入ってきてますし、余裕はなくて正直いつもビクビクしています。

毎年3月になると、来年できるんだろうか?と思うし、毎年3月が勝負です。普通は2年後にはジャパンだとか、それなりの選手だと思うんでしょうけど、僕はサントリーというチームで1年1年プレーができることに向けて、一生懸命やっています。

◆まだ日本一になってません

—— 清宮監督はどうですか?

細かいですね。でも自分が凄いレベルアップできる監督だと思います。凄く考えさせられます。それはとても好きなことですけれど、体が小さいし、他のメンバーに比べると監督が言ったことを信じて、自分なりにいちばんいいパフォーマンスができるように、考えさせられています。

調子はいいです。小っちゃくて怪我も多いけど、大きい怪我もなくやれてる分、チャンスなんで、やりたくてもやれない怪我の人のことも考えながら、100%やることがチームにとって大事なんだと思ってます。

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—— 結婚は?

30歳までにはしたいですね。来年するかもしれないし、わかりません。そうだ、サントリーに入った理由はいいんですか?

—— はい、ではサントリーになぜ入ったんですか?

高1ぐらいの時に、サントリーが優勝したんです。永友さんがキャプテンの時です。96年だと思いますが、永友さんがハーフをやっていて、このチームでやれたら、というのがその時からの夢でした。永友さんはメチャクチャ声が凄いんです。テレビでも聞こえるぐらいのデッカイ声で、ハーフってこんなに声を出すんだ、と驚きました。

永友さんの独り舞台で、あの人のキックが入ったと同時にホイッスルが鳴ってノーサイド、優勝したんです。カッコいいなと思って、それから永友さんのプレーを凄く見るようになりました。98年に早明戦を見に行って、明治が田中キャプテン(澄憲)でチームを引っ張っていく、凄いハーフだなと思いましたし、その明治が勝って明治ファンになって、サントリーに入って合宿も一緒の部屋で、なおかつ永友さんは僕が入ると同時に引退して、コーチ、監督とずっと一緒のチームで、嬉しかったですね。近くにいることの方が、プレーがどうのこうのというより、緊張しました。「ヤベー」と思うほど嬉しかったですね。

今は歳は同期の耕太郎(田原/早稲田大学卒)もいて、大学(専修大学)の時に一緒の合宿になったりして、仲良かったですよ。澤木智之さんも日大でしたが、試合したりしてましたし。耕太郎は飛び抜けていましたが、そいつが同じチームに入ってくるプレッシャーよりも、一緒にできるのが嬉しかったし、大学でもいつかどこかで一緒にやる予感がしていました。

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自分は凄くいい人たちと一緒にできてると思いますし、サントリーにはいいメンバーが揃っています。ハーフだけでなく、サントリーのメンバーは人間関係がいいチームですし、人間のスケールとしても凄くいいチームだし、人としてのつき合い方がサントリーはトップクラスだと思います。先輩たちとやるのは凄く嬉しいし、その思いとかを話せばマジで「ヤベー」という感じです。

—— じゃあ、サントリーに入って満足してますね

満足はまだしてません。僕がサントリーに入って、まだ日本一になってませんから。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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