SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年8月15日

#40 平 浩二 『体重があって速かったら強い』

◆やればできるじゃん

—— 今年サントリー2年目、1年目はいかがでしたか?

試合に出たのはぜんぶで5試合ぐらいです。1年目というのもあって、消極的でした。大学4年のときと、1年目は(立場が)ほぼ逆転するじゃないですか。社会人ってどういうもんなの?という"探り探り"の1年目でした。

—— それは大学に入った年にもあったんですか?

大学1年のときの方がもっと探り探りでした。

—— 性格的なものでしょうか

とりあえずミスしないようにしようと思ってます。慣れたらガンガンいけるんですが、新しい環境になると慣れるまでに半年かかります。

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—— いまの若い人全般にそういう傾向があるようにも思いますが

最初のうちは怖がるというか、何かしたことによって、最初に「何だよあいつ」みたいな評価をされるのが嫌なんです。最初の第一印象が重要で、最初の印象でその後のキャラができちゃいそうな気がするんです。ミスばっかしてたらラグビーできないんで、半年ぐらいは結構守っちゃうんです。だから春とかはぜんぜんダメですね。

—— それを吹っ切るきっかけはあったんですか?

大学ではセンターをやってましたが、社会人になってウイングになって、サントリーでは小野澤さん(宏時)、栗原さん(徹)、北條さん(純一)などが、華麗で外へ綺麗に抜いてトライしますよね。自分は自信がないのに意識ではそうなろうとして、無理矢理ウイングになろうとしていた部分があって、プレーはダメでしたね。タッチに出るわ、ボールを取りに行ってもスピードがないわ、という感じでした。

去年の夏合宿でのワールド戦で、後半に総入替えで僕は後半組で出て、そのとき小野澤さんと一緒に出たのを憶えています。それでザワさんがいることで、こっちの右側は失敗してもいい、と思い切っていったんです。ウイングなのに当たりまくりました。もともとセンターで抜くのでなくて当たる方だったですし、そうしたら相手を2人ぐらい飛ばして、50m独走してトライできたんです。

そのとき「やればできるじゃん」って、後ろから誰かに言われたんです。それが誰だかわからなかったんですが、自分でもやっと思った通りのプレーができたと思いました。そこからは吹っ切れて、試合に出てるときには自分の思うようにやらしてもらいました。今年もその感覚を持っています。

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◆体を当てないと勝てない

—— 今春のオープン戦はどうでしたか?

部内戦も入れて3試合しか出てませんが、ヤマハ戦のときは初戦ということもあって、清宮さんがしたいラグビーを綺麗にしようという意識があって、コンタクトの部分でヤマハに負けました。それで体を当てないと勝てないという意識をしたのが次のトヨタ戦で、清宮さんが目指すラグビーも頭に入れつつ、それが全員でできたのかなと思 います。

—— ふだん大人しく見えますが

大人しくないですよ。同期と話すときも、結構わいわいとやっている方だと思います。カッとなりますし。例えば抜かれたりしたら、何だあいつ、このやろう、って思ったりします。たまにカッとなりすぎたら、そいつだけしか頭になくて、ボール持ったらそいつだけに当たりに行くとか、昔はやってしまいましたね、今はないですけど。

—— そういう部分はいつ頃まであったんですか

大学(同志社大学)の2、3年ぐらいまでありました。1年のときは試合に出ていません。2年からセンターで出ていました。足には短距離でしたら自信があって、長距離はダメです。いまでも長距離はダメですよ。

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—— この間(6/29)の体力測定ではどうだったんですか?

1,500mを5分27秒で、前回(春)よりも3秒ダウンでした。バックスでは同期の俊平(伊藤)の次に悪いタイムです。インターバル走(*100mを16秒以内で走ってまたスタート地点に走り始めから1分以内で戻る、を何回繰り返せるか)は7本で、8本目のスタートに帰れませんでした。春より1本伸びました(笑)。

—— 先ほどから出ている「当たる」ということに対して、恐さはないですか?

当たるときの恐さはないです。楽しいですね。足が速いことが、当たりの自信にも繋がっています。僕いま体重が93kgあって、結構あるでしょう。それで思いっ切り当たったら、結構ゲインできるかなと思っています。絶対に体重が増えてもスピードを落とさないようにしています。体も大事ですが、両方上げたら、つまり体重があって速かったら、強いと思いますから。

◆何であいつが出てんだ?

—— これまでの代表歴は?

大学のU-19と学生代表です。学生代表ではNZU(ニュージーランド学生代表)が来たときにやりました。大学は同志社で、自由をモットーとした学校です。そういう中で、2年のときから、お前の好きなようにやれと言われていました。

—— 大学の前の高校は?

高校は長崎の南山高校で、心さん(菅藤)や尾崎さん(章)がいました。心さんは2つ上でキャプテンでした。尾崎さんは4つ上なので入れ違いですね。1年のときウイングで、2、3年でセンターでした。高校のときも夏までは自分のプレーができませんでした。夏以降、試合に出ました。自分のプレーができなかったのは大学のときが一番ひどくて、先輩の話を聞いたりして構えてましたし、1人暮らしでしたし、寮では飯も門限もなくて、1年ぐらい慣れませんでしたね。

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高校のときは、同期で高校からラグビーを始めたやつがいて、そいつが先に1本目で試合に出たんです。何であいつが出てんだ?と悔しくて、それで自分もアピールしようと思って、練習試合とかで頑張って、そうしたら認めてもらえました。同期のやつは、積極性があって恐いもの知らずで、いまサニックス(福岡サニックスブルース)のウイングをやってる永留(健吾)というやつです。いまでも仲はいいですよ。

—— さらに遡って中学は?

中学は小江原(こえばる)中学です。部活では1年からバスケットボールをやっていて、でもすぐにベンチ入りしたら調子に乗って行かなくなっちゃいました。平日は何もしない帰宅部になって、勉強せい、って言われました。長崎ラグビースクールには日曜日だけ行っていました。ここに入ったのは小3のときで、中学時代もずっと続けていました。センターでしたが、練習は真剣で厳しかったですよ。

高校は南山に行きましたが、長崎北高が県立で家からすぐの小江原にあって、ラグビーも強いですし兄貴も行っていました。そういうのもあって受けたんですが入れなくて、最初は相当ショックでした。いま振り返れば南山でよかったなと思います。2年のときに花園に行けて、同志社を初めとして大学からの誘いも受けられたのですが、北高行っていたら、2年のときに出られなかったし、3年からでは遅かったですから。

—— 高校でいちばん覚えているのは?

九州大会がいちばん大きかったんですが、優勝候補のチームと1回戦で当たって、トライ数は一緒でしたがキックで負けました。結局その相手チームが九州で優勝したんですが、僕も九州選抜に選ばれたんです。これがもっとラグビーを頑張ろうって思ったきっかけでした。

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◆ずらして当たって

—— そもそもラグビーを始めたきっかけは?

小3まで水泳をやってました。地元の水泳教室ですが、父親がラグビーをやっていたということで、何も言わずに練習場に連れてかれたりして、小3からラグビーを始めました。父は自分では選手時代いい選手だったと言ってますが、ラグビースクールの帰りの車が嫌でした。練習をずっと見ていて、あそこはどうするんだ、こうするんだ、と40分間ずっと説教です。

2つ上の兄ちゃんも怒られてて、泣いていました。僕も怒られたけど兄ちゃんの方がひどくて、それで兄貴は大学1年でラグビーをやめちゃったんじゃないかと思います。兄貴はそれでラグビーを好きになれなかったんじゃないかなと思いますが、いままた警視庁でラグビーをやってます。

—— 小学校から足が速かった?

足には自信があって、小学校からウイングをしていて、すぐに抜けてトライできてました。こんな簡単に得点できるんだと思って、それからずっと面白かったんです。小学校の一緒の時期に仲のいいやつがいて、そんな話をしていなかったのに、偶然ラグビースクールに一緒に入って、そいつがいたから結構気持ちに余裕がありました。中学時代もスクールは一緒で、高校ではそいつは北高へ行きました。僕がスクールのみんなに「高校は北高へ行こう」って言ってたからなんですけど(笑)。

—— ずっとハマってるラグビーの面白さはどこに?

抜く瞬間です。大学時代はずっとセンターで、最初トップに近いスピードで真っ直ぐに走るんです。スタンドオフがボールを持つと、相手が僕を見るんですが、スタンドオフがボールを放った瞬間に、僕がちょっとカットアウトするんです。相手がボールを見た瞬間に、僕が外に行っちゃうから、抜けることができて、その瞬間が楽しかったですね。これはいまでも使えます。

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そして当たるんです。ずらすのが得意ですが、ずらしただけでは切れないときに、当たって抜けるときもあります。手をかけられて、アッ!!ってなったとき、その邪魔な手に当たりに行くんです。ザワさん(小野澤宏時)は、ずらしたらそのまま行けるんですが、僕はそれができないのでそうやっています。これは高校からやっているんですが、高校までは当たらなくても抜けました。

◆ベストトライ

—— いちばん印象的な試合は?

去年の神戸戦です。トップリーグ初スタメンで、開始5分で先制トライをしました。伊藤剛臣さん(いとうたけおみ/神戸製鋼コベルコスティーラーズ)というジャパンの選手を抜いてトライしました。そのトライが去年の僕のベストトライでした。試合は負けちゃったんですけど、初スタメンで相当気持ちが入っていて、そのトライでパーッとなって、後もボールを持ったりできました。

その前の週にザワさんが肘を脱臼して、ウイングがいなくなってのチャンスで、三洋電機B戦でアピールしたらいけるなと思っていました。そこでディフェンスで角濱(嘉彦/関東学院大学)、彼は190cm、100kgぐらいあるんですが、彼を止めてアピールして、スタメンに入れて、トライもできて、その週は自分の思ったようにできた1週間でした。

その次の試合のセコム戦の試合中、鼻が味方のライアン(ニコラス)の頭にぶつかったんです。鼻が折れたんですが、そのままその試合に出続けました。鼻が腫れていて走った振動で痛くて、帰りの電車でも鼻血が止まりませんでした。その次のヤマハ戦にも出て、このときは鼻のことは気にならないと思ったけど、実際、出てみると鼻が気になってぜんぜんディフェンスに行けなくて、いまいちばんやり直したい試合ですね、やり直せるなら。この試合がいちばんダメな試合でした。3週間で痛みが取れて、もう鼻は大丈夫です。

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◆ボールを持って走るという原点

—— 今シーズンの目標は

1年目のいい選手がいっぱい入ってきたので、レギュラーを取ることです。

—— そのさらに先を見据えると

日本代表に入ってみたいですね。でもチームでレギュラーにならなければアピールできないので、まずいちばんはレギュラーになることです。自分なりのプレーができて、パフォーマンスができたら、評価されると思うんです。

—— ラグビーの魅力は?

勝った瞬間です。全員で試合に勝てた瞬間。練習でやってきたことが実った結果。個人的なことで言うと、ボールを持って走るという原点ですね。それが好きでラグビーを始めたし、いまもそれは変わりません。

—— 子供のころ家にラグビーボールが転がってたのでは?お父さんは応援してくれてますか?

そう言えば家にラグビーボールがありましたね。父は長崎でスカパーの放送があるときは、見てくれています。試合が終わったらメールしてくれます。うるさいこと書いてあるんですよ、いまでも(笑)。もっと低くタックルに行けとか、積極的に行けとか。わかってるんですけど、言われていることは間違ってません。

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—— サントリーでの仕事は何を

営業です。いまの部署はスーパー担当です。入社した去年はデパート担当でした。当時は仕事もぜんぜんわからないし、同じ部署にいた人たちとも年齢がずいぶん離れていたんですが、いまの部署は北條さんや川村さん(拓也)がいる分、楽というか楽しい環境です。課長も同志社からサントリーのラグビー部OBですし。

今日も陳列をしに行ったんです。販促ツールが会社にあるので、持って行って設置するんですが、目を引いてもらうように並べるんです。次に行ったときに、それから売れてたら結構嬉しいですね。

(インタビュー&構成 針谷和昌)

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