SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年8月 8日

#38 竹本 隼太郎 『小さいプレーで信頼してもらい大きいプレーもできるようになりたい』

◆社会人と大学は違う

—— 新人でいきなり活躍していますが

いや、やっぱり社会人と大学とは全然違います。壁はありますね。
サントリーに入部したての当時、コンタクトの力がいちばん違うなと感じました。練習が始まって、大学とは違ってボールコントロールできなくて、慣れるまでどれくらいかかるんだろう?って心配になりました。

それから練習を重ねて3か月目を過ぎましたが、ボールコントロールの仕方はようやく慣れてきました。大学の中では体が大きい方でしたが、社会人ではフォワードでは小さい方になって、いままで体を使ってボールキープしていたのが、いままで通りできなくなって、やり方を変えることによって、少しずつ慣れてくることができました。

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—— やり方をどう変えたんですか?

大学では普通に寝るだけのラックでも、からまれることなくボールをリリースすることができたんですが、社会人では普通に当たって寝ただけでは、からまれてジャッカルされやすいんです。それでいかに相手にボールコントロールされないで、キープできるか考えました。

そんなときとても参考になったのが菅藤心(かんとうしん)さんで、体が小さいのにボディコントロールによって、ボールをキープする姿が印象的で、とてもいい影響を受けています。

—— そのボディコントロールとは

口では上手く表現できないけど、瞬発力、瞬間的なものですね。間合いの取り方とか、ボディコントロールによって、心さんはあんなに小さいのにボールキープできてるんです。いままでやってきていないことですし、少しずつ取り入れているのでまだまだですが、入部当初よりは少し良くなってきたかなという感じです。

◆足りないのは接点の力

—— オープン戦ではタックルで観客をわかせました

自分でも良かったとは思いますが、それがいつもできてるかと考えるとそうでもないので、まだトップの相手ともやっていないし、相手が本気になったときもできるのか?レベルの高い相手でもできるのか?というところですね。

—— 何が足りていないと思いますか?

自分にいちばん足りないのは、接点での力です。大学時代ナンバーエイトをやっていましたが、社会人でフランカーになって、いちばん大切なのはより多くポイントにいって、接点の仕事をやらなければならないことだと思います。

次にボールを持ったプレーで、ディフェンスにいってタックルして、人を引きつけるプレーができたらいいなと思っています。

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いまの自分は体が軽いと思います。いちばん必要なのはウエイトをして体重を増やすこと。ちょうどこのいまの時期はウエイトがトレーニングのメインなので、少しでも大きく体を作る努力をしています。

食事は自分で考えて、脂肪がつかないように、筋肉で体重を増やしていけるようにしていますし、朝起きて、冷たい水でプロテインを飲んで、そのあとの朝飯ではノンオイルのツナ缶を食べたりしています。タンパク質の摂取量をより多くするように、気をつかっています。

—— いまはどこに住んでるんですか?

寮です。大学時代も寮で日吉(神奈川県)にありましたが、学校が藤沢で離れていました。大学時代は生活が不規則で、なかなか朝飯も採らなくなるし、夕飯も外食が多かったんです。偏った食生活でした。

大学1、2年は日吉で1人暮らしをしていて、3、4年で寮に入りました。学部は環境情報学部というところでしたが、1年目から単位をしっかり取りました。日吉から学校のある藤沢へ行って、また練習のために日吉に戻ってきて、平日は夕方5時から2時間半ぐらいの練習でした。

◆ラグビーに集中するために寮に入る

—— 上級生になると寮に入るんですか?

3、4年生になってチームの中心にならなきゃいけないので、ラグビーに集中するために自主的に寮に入りました。3、4年から寮に入るメンバーは多いんです。

—— 試合にはいつから出ていたんでしょうか

大学では1年のころから試合に出してもらっていました。ポジションはナンバーエイトでした。

—— 大学時代の印象的な試合は?

大学2年のシーズン、大学選手権1回戦の関東学院との試合ですね。点差的には10何対20何ぐらいであまり覚えていないんですが、1年のときは試合に出させてもらっても、ついていくだけだったんですが、このときは先輩たちの気持ちが伝わってきました。

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—— 先輩たちの気持ちとは

さぁやろうという気持ちです。そういう思い入れの強いチームでした。この試合は負けた悔しさもありますし、独走トライもできて自分が通用して自信に繋がりました。3、4年のときも思い入れの強いチームだったけど、この2年のときの試合がひとつの転機でした。それから意識がガラリと変わりました。

—— どうガラリと?

いままで受け身だったのが、自分からやってやろうというふうになりました。慶應はみんなひたむきです。個々としては昔から大したことないと言われていましたが、先輩たちから何を受け継いだかと言うと、熱いプレー、ひたむきな気持ちです。

1年のときはついていくだけでしたが、先輩たちの熱い気持ちに引き込まれていくうちに、自分たちがチームを引っ張らなきゃいかんと思わされました。練習中からチームを引っ張って、常に声を出してリーダーシップを発揮してくれる多くの先輩を見てきて、自分はこんなんでいいのか?と思いました。そういう先輩たちがいたからこそ、ついていけたというのがあって、逆に今度はそれを自分たちがやって、後輩たちをついてこさせないといけないんだと思いました。

◆膝がカックン

—— 厳しい部でしたか?

シゴキとかはないけど、ときにはこんなことやるのか、という練習もありました。1年のときの試合の後のことでしたが、山梨学院のAチームにこっちのAチームが負けたんです。このときは怪我人が多かったのも負けたひとつの原因だったと思いますが、負けた後、2時間ぐらい試合みたいな練習をやったことがあります。帰りの電車で立ったまま眠ってしまって、膝がカックン、ってなったことを覚えています。

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—— 監督はどんな方だったんでしょうか

1、2年のときは渡瀬監督(祐司)、3年のときは三宅監督(清三郎)、4年で松永監督(敏宏)で、みんな優しさはあるけども、練習については決めたことは絶対にやらせる厳しさもありました。

—— 何か慶應の伝統みたいなことはあるんですか

対抗戦や大学選手権の試合前日にジャージ授与式があります。1人1人、1番から監督がジャージを渡していくんです。そして選手が一言ずつ、試合への意気込みを言っていくんです。22人全員が言っていって、がんばろう、って感じです。早慶戦の前には部歌を歌って、気持ちをひとつにします。

—— 慶應ではキャプテンでしたね

4年でキャプテンをやりました。高校のときもキャプテンでした。

—— 大学で慶應を選んだのは?

高1(長崎北高校)のときに、慶應大学が優勝して、慶應は長崎でも知名度がすごくありました。いいなという印象でした。高3になる春に慶應の上田監督(昭夫)からお誘いの手紙がきて、まずは慶應を受けようと思いました。AO入試(*アドミッションズ・オフィスによる自由応募入試)が9月でいちばん早くて、取りあえず慶應を受けようと決めて受けて、慶應に決まりました。

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◆ラグビーは友達ができる

—— ラグビーは高校からですか?

いえいえ小1からです。長崎ラグビースクールというスクールで始めました。親が何かスポーツをやらせたかったからですね、だから入れられたという状態です。市内には1チームしかなかったんですが、当時は強い方で、浩二さん(平)、菅藤心さん、順二さん(高谷)たちがラグビースクールにいました。

週1度のスクールでしたが、休みの日曜日にやってました。昔は土曜日も学校がありましたから、せっかくの休みがラグビーに取られるのが嫌だったけど、上級生になったぐらいから、ラグビーを好きになりました。

—— 何かきっかけがあったんですか?

ラグビーは友達ができるというのと、トライしたときの喜びですね。

—— 昔から才能を発揮してた?

キャプテンやって自分で言うのも何ですが、上手かった方だと思います。小学校は2つ行っていて、最初に行っていた小江原(こえばる)小学校の人が多くなったので、分かれて桜ヶ丘小学校というのができました。僕は2つの小学校に3年ずついました。中学は小江原中学へ行って、ラグビースクールは継続して、中学のラグビー部にも入りました。いままでやってきたことを活かせるならやってみようと思ったんです。

—— ラグビー一筋で他のスポーツに興味はなかったんですか?

いろんなスポーツをやってきました。サッカーもやったしバスケットボールも好きでした。個人的にはバスケがいちばん好きでした。実力は自分で言うのはおかしいですが、人並み以上でした。

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—— どんな性格ですか?

どちらかと言うと明るい方だと思いますが、内向的な面もあって、最近よく空回りしてます(笑)。環境が変わって、みんな年上の方なので、多少緊張してるんです。先読みしようとすると、どうも違うことを考えてるみたいです。無理に先読みしようとして、自分の中で話を作って、1人で空回りしているんだと思います。

ラインアウトとかでも、勝手にサインの解釈をしていて、1人だけ違っていたりしました。最近はそういうことも少なくなってきましたが、言葉の聞き取りの違いや思い込み違いがあって、毎週サインが増えてきていることに対応してなかった部分がありました。緊張すると頭の回転が鈍ります。

◆最初は緊張した

—— その緊張の原因は何でしょう

自信を持てないのが緊張するいちばんの原因だと思います。最初の何も知らない状態で緊張からくるミスが多くて、1か月ぐらいはラインアウトについては信頼されてなかったと思います。徐々にミスも少なくなって自信もついてくると、緊張することなくプレーできるようになります。大学に入ったときも最初は緊張しました。すぐに慣れましたけど。

—— 意外と神経質ですか?

すごく神経質です。そのことがプレーにも繋がっているのかもしれません。ウォームアップでもダウンボールひとつにしても、置いたときにボールがズレていると嫌ですし、見た目を気にしないがさつな部分もあるんですが、神経質な部類だとも思います。

部屋を綺麗にするときは綺麗にするとか、いま住んでいる部屋はフローリングなんですが、クイックルワイパーみたいなのをかけて、綺麗にしています。前は汚かったですけど、やるとなったら徹底的にやらないと気が済まないところもあります。

執着心があるということかもしれません。でも嫌なことを根に持ってしまうのはやめよう、なくそうとしています。大学の話に戻りますが、先輩に偉そうなことを言って口だけの人がいて、毎日その人に思い切りぶち当たっていました。そういうことも執着のひとつと言えるかもしれません。

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—— 自分で料理はしますか?

料理は炒めものしかやってません。スキルはあまり上がらずに、結構ワンパターンでやってました。でも掃除のスキルは上がりましたよ(笑)。昔よりいまの方が部屋が綺麗ですから。

寮では朝ご飯だけ出ますが、サントリーに入って規則正しい生活なので、食生活が変わったし、体も変わりました。食事は肉系だったら間違いないですし、食べられないものはありません。魚も好きですけど、あまり食べる機会がないので、肉系ですね。

◆ボールを繋ぐ

—— 自分のいいところはどこですか?

なかなか自分では言いづらいですけども、考え方としては、チームに迷惑をかけたくないなというのがあります。例えば自分で突破していこうとするより、無理そうだったらすぐにボールを繋げるように、ボールコントロールできるようにしています。それがいいのかどうかわかりませんが、ボールを繋ぐという意味は持っていると思います。

—— 会社では何の仕事を

営業です。いままで先輩社員に同行して営業へ行ってたんですが、今日は初めて1人で営業に行きました。1人で初めての外回りで内心ビクビクしていたんですが、昼ご飯を食べるところも自分で自由に決められるんで、しっかりお昼も食事のコントロールができるようになります。

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ビクビクしていて緊張しているところを見せないように、伝えなきゃいけないことはしっかり相手に伝えようと心がけてやりました。

—— ご家族は?

両親と4人兄弟、みんな男でみんなラグビーをやっていました。僕は次男ですが、いちばん下が高3でスタンドオフをやっていて、高校代表候補になって注目されました。こんど卒業するので慶應を薦めています。いちばん上の兄は医学部でやっていたので、どこのポジションもやらされてました。僕はもともとフランカーですが、ナンバーエイトもやってました。三男はセンターをやっていました。

◆親父は有名

親父は試合の度に来て大変ですね、大きい声で応援するんです。高校でも、慶應でも有名でした。早稲田の隆道(佐々木)も覚えていたし、東野さん(憲照)も覚えていたくらいです。本人は野球とかをやっていたみたいで、足が速かったと言っています。

—— 今シーズンの目標は?

試合に出られるようになることです。それから日本一を味わったことないんで、早く味わいたいなと思います。

—— 将来は?

日本代表にもなりたいし、弟もなってくれたらいいですね。でも弟のことを気にするよりも、まず自分のことを気にします。

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結婚はまだ考えてませんが、30歳までにはしたいと思います。仕事は自分の中で、小さい仕事から大きい方へと考えています。小さい仕事がしっかりできるようになって、同期の人や同じ部署の人から小さな信頼を得て、徐々に仕事量も増やせたらいいなと思います。

これはラグビーも一緒です。小さいプレーで信頼してもらって、大きいプレーもできるようになりたいですね。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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