2006年6月28日
#26 青木 佑輔 『試合になったら性格を変える』
◆体はすごく堅い
—— 社会人の選手になって、大学といちばん違うところは
コンタクトの強さです。その強さは1人1人から感じていました。いまはちょっとずつ慣れてきましたが、まだ社会人の域には僕は達していないと思います。これから筋力をアップして、体重を増やして、いまのスピードとかをしっかり維持しながら、やっていきたいですね。
—— 怪我に強いタイプなのでは
あまり怪我しませんね。運がいいんだと思います。こないだ久々に骨折してしまって、1か月以上練習できない状態が続きましたが、これは4年振りの怪我です。大学(早稲田)入学当時に肉離れを起こして1か月以上も休みました。大学へ入ってほんとに初めのころです。それ以来です。1か月以上休む怪我はひさびさでした。
—— どこの怪我ですか
左手の中指です。
(と言って写真を撮らせてくれました)
—— どこで怪我したんですか?
3月23日にU23代表のセレクションマッチがあって、開始5分、ファーストフェイズでやりました。しばらく固定していましたが、固定して練習を休むような怪我は、これまでほとんどしてません。
—— このあいだ練習試合で眉の横を切って試合後縫っていましたね
そういうのはありますが、それはあまり問題ないですね。ラグビーできますから。
—— 怪我が少ないということは体が柔らかい?
体はすごく堅いんです。堅すぎだからいいんですかね(笑)。
◆すごく集中するようにしている
—— そうすると怪我しない秘訣は別にある
練習が始まったら、すごく集中するようにモチベーションを上げるようにしています。大学引退してすぐ、休めると思っていたのに、ぜんぜん休めなかったんです。怪我をしたセレクションには、何でセレクションへいかなければいけないのか、という気持ちを持ちながら臨んでしまいました。
普通は試合の1週間前は酒を飲まないし、そういうことはシーズンを通してずっと気をつけていたことなんですが、この時は気が抜けていて、合宿に入る前日に友達と飲みに行っちゃったんです。それはすごく反省しています。
—— そういうケアの仕方は誰かに教わったんでしょうか
もともと心配性なんで、そういうことはよくないんじゃないかと、勝手に決めつけてやっています。
—— 心配性は親譲り?
親、母親ですかね。
—— 兄妹は?
姉と妹です。
—— 女性の間に挟まれてて、それで優しい性格になったのでは
そんな気もしますが、試合になったらそれを変えるようにしています。
◆中学の時は柔道部
—— ラグビーは子供の頃からやっていたんでしょうか
小4の時、ラグビースクールに入ってからです。中学(忠生中学)の時は柔道部でした。柔道は初めて出た町田市の大会で3位になりました。でもそれほど強くなかった。多摩地区でも3位になったことがありますが、中3の時の都大会では2回戦ですぐに負けてしまいました。国士舘中とか世田谷学園中とか、全国大会常連のすごい強い中学が出てきてましたから。
—— 中学で柔道を選んだのは?
魅力ある部活がなかったんです。もともと格闘技を見るのが好きだったので、柔道を選びました。3年間やってみて、1対1のモチベーションの持っていき方が、難しかったんです。1回勝って、また次に別の相手に照準を合わせるのが、難しいなと思いました。
—— じゃあ今後格闘技への道を進むことは?K-1とか
ないですね(笑)。
—— 中学時代もラグビーは続けていたんですか?
ラグビースクールを続けていましたが、中学では部活優先でしたので、スクールにも行けたり行けなかったり、という感じでした。
—— 他の競技はどうでしたか
水泳を小さい頃からやっていました。得意なのは平泳ぎです。小5までやりましたが、一通り泳げるようになったので、よかったと思っています。でもあまり楽しくなかったんです。
◆父親が毎週連れていってくれた
—— ラグビーを始めた頃のことを聞かせてください
当時すごい太っていたんで、デカかったんです。小学校でも中学校でもデカかったので、センスがなくてもデカめでイケていました。中学時代のラグビースクールでは、自分の学年(1年)が3人、中3が2人いたけど来なくて、中2は1人もいませんでした。だから中学生がみな集まっても5~6人だったので、小学生と一緒にやっていたんです。というか、ラグビーはほとんどやってませんでした。
中学時代はただのボールゲームですね。試合もやらなかったし、グリッドとかをやっていただけで、何をやってたかあまり思い出せないくらいです。
あまりいいイメージがなかったんですが、でも他の小学生のお父さんもそうですし、自分の父親も毎週連れていってくれて、コーチも参加者が少ないながら教えてくれたので、ラグビーが続けられたし、いまがあると思います。父親は水泳をやっていましたが、毎週ラグビーに連れていってくれました。
—— ではラグビーが楽しいと思ったのはいつ頃から?
楽しいと思い始めたのは、高校(国学院久我山高校)でラグビー部に入って2年目、レギュラーになってからです。入るまで久我山はラグビーが強いって知らなかったんです。2年生の時にベスト4で負けて、次の年に全国選抜大会で2位になって、この時は楽しかったですね。でも花園では初戦敗退しちゃいました。
負けて悔しい思いをしたので、それで次の年の高3の年にガンバローって、自分らの代のキャプテンになったんですが、全国選抜に出られなくて、関東大会もBブロックに入った時点で、久我山として過去最低と言われてました。練習試合ですごい点差で勝っていた国学院栃木に負けて、有賀(剛)たちの日川高校にも負けて、1回も勝てないでBブロックのビリになった、つらい思い出です。
この時は出だしからダメで、気持ちの弱いチームになっていて、モチベーションの高いやつもいなくて、自分が好きじゃなくなったりしました。
監督が代わってモチベーションが下がったというのもありました。そこからちょっとずつ上がっていって、花園でベスト8で終わりました。不完全燃焼。そういう意味で、高校生活では良かった想い出はあまりありません。でも、高校でラグビーにいっぱい触れることができて、仲間もいっぱいできました。高校代表のU19とかで、隆道(佐々木/早稲田-サントリー)とかと、一緒にやるようになって、ラグビーが楽しいと感じました。
◆大学でラグビーを理解した
—— 早稲田大学に進学したのは
早稲田にすごくいきたいと思ってた訳ではないんですが、先輩もいっぱいいってるし、続けるなら有名なとこにいきたいという気持ちはありました。フォワード的には小さい体なんで、早稲田では小さくても闘っているというイメージがあって、それに憧れていたというのもあったと思います。
実際に早稲田でやってみると学ぶことが多くて、高校時代のラグビーは、グラウンドに立っても球がまわってきたら取りあえず走る、次はどうするって考えてやっていなかった。それを考えてやったり、気持ちの面でも学ぶことが多くて、技術的にもこういうシチュエーションでこう動くとか、セオリー的な考え方を学んで、大学でラグビーを理解した、というところはあります。
—— 早稲田の特別なところは何でしょう
早稲田には、特別に早明戦があって、絶対に負けられないという使命がある。どの試合にも負けられないという、先輩から受け継がれる精神的な支柱もあります。絶対に諦めない、力を出し切る、というところがあって、清宮さんが言う「ぬるいプレー」はしないというのもあります。
1人1人に意識の高さを求められていたので、すごくそれに応えられるように頑張ったんです。1年生の時はリザーブで、準決勝までは出してもらっていたんですが、決勝戦には出られなかったんです。U19の遠征で肉離れを起こしたからです。よそへ行って、気が抜けちゃったりする時に、怪我するんですね。
—— あなたのラグビーでの売り物は?
何ですかね?まぁ監督に言われたことは、やろうとすることをやりますってことでしょうか。例えば大学時代、ラグビーをまだ理解していなかったけど、清宮さんが言ったことをやろうとするだけで、自分が上手くなった気分になりました。ミーティングで細かい指示が出て、こういう場合のシチュエーションではこういうことをやる、それを1つ1つやっていくだけで、レギュラーになれたんです。
モールとか、人が嫌がること、痛がること、それを大学時代からやって、そこでしっかり"足をかく"ということです。人一倍足をかいたり、人がしないところで言われたことをしっかりやるとか。僕はこれといったセンスがある訳ではないので、そういうことを大事にしていました。小さいんで、パワーもそれなりにつけないといけないと思っていますし、それに伴う運も自分はそこそこだと思っています。
◆いい悪いの幅をなくすことが大切
—— 投げる(ラインアウトからのスローイング)は万全ですか?
投げるのは今ちょっとですけれど、大学1、2年のころはすごく投げました。すごくヘタクソだったんですが、先輩に投げとけって言われて、練習前に投げたり、練習後に体育館で1人で投げていました。ちょっとずつ、良く投げられるようになってきていると思います。
—— セールスポイントは?
これと言って今、器用だとかセンスがあるとか、そういうものはないと思うんです。パワーが小ちゃいんで、それなりにパワーをつけないといけないと思います。速さもそこそこだと思います。
—— 調子やコンディションの調整はどうやってますか
日によって、今日はいい、悪いというのがありますが、その調子の幅をなくすというのが大事だと思います。常にいいイメージをするのが大切だと思いますし、いつもそういうイメージでいきたいと思っています。
—— では幅がなくなったんですね
例えば、今日は調子悪いな、という日には練習しなかったりしています。良くないフォームでやり続けるのは良くない。1、2年目でうまくいかない日に投げ続けていたら不調になって、悩んでいた時期があります。そんな時に先輩から、適当にやればいい、と言われて気が楽になったことがありました。それでその日は投げるのをやめて、次の日からまたやったらうまくいったことがあったんです。考えすぎちゃう時があって、そういうのは良くないんだな、と思いました。
—— 調子がいい時は100%成功ですか?
いままで100%成功、と思うことはないですね。自分がそう思っても相手があることですし、いい場面で流れを断たないように、たくさん成功させることを目指してやっています。ここは取らなきゃダメ、というところを特に意識してやっています。
◆決断ができた時点で立場がひっくり返っていた
—— 自分の性格はどんな性格だと思いますか
結構、試合中に気持ちを出さないと、ビビリではないですけども前面に気持ちを押し出さないとダメな方だと思います。試合に出て行く時には何か叫んでいますし、気持ちを作っておかないと、やられてしまいます。何か吠えていると思いますが、そういうところで勝たないと、自分は勝てないと思います。試合前になると、体がそういう風になりますよ。
—— ラグビーをやってきて最も印象に残るプレー、あるいは試合は?
大学4年の決勝戦、関東学院との試合で、ゴール前でスクラムトライを狙った時ですね。結果的にトライはなりませんでしたが、関東学院にいかに押されないか、どうやってスクラムを組むか、というのが大学に入った時からの課題でしたから、4年目にして押してやろう、スクラムトライしてやろう、という決断ができた時点で、立場がひっくり返っていたという気がして、そういう成長が嬉しかった。あとはトヨタに勝った試合ですね。
—— そういう時は、ワァッと泣く方ですか?
率先して泣くんじゃなくて(笑)、自然と泣くものでしょう、そういうのは。
—— 今後も目標を聞かせてください
サントリーのレギュラーになって、日本一になることです。サントリーは大学でのライバル達と一緒になってやれることもそうですが、先輩とかがとても強いので、すごく楽しいです。
—— サントリーを選んだのは?
仕事とラグビーと両方できるというのが、大きな魅力でした。それから、家(町田市)から近い、というのもありました。
—— 日本代表は?
ラグビーをやり続ける限り、1回は日本代表になってみたいと思っています。
(インタビュー&構成:針谷和昌)