SPIRITS of SUNGOLIATH

スピリッツオブサンゴリアス

ロングインタビュー

2006年6月20日

#22 有賀 剛 『ジャパンに早く選ばれたい』

◆清宮さんを信じて、精一杯やるしかない

—— サントリーに入ることを決めたのは、清宮監督が決まった後ですか?前ですか?

清宮さんが監督になると発表になる前から、清宮さんから「一緒にやらないか?」みたいなことを言われていましたので、どっちが早いかといえば、監督が決まったあとに決めました。

—— トップリーグのほとんどのチームから誘われたのではないですか?

そこまでないですね、4つか5つでした。プロ志望というのもあったので、プロがないチームもありますし、周りの方々が思っているほど、声は掛かりませんでした。

大学(関東学院大学)時代ライバルだった早稲田の監督だった清宮さんですので、あれだけ強いチームを作ったすごさをわかっていましたし、清宮さんの下でやってみたいなという気持ちがありました。今後はどうなるかわかりませんが、これから伸びていくチームじゃないかと思って、サントリーに入ることを決めました。

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—— 早稲田の清宮監督や佐々木主将が入るサントリーでなく、別のチームで闘って勝ってやろう、とは思いませんでしたか?

ライバル意識がないわけじゃないですけれど、同期にいい選手がたくさんいることはいいことですので、プロって考えたときに行くチームが少なくなってしまった中で、サントリーがいいんじゃないかと、自分の中で思いました。

—— 入ってみて良かったですか?

まだイエスとは言いきれない部分はありますが、合うか合わないかは、始めてまだ1か月なので、これからやってみないとわかりません。ただ清宮さんを信じて、自分なりに精一杯やるしかないと思っています。

—— チームメートはどうでしょう

みんな、一言で言えば、真面目です。みんな練習もよくするし、自分の中でもいい刺激になります。負けてられないと思います。関東学院出身者は、いまサントリーに僕1人しかいなくて、それでもいろんな人にかわいがってもらって、すごく楽しくやっています。練習中はレベルが高いなと感じていてやりがいがありますが、そこで勝って生き残らないと試合に出られないので、がんばらないといけないと思っています。

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◆意地で4年生のために勝つ

—— 大学のときは自分たちでいろいろ考えてやっていたという話を、どこかで読んだことがあります

春口(廣)先生の指導法だと思うんですが、ときには言いますが、あまりこれを絶対にやっちゃダメとか使うなとか決めつけません。お前たちがやってみて、いちばんいいのを使えばいいんじゃないか、と言われていました。ゲームプランだったり、このときはこうする、とかちゃんと徹底した方がいいと思いますが、選手の意見を尊重してくれるところがあるんです。

—— 3年生、4年生と2年連続でキャプテンでしたよね、そうすると練習メニューなども自分たちで決めていたんですね

外国人コーチが1人いて、その人と話し合いながらやっていました。3年のときはまだ4年生もいて、ちょっとやりにくい部分もあったけれど、最終的にはそういうことでどうこうよりも、意地で4年生のために勝ってあげよう、という感じでした。

関東学院は我(が)が強いやつが少ないんです。意見とかあまり言ったりしません。でもこっちが言ったことに対しては納得してくれるんです。返しはしてくれない部分が多かったですから、ちょっと物足りなさがありましたね。いつもこちらから何か言わなきゃダメでしたから。自分の出なかった試合で、東海大にあっさり負けてしまいましたが、そういうチームになってしまったんじゃないかと、そのとき思いました。

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—— キャプテンの経験は?

高校(日川高校)のときも3年生でキャプテンをやりました。若いチームで、試合に1、2年生が10人ぐらい出ているチームでした。、僕の同期が少なくて、学校体制が変わって部員が集まらなかった年だったんで、8人ぐらいしかいなかったんです。

◆押し付けはなかった

—— 元日本代表ラガーマンのお父さん(健/代表キャップ15/元 日川高校監督)の教え子が監督だったんですか?

いえ、監督は違いますが、コーチはそうでした。

—— そういう家庭に生まれると、子供のときからラグビーをやっていたんでしょうか

中学(塩水北)ではずっと水泳をやっていました。親父はスポーツに関してほとんどノータッチ状態でしたし、バスケットもやっていましたが、スイミングスクールが忙しくて、バスケットより水泳でした。水泳は小学校(大藤)でスイミングをやっていましたが、ラグビースクールにもちょくちょく行っていました。

—— 水泳を続ける気はなかったんですか?

最初その考えもあったんですが、水泳の楽しさをわかる前にやめちゃいました。最後は辛いっていう気持ちだけでやっていました。もともと水泳を始めたのは2歳半ぐらいからで、お姉ちゃん2人がやっていたこともあるし、僕が風呂で水を怖がったので、やらせてみたということでした。

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—— お父さんはラグビーをやれと言わなかった

やれ、と言われたことは一度もないです。言わないし、押し付けなかったですね。水泳には親が入れたんですけれど。

—— お父さんは試合にはいらっしゃいますか?

大学のときはほとんど見に来てくれました。たまに、試合を見てアドバイスみたいなこともしてくれます。親父は現役時代、11番でウイングでした。現段階では自分より上にいます。選手の後、ラグビーを10何年間教えてきています。僕も同じ道を通っているんだと思っていますし、言っていることに間違いはないと思っています。

◆やっとここでできる

—— ラグビーは押し付けないけど、家にはボールが転がっていたりジャージがあったり、ですか?

そんな感じです。応接間にジャパンのときに親父がテストマッチで交換したジャージがずらっと飾ってあったりとか、部屋の中に現役の学生時代のボールが転がっていたりとかしました。日川高校の練習にも、子供のころ連れて行ってもらったりしました。

花園にも毎年家族で見に行っていたので、高校進学のときには、ラグビーをやってみたいなと思っていました。高校でラグビー部に入って、3年間ずっと花園に出ました。成績は最後の年のベスト16が最高です。

—— 花園に出たときは嬉しかったでしょう

やっとここでできる、みたいな、やりたいと思っていた場所でした。雰囲気がすごかったですね。他では感じとれない独特の大会。会場中の雰囲気がすごかったですね。

—— ラグビーの面白さって何ですか?

いろいろあります。いちばん面白いと思うのは、人を抜くことです。ステップで人を抜くときが、いちばん面白い。これはいちばんやりたいことだし、また選手として自分がやらなくちゃいけないことでもあると思います。

—— 性格的にはあまり興奮しない方でしょうか

結構、冷静かもしれません。試合前とかも、とくにこれをやるとかはなくて、普通ですね。よく精神統一している人とかもいますけれど、僕は普通に音楽を聴きながらイメージトレーニングしています。試合前は自然に気持ちが盛り上がってくるものだと思いますし、関東学院はそういうカラーのチームで、ロッカーで叫んで出てくるチームではなかったんです。明治とか早稲田とか慶應とかの伝統校には、そういうところありますよね。

—— いま怪我されてますね

部内マッチまでは順調にきたんですが怪我をしてしまい、今週どれだけ上げられるかですが、やってみて良かったら、来週あたりから復活できるんじゃないでしょうか。(*インタビューした日は5/23)

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◆親父は大学4年で代表になっている

—— 今年の目標は?

よくプロの選手たちとも話すんですけれど、試合に出ないことには話にならないでしょう。プロとして試合に出るという目標は、当たり前のことなのかなとも思いますが、先ずは試合に出ることが目標です。あとは日本一ですね。

それから個人的にはジャパンに早く選ばれたいし、早く選ばれないとダメだろうと思っています。親父は大学4年で代表になっていますからね。世界にも自分より若い代表選手はたくさんいますし、早くアピールして代表に選ばれないと、もういい歳になっちゃいますから。自分ではもう、ぜんぜん若くないと思っています。

—— U23の日本代表には選ばれましたね

ニュージーランドへ行って、4試合やりました。最後のNZU(ニュージーランド学生代表)戦を目標にやってきたんですが、あまりチームも個人的にも良くなかったです。雨でミスも多かったし。

—— 海外は視野にありませんか

留学とかはしてみたいですが、プレーはそこまで言えるほどじゃないんで、とりあえず留学ぐらいですかね。

—— 結婚は?

結婚?考えてません。彼女、いまいないんで、彼女募集中です。これ書いといてくださいね。

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—— とにかくラグビー漬けの毎日ですね

自分の意識の中心にプロというのがあって、体が第一だし、1日中ラグビー中心です。午前中ウエイトやって、終わったら体をトリートメントしてもらって、いまは怪我しているので酸素風呂に入って、全体練習をやって、ジムに行ったりプールに入ったり、そういう生活です。

—— 体は大きくなってきましたか?

鍛えて3か月ぐらいで人間は結果が出てくるので、まだわかりませんが、でもウエイトは好きなので真面目にやっています。これが仕事ですから。

(インタビュー&構成:針谷和昌)

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