2006年4月27日
#7 小野澤 宏時 『一生懸命走る』- 1
◆自分の絶対値を上げるという気持ち
—— 今年からキャプテン、バイスキャプテンに続く委員という役職に指名されました
正直、社会人になっての役職って何だろうと思うんです。トップリーグという国内で一番のリーグの中で、役職的なものの存在理由はあるんだろうか?と。学生の部活のそういうものと、社会人として日本一を獲って、日本代表になって、自分の絶対値を上げていくこと、そのために上手く、強く、速い選手になるという目標とは違う、学生と社会人とは違うと思うんです。
—— では役職はいらない
それがなくてもやれるというのが本当。チーム内にやる・やらないという温度差があってはおかしいし、役職にかかわらず、本来みんながガツガツしているべきだと思います。すべてのことを欲張っていく姿勢があって、そういう選手が試合に出てるという形がいいと思います。人に引っ張られなければやらない、というレベルではないでしょう社会人は。もしそうだとしたら、余りにも残念過ぎます。社会人はまず、自分の絶対値を上げるという気持ちを全員が持っているという、スタートラインに立っていなければいけないと思います。だから役職がどうというのではない。個人として僕は一生懸命やるだけです。
—— 去年はどんなシーズンでしたか?
妙な頭でっかち感、じゃないですけれど、理想を追い求めていたのはいいんですが、そのための土台にフィジカルの強さがあって、それを作ろうとやっていくことが一番わかり易く強くなれると思うんです。もちろんそのフィジカルの強さが1~2週間でぐらいですぐに作れるものではないですけれど、その土台を忘れて理想に向かってちょっと頭でっかちになって、組織という名の何かで誤魔化せる、というところがあったのではないでしょうか。みんなでみんなで、という感じでいっちゃった気がするんです。そうではなくて、何かのためにというより、まず自分のために、でいいと思います。
—— まだ壁が見えない、と話していたインタビュー記事を読んだことがあります
外枠は自分で決めるべきではない。枠や器の大きさを決めてしまうと、器の中身を入れよう入れようという風になってしまい、逆に小さくなっちゃうと思うんです。ラグビーにコンタクトというところがある以上、フィジカルにはこだわらなきゃいけないし、スキル的なものもまだまだわからないし、コーチにいわれたことは「全ていいですよ、じゃあそれやってみます」と毎年思ってやっています。
—— 監督、コーチから今年の方針のプレゼンテーションがありました
いいんじゃないですか。まだ細かい話ではなく、枠組みの話だったので、実際にやってみないと評価できませんが、いいプラン、やってみましょうよ、という感じです。
◆ボールを持って走るのが好き
—— ラグビーを始めたのは?
中学(静岡聖光学院)からです。中・高一貫教育の学校なので、ラグビー部も中・高一緒で、サントリー出身の葛西祥文さん(元日本代表)、この方は土田さん(雅人/サントリー元監督)と同期なんですが、葛西さんから自分のプレーの芯になる部分を教わりました。
—— 芯とは?
「倒れるな、全員抜いたらトライするだけだろ」ということです。日本代表でやっていても、テレビ放送終了後に電話がかかってきて「お前倒れ過ぎだよ」って。中学とか日本代表とかレベルは関係なく、「お前のレベルは上がってないのかよ」っていわれます(笑)。確かに全員抜けないのは自分の力不足。「自分の限界を自分で決めるな」とも言われました。
その後の大学(中央大学)では、フルタイムの指導者がいなかったので、無色の状態で社会人に上がってきてみたら、土田さんのすべてが良かった。慎(長谷川)さんと、中大の頃を考えたら、どんな環境にいってもコーチングがあるだけで良いね、文句ないねって話したことがあります。
—— サントリーを選んだのは?
仕事をやろう、という部分もあったし、葛西さんがサントリーだったということもあったし、高校、大学とフォワードで苦労しているウイングだったので、サントリーならでかいフォワードで押してというイメージがあった。そうして入った年からランニングラグビーに変わってしまった(笑)。フルバックもやったことなかったし、フルバック的なキックも蹴れないですよ、と土田さんに言ったら「いいよ、今年はキック蹴らないから」(笑)。面白いラグビーだったんで、いいですよって答えましたけれど。
—— プロになったのは?
4年目(2002年)の途中にプロ契約しました。僕は夏にプロ契約をしましたが、その年の春に大久保直弥さんと山下大悟の2人が日本人プロ契約をしてましたので、サントリーでは3人目ですね。なぜプロになったかというと、日本代表になったら教員免許を取得しようと、ずっと前から思っていたんです。
筑波大学、早稲田大学、日本体育大学なんかが強かったら、学生日本代表になった選手が先生になるという道はある。けれども企業スポーツとしてラグビーをやって、トップまでいって世界を経験した人が、中学生、高校生に教えられるという機会はあまりありません。僕は静岡の、練習も週3回しかないラグビーの弱い高校でしたが、たまたま元日本代表という先生が赴任してきたのがラッキーでした。そういうことを経験できる環境が今ないですから、今の学生はついてないなと思うんです。
—— 教職は取れましたか?
あとは介護実習へいって、中学か高校に5日間行けば取れます。暇な時に行くか、あるいは週に1回ずつ行くか、そういうやり方を今探しています。先生になったら受け持つ科目は保健体育になりますね。公立でラグビー部があるところは少ないですので、私立のラグビー部がある学校で、できれば弱いところへいきたい。
強いところというのはOBの繋がりがあって、それなりの教わる環境ができていると思うんですが、弱いところは普段なかなかそういう経験もできないし、やる前にダメかと諦めてしまう子たちも多いと思うんです。そこへ僕なんかが行けば、やる気になる子が少しでもでてくると思う。自分たちもやってみるか!という選手がでてきた方がいいと思うので、自分も弱いところだったし、そういうところで教えてみたいんです。
—— 自分のプレーで自信があるところを教えて下さい
走ること。ステップ踏んだり、ボールを持つ回数。足は自分では今もあまり速くない方だと思いますが、一生懸命走るタイプです。中距離系。一発の切れ味より、80分間のトータルで見て欲しいですね。相手が「まだこいつ来んのかよ」というところで勝負するタイプです。自分でも、しんどいなぁとは思いますけれど。ボールを持って走るのが好きですね。
—— ラグビー以外のスポーツや趣味は?
水泳、小学校まではエレクトーンとか習字の塾にも通ってました。趣味は自転車。乗り物が好きで、古いツーシーターの昔の車に乗っています。ランサーレボリューションというレースカーにも乗ったこともあります。バイクもベスパ(※1)。いろいろ変わりますが、乗り物はどっかへ行けちゃう感じがいい。暇さえあったらどこにでも、例えば自転車でバッグかついで日本海が見えるところへ1週間、なんて行けそうでしょう。そういうのがいいんです。
※1:ベスパ=Vespa/イタリア製/映画「ローマの休日」「さらば青春の光」等にでてきた世界のトップブランド
(インタビュー&構成 針谷和昌)