2006年4月 5日
#1 山下 大悟 『絶対的な力をつけて本物になる』- 1
—— 新キャプテンと言われた時の気持ちは?
清宮監督から電話がかかってきて、明日クラブハウスに来てくれと言われたので、キャプテンの話だろうなと思いました。キャプテンと言われてまだあまり日が経っていませんが、キャプテンというのはいろいろと責任のある仕事だと思っています。
—— 昔からキャプテンをやってきたんですか?
世間で一般的に言われている様な優等生タイプではないので、とくに人望がある訳でもないんですが(笑)、大学時代はキャプテンでした。大学時代も各代のキャプテンは絶対だと思ってやってきましたから、反抗してたとかいうのはなかった。良くも悪くも表情とか口に出てしまうので、そういう風に見られるんですけど。
僕の中でのキャプテンの捉え方は、ただ単に組織の中の一役だと思っています。監督のもとでやるものだと思うし、そう考えると清宮さんに指名して頂いたのは、向いている向いていないだけでなくて、いちばんそれがやりやすいんだと思いました。
清宮監督にはとても影響を受けています。僕にはあんな風にできないですけど・・。自信があって有言実行がかっこいいし、今まで会った大人の中で、清宮さん以上の人はいないと思っています。
—— 大学を卒業してサントリーに入った時のことを教えてさい
サントリーは組織が強いチームだと思います。早稲田大学の時から、サントリーにはよく練習に行っていたので分かっていたし、そういうシステムの中に自分が飛び込むことによって、まだまだ成長できるかなと考えて、サントリーを選んだんです。
当時の監督だった土田(雅人)さんから、プロの選手でやってみないか?という話をいただいて、自分も自信があったしやってみようかなと。何処に行こうか迷っていた時なんですが、プロ選手というものに対してサントリーはどうなのかと思い、11月頃に監督の部屋に聞きに行ったんです。
その時に土田さんが語られた早稲田やサントリーの話に落ちました。組織論から1つ1つの細かいプレーまで、すべて的確についていらして、ちょうど早慶戦の前だったんですが、悩みや迷いが消えたというか、すごいなと思った。
この人なら間違いないと思って決めました。サントリーのクラブハウスから府中本町へ行くタクシーの中で、清宮さんにも電話したので、もうこれで後へは戻れないと思った。清宮さんはその時も「ほー、そう」と言っただけですし、サントリーへ行けなどという話は、それまでも全く出ていなかった。
—— ちょうど入った年からトップリーグが始まりましたね
トップリーグが始まって、全体的な印象は、観客が少ないということでした。チーム自体からは、それぞれのチームのアイデンティティーみたいなものが、ちょっと欠けているという印象を受けました。清宮さんの本にもありましたが、未完了の部分が多いまま試合をやっている印象がありました。みんな一生懸命やっていたのは間違いありませんが。
1年目はほとんど試合に出ていません。1年目は迷いながら、やりながらも悔しい気持ちでいっぱいでした。練習でやってやろうっていう気持ちだったけれど、それが空回りしていたし、そこでいろいろ考えて結局消化しきれないまま練習をするといった具合で・・・、要するに自分に絶対的な力がなかったということです。
今もそうですが、プロでやっている以上、究極的なことで言うと、誰が親分でも自分の絶対的な力をつけて、どこに行っても本物にならなきゃ、直弥さんやザワさん(小野澤選手)の様に、と思ったんです。
ザワさんとかは一緒にウェイトトレーニングをやらしてもらうと、横で重いのを挙げている。それを見るとあせるし、こっちがもっと挙げて、反対にあせらせてやろうと思ってやったりしています。
組織に頼りすぎていた部分があった。待っていたし受け身だった。
与えられないなら、自分が変化しないと全く目立たないということに気がついた。
—— そうして迎えた2年目(04年)は?
怪我で1試合出なかっただけで、ほとんどの試合に出ました。ウイングで出ていたので、アウトサイドセンターで出たいという思いは強くありました。
そして春の間に足首を怪我していたので、別メニューだったけれど、フィジカルを徹底的に鍛えるというテーマを持ってやりました。自分の強みを出していかなければいけないんだと。それを活かせる様に、周りとのコミュニケーションも取れる様にもなったし、良かったと思います。体重とかでなくて、体の質が変わりました。
そういう点で3年目の去年は、すごく良かったと思います。フィジカルを鍛えることによって、試合でより力を発揮できる様になり、3年目でプロ選手としてのルーティンみたいなものも、出来上がってきた。自分の中ですごく充実していたし、結果も出ていたので自信もあった。
—— ルーティンというのは?
試合に臨むまでの準備とか生活習慣も含めて、自分がいちばん力を発揮できるように食事とかも自分のスタイルを持ってやっていくということです。この日にタックル練習をこのくらいやろうとか、自分の強みを出すためにしっかりとできたので、プレースタイルもそうですけど生活もよかった。 今はまだやっていませんが、シーズン中はほとんど飲みません。飲み物も100%ジュースは濃縮果汁はダメ、ストレート以外飲まないし、ほとんど水とお茶しか飲みません。揚げ物も食べても大丈夫と言われてますが、いっさい食べない。自分自身の気持ちの問題で、自分の気持ちがよければいいと思います。去年、怪我して入院した日には、揚げ物をこれでもかと食べた(笑)。
—— 怪我した時(05年10月8日/神戸製鋼戦)はどうだったんですか?
やられたぁ、無理だーって。やった瞬間、膝から脳天へ突き抜けるくらいビリビリときました。自分で見ても膝の上の骨がポコッと出ていたし、力が入らない。痛くはなかったけれど、ドクターが来て無理だと。観客からは「大悟、立てーっ!」なんて言われてたんですが、無理だよーって。悔しかった。13番をつけて飛躍の年だと思ってやっていたので、すごく悔しかった。
今、ボルト3本、ワーヤー2本が入ってるんですが、4月に入ったら抜いて、あとはリハビリです。4年目の今年は、基本的に3年目と一緒です。キャプテンになっても、自分自身がプレーヤーとして成長すること。それがやるべきことだと思ってます。
—— 3月に3回目の結婚記念日を迎えました
結婚しても本質的なところは変わってないと思います。ラグビーのことを考えている時は、結婚しても変わらなくて、体はそこにあっても、頭集中してきっとどっかへいっています(笑)。
綺麗な言葉で言うと、嫁とかいたら喜びも痛みも分ち合えると言いますが、僕らの場合は大学の同級生としてつき合う様になって初めて僕がラグビー部だって知ったくらいで、それまでラグビーには全く興味がなくて、つき合い始めてラグビーを初めて見たというくらいです。
でもやっていて一番喜んでくれる存在だし、大学生の時もそうだったけれど、ずっとつき合ってきているので、何とか一緒に喜びたいな、喜ばしたいなと思います。
(インタビュー&構成 針谷和昌)